今日は、三重県地域密着型サービス協議会(旧称 三重県グループホーム連絡協議会)の新人研修が開催された。太陽の家からも2名の職員が一日研修に参加した。参加者55名、グループを7個設置し、私の担当は1番グループ。出来る限り同一事業所からの参加者を同じグループに混入させないよう配慮したグループ分けを行った。大半は1年未満の認知症介護初心者という人達ばかりで、認知症の基本的イロハから、接遇マナー等について学んだ。
その中で、いろいろと話が出た中で感じた事は、個々の研修生をみると理論的には理解が出来ている。理論的と言っても学校で学ぶ高齢者福祉全般の概論ではなく、人として当然の手助けの方法と気持ちのことである。認知症特有の症状に対して、どの支援方法が適切か?を回答群から選ぶ研修の中で、参加者全員が正解であった。理屈では理解できていることは伝わってくる。しかし、いざ実践となると、そこには理屈ではなく別の感情が沸々とわき上がってくるようである。
その理由として、少数の職員が重度認知症高齢者を複数、それも同時に支援しなければいけない現場の切羽詰まった事情があるようだ。認知症の方々は、繰り返し同じ事を訴える。認知症の方の特徴であり、それに応じることのできる者が我々専門職である以上、出来る限りの努力は行っている。しかし、問題は職員がこれらの対人援助を「作業」として行わなければいけないところにあると思う。先にも言ったように、トイレ介助、入浴介助、日報の記録、家族対応に機能訓練を兼ねたレクリエーションの実施など、本当に盛りだくさんの業務に追われていることが、職員の精神的な余裕を失わしているように感じた。
グループホームにおける人員配置の基準は、日中3人の利用者に対して1名の職員を必至としており、その計算から1ユニット9名の利用者の場合、3名の職員がそれぞれ8時間労働すれば基準を満たすこととなる。そして、介護保険の給付も、この最低限度の人員を基準として算出されている。今年の初めに全国グループホーム団体連合会で全国のグループホーム事業所にアンケート調査を行った。そのアンケートでも、この人員配置基準が適正か否かを調査したが、適正な数としては3.75人という結果がでていた。つまり、一日を通して最低でも1ユニット9名の利用者に対しては4名弱のスタッフの存在が不可欠であると全国のグループホーム経営者また管理者は思っていると言うことである。
経営者も現場も、同様に人員不足を認めながら、なぜ職員の増員が図られないのか?そこには、介護保険の給付額の問題が大きな壁として立ちはだかっている。施設自体の開設からまだ年月も浅く、個々の事業所としても多額の借金を負いながらの解説である。おまけに、法人税などの諸税の支払い義務もあり、グループホームの経営は決して楽なものではないのも事実である。
これらの点からも、職員一人に対する負担が軽減する事は想像しがたく、今後、高齢者が増えていくのと同時に、高齢者のニーズの多様化、依存の増加などを考えても、職員への負担は今以上の物となる事は見えている。私達経営する側からも、この近い将来の介護へのニーズの増加(ニーズというより要望というべきかもしれない)に、如何に対応し、如何に上質で満足のいくサービスを提供できるかが事業の存続に大きく影響を及ぼす時代はやってくるように思うのである。そして、今以上に、職員のメンタルケアを真剣に考えなければ、有能な人材が残らない事態も考えられる。2035年をめどに日本も超高齢社会をむかえる。私達サービス提供側も行政の指導にだけ依存して、自らが提供サービスの開発と改善をおこなうことを目指したい。
また高速道路料金体系の変更が公表された。上限2000円の実施を6月から予定していたものを延期すると言う発表である。子供手当(基本的に僕は子供手当には反対意見をもっているが・・・)にしても、今後、どのように変わっていくのか先が見えない。前回の衆議院選挙では、私の中でも自民党政権から民主党に変わる事も必要かと思った。しかし、沖縄の普天間基地問題の5月末決着やら、何やらと結構安い発表が多い民主党に期待を裏切られたような気持ちになっている。
今日の報道でも取り上げられていたが、民主党の女性議員が先日の予算員会(?)の強行採決の段階で自民党議員に押されて転倒、足を打撲したという理由で翌日の審議に車椅子で国会にでたという話題。映像を見る限り、それ程強く押されたというようなイメージは伝わってこない。ましてや、その当事者が打撲の跡といいつつ自身の足をテレビカメラに向けて見せていたが、打撲に伴う内出血も見えず、何処を打撲したんだ?と首をかしげたくなる。こんな議員に限って、自家用車の乗降には身体障害者専用駐車エリアを使っていたりして・・・・何だか、国会議員の先生ともあろうお方が、田舎のチンピラみたいな真似をして議員バッジを付けている事が信じられない。
首相自身も同様だが、社民党すら国政をつかさどる椅子に執着して、国民の幸福と国益なんて、どうでもいいような印象が強く伝わってくる。日本を一つの法治国家として未来永劫に繁栄をもたらす信念をもった国会議員は居ないのだろうか?!
昨日、今日と二日にわたって、当ブログを読んでいただいているよ!と声がけをいただいた。 ちょっとビックリ!そして ちょっと焦り! 「ビックリ」は素直に読んでるよ!と声をかけて頂いたことに対する驚きであり、「焦り」は、中途半端な気持ちで書き綴っている自分のブログに対する責任から少し焦りを感じた。という具合である。
もともと施設長の部屋というネーミングから、認知症グループホームに関する情報発信を目指して設置されたブログだが、このホームページのテスト期間に、自分の好きな自動車レースの最高峰であるF-1GPについて触れた事、また、私が学んでいた日本福祉大学に於いても、学内に自分自身のブログを立ち上げる機能が付随していたことから、ついつい気の向くまま好き勝手な事柄を書きつづってきた。 本当に自分自身の思うがまま、頭に浮かんだ事柄を文字にしていくことに抵抗は無いものの、それらの勝手な文章を丁寧に読んで頂ける方がみえることに、あまりに無責任な発言は控えるべし!というブレーキがかかるような気持ちになった。
しかし、こんな吹けば飛ぶようなブログなど、読み手を考えた文章構成など、読んでも楽しくは無い。お世辞とオベンチャラいっぱいで、読者のご機嫌取り的ブログほど読んでみて面白くない物は無い。そう考えると、やはりこれからも自由気ままに好き勝手な文章を記載していくこととなるのです。それと、たまには、認知症について情報発信を交えながら、簡単に認知症とはどんな問題があって、なにが介護上の問題として表質しているのか・・・・?に触れてみたいと考えている。
2025年には350万人程の高齢者人口となる日本。その内の3分の1は認知症となる可能性があるらしい。2025年といえば、私も65歳を超えてしまい高齢者の仲間入りとなる。僕などは、今でもこの状態。65歳を超えて認知症でも患えば、問題行動ばかりで可愛げのない年寄りとなりそうである。自分自身の生活歴やモノの考え方等を将来的な私の介護のための基本情報として整理しとくか!と、今から備えておくべきか・・・?趣味や生活歴など私個人を理解してもらうことから始め、その時に応じた支援方法を考えてもらう。積年の恨みで、認知症となって意味プーな私を虐待する? 面倒だから放置する?
そうならない為に、今から手を打っておかないと!と考えていました。
・・・・・・ブログ読者の存在について書いていたのに、最終的には自分の老後について書いている。これがB型、てんびん座の勝手人間のブログです・・・・・だけど、やはりブログを読んで頂けると言う事は嬉しい事ですよ。これからもよろしくです!
最近のブログネタは、私自身の思いつきを只文章化してるだけの、読む側にとってみれば「単なる戯言」のような文章が多く、認知症介護に関連するネタはめっきり少なくなった。では、なぜ、最近では丸子さんの登場が少ないのか・・・・?という疑問であるが。最近の丸子さん、相変わらず体調不良を訴えることは継続しているが、以前のように前に薬局へ薬を買いに行く行動が沈静化している。やはり、日中の気分の変動はある事はあるが、以前のように長続きしなくなってきた。要するに、不安要素がある程度緩和されたように見受けられる。それと、自宅で一人で生活していた頃からの環境の変化にある程度馴染んできたと考えるべきかもしれない。しかし、相変わらず風呂には入りたがらない。
認知症というのは病気ではない。もともとは脳血管性疾患、アルツハイマー、または老人性うつ症状から記憶や行動に障碍を持ち始める状態。それを認知症であって、我々の仕事として、その障碍部分に適切な支援を行うことで安定した生活が継続できるわけで、それらの専門的支援が我々に求められている援助なのである。そう考えていくと最近の丸子さんのように、精神的に安定しているよう見受けらる状況とは、一応なりとも支援方法が正しいと言えるのかもしれない。
精神的には安定してきた兆しがみえる丸子さん。次に我々の課題として、この今の現状が本当に彼女の精神状態が安定していると言えるのか更なる見守りが必要であると同時に、入浴を毛嫌いする部分を改善できるようアプローチ方法を検討する必要がある。これから湿度の高くなる季節。入浴回数が少ないことは身体の清潔から考えても問題が増えてくる時期である。皮膚疾患や体臭などの点で、周りの人から阻害されることにつながりかねない。
専門職として、これからも更なる試練が待ち受けているのである。認知症介護はエンドレス。最終まで気の抜けない見守りが必要である。この世に生まれてきた事を最後の最後に後悔させないためにも、我々専門職の日々の努力が求められる。
先だって、中日新聞に「隣のトトロ」の原作者である宮崎駿さんの自然との共生、私達の住居を拠点として半径300メートルの自然環境に住民がもっと責任を果たすべきだと言うコメントがあった。この記事は、外来種によって日本古来の種が絶滅する危機がある事に対する警鐘として、外来種であるペットや生き物を成長しすぎて近場の自然に安易に放つ人が多い。その中で、文明社会となって「ハエ」や「蚊」さえも駆除する意識が強いが、元来人間はハエや蚊と共存してきた、人間中心の発想が「種」の存続の引き金になっていると言うコメントである。
なぜ、そのような話を持ち出したかと言うと、今日は、太陽の家の裏庭の花壇の手入れを行い、また沢山の花の苗を買ってきた。植木鉢にしっかりと植えかえて、水を十分に与え、明日からの成長を楽しみにして一旦、家の中に入った。それから数時間後に、裏庭に植え替えたばかりの花の苗を見てみると、沢山のナメクジが集まっていた。
宮崎駿さんの言う蚊もハエも昔から共に生活している生きものなら、これらのナメクジだって古来からいたもの。むやみやたらと殺虫剤をまいて、殺すことは共生とは言わない。しかし、放置すれば、せっかくの花芽も食べられてしまい、この太陽の家に来てくれるこれ医者の方々の目を和ませる事が出来なくなる。
花でいっぱいに、楽しめる庭を年寄りさんに見せてあげたい気持ちと、自然との共生を守らなければいけない気持ちとが争っている。また、先日植えたスイートバジルの葉にもナメクジが着いている。流石に殺虫剤とはいかないでも、手で取り除いておいた。これまた、人間の勝手なエゴかもしれない。ナメクジも生存するために美味しい葉っぱを食べる。僕も、美味しいスイートバジルの葉を大切に育てる。少しくらいなら食べてもいいけど、結構、良いとこばかり食べてしまうので、概して残された葉っぱは使い物にならない事が多い。
自分の食べたい食物のためには、全ての害虫と言われる虫達を排除するのか、それとも駆除するのか・・・・?悩むところである。ナメクジにくわれるか、僕が食うか・・・?難しい問題だ・・・・・・・