最近の丸子さん、少し元気がない!何を言っても浮かぬ顔。無表情であり無反応である。そして、何よりもこの状態の原因が分からない。特に他者が影響を及ぼしているとは思えない。ただ一つ気になる事がある。それは、彼女の口をついて出てくる言葉に「息子に言われとんの!若い人たちに迷惑をかけたらあかんよ!って」
そんな彼女の言葉の度に、迷惑なんかかかってないよ!とは言うものの、すぐに同じ事を訴える。
少し「うつ症状」が強く出ているようである。
今日、珍しく一階のデイサービスフロアーを訪れた丸子さん。相変わらず元気のない表情をしながらデイサービス利用者と一緒に椅子に座っていた。表情のない顔をしながら、午後を一階で過ごしながら、夕方の送迎時間が近くなって、職員に諭されて二階へとエレベーターを待っていた。もちろん、職員も一緒に二階に上がろうとしていた時に、私の方から丸子さんに話しかけた。「いっぺん、車でふら~っと、出かけよか?」
最初は、「そんなん、悪いで、ええわ!」と言っていた丸子さんだが、すぐに気持ちは変わった。本人は出かける気持ちになったようである。さっそく、靴を外出用に履き替えてもらい、そのまま車に飛び乗り、シートベルトを締めて出発。二人で鈴鹿川の河川敷公園へ行ってみた。少し河川敷を歩いて河の流れを見ようとしたが、丸子さんはお疲れモード。それまで、私の話には相槌を打っていたが、次第と黙りこくってしまう。丸子さんに歩き疲れた?と聞くと「うん!」と答える。
その公園のベンチに腰かけ、しばしの休憩。川向うに走る国道一号線を説明し、走りゆくトラックの多さに感嘆し、大きく広い河川敷に感激し、遠くにかすんで見える入道ケ岳を見ながら、その距離に驚きながらも、しきりに「悪いなァ~」と繰り返す。
丸子さん、毎日の生活の中で、自分自身が他人の世話になっていると感じているようである。誰が言っているのかは分からないが、どうも世話になっている気持ちが、今の彼女に大きくのしかかっているようである。一度、ご家族と話をしてみて、世話になっている感覚から、好きな事をやってもいい!という気持ちへ切り替えてもらえるような支援を行わなければならないと思った。
丸子さんは、その後、車に戻って太陽の家に帰ってきたが、何処へ、誰と行ったのかが分からない様子。誰と何処へなんか分からなくても良い。でももう少し活気を取り戻してもらいたいので、もう少し頻繁に外へ出てみたいと考えている。
宮崎県の抱える大きな問題である口てい疫のニュースは連日テレビや新聞報道で取り上げられているが、この報道ほど聞くに堪えられないニュースは無い。特に家畜を殺処分しなければならない畜産農家の気持ちや、当の牛や豚の感情を考えると辛くてしかたない。
そう言いながらも牛肉や豚肉を美味しいと食べてしまう矛盾した感情を持ち合わせているのだから、何とも言いようがない。しかし、今回のような強制的に大量の家畜を殺してしまわなければならない事態に悲哀を感じる。これは、21世紀のアウシュビッツだ! 現場で直接、家畜に手を下さなければならない人達の気持ちを考えても、本当に辛いことと同情し、受ける精神的苦痛を想像しても耐えがたいものであると思う。
今までに犠牲となった牛や豚には申し訳ないが、これ以上の犠牲を払わなくて済むよう、早期の終息を心より願っている。
今日は、職員と3人で名古屋国際展示場で開催されているウエルフェアーを覗いてみた。字のごとく、福祉関係の展示会のようなもので、福祉車両、車いすなど多数の福祉用具の展示説明が行われている。一般の方も含め、ある程度の人が訪れていたが、以前に比べると来場者数も激減しているように感じた。それに応じるように出展者数も以前に比べると少なく、特殊用具やリハビリ関係の作業具などは皆無であった。
バブル全盛の時代に、この場所でオートサロン等の車関係の展示会の出店を企画運営した事がある。あの当時は、数ある展示スペースエリア(1号館から3号館まで3棟の建物がある)の全てを使って、本当に沢山の出展者が競って出店品の売り込みに精を出していたものだ。また、来場者数も多く、専用の駐車場にさえ入りきらない来場者で、展示場の周囲には駐車場の空き待ちの車列ができたものであった。ところが、このウエルフェアーでは、駐車場にはスムーズに入れるし、専用駐車場も10分の一程度の車両しか駐車されていない。本当に寂しい限りである。
出展者が少ないから来場者が少ないのか、来場者数と販促に結び付かない購買力の低下が出展者に二の足を踏ませるのか?これは、鶏と卵論争のようだが、やはり購買力の低下が一番大きな要因ではないかと思う。但し、全てが来場者の購買力に原因があるわけではなく、出展者も「売れる商品」を準備できていない。つまり、相も変わらず、旧態依然と市場ニーズをつかみ切れていない商品も問題である。
インターネットの普及から、何時でも何処でも、最新鋭のツールをみて、購入できる時代に展示会という手法はアナログ的販売促進方法となってしまったのか?仮に、販促活動として古い手法かもしれないが、こと福祉用具に関して言えば、カタログや映像だけでは判断の付けにくい、肌触りや感触などの点でやはり直接商品に触れることの可能な展示会が良い事は言うまでもない。
しかし、現実はそれほど安易なものではないようである。それでは、私はこの展示会を通じて何かを購入したのか?と言えば、何も購入してはいない。最後に訪れたのが2年前である。その時には500円のグリップ強化のための補助具一個である。そして今回は何も購入していない。こんな調子だから、出展者も経費ばかり掛かっても、その経費さえ元を取れないような展示会へ出店する意欲もなえるというものだ。
この展示会は明日、明後日の二日間も開催される予定である。時間があれば一度覗いてみていただければ来場者数への貢献が出来るのかもしれない。できれば、もっとたくさんの福祉用具を展示し、今、私達が必要としているリハビリ器具など。本当に買いたくなるような商品を紹介して頂きたいものである。
太陽の家の勤務表は私が作成している。色々な角度から職員の配置を考え、その人のベストを尽くしてもらえることを願って作成している。そして、毎月、職員へギリギリまたは遅れて配布している。その点では、月の予定が計画しにくい等、職員には迷惑をかけている事を十分に認識している。毎月、出来る限り早く職員には知らせてやりたいとおもいつつ、ついつい甘えてしまって遅くなる。ごめんなさい!
さて、自分で勤務表を組んでいるにも拘らず、自分自身のお休みについて認識が甘いのは何故だろう・・・・?といつも思う。実は、今日は私のお休みの日だったが、朝から出勤して仕事をしていた。もちろん、今日しなくてもいいような仕事だから、さっさと切り上げて自宅に戻れば良いのだが、一応、半日は仕事をした。・・・・いや、別に私自信が仕事漬けというアピールを行っているわけでもない・そんな事を書こうものなら、職員からのブーイングがすさまじくなると言うものだ!
ただ、私が言いたいのは、太陽の家と私の自宅の位置関係である。歩いて数歩という距離は、非常に便利な面と不便な面の両面を持ち合わせている。良い面としては、夜勤者の完全な一人勤務体制ではあるものの、隣の窓には、私の部屋がある。という点で、厳密には一人夜勤プラス半人前程度の助っ人が居るような点では役に立っているのかと思う。だが、これが、自分のお休みという面では、完全に自分自身のプライベートが守れない点で少し困った状況がある。これは役職の上でも当然かもしれないが、自分自身の気持ちが100%、仕事から切り離せないことである。一日、太陽の家の事は何も考えずに居ることは、私にとっては不可能な事なのである。だからと言って、気分が休まる事がない!というわけでもない。ただ、自分の休みだけど、施設の隣で、職員が一生懸命に働いている中で、自分だけがノンビリと過ごしていることに、少し罪悪感を感じてしまうのである。これは、自分の休みだ!と言い聞かせ、開き直っては見るものの、やはり職員が働く横で自家用車を洗車したり、昼間っから酒飲んで日光浴をする気にはなれない。どうしても、部屋の中でひっそりと息をひそめて(ただ寝てるだけだが・・・・)過ごすこととなってしまう。
ここで又、標題から脱線して認知症介護にふれてみたい。認知症介護では、その人のプライバシーを遵守し大切に考えてあげたい。という理想が掲げられている。ここでプライバシーと言う点と自分自身の自由意思と決定という点と、上に書いたような私の休日の悩みを重ねてみれば分かってくる事がある。それは、文句を言いつつ、私は自由にこの場を離れて(外出と言う点で)気分転換も出来る。また、自分で決めて昼寝も出来る。好きな時に好きな事を出来るだけの自由は確保されている。しかし、グループホームという施設に入居すると、それは一切許されない現実がある。介護と称して、見守りと管理という形で始終見張られている生活は、決して心地よいものではないと考える。私だったら息が詰まる。
ただ、認知症の高齢者への見守りをやめてしまう事は命を守る観点から許されないし、どうしてもプライバシーを守る点で、完全な個人の生活を確保すると言う事は出来ない現実がある。だからこそ、その点を職員には分かってもらいたい。逃げる場所も無い!好きに行動も出来ないつらさを理解し、それでも住みよい環境を整えるにはどのような支援が必要か?
とても重要と思うのですが・・・・!
今日は、三重県地域密着型サービス協議会(旧称 三重県グループホーム連絡協議会)の新人研修が開催された。太陽の家からも2名の職員が一日研修に参加した。参加者55名、グループを7個設置し、私の担当は1番グループ。出来る限り同一事業所からの参加者を同じグループに混入させないよう配慮したグループ分けを行った。大半は1年未満の認知症介護初心者という人達ばかりで、認知症の基本的イロハから、接遇マナー等について学んだ。
その中で、いろいろと話が出た中で感じた事は、個々の研修生をみると理論的には理解が出来ている。理論的と言っても学校で学ぶ高齢者福祉全般の概論ではなく、人として当然の手助けの方法と気持ちのことである。認知症特有の症状に対して、どの支援方法が適切か?を回答群から選ぶ研修の中で、参加者全員が正解であった。理屈では理解できていることは伝わってくる。しかし、いざ実践となると、そこには理屈ではなく別の感情が沸々とわき上がってくるようである。
その理由として、少数の職員が重度認知症高齢者を複数、それも同時に支援しなければいけない現場の切羽詰まった事情があるようだ。認知症の方々は、繰り返し同じ事を訴える。認知症の方の特徴であり、それに応じることのできる者が我々専門職である以上、出来る限りの努力は行っている。しかし、問題は職員がこれらの対人援助を「作業」として行わなければいけないところにあると思う。先にも言ったように、トイレ介助、入浴介助、日報の記録、家族対応に機能訓練を兼ねたレクリエーションの実施など、本当に盛りだくさんの業務に追われていることが、職員の精神的な余裕を失わしているように感じた。
グループホームにおける人員配置の基準は、日中3人の利用者に対して1名の職員を必至としており、その計算から1ユニット9名の利用者の場合、3名の職員がそれぞれ8時間労働すれば基準を満たすこととなる。そして、介護保険の給付も、この最低限度の人員を基準として算出されている。今年の初めに全国グループホーム団体連合会で全国のグループホーム事業所にアンケート調査を行った。そのアンケートでも、この人員配置基準が適正か否かを調査したが、適正な数としては3.75人という結果がでていた。つまり、一日を通して最低でも1ユニット9名の利用者に対しては4名弱のスタッフの存在が不可欠であると全国のグループホーム経営者また管理者は思っていると言うことである。
経営者も現場も、同様に人員不足を認めながら、なぜ職員の増員が図られないのか?そこには、介護保険の給付額の問題が大きな壁として立ちはだかっている。施設自体の開設からまだ年月も浅く、個々の事業所としても多額の借金を負いながらの解説である。おまけに、法人税などの諸税の支払い義務もあり、グループホームの経営は決して楽なものではないのも事実である。
これらの点からも、職員一人に対する負担が軽減する事は想像しがたく、今後、高齢者が増えていくのと同時に、高齢者のニーズの多様化、依存の増加などを考えても、職員への負担は今以上の物となる事は見えている。私達経営する側からも、この近い将来の介護へのニーズの増加(ニーズというより要望というべきかもしれない)に、如何に対応し、如何に上質で満足のいくサービスを提供できるかが事業の存続に大きく影響を及ぼす時代はやってくるように思うのである。そして、今以上に、職員のメンタルケアを真剣に考えなければ、有能な人材が残らない事態も考えられる。2035年をめどに日本も超高齢社会をむかえる。私達サービス提供側も行政の指導にだけ依存して、自らが提供サービスの開発と改善をおこなうことを目指したい。