この熟語の意味は、よく父母や目上の人に仕え、真心を尽して偽りの無いこと。を言います。
今日の風鈴の会で出てきた会話から引き出した四字熟語です。フロアーリーダーは、色々な点で職員をまとめようとする時に、自分からは切り出せないような、言葉に困るときがあると訴えていました。その様なときに、気を利かせて別の職員が、言葉に詰まるリーダーをフォローするらしいのですが、その職員は、決して驕ることなく、先輩職員であるリーダーに忠誠心を尽くし、ずっとついて行きますと話をしていました。こうやって書いてみると「偽善的」な場面を想定してしまいますが、其の職員は、言葉を捜しながら、何とか自分の臣を伝えようとする気持ちが、私からも見えて、非常にほほえましい会話だったと思っています。彼女のそんな本音を聞かされたリーダーも、とてもうれしかったことと想像しています。
職員間の信頼関係が良好で太い糸で結ばれる姿は、私としても自分をほめられる以上に嬉しいものがあります。職場の人間関係が良好である姿は、そのまま職員たちの関係の維持に多大なる努力が重ねられた結果であり、職員が職場環境の改善に努力してくれているということは、そのまま、この職場を心配し、ケアに思う証拠ではないでしょうか?Don’t Care!な、自分のことしか考えられない職場環境であればあるほど、上質なサービスの提供は不可能であり、其の分、利用者の人々には不利益が発生します。職員の人間関係は、其の施設の提供するサービスの質のバロメーターであると言えるかもしれません。そう考えると、太陽の家の「風鈴の会」が自然発生的に出来上がってきたということは、良質な介護が実践され始めていると言う証なのかもしれません。
「風鈴の会」を大切に考え、今後も出来る限り守っていきたいと考えています。
先日、お福の会に出席したとブログを公開したわけですが、このブログを読んでくれた職員と昼食後の井戸端会議の場で、お福の会の所以を尋ねられた。まあ、僕もそれ程詳しい謂われについては知らないが、福祉に暑い熱意をもった者達の集まりであって、酒を酌み交わす中で色々な忌憚ない意見交換を目的としていると説明。それを受けて、職員曰く、この井戸端会議の場も名称を付けて、熱意ある福祉談義の場として「風鈴の会」と名付けましょうよ!と提案があった。なんで風鈴かと言えば、ご存じのように井戸端会議の場は、施設の裏口近辺であり、暑い炎天下にヨシズで日陰を作っただけの場。少しでも涼しさを演出するためにも風鈴を付けるのも一つだよね・・・・!と言う簡単な理由から、そのような名前が付けられたようです。
まア、いずれにせよ、少ない時間、くつろぎながら介護について苦労を分かち合い、気持ちの整理を付けるために風鈴の会が育っていく事は、とても良い事と考えます。この会にタバコを吸わない者も参加できる場として、活かされていく事を期待しています。
ホテル品川パシフィック東京の来月末閉鎖の話を知って、今回、自分にとって最後の宿泊となろうパシフィック東京の夜を書いてみたい。 最近の僕のブログでご紹介したように、このホテルとの出会いは、僕の就職に関係したホテルとして、其の当時には大きな、真新しい建物で、高級ホテルとしての自信にあふれたホテルとして僕の印象には残っている。1971年の完成したこのホテル。今でも品川駅前に鎮座して、其の景観は、いつも新幹線の窓から品川駅のシンボルタワー的な存在として、東京に向かう時に必ず目に入ってくる建物でした。今回、ホテルのロビーに入り、一番最初に感じたものは「エイジ」でした。今の新しいホテルから比べるとスタイルが古い印象はぬぐえない。そんな年齢を感じてしまいました。もちろん、建物は清潔で美しく保たれていましたが、天井の高さ(天井が低い)、ロビーの広さ(だだっ広い)、売店の取り扱い品目(陳列方法も古臭い)など、昔のイメージにある洗練された感覚は、このホテルからは感じられなかった。(とても失礼な言い方となってしまったが)。添付してる写真は、ホテルの客室、客室からの眺め、ホテルのロビー。
そして、もう一つビックリしたことが、ホテルの荷物タッグ。最近めっきり見かけなくなったホテルオリジナルの荷物タッグ。三角やら丸やら、厚紙にホテルロゴの入ったタグですが、チェックインのときにホテルスタッフに荷物を預けたのですが、その時に僕のキャリーには三角のタグがつけられたのです。今時、珍しい・・・・ので、丁寧にバッグからはずして持ち帰りました。これも僕のコレクションの一つに加えるつもりです。
もう一つ、困ったことのお話です。客室の温度調節のスイッチに強・中・弱の選択しかなく、弱の設定でもエアコンが効きすぎて寒いくらいの温度となっていたことです。部屋でテレビを見ながら飲んでいたのですが、あまりに寒すぎてエアコンのスイッチをOFFにしても、まだ寒い。耐え切れずにバスタブに湯を張り、首まで湯につかってからベッドに入ったくらいです。前回のプリンスホテルでは、温度調節機能は付いていないに等しく、温度を下げようにも設定26度から下に下がらない。そんな不都合を感じたのですが、今回は間逆の環境がありました。お陰で、夜中も熟睡できず、のどが痛く痰が絡む状態でした。
まあ、何だかんだと文句ばかり書きましたが、普段の生活からはかけ離れた環境に身をおけることに感謝して、東京の夜を味わえたことに喜びを感じています。たくさんの人が行き交い、たくさんの人が色々な痴呆から電車で運ばれてきて、また、電車に乗って去っていく。みなさん、それぞれの感想を胸に地元に帰り、またいつもの仕事に戻るのでしょう。人間の営みって、多種多様で面白。東京は人間ウオッチングには最高に適した場所です。と同時に、僕もウオッチングされている一人でもあるのです。人の振りみて我が振り・・・・ですよね。充分に外の空気を吸ってきたののですから、明日からは又、介護の仕事に精出して頑張ろうと思います。
お福の会については、初めてブログに書き込みしますが、この会は数年前から、認知症介護の著名人である和田行男さんを中心に、医師、大学教授、テレビ、新聞や福祉現場の人たち有志が集まり、福祉の将来について語り合う会として、其の当時、使っていた居酒屋の名前をとって「お福の会」と呼んでいるそうです。今では40名~50名程度の著名人が集まり、また厚労省からも参加されていたり、そこの場で取り上げられる話題が、結構そのまま施策に反映されたりと、ある意味、福祉行政や今後の日本の福祉の動向にまで動かしかねない内容が話し合われています。もちろん、私なんぞは、ただただ聞くのみ。発言できるような雰囲気ではないのです。そのような会に参加させてもらえることとなり、今回で2回目。
8月10日の夜7時より10時まで、大井町のうらぶれた小さな居酒屋に集まった人々は、いろいろな仕事の人が集い、新聞記者、テレビ局のディレクター、福祉関係の大学の教授、医療現場からドクターも参加して、お酒を飲みながら、一分間ルールの下、それぞれが熱い意見交換を行っていました。昨日のテーマは、「回想法」について、回想法が本当に認知症高齢者の心のよりどころとなるのか?について討議されました。回想法は療法ではなく、あくまでも利用者との心の壁を取り除くための手法と言う考えかた。また、人には触れられたくない過去を持つ者も居ることからも回想法によって仕舞い込んだ心の傷をこじ開けてしまう必要性。また、充実した人生を送る人にとって回想法の持つ意味など、色々と意見も別れてしまいました。
回想法も、バリデーションと同じく、記憶に障害を抱える高齢者の心の壁を取り除き、心の安泰を求めていくことに変わりは無いのですが、そこには学問として研究対象としての回想法と、普段何気なく福祉現で行われている昔話の延長線上にある回想法の二タイプが存在するようである。いずれも、ある意味、相手を尊重する気持ちと思いやりを持って昔話の中に、その人の人生を垣間見るきっかけを見つけようとすること。と言うことでした。
まあ、小難しい理論の応酬でしたが、このお福の会の後、グループホームの全国組織の代表者達との意見交換も興味深い時間となりました。
油断大敵と言うより、自分自身の超特大級ポカミスに呆れると同時に情けない気持ちとなった昨日の事件についてお話しよう。
昨日から一泊の予定で東京に行ってきたのです。東京には、二ヶ月毎に開かれる『お福の会』という会合が開催され、其の会に、今回で2回目の参加をさせて頂くつもりで新幹線からホテルまで予約を入れて準備はしたのです。しかし、ここ最近、東京への旅行に限らず、生意気なようですが旅行慣れしてきた自分自身が居る。前日から旅行の準備をすることも無く、出発間際に必要な最低限の着替えと諸々の小物をバッグに放り込んで電車に飛び乗ることを繰り返してきました。そして、今までは、何事も無く、近鉄名古屋駅から新幹線の出発までの余裕を5分もあれば充分!と、高をくくっていたこともあります。今回の失敗は新幹線に乗り損ねたと言う話ではなく。白子駅の特急に乗り損ねたのでした。それも、交通渋滞とか、自宅出発が遅れたと言う理由ではなく、僕自身は時間の9分前には白子駅改札に到着していたのです。また生意気なようですが、近鉄電車の利用にはピタパというカードを使って、チケットレスの乗車を利用しているので、カード一枚で改札を潜り抜けるのです。昨日もそのつもりでした。改札口前に来て、カードを取り出そうと財布をカバンの中に探したのですが、まったく見つかりません。
そうなんです、財布、クレジットカード、免許書、を忘れてきたのです。お金を一銭も無く、クレジットカードも持たずして特急どころか、宿泊すらできません。慌てて自宅に財布を取りに戻り、再出発をし新幹線には一時間送れの便を予約し直して品川まで向かったのでした。