


僕はチーズが大好きなんです。特に臭いチーズがこの上なく好きなのです。
最近、血圧も高く、肥満になりつつある自分としては、チーズを楽しむこともはばかる状態となってきているのですが、それでも、やはり好きな物は好きで、食べたくて仕方が無いのです。うちの職員さんは、僕が毎日、夕食の材料を買いにスーパーへ行っていることを知ってますが、其のスーパーで一番時間をかけて眺めているのがチーズのコーナーです。あまりチーズのような脂肪の塊を食べ続けると、脳梗塞や脳血栓などが恐ろしいのですが・・・・・まア、とにかく、チーズの何が旨いのか?について書いてみたいと思います。
まず、僕の一番好きなチーズはエメンタールチーズ(スイス) 芳香なにおいと食べた瞬間の苦味、それから徐々に口中に広がる胡桃のような味が好きな理由です。このスライスと一緒にミラノ サラミの薄切りを食べる。こんな幸せな瞬間は無いほど!最高に美味しい。 このチーズが受け入れられないとすれば、苦味の部分でしょう。しかし、ミラノ サラミは少しだけ酸味のかかったサラミです。そのサラミの味と、このチーズの味が融合して、口の中いっぱいに広がります。
次に、イタリアのゴルゴンゾーラ チーズがうまい! フランスのブルーチーズと同じで青かびのチーズです。ピザやパスタのソースとしても使われるチーズですが、これはまた、臭い! この臭さがなんともいえない食欲をそそるのです。また、このチーズも結構塩味はきつく、口に入れると塩の味が一番に感じることとなります。また、食べている中で、少しづつですが、石鹸を食べているような味が伝わってきます。フランスのブルーチーズに比べると、イタリアのゴルゴンゾーラは臭みが少ないのですが、それでも慣れない人にはキツイ一品かもしれません。 僕は、このゴルゴンゾーラとマヨネーズ、生クリームを使ってクリーミーイタリアン ドレッシングを作ります。
ピザなどのトッピングに使うには、とろけるチーズなど市販品のシュレッドした物を使いますが、ゴーダチーズは、オーブンで焼くととろけます。このチーズも食べると、少しですが苦味を感じます。
写真の中でも紹介しているチーズですが、サンタンドレという白カビで覆われたカマンベールっぽいクリームチーズです。口に入れるとバターをなめているような風味が伝わってきます。値段的にも高価ですが、少しだけ切って、リンゴのスライスやドライフルーツと一緒に食べると美味しいです。
先ほども紹介したように、ドライフルーツと一緒にチーズを食べるのは、イタリア料理の中では一般的です。ほんの少しづつ、ドライフルーツのかけらとチーズを少し、口の中に放り込んで、赤ワインでも飲めば最高に幸せな時間がそこにあります。僕もイタリアンで食事するときには必ず、チーズの盛り合わせとサラミや生ハムの盛り合わせを注文します。そして、美味しいワインをなめながら、楽しい会話をして食事を楽しんでいます。こうやって書くと、すごくリッチな生活のように思えるでしょうが、私たちが注文するワインは、それほど高級なワインではなく、一本3~4千円程度。昔の学友と久しぶりの再会を懐かしんで食事を共にするときは、こうやって安いワインをボトルで買って、チーズを肴に数時間、語り合うのです。こんな楽しい時間が、チーズとワインには存在します。
最近の報道で、地元出身の女性がネグレクトから幼児を死なせた事件がある。とても悲しい事件である。子供に恵まれない自分としては、非常に寂しい、悲しい、事件であった。その時を想像すると見に詰まされる思いである。子供は、何不自由無く育っていくものだという意識は、楽観的発想で稚拙な考え方である。爺さん婆さんのお世話する以上に手をかけ導いてやる必要があるにもかかわらず、全ての親が、そのように考えてくれない点で問題は拡大しているように思う。まあ、ここでは、その様な幼稚な大人たちの行動については触れないで、その様な事件を起こした以降の情報流出と家族に及ぶ風評被害について書いてみたい。。
この問題を起こした女性の親について、早くもネット上では色々と細かな情報が独り歩きしている。父親の職業はおろか、離婚暦や生活状況など。本当に細かな情景が浮き彫りとされている。事件を起こしたのは娘のほうであるにもかかわらず、其の父親までが犯罪者のごとくネット上で裁かれている。裁かれていると言うと語弊を招くかもしれないが、実際、裁判官でもない一般人がネット社会の中で、勝手な評価を行い、この事件の裏の情報を元に事件に至った要因を論じている。これは、個人情報も何も、まったく関係なく配慮される思いやりも無い、非常に冷淡で非人間的な行為がネット社会の中で行われているのである。
インターネットは、その人の顔の見えない、所在も明確ではない、形の無いものから発信される割りに、大きな影響力を持つ。つまり、情報源のいかんに関わらず、読んだ人は、それらの情報を信じてしまうことが危険だと思う。どこかの雑誌に書かれていたが、『日本人の悪いところは、情報を鵜呑みにしてしまう。なぜ?どうして?と言うことを考えて理解しようとする姿勢にかける。』とあった。確かにそうである。人の言うことを非常に単純に真に受ける。そして、其のネタが、またチェインメールのように情報として他人に流されていく。時には、真実でない飾りまでついて・・・・
確かに、子供の育て方、指導の仕方に間違いはあったかもしれないが、一つの凶悪事件で、家族全員が社会から罪を負わされることはいかがなものか?日ごろより、自由と権利を主張する人々が多い日本の社会の中で、この点だけは特に封建的で嫌らしい性分を感じてしまう。巨悪事件を、この世から根絶するには、一族全員を同じ穴の狢と裁くのではなく、事件の根本に潜む社会のほころびを埋める作業を社会が行っていかないと、結局のところ同じような事件は必ず起きてしまう。其のたびに、何の罪も無い子供たちに被害が及ぶのであるならば、私たち大人の行く末は危ない。
これは何をしてる写真家と言うと、今日の午後、新聞紙を使った橋渡しゲームを行った後、使用済みのボロボロの新聞紙を利用者の皆さんと職員が片付けていたのです。 新聞もリサイクル資源の一つですが、これだけボロボロになると、リサイクル資源と言うよりは可燃物ゴミ。どうせゴミになるなら、もうひと働きしてもらおう!と、利用者の方々に思い思いの大きさに切って、子供の頃のように紙吹雪遊びをしました。自宅ではいい歳してとか、狂った?!とか誤解されやすいのと、大人の仕業とは思えないような、ストレス発散を試みました。いつもは、気品正しくまじめな顔をしてる人も、この紙ふぶき遊びでは童心の顔に戻っていました。個人情報の関係でネット上に、満面の笑顔の利用者さんを紹介できないのが残念ですが、普段、できないことをやる。それが面白かったようです。そして、後片付けは職員だけで行う予定が、利用者の方々も掃除に加わっていただき、床に散らばった新聞紙の切れ端を集めてゴミ袋につめてくださいました。
今回の思いつきで始めた紙ふぶき遊びですが、今後、実施するに当たり注意すべき点があります。其の一つは、一部の利用者の方(非常にまじめで固い性格の利用者)には不適切な遊びである。これは、認知症の有無は関係なく、其の方の性格による部分が大きく、遊び感覚として受け入れができない。今日も、最初から散らかした紙ふぶきを一人で丸め始め、紙ふぶき作りを楽しんでいる他者に叱責を浴びせかけた。咄嗟の判断で、其の方を輪の外に出したが。本人の感情を逆なでするような行為に混ぜてしまった私の行動が軽率だったかもしれない。
第二の問題点として、遊びを終えて利用者共々紙くずを拾い集めていた時の様子から、この遊びを喜ばれた方々は、後片付けにも積極的に参加されたのです。床に落ちた紙くずをかがみ腰姿で拾い集めてくれました。これは、注意しないと前方に向けて転倒する恐れがあるなと感じました。僕は、多少のリスクを負いながらも、ゴミを拾う行動は、自立支援の一環としてどんどん実施すべきと考えています。ただ転倒するリスクがゼロではない限り、後片付けには、それなりに熟練した職員の見守りのもとで行われないと危険であると考えられます。この遊び自体は、椅子に座ったままで実施するので転倒は無いはずです。しかし、後片付けは椅子から立ち上がって行う以上、十分な見守りと危険予知が必要となります。
第三に紙くずが車椅子利用者の背もたれとの間に入り込み、そのまま綺麗に掃除しないと、紙くずを自宅まで持ち帰ってしまいます。遊んだ後は、手の汚れ、髪の毛の乱れ、衣服の隙間などに汚れや紙くずなどの付着に注意が必要です。そう考えると、楽しいお遊びも神経を使います。でも、この遊びの最中の利用者の方々の顔つきは、子供の頃の顔に戻っていますよ。
僕は服の色で一番好きな色は白です。真っ白の色ほどさわやかで夏の季節にピッタリと言うイメージをもっています。ポロシャツでも白が好きです。カーキ色とか乳白色の白でもなく、真っ白な色が好きなんです。でも、白は洗濯を繰り返すうちに黄ばみ、薄汚れてきます。仕事着としても白が大好きで、最近の暑さに、やはり「白」は、涼しくみえるし、汗を想像させない点で、僕にとっての優れものなのです。しかし、白は汚れやすい。一日中着ていると、人間って本当に色々なモノにぶつかりながら生きているんだなアと言う事が分かるほど、色々汚れてしまうのです。また、僕の場合は、食事のたびに、なぜか汚してしまうのです。子供のように食事の仕方が悪いのでしょうか?
今日も刺身を食べていて、箸でつまんだ切り身を、端から滑らせてお醤油のはいった小皿にダイブさせてしまいました。お陰で僕の真っ白なシャツには、醤油の黒っぽい水玉模様が胸の部分に飛び散ってしまいました。また、一昨日は、太陽の家にてスイカを食べたのですが、やはりフロントに二か所程「シミ」を付けてしまいました。パスタ、特にトマトソースのパスタなどは、ハンカチを首元から垂らして食べないと、絶対と言っていい程、胸元を汚してしまいます。
これは、僕の食事を食べる方法が悪いのでしょうか?それとも、僕の口が欠けているのでしょうか????
やはり、そこまで気をつけながら食事をするのは、食事を味わう以外に余計な神経を使ってしまいがちで、それこそ、食べた気がしない!と言う本末転倒な場面もあります。食べることが大好きで、パスタを好んで食べる僕です。なんとか、シャツにソースのシミを作らなくとも食べ切れる様な技術が必要とおもいます。
今日から、再び書道を再開しました。手習い小屋と言う風な表現がふさわしいレベルです(まだまだ初歩の初歩段階。筆が思うように動いてくれないので、手が真っ黒になります。笑) 前回の書道では日本書道を行っていたのですが、検定を受けることなく、ただ普段の字を美しく書きたい希望的手習いでした。そして、国家試験も控えており、二頭追う者は一頭も得ずでは無いのですが、少し国家試験の方に真剣に取り組まなくてはいけない危機感から、書道をいったん中断していました。(中断と言うより、辞めてしまったのですが・・・・)。そして、運よく複数の資格を取得に至ったことから、もう一度、書道を習い始める気持ちとなりました。この歳で始める手習いですから、それ程上達するとは考えにくいのですが、書道している間の緊張感がたまらなく面白いと感じるのです。実際に一時間程度の余裕では、半紙3枚くらいの書道しか書けないのですから、いかに集中して丁寧に書いているか判断いただけると思います。正座して、机に向かい、ひと筆ひと筆を集中して息をこらして書をかくと、時間のたつのも忘れてしまいます。
おおよそ二時間程度、机に向かって書いてきました。部屋の中はエアコンが温度を一定に保ち、とても過ごしやすい環境で書かせてもらえるのですが、先生の言うように「筆先を上に・・・・!」と言われても・・・・そうならないから苦労してるんです。本当に悪戦苦闘とはこの事を言うのですね。半紙一枚を墨で真っ黒にして、おまけに自分の手まで墨をつけて、おまけに肩に力が入ってしまい、肩こりまでしてくる始末。なんで、こんなに苦労してまで書道を習うんだろう・・・・やはり、この年齢と立場になると、ひとさまの冠婚葬祭に参列する機会も多く、その度に芳名録とやらに住所と氏名を書かねばなりません。そんな時に、いつも恥ずかしい思いをして時運の名前を書いていましたが、できれば、そのような場面でも達筆で、受付の人々に「ほ~っつ!」と唸らせたいのです。そんな切なる期待と願いを携えて手習いにカムバックしたと言う訳なのです。
僕は、普段から万年筆を使って文字をかく事が好きで、何となく文豪といわれる人々になったような気持ちになります。でも、万年筆を使って書く文字は、あくまでも我流の崩し文字。まったく美しさに欠ける。表現としては「サラサラ~と書きつなれること」が夢ですね。僕の期待する夢に達するには10年以上の年月が必要と思います。ひょっとすると10年でも達成できないかもしれません。しかし、少なくとも今よりはマシな字を書いているかもしれません。そのように夢に大きく期待しながら、毎週火曜日の夜は書道を習いに行く事となりました。数日前にもブログで公表したように、上手く書けるようになった、書けた字をブログで紹介するつもりです。まア、何年先の事やら・・・・・(笑)