太陽の家

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ブログ-施設長の部屋

2010/7/27
たかがテレビの番組、されどテレビの番組。

 僕はテレビは、年齢と共にニュースまたはドキュメンタリー程度の物しか見ないようになりつつある中で、最近民放の番組であるビューティーコロシアムという番組を観ることがある。そして、この番組が嫌いである。なぜ嫌いかと言えば、殊更、醜さを強調してアピールする点が嫌いである。ビフォア、アフター的な比較論法で、一個人の過去と現在の変化をみせて、その変貌ぶりに感激をお足らせている点が売りの番組である。確かに、紹介される女性たちは、番組で取りざたされるだけの欠点を持ち合わせて暗い人物像が浮き出されている。しかし、整形され姿形は変わったとして、果たして、その女性のその後は幸せな人生を送れているのか?と疑ってしまう。

 人の顔は、その人の人格がそのまま外に結果として現れた姿と考えるなら、整形やお化粧、髪型やファッションで一時的に自信を取り戻したとすれば、その人にとって人生はバラ色に変わっていくかもしれない。しかし、その人を取り巻く生活環境は何も変わらず、ましてや新しい土地で見ず知らずの人ばかりの社会に写り変らない限り、永遠と彼女は過去の自分を周りの人の記憶の中に残したまま生きなければならない訳で、そんな社会の中で、果たして180度の変貌は可能と言えるのか・・・。

 そんな風に考えると、番組を制作する側の意図に反して、さらに不幸な人生の再生を引き起こしているような気がする。

 もう一点の危険性として、再生して以降に新たなる人性の喜びがあったとして、年齢的にも、人生経験の上でも十分と言えない恋愛経験も持たず、急に周りの男性にもてはやされるようになったとして、果たして上手に異性との関係を維持できるのか?という懸念である。男女関係とは、若いころから色々な楽しみ、喜び、悲しみ、絶望感(これは経験済みか!)等を体験してくる事によって、結婚生活や家庭を維持し継続する事が出来るわけで、それらの楽しいばかりではなく、憎しみも悲しみも、全てを体験し学ぶことによって成り立つ部分は大きいはずである。

 男でも、若いうちに大いに遊んでないと女心も理解できない野暮な男と評価されるし、また年齢を遅くして女性にボケる男性は一生治らないとも言われる。この事と同じように、見た目ばかりが先行して、その人の感性や人格が再生できない限り、そこに待つ人生はそれまでと同じ又はそれ以下の人生の悲しみしかないのではないかと思えて仕方ない。テレビ局の余計なお世話、又は売れる番組の為なら個人の人生がどうなろうと関係ない的思考によって、人生をめちゃくちゃにされかねない非常に無責任な番組で、低俗極まりないと思う。

 まあ、これは僕の論理であって、この番組のお陰で生まれ変わったように素晴らしい人生を歩んで行ってくれれば、それに越したことは無い。そして、そんなラッキーな事は無い。また、ぜひ、そうなってほしい!と願っている。ただ、僕はこの番組を観て自分に恥じることが一点ある。今思うと非常に恥ずかしい自分の汚点であるが、中学の時の同級生の子をクラス全体がいじめていた。彼女には何も悪いところは無かった。ただ、この番組と同じように普通の子とは違っていただけである。それを、やはり子供だった時分は、その子の人格までも無視し排除しようとした。番組の中で取り上げられるような「いじめ」が、そこにあった。中学を卒業し、その子がどうなったかは知らない。しかし、彼女の中学生活は、私達の行いが元で、決して明るい、楽しい思い出としては残っていないであろうことを思うと辛い。今更、心から詫びたところで取り返しは付かないが、そんな時を過ごした僕の過去の汚点がそこにある。

 今でこそ、社会福祉士として、人生の喜びや幸せに導かなければならない使命を担っているものの、僕が一生背負わなければいけない罪はここにあるように思う。人生の喜びと幸せは容姿で決まるわけはない。同時に、人の人格も容姿に左右されるものではない。あえて「ブス」と言う表現をするならばブスであっても、その人の性格が前向きであれば、その人の外見は輝き、逆に容姿端麗でも性格が悪ければ、その人の人生には喜びも幸せも縁遠いものである。今、ブスと思い悩む人がいるならば、声を大にして言いたい。人間は見た目ではない事を!

2010/7/26
I’m a good house wife!?

 昨日まで灼熱の8時間耐久の仕事で、これ以上の汗は無いでしょうと言う程の汗をかきました。濡れたカッターシャツを控室で脱いで、乾かし、又着て濡らし・・・の繰り返し。汗を充分に吸い込んだカッターシャツは、それなりに・・・「 く さ い!」。今日は、その仕事を終えて直後のお休み。お天気も良く。(毎日お天気はいいのですが・・・暑いですね!)洗濯日和。朝から二回程、洗濯機を回しながら、この週末で汚れた白シャツを洗濯、小一時間も炎天下に干しておくと、完全ドライ状態。さっそく、アイロンをかけて、綺麗にたたんでクローゼットへ仕舞い込みました。

 朝一番でペット君達をお風呂に入れて、彼らの入浴後には、お風呂の掃除を行い。洗濯物をたたんで、整理ダンスへしまい、夕食の準備を・・・・しかし、今日は僕の仕事OFFの日では無かったのでしょうか????

 なんで、こんなに一日中働いてるの?昨夜は深夜の一時に帰還。今朝も十分な睡眠と言うより、朝6時には目覚め、それこそ疲れがとれたとは言えず、本来ならば一日中、寝っ転がってテレビ三昧か昼寝三昧といきたいところです。まあ、しかし、生ゴミを捨ててこい!という指令もでていたので、今日はゆっくりと寝て過ごすわけにはいかないのでした。

 いずれにせよ、うちにはペット君達が一緒に生活をしてる関係で、昼寝という姿は贅沢なモノとなりつつあるのです。それと言うのも、僕がソファーで横になると、かならずペット君達もソファーに飛び乗り、寝ている僕の体に密着して寝るのです。今の時期、昼間だとエアコンの効きが悪く感じるほどの熱気を感じるうえに、ペットが傍に寄り添うだけで暑いのです。そんな訳で、今日も一日、いっぱい主夫業をさせていただきました。

2010/7/26
旧知の友との再会。

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今日も一日、非常に暑い日でした。日中の最高気温は、私が今日仕事してた鈴鹿サーキットで39.2度と言われていました。昨日、今日と鈴鹿の夏の祭典「8時間耐久ロードレース」が鈴鹿サーキットにて行われていました。あまり、バイクや車のレースを好む人は多くない時代ですが、私は今の仕事を94年から続けており、大きな世界選手権などのお手伝いをしています。今日、写真の人に再会しました。30年ぶり・・・??という位昔の知り合いです。彼の名前はグレイン・クロスビーと言って、オーストラリア人です。1980年代の鈴鹿サーキットの8耐に幾度か参戦し、一度は三位、もう一回はポールポジションからゴールまで一貫して一位を守り優勝したことのある偉大なライダーです。

 私は、地元のレーシングチームのお手伝いで、通訳として8耐を体験しています。其の時にお世話したのが、このクロスビーさんです。今日、久しぶりにお会いして、其の瞬間に私のことを覚えていてくれて、昔話に花が咲きました。彼は、僕より1歳若く、同じような年代の頃、目的を同じくして共に鈴鹿の暑い8時間耐久を戦ったのです。

 旧知の友ではありますが、ただ単に8耐ウイークの間だけと言う限定された時間の中だけのお付き合いですが、今も忘れずに記憶の底に残っていたと言うのは驚きです。そして、彼との再会を非常に懐かしく、またうれしく思いました。鈴鹿サーキットのお仕事では、色々な有名な外国人ライダーやドライバーと一緒にお仕事することが多いのですが、今回のクロスビーさんの場合は、若い頃の記憶がフェーイドアウトせずに残るということを実証していました。

うれしい一日でした。

2010/7/24
また、また、気温の話で申し訳ないのですが・・・

 今日も一日、暑い日でした。昨夜もそうですが、冷房無しで夜を過ごすことが考えられないのですが。これは、現代の物質文明に慣れきった者の言葉でしょうか?今や、風鈴や蚊帳なんて見ることのない過去の遺物となりつつ、その代わりにエアコンや超気密性に優れた住宅が主流となって、冷機を逃がさない、または熱気を中に入れない優れものが高温多湿な日本社会の現代の風物詩となりつつあります。昔を懐かしむつもりはありませんが、寝室に蚊帳をつって、家の開き戸は全て網戸にして寝てた時代は、今では考えられないほど平安な時代だったのでしょう。今、そのような開けっ放しの生活をしようものなら、強盗、押し込み等の恐ろしい危険が伴い、蚊帳だけの無防備な生活なんて考えられない時代です。

 風鈴にしても、冷を誘う音の演出として風鈴はどこの家庭にも一戸はぶら下がっていた物のひとつでした。家の周りの路地を歩いていると、ここの家庭から音色の違った風鈴の音がそこかしこから聞こえてきていました。しかし、今では風鈴の音がうるさい!と苦情のお叱りを受けるような時代です。下手をすれば、風鈴の音が原因で殺人事件へと発展しかねない現代。風鈴をつけることができる家庭とは、逆に言えば人里はなれた場所に位置する住宅か、または豪邸で隣近所が近くにないようなお金持ちしか味わうことのできない風流となりつつあるのかもしれませんね。

 文明社会となり社会が複雑になるにつれ、規制や制限などのルールが増やされ、それなりに生活は安泰になったのか?と言うと、そうでもない。尚のこと、ルールを無視する輩が現れて、さらに世の中は複雑で住み難くなってきてるようです。

2010/7/23
音楽と私!

 今日はまだまだ元気だ!ブログの4本目を書きはじめた。今月のブログの総数も過去最高、一日のブログ本数も最高、アクセス数も毎月増加中!と、私自身のやる気(書く気)を自然とくすぐる好材料ばかりではないですか??!! 明日の土曜日は8時間耐久ロードレースの仕事が入っている。そろそろ寝ないと・・・と思いながらも、どうしてもこのネタでブログが書きたい。と思って止まない気持ちでいっぱいだ。このネタとは、音楽である。私がクラシック音楽が好きで!と言う話は以前から何度もお話している。もちろん、ジャズも好きだ。好きは好きだが、同じクラシックにしろ、ジャズにしろ、聴くものと聴かないものが歴然と存在する。まず、クラシックでは交響曲は得意ではない。室内楽が好きである。ジャズでは、4ビートと呼ばれるジャズは得意ではない。どちらかと言えばイージーリスニング的な音楽というか、聴いていて心地よくなる。(本当はくら~くなる音楽が好きなんだ!) まア、この説明も以前、このブログの中で紹介した。

 さて、本題に戻ろう。私が好きな音楽を聴く姿勢は、椅子に座って(当たり前か・・・・?)イヤホンを耳に、静かに音楽を聴いていることが多い。もちろん、仕事をしながらBGMとして音楽を流すこともある。しかし、大半は、椅子に座って(または、ベッドで横になりながら・・・・)ヘッドホンをつけて楽しんでいる。クラシックを聴きながら、何か風景や情景を思い描いて聴いているかと言うと、そうでもない。ただ、其のとき、其のときの自分の気分によって聴く音楽は違うし、クラシックにしても年々、好みの作曲家が変わっていく。 そういうわけで、これから先に、自分の其の時の体験や状況を、特定のクラシック音楽を聴くときに思い出すのだろう。

 音楽は時とともに、その人の人生とともに・・・という文句がある。私にとっての音楽も、時代時代によって思い出がぎっしりとつまり、それらの音楽を聴く時に、其の曲を聴いていた時代を思い出す。それも、鮮明に。楽しいときも悲しいときも、其の時の感情までリアルに再現されるほど音楽にまつわる自分の体験は深く心に刻まれるようである。

 私が1970年代初頭にアメリカに単身渡ったときの思い出の曲は「ロバータ・フラック」の”Killing me softely”である。あの当時のロバータ・フラックと言えば、リリースする曲のすべてがヒットチャート入りするほどの人気の黒人歌手である。ラジオからは毎日毎日、彼女の曲が流れ、今、この曲を聴くとアメリカにいた頃を思い出す。また、G線上のアリアを聴く時、思い出されるのは四駆に乗って山にキャンプしていた頃を思い出す。四駆ブームのときにご他聞にもれず私もジープやらランドクルーザーに乗っていた。そして、かなり頻繁に山へキャンプしに行っていた。其の当時に聞いていたのが、オーボエ奏者の宮本 文昭の曲である。

 最近、太陽の家のデイサービスでは、昭和の歌、特に戦後の復興の中で流行した曲を中心に流すことがある。通常のレクリエーションとしての歌とは違って、伴奏も歌詞も入るとデイルームの雰囲気は違ってくる。それまで無関心のように見える利用者も、手拍子し、歌詞を口ずさむのである。それも曲のテンポにあわせて、リズム良く。おまけに歌詞カードもなくても口ずさむことができるのである。通常のレクのときは、歌詞を模造紙に大書きしたものを見ながら、職員のリードを受けて歌っている。この時の歌は、お世辞にも上手とはいえない音程は外れている、テンポもバラバラと、まとまりがない。しかし、本物の曲を流すと、其の曲に応じて歌うことができるということに驚かされる。音楽療法という技法を使って、認知症高齢者を活性化させる方法があるが、まさしくこれが音楽療法であると言える。

 まあ、長くなったが、音楽の人に与える影響は目には見えないものの、確実に何かしらの影響を与えているようである。


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