太陽の家

  • ホーム
  • 太陽の家とは
  • 施設のご案内
  • サービスのご案内
  • ブログ-施設長の部屋

ブログ-施設長の部屋

2010/8/2
通所介護サービスの意義について

 太陽の家デイサービスセンターでは、在宅介護への支援は基より、お年寄りの家族に囲まれ、慣れ親しんだ『自宅』で生きがいある生活を支援することと考えている。「家族」「家」「地域」をお年寄りに結びつけることは、今の時代、非常に難しくなってきている。その理由の一つに核家族化が存在する。女性も男性も、仕事を持つことが一般化し、帰宅時間はまちまち、生活のリズムまでもバラバラの生活の中で、役割も無く自宅に留まる高齢者は、経済成長真っ只中の日本の子供たちのような「かぎっ子」症候群によって、何もすることなく、ただ闇雲に家に閉じこもる生活が増加している。また、この問題の根本には、長寿社会の反動のようなケースも多く見受けられ、ことさら生きることに罪悪感を抱いてしまう高齢者も中には存在する。そのような時代背景の中で、私たち営利法人にも介護ビジネスへの参入が認められてすでに10年が経過している。この間、多方面にわたり政策の変更が繰り返され、一時の介護ビジネスブームもひところに比べると沈静化したようにも感じられる。

 市場原理を使って、高齢者福祉ビジネスに「競争心理」を使って提供サービスの向上をめざすべきが、意外と営利追求だけに業界全体が突っ走ってしまった感がいがめない。コムスン問題は社会問題化し、営利法人の運営する事業所に対する風当たりも、この事件以降、非常に厳しいものとなった。行政サイドも、営利法人に対する行政指導自体を「実地指導」ではなく「監査」という名目で行うこととなった。社会福祉法人に対する指導とは違い、より厳しい視点で業務をチェックすることとなっている。もちろん、監査自体、公明正大な業務の遂行を実践する事業所にとっては、なんら恐れる必要も無く、堂々としたものである。もちろん、太陽の家もまったく恐れる必要も無く、すべて開示し求められるものを提示するだけである。請求業務にしろ、提供サービスにしろ、誰に恥じるものでなく。逆に全ての人に包み隠さず見てもらいたい気持ちでいっぱいである。

 その中でも、通所介護の一番の目玉として、私は「個別機能訓練」をあげたい。とかく書類と人員配置だけで個別機能訓練加算を算入する事業所も存在する中、太陽の家では本来の姿と言うべき、在宅生活の継続に視点をおいた機能訓練を行っている。残存機能を維持するために何が必要で、改善するためにどのような資源を提供しなければいけないのか?と言う点について、真剣に利用者の意思決定の元、実践されている。ただ、ADL機能の向上だけにとどめず、精神的な生きがい、やりがい、目標までも視野に入れた声がけと促し、その結果の自主的な活動へと結び付けていく。これは、先にも述べたように、自宅で留守番(と言いつつ、耳も不自由、体も動きにくい、記憶も定かでなくなってきた人にとって、留守番すら困難な状況もある)しか役割を持たない高齢者に、いかにして新たなる生きがいを持ってもらうか?が一番難しい支援である。

 長年培った生活習慣はちょっとやそっとでは変えようがない。家族の思惑と本人の希望の格差は、ケアプランそのもののあり方にも影響を与えている。介護の基本はあくまでも自立支援である。また本人の尊厳ある生活の支援である以上、利用者本人の意思が不可欠である。認知症を患い、自主的な決断が困難な場合を除いても、意思決定に際し家族の意向も大きく左右する要因となっている。現に、先日のグループホーム連絡協議会の管理者研修の中でアンケート調査を行った。其の中の設問に、自分自身が認知症となった場合、何を選ぶか?と言う問いかけをしてみた。答えは三分の一が自宅で過ごす。ほぼ同数をもって「自分の働いてきたグループホームへの入所」という答え。ついで多かったのは、其の時の家族の状況や経済状況によって自分の意思どおりには進まない。という回答が目立った。要するに、これだけ自己主張を重んずる介護保険制度の中で、やはり高齢者介護の実際は、本人の感情や意思とは裏腹に、周りの家族の都合もかなりの点で優先されると言う事実であった。

 私たちソーシャルワーカー(介護職員と言う意味で)の理論や理念も、とかく机上の空論的であり、所詮は絵に描いた餅なのか・・・・そうさせないためにも、もう一度、通所介護サービスを原点に立ち返って見つめなおすことから、提供サービスを検証しなおすときが着ていると思う。何のために、太陽の家デイサービスセンターに通い、何を求めて個人負担を支払ってもらっているのか?中途半端な機能訓練を実施し、逆に転倒などの事故の原因を増やすまでも無く、ただ車椅子生活を継続することのほうが痛い思いをせずとも普通の生活が約束されている。という妙な理論で高齢者を縛り付けることなく、もっと元気で健康的な毎日を如何にすれば短期間で改善できるか。そこに高齢者介護の専門性も求められ、それらの必須課題を学び、研鑽することで多くの介護ニーズを満たすことができると考えている。

2010/8/1
高速道路無料化社会実験区間を走って。

 今日は、伊勢自動車道と紀勢道を走行した。伊勢自動車道、津インターから伊勢方面、紀勢道の最終地までの区間は社会実験該当区間として高速料金は無料である。午前10時30分頃から津インターよりアクセスし、一路伊勢方面へ。清和多気インターまで、それなりに順調に車の流れは滞ることなく走れる。ただ、いつもの高速道路に比べると、やはり走行車両数は多い。長い下り坂では、自分より前方に隙間無く車列がつながっている情景が見れる。伊勢道は片側二車線。二車線ともしっかりと車の走行があるお陰で、追い越し車線に少しスピードの控えめな車が走ると、其の車を先頭に追い越し斜線にも車の列ができてしまう。まず、問題はここに発生している。追い越し車線の使い方である。日本の場合、高速道路といっても二車線以上の車線を持つ高速道路区間は限られており、走行車両の絶対数の多さから、追い越し車線が走行車線化している点にあると思える。

 そして、高速道路を走る上における得手不得手の問題が存在する。日曜日だけ、近距離だけのドライバーが、高速道路にも入り込んでくることから、余計なブレーキングを強いられることが多い。ただでさえ車両が多く、車間距離を保ちにくい状況の中で、やたらとブレーキを踏む、高速道路初心者が多く紛れ込んでいる状況が、非常に危険度を増していると思える。高速道路は、ある程度、平均的なスピードを保ちながら走る技術が必要であり、継続的にアクセルペダルを均一に踏み込んでいなければいけない、言うならば、特別な技術が必要と思われる。アクセルを均一にコントロールできないから、車間距離が縮んだり、伸びたりする。其の都度、また、アクセルを開けたり、ブレーキを踏んで減速したりする。それらの不均衡な操作が、後方につながる車両の渋滞に大きく影響を及ぼしている。 時々、大きい車列の後方につながってしまい、急にスピードが極端に落ちてしまい、前の車もハザードランプを点滅させたりして、高速道路上でスローダウンしてしまう状況に遭遇することがある。何か事故か故障か・・・・?と懸念しながら走り続けると、何も問題も無く、単に一台の不慣れなブレーキングの影響で自然的に渋滞してしまっていることがある。確かに長い下り坂で、おまけにカーブしている区間では、思わぬ場所でブレーキを踏む人が多い。 まあ、車の運転に不慣れな人も走ることもあるのが公共の道路だから、高速道路とて例外ではなく、色々なドライバーが存在するわけである。

 さて、次に、観光地から自宅へと帰宅する車両は時間的に皆が同じように動き始める。夕方の4時頃から、渋滞を避けるように徐々に車の数は増え始め、5時には区間によっては停滞し始める箇所も出てくる。個々のインターやサービスエリアの出入り口近辺。これらの場所では、どうしても高速を走行する車両スピードより遅くなってしまう。そこから、ブレーキングが増加し、其の波紋が後方の車両に影響し渋滞が始まる。今日も夕方の7時には清和多気から松阪まで渋滞8Km。ほとんど、動いてない状態である。そして、其の先の亀山から四日市までの区間も渋滞が発生している。

 高速道路で渋滞が始まると一番困ることが、到着時間が読めなくなることである。その結果、トイレの問題、食事の問題、到着後の業務や予定への影響など、たくさんの問題が発生する。

 僕は、高速道路は無料にする必要性を感じない。もちろん、高速道路を特権的に一部の限られた人間だけに限定するものではない。高速道路は目的地への移動時間を短縮するため、其のことから、活動範囲の拡大を目指すために存在すべきと考える。高速料金の負担はドライバーや家族にとって大きい。しかし、其の支払った分だけ早く、スムーズに目的地に到着できるから高速道路を使うわけで、渋滞に巻き込まれ、トイレを必死に我慢しながら、周りの走行車両に余分な神経をすり減らし、長時間のドライブを余計に疲れさせるような施策はいかがなものかと思う。

2010/7/30
タイトルなし!

dsc02547.JPG

さて、この空をみて、どこから撮影したのかわかりますでしょうか?

勘の鋭い職員さんにはピンとくるものがあるでしょう・・・・そうです。太陽の家の裏庭から撮影した、ある日の夕方の空です。周りの建物を除外すると、海外のリゾート地で撮影した空と言っても信じてもらえそうな空です。ちょうど、この日は、上空をゆっくりと飛行していく旅客機を見上げながら、結構低めの高度を飛行する姿をカメラに納めようと、急いでカメラを取りに事務所に戻ったのですが、やはり飛行機のスピードのほうが速かった。カメラを持って屋外に出たときには、すでに機影は上空になくジェット音も消え去っていたのです。そりゃ、当然と言えば当然で、飛行機が着陸態勢に入った状態であっても時速300Km程度のスピードで飛行場まで飛ぶのですから、太陽の家上空をうろうろしてるわけはないですね。仕方なく、せっかく持ってきたカメラ。何かを撮影してブログで紹介できないと考えました。其の時の空がこの写真です。

時間は5時をまわって、西の空が少し赤く染まり始めた頃です。連日の酷暑のあと雨が降り、その雨の影響で色々な地方で洪水が発生した、あのときの雨の後の晴れ間です。大荒れの天候で、風も強く横殴りの雨が、この地方でも丸一日降り続き、被害こそ出なかったものの、デイサービスの送迎運転手さんたちを困らせた雨がありましたね。ここ数年、雨は局地的に降り、一時に大粒で大量の雨が振ることが多くなりました。昔、フィリピンやタイなどの気候は土砂降りの雨が時折発生するので、観光客は注意するようにと言われていましたが、今の日本がそのような天候です。まるで熱帯のような、大雨。車を走らせていて、前方にウオータースクリーンではないのですが、完全に雨が降っているな!とわかるほど、ある一線ではっきりと雨と晴れの境目に遭遇することがあります。高速道路ですから、こちらの巡航スピードも100Km以上の猛スピードで雨に向かって突っ込んでいくのです。突如としてフロントウインドーを叩くような音を立てて雨粒がガラスに炸裂します。ワイパーを動かしても視界不良なのと、一瞬にして雨の川のように成り果てた高速道路の路面に恐怖感も高まり、自然とアクセルから足を離してしまうのです。

こんな突然の大雨に現代っ子たちは慣れっこになってしまったのか、雨の中、傘もささずゆっくりと歩く姿も見受けられます。まア、傘が有っても無くっても濡れることに変わりは無いのですが、ずいぶんの人の考えかたも変わりました。そんな大雨、これからは雷も増え、それによる電子機器への影響も多くなりそうです。僕も、自宅のコンピューターはコンセントに刺しっぱなし。近くに落雷すれば、それでコンピュータは大きなダメージを受けることとなるのです。お金の問題ではなく、PC内部のデータの消去やダメージが大きな損害です。データこそお金に代えられない代物。大切なものです。今年の雷対策として、面倒ですが、使い終わったPCは電源を切るだけでなく、コンセントも抜いてしまいましょう。

 でも、今日の写真、なんだか一日の仕事を終えた安堵感を感じませんか?自分で言うのも変ですが、とてもうまく撮影できたと思っています。

2010/7/29
パイロットへの憧れ。

 僕は一時、パイロットにあこがれた時期がある。男の子なら必ず電車の運転手やバスの運転手などに一度は憧れるように・・・・もちろん、そんな子供時代の話ではなく、成人になってからのことで、本気で飛行機を操縦したいと思っていた。今も、飛行機の操縦には年齢に関係なく、ものすごく大きな憧れを抱いている。ジャンボジェットほど大きくなくとも、小さなセスナ機でもグライダーでもいい。とにかく大空を自由に流れるように滑空してみたい。そんな気持ちがふくらみ、其のうちに何とか免許でも取ろうか・・・なんて考えているだけで楽しめるほどである。

 アメリカのネブラスカ州に会社の長期出張で滞在していた時は、本当に何度も飛行機を使ってアメリカ国内を飛び回った。アメリカにおける飛行機は、日本のバスや電車などの公共交通機関と同じくらい一般的な交通手段で、色々な土地を飛行機を乗り継ぎながら移動する。ニューヨークへの出張帰りでシカゴのオハラ空港で一時間の連絡時間をとっていたスケジュールが、ニューヨーク出発便の遅れからシカゴでつなぎの飛行機の出発時間ぎりぎりに到着したこともあった。広いオハラ空港を出張荷物を抱えて走り、ようやくリンカーン・ネブラスカへの出発窓口に着いたときには、すでに自分が乗るはずの飛行機はボーディング ゲートは機体から離れようとしている時だった。飛行機会社の名前は忘れたが、チケットを握り締め、係りの女性に訴えかけると、其の女性はインターホンをとり誰かと会話し、もう一度ボーディングゲートを機体に戻し、飛行機のドアを開けて僕を乗せてくれたことがあった。本当に滑り込みセーフの状態で、自分の予約した席に着き、同乗してる乗客に侘びを言い安堵のため息をついた覚えがある。

 またある時は、サンフランシスコ空港に着いた飛行機からおりて、スーツケースを受け取りにBaggage Claimへ行ったが、自分の荷物は最後まで出てこない。周りを探し回り、荷物をのせて回るターンテーブルも停止。だだっ広い荷物引き取り場所に残るのは僕一人。仕方無しに、搭乗した飛行機会社の窓口に荷物の紛失を届出。スーツケースの色や特徴などを説明し、連絡先を告げて航空会社にお任せするしかなく、仕方無しに手荷物だけでをもってホテルに向かった。スーツケースが紛失すると一番困るのは下着の替えがないということ。毎日同じ下着で生活することもできず。デパートに行き、まずは衣類を購入しなければいけない。余計な出費だ。このときは3日後に荷物が見つかり、飛行場までとりに行った。係りの者の説明では、僕の荷物はなぜかしらハワイに行っていたそうだ。勝手にハワイまで行きおって、それなら僕も一緒に連れて行け!って思いながら帰ってきた僕のスーツケースを広げて、まずは一安心と言う経験もした。

 いろいろなエピソードを経験して飛行機にまつわるもの全てが大好きな僕の一番大事なものが、飛行機のボーディングパスである。今までに搭乗した飛行機の全てのパスの切れ端が僕の宝なんだ。子供じみてはいるが、このパスには僕の飛行機の思い出がいっぱい詰まっている。空港で出発までの時間を目の前に堂々と鎮座する搭乗機を見つめながら、その窓越しにコクピットの中で出発前の計器のチェックに忙しいパイロットの姿を見ながら、ボーディングのアナウンスがあるまでの時間を楽しむ。搭乗通路を歩き、飛行機の開けはなれた入り口をキャビンアテンダントのウエルカムを受け機内に入る。手荷物を頭上コンパートメントに放り込み、座席すわりシートベルトを締める。早々と席に着いた自分は、横を通り抜けていく旅行客を観察しながら、シートポケットに差し込まれている雑誌に目を通す。 着ないアナウンスが入り、搭乗機はゆっくりと動き始める。自分たちの足元では、地上クルーの運転する特殊車両が飛行機にアームを使って誘導路まで押し戻す。機体から牽引アームを取り外し、いよいよ自力走行して滑走路の端まで移動し始める。時折、効きの悪そうな音をきしませながらブレーキをかけ、機体を操る様子が感じられる。ここで、機長による搭乗機の情報や目的地の情報、所要時間などの説明がなされる。声だけだが、このときのパイロットの話し口調がすばらしい。落ち着いており、自信たっぷりな口調に安心感を抱くのである。

 滑走路の端に到着すると機体は機首を滑走路の先に向け、一瞬エンジンの音が高くなり、数秒のタイムラグの後、ゆっくりと飛行機は走り始める。大きな機体と翼を上下に揺らしながら、鳥が力強く羽ばたいて飛び立つ瞬間のように飛行機はぐんぐんと加速し、いつしかタイヤから受ける細かな振動がなくなり、機体は斜めに上昇していく。機体の窓からは飛行場の建物や周りの民家などが次第と小さくなり、大空のなかに溶け込んでいくように飛行機は一路目的地にむけて突き進む。僕は、この離陸の瞬間が大好きである。旅先への期待と夢を抱きながら、心弾む思いで飛行機の揺れに身を任せている時間。全てが旅の始まりで、現実の世界から夢の世界へと。

 たくさんの人々の夢と喜び、そして中には分かれお悲しみも含めて一つの機内にのせて、パイロットは目的地まで送り届ける唯一頼れる人となる。一旦、空に上がってしまえば、大勢の命をパイロット一人の腕に預けるわけで、そこにはプロフェッショナルとしての自覚と責任をもって操縦する凛とした精神が必要となる。何の仕事でもそうであるように、自分の業務に責任をもって手抜きをしない誠実な姿勢を貫く姿に、僕はあこがれる。それは、介護の職につくものであっても同様である。人の命を預かるものとして・・・・。

2010/7/29
簡単なイタリアンドレッシングの作り方。

 まず、小さめのサラダボールを用意します。材料は、エクストラ バージン オリーブオイル、ワインベニガー、塩、コショウ。

  ボールに塩、コショウをいれ、ワインビネガーをサラダの量をみて必要と思われる量の三分の一入れます。次にオリーブオイルをベニガーの倍の量を入れます。

  後は、良くかき混ぜるだけ。僕は、このドレッシングに味の素を少々混ぜて食します。新鮮な野菜を水で洗い、できるだけ水気を取り除いた後に器に盛り付け、盛り付けた後からドレッシングをかけて食べてもいいのですが、これだとドレッシングを個別にかける事から無駄が多くなります。そんな時には、大き目のボールに切り分けた野菜を入れて、其のボールの中にドレッシングを入れてかき混ぜ、そこから個別に盛り分けると無駄が出なく、ドレッシングも少量で足ります。市販のドレッシングより断然うまいドレッシングは、こんなに簡単に作れるのです。

 そんなわけで、今日の私の夕食は、セロリとトマトのサラダでした。セロリを嫌いな人は多いのですが、新鮮なセロリを綺麗に洗って薄くスライスし、トマトも薄く輪切りにしていきます。セロリとトマトを交互に重ねてお皿に盛って、一番トップにアルファルファをのせてドレッシングをかけて食べました。僕のイタリアンドレッシングは、料理の一番最後、完成まじかにささっと混ぜ合わせてしまうので、作るのも楽です。

 食べることの喜びは何にも代えられません。僕にとって美味しいものを食べる喜びは至福の時です。 ライ麦粉を使って、ライブレッドを焼いて食べたり、イギリスのスコーンを焼いたりもしますが、自分で時間をかけて食材を探し、調理する食事にはワインがぴったり。普段から酒は飲まない僕でも、手作りライブレッドを薄くスライスして、エメンタールチーズとミラノサラミのスライスをのせて食べると最高!!です。ライ麦の風味と少し酸味がかったイーストの味がエメンタールの甘みと苦味にマッチして、口の中にはくるみに似た味が広がります。 そこに少しベリーの香りの強い赤ワインなどを流し込めば、もう最高の気分。一日の疲れも吹っ飛ぶ気分です。 時々、こってりとした肉料理から離れて、軽く夕食を食べたい時にぴったりの献立です。新鮮な野菜、ブラックやグリーンのオリーブ、チーズ、サラミと赤ワイン。南フランスの田舎の家で食べる軽食。って感じ? ライブレッドは、密度が濃い分、どっしりとお腹に感じます。食事として物足りないように思いますが、結構な満腹感があります。

 


2024年 4月
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930          
月別表示
最近の記事

  • 太陽の家 お気軽にお問い合わせください
    〒513-0808 三重県鈴鹿市西條町495-1
    TEL:059-383-8383 FAX:059-383-7938
  • インターネットからお問い合わせ
  • お電話でのお問い合わせ
059-383-8383
受付時間/9:00~18:00
閉じる  印刷する