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ブログ-施設長の部屋

2010/8/11
東京紀行。

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お福の会については、初めてブログに書き込みしますが、この会は数年前から、認知症介護の著名人である和田行男さんを中心に、医師、大学教授、テレビ、新聞や福祉現場の人たち有志が集まり、福祉の将来について語り合う会として、其の当時、使っていた居酒屋の名前をとって「お福の会」と呼んでいるそうです。今では40名~50名程度の著名人が集まり、また厚労省からも参加されていたり、そこの場で取り上げられる話題が、結構そのまま施策に反映されたりと、ある意味、福祉行政や今後の日本の福祉の動向にまで動かしかねない内容が話し合われています。もちろん、私なんぞは、ただただ聞くのみ。発言できるような雰囲気ではないのです。そのような会に参加させてもらえることとなり、今回で2回目。

 8月10日の夜7時より10時まで、大井町のうらぶれた小さな居酒屋に集まった人々は、いろいろな仕事の人が集い、新聞記者、テレビ局のディレクター、福祉関係の大学の教授、医療現場からドクターも参加して、お酒を飲みながら、一分間ルールの下、それぞれが熱い意見交換を行っていました。昨日のテーマは、「回想法」について、回想法が本当に認知症高齢者の心のよりどころとなるのか?について討議されました。回想法は療法ではなく、あくまでも利用者との心の壁を取り除くための手法と言う考えかた。また、人には触れられたくない過去を持つ者も居ることからも回想法によって仕舞い込んだ心の傷をこじ開けてしまう必要性。また、充実した人生を送る人にとって回想法の持つ意味など、色々と意見も別れてしまいました。

回想法も、バリデーションと同じく、記憶に障害を抱える高齢者の心の壁を取り除き、心の安泰を求めていくことに変わりは無いのですが、そこには学問として研究対象としての回想法と、普段何気なく福祉現で行われている昔話の延長線上にある回想法の二タイプが存在するようである。いずれも、ある意味、相手を尊重する気持ちと思いやりを持って昔話の中に、その人の人生を垣間見るきっかけを見つけようとすること。と言うことでした。

 まあ、小難しい理論の応酬でしたが、このお福の会の後、グループホームの全国組織の代表者達との意見交換も興味深い時間となりました。

 

2010/8/11
月夜に釜を抜かれる。

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油断大敵と言うより、自分自身の超特大級ポカミスに呆れると同時に情けない気持ちとなった昨日の事件についてお話しよう。

 昨日から一泊の予定で東京に行ってきたのです。東京には、二ヶ月毎に開かれる『お福の会』という会合が開催され、其の会に、今回で2回目の参加をさせて頂くつもりで新幹線からホテルまで予約を入れて準備はしたのです。しかし、ここ最近、東京への旅行に限らず、生意気なようですが旅行慣れしてきた自分自身が居る。前日から旅行の準備をすることも無く、出発間際に必要な最低限の着替えと諸々の小物をバッグに放り込んで電車に飛び乗ることを繰り返してきました。そして、今までは、何事も無く、近鉄名古屋駅から新幹線の出発までの余裕を5分もあれば充分!と、高をくくっていたこともあります。今回の失敗は新幹線に乗り損ねたと言う話ではなく。白子駅の特急に乗り損ねたのでした。それも、交通渋滞とか、自宅出発が遅れたと言う理由ではなく、僕自身は時間の9分前には白子駅改札に到着していたのです。また生意気なようですが、近鉄電車の利用にはピタパというカードを使って、チケットレスの乗車を利用しているので、カード一枚で改札を潜り抜けるのです。昨日もそのつもりでした。改札口前に来て、カードを取り出そうと財布をカバンの中に探したのですが、まったく見つかりません。

 そうなんです、財布、クレジットカード、免許書、を忘れてきたのです。お金を一銭も無く、クレジットカードも持たずして特急どころか、宿泊すらできません。慌てて自宅に財布を取りに戻り、再出発をし新幹線には一時間送れの便を予約し直して品川まで向かったのでした。

 

2010/8/9
ここ数日、ブログをサボりました。

ここ数日、土日をはさんでブログの更新がおろそかになりました。特に理由は無いのですが、ブログネタに困窮しまして・・・・書くこと無い症候群に襲われ、一時的に筆が止まってしまいました。毎月、月初めには同様の症状が散見され、今月は月のスタートはスムーズに出始め、その後失速傾向にあるという、新たなるパターンに苦しんでおりました。今日も、職員には、ブログ更新の遅延に苦情が出され、僕としては、今日のブログ更新が無い場合は、それこそツーアウト一塁に走者を残し、ボールカウントはツー・スリー。残り一球が勝負と言う状態かもしれません。

 そんなこんなで、今日の私のお仕事ぶりを紹介すれば、午前中には、明日の会議に持参する書類作りに忙しく、昼食後にはレクリエーション会議。其の途中で、職員の家族の相談を受け、午後は鈴鹿サーキットにてこの秋開催のF1グランプリの打ち合わせ。通訳の人数、イベントスタッフの人数等の調整や業務のすり合わせを行い、帰宅後には太陽の家の玄関横の小さな庭に落ちこぼれている落ち葉の掃除を行いながら、また夕方には別の職員の相談を受けて、家に帰って夕食を作り、顧問弁護士と電話で会話し、ようやく自分の書斎(書斎と言えるような高級なモノではないのです。本とメモや筆記用具などが散乱した事務机の上に乗っているコンピュータに向かって、一人カチャカチャとキーボードを叩いているのです。こうやって、話してみれば特に何もやっていない。実態不明の管理職と言えなくも無い、非常に中途半端な仕事をしていたようです。

 さて、そう言いながらも、明日は東京で会議。福祉の関係のお仕事ですが、前回は6月に上京。二ヶ月目の東京となります。今回は品川パシフィック東京に宿泊予約を入れておりますが、今になって知ったのですが、このホテルも来月末で閉館の予定らしいです。僕がアメリカから帰国した頃には、第一線の高級ホテルで有名で、帰国直後に、このホテルでハワイにあるプロダクションの面接を受けたことを思い出しました。あの当時は、日本に帰国したばかりで、また息子がアメリカ(特にハワイ)に赴任することに反対した両親のために就職をあきらめた経緯がありました。そして、次に地元の本田技研関連の企業が採用してくれて、一時サラリーマンを経験することとなったのですが、そんな若い頃の自分の人生の転換期としての舞台が、このパシフィック東京だったのです。

 東京の都心の変化は著しいものがあります。しばらく東京から遠ざかっていると新しいお店がオープンしてたり、新しいホテルが開業してたり、閉鎖されたり。人々の需要と供給のバランスは、店舗ごと、建物ごとが川変わっていくことで保たれているようにも思えます。田舎のようにお店の都合に客側があわせてくれるのではなく、客側をリードしていくためにもお店側が変化していかなければいけない都会では、かかる費用も回収スピードも田舎とはまったく異なっているのでしょう。だから東京はいなかっぺにとっては、「生き馬の目を抜く街」として恐れられるのでしょうね。 しかし、ここにきて閉鎖するホテルに、昔は栄華を誇る日本企業の出資するホテルが多いことに驚きます。プリンスホテルも赤坂から撤退。このパシフィック東京も閉鎖。其の反面、リッツカールトン、コンラッド、マンダリン、ペニンシュラ、ハイアットなど超高級リゾートホテルは、軒並み都内にオープンし、結構盛んに宿泊客を取り込んでいるようにも見えるのですが、実情は如何なものでしょう?景気後退から完全に回復基調とまで行かない現在、ホテル業界も四苦八苦なのでしょうね。

2010/8/8
すみません、ティッシュ下さい・・・・!

 昔、小学校にかよう頃、母親がハンカチと鼻紙を必ず持たせてくれた。僕の時代にはポケットティッシュなどと言う洒落た物は無い時代だったので、本当に単なる白い鼻紙の数枚を持たせてくれていた。大体からして、鼻水は服の袖で拭く。鼻紙を出して悠長に鼻をかむことは、小学生の子供には出来ない。出来ないと言うより、やってる時間が無い。あの当時は、どいつもこいつも、鼻水をたらして生活してたような気がする・・・みんな服の袖がピカピカだった。遊ぶことに必死な時代だった。

 そんな時代を通り越し、今やいっぱしのおっさんとなった自分は、今でも外出の際にはハンカチを持参する。夏の薄着の時には、ハンカチと言えどかさ張るものである。小さめのカバンを持って歩くおっさんも居るが 逆におっさん臭すぎて小さなセカンドバッグなんて物を持つ気にはなれないので、出来る限り手ぶらで歩く。財布、免許書、車の鍵などポケットに入れるのは良いが、これまたポケットが膨らみすぎて格好悪い。だから夏場のファッションは難しい。そんな中、必須アイテムだけでポケットの許容量をオーバーしてるのに、そこにティッシュペーパーは尚のことかさ張る。必然的に、大人になった今は鼻紙の代わりのティッシュペーパーは持ち歩かない。

 子供時代は服の袖が鼻紙の代用品。それでは、大人になると鼻水の処理をどうするのか?それは、簡単なことで、都会では、毎日、いたる所でポケットティッシュをタダで配ってくれている。この便利な無料配布を利用すれば、鼻紙を必要なときは都会の歩道を歩けば貰えるのである。お金は一切不要。相手から気前良く、差し出してきてくれる。こちらは、ただ受け取るだけ。それでも、都会の女性たちは、タダで差し上げますと出されているティッシュを避けるように歩いているのである。くれる!という鼻紙、遠慮なく貰ってくれば、わざわざティッシュペーパーを買う必要も無いのに・・・・と思いながら都会を歩く度に田舎っぺ丸出しの感覚の自分が居る。

 そして、悲劇は突然襲ってくるのである。都心の雑徒を居ている最中に、舞い上がる埃を吸い込んだのか、急に鼻がむずがゆく、思いっきりくしゃみをしてしまった。「は~くしょい!!!」と同時に鼻水が・・・・・流石に半袖シャツでは鼻水はふき取れない。いやア~・・・どうすっぺ~・・・・と考えて、思いついたのが通りでティッシュ配りの兄ちゃんを探すのである。ほんの数メートル歩いただけで、ティッシュを配る若い女の子が居た。其の彼女の前を通過しようとしたとき、ティッシュを持った彼女の手は、僕の目の前を通り過ぎ、すぐ後ろから歩いてくる女性に渡した。良く周りを見回してみると、数人のバイトと思われる若者がティッシュを配って入るものの、渡している相手は若い女性だけ。男は対象外・・・のようである。

 いやア、やばい!! 俺の鼻水、一刻の猶予も無い状態だ!汚い話であるが、ズルズル音を立てて吸い込んでないと垂れてくる。もう、こうなってくると恥も外聞も無い。ティッシュ配りのバイト君に、お願いするしかない。『 すみません・・・・ティッシュ下さい!・・・・』                  都会は便利だ!       

2010/8/6
ケア・カンファレンスについて

介護保険事業には、かならず利用者のためのケア・カンファレンスを定期的に実施し、介護計画を立てなければいけない。そして、其の計画は利用者またはご家族の承諾を得なければいけない。太陽の家でも、定期的にケア・カンファレンスを実施しながら、職員間の認識の共有化、計画の見直しと再計画への意見交換を行っている。これが、ケア・カンファレンスと呼ばれる会議である。個別に個人のあらゆる情報を持ち寄り、職員の視点から利用者を細かく解剖する(言葉としては不適格かもしれないが、一番しっくりと感じられる言葉と思う)。その人の出来ること。出来ないこと。家族の要望、本人の夢や要望を細かく噛み砕き、それぞれにベストの方向へ導けるように専門職として、適切な支援方法を検討しあう。

 今日も太陽の家デイサービスでは、利用者のカンファレンスが開催された。今日話し合われたのは7名の利用者。所要時間は二時間半。一人当たり20分強の時間をかけている。少し時間をかけすぎている。それほどの難問があるわけでもなく、前回のカンファレンスからの変更の少ない利用者である。今回のカンファレンスの進行を見ていると、時間がかかる理由が理解できる。一つは、参加職員が意見を持っていない。普段の介護の中で気づくことは多いようであるが、それを問題視していなかったり、認識できていない部分が多くに存在する。要するに、利用者の様子を伝えるに足る言葉を知らない。第二に支援方法が画一的であり、新しい視点が見当たらない。数年前から変わらない支援を今なお計画にあげている。これは、絶対におかしい。数年前の計画が今でも、変更されること無く残っている。利用者の機能の変化は無いのか?それとも必要が無いにもかかわらず計画を削除することも無く今まできたのか?という疑問がわいてくる。第三に利用者の主訴の読み取りが甘い。どうしても日常の介護の中で食事、排泄、入浴の三分野に絞られた介護に徹してしまうことで、そのほかの状況や特徴や変化に目が届かない。もう少し、発想の転換を促すカンファレンスでなければ、新たなる支援策は生まれてこないのではないか?

 今日の会議でも紹介したように、私たちは福祉、特に高齢者介護の専門職である。専門職は、それなりに多面的な視点を持って、あらゆる角度から柔軟なサポートを提供できるように常に考えておく必要がある。最近の行動パターンが妙に違っている、お願いしても聞き入れてもらえにくい等、たくさんの問題に囲まれているように話し合っている。しかし、実際にもう少し、しっかりと利用者の立場に立って考えてみれば、私たちが問題と考えている課題は、得てしてわれわれからの視点に基づく問題行動で会うことが多い。最近、利用者がおとなしくなってきた。とする、そこには、多数の可能性を考える必要性がある。例えば、反発するだけの体力、気力が減少傾向にないのか?または、体調不良が根底に潜んでないか?提供サービスに妥協したのか?等々 太陽の家だからと言われても結構!僕はもっと斬新でハチャメチャな支援方法を考えて実践してくれる方に期待する。 其の為には、普段から利用者個人の様子観察を適切に行い、その人を理解し、その人の抱える問題を提起できる体制を整えておかなければいけない。意見を求められ言葉に困るようでは、其の利用者と正面から向き合っていない、介護の仕事を生産工場の作業と同じようにしか見ていない証拠。普段から、人の意見や行動には疑問の気持ちをもって観察するようにすれば、自分なりの意見はもてるはず。考えること。職業人として働く、仕事するとはどういう行為を盛って言うのかを学ぶべきだ。

 あの太陽の家に通うようになって、生き生きしてきた。とは言ってもらう。より良いサービスは確保できている。次に目指すのは、今まで以上のQOLの向上を目指すために、利用者は何をすべきで(僕にとって介護は受身だけではなく自立支援という言葉通り自らが求め活動することが基本と考えている)、どのような支援を必要としているかを検討しなければいけない。それも、斬新なアイデアを工夫する。そして、介護の質の向上を目指したすばらしい介護を。僕は自慢ではないが、今の太陽の家デイサービスセンターなら、更に高い質のサービスを提供することができると信じている。また、今のクルーなら実現可能であると考えている。そのためにもカンファレンスのレベルアップを目指したい。言われることを全て鵜呑みにするな!なぜ?と感じたならば、納得するまで聞け!と要望するのです。


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