太陽の家

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ブログ-施設長の部屋

2010/8/22
今日も一日、非常に厳しい暑さでした。

 今年の4月後半に、東京で雪が桜の花の上に積もった写真が、色々なメディアで紹介されていたのが懐かしい。懐かしいと言うより、あの寒さが恋しい暑さの毎日です。今日は気温的にも、湿度の面でも非常に蒸し暑い一日でした。夜になって、若干風が出てきて、少しは涼しげな感じはありましたが、それでも、屋外でジッと座っているだけで、大粒の汗がしたたり落ちるようでした。

今日一日、鈴鹿サーキットのお仕事で、屋外での仕事が多く、カッターシャツはもちろんズボンまで、ずっくりと濡れてしまいました。外で汗をかいて、そのままエアコンを最強に聞かせた部屋に入ると、その涼しさに心地よく思えるのですが、次第に濡れたシャツが冷えてくると、逆に寒く感じる始末。これを繰り返すから夏風邪をひくのでしょうね。それ程、若くは無い自分にとっては、この暑さの中で、鈴鹿サーキットのようなコンクリートとアスファルトで固められた施設で働くのは、非常につらいものがあります。仕事が辛いのなら、辞めればいいじゃないか!と言われそうですが、この仕事は、自分にとって、普段の生活からは真逆な社会。普段は亀のようにゆっくりと、のんびりとした環境に暮らし、このお仕事のときはスピードと轟音の中で、耳元で会話しても聞こえない環境の中で、とても遣り甲斐のある仕事を貰っている。

なぜ、遣り甲斐を感じるのか?と言うと、このお仕事をさせてもらうようになって15年以上の年月が経過しているが、最初は自分に任される仕事量は少なく、また軽い仕事が多かったのです。年数が経ち、経験が増えるにつれ、重要なポジションを与えられ、それなりの権限も与えてもらえるようになり、そこに自分自身の責任感が生まれてきます。其の責任を全うすることに遣り甲斐を感じるのです。他の人では出来ないことを自分は実践している。其の思いが、この年になっても継続できる原動力のように感じます。

今でこそ、鈴鹿サーキットの中では大きな面して仕事してますが、始めた当初の頃は、メインのレースや大きなイベントには関わることができず、コース上のイベントをサポートする数分のために、前日と当日の二日間、イベント出演者のお世話をすることが僕の仕事でした。もちろん、控え室など与えられず、出演者の控え室の裏や近辺の木陰で一日、呼ばれるのを待つのが仕事でした。それでも、僕は、自分のやっていることが、その時に運営されているビッグレースの一部を手伝っている自負心でいっぱいで、それなりの遣り甲斐を感じていました。俗に言う、使いっ走りの一人ですが、仕事をこなすうちに、徐々に仕事量は増えて、それに伴い、たくさんのスタッフを集めてきて仕事を手伝って貰うようになり、今に至っています。

しかし、ここにきて、やはり年齢は差別無く、僕にも訪れ、最近ではレーシングコースでの仕事に際し、息切れ、足のもつれ、体力の低下が訪れるようになりました。毎年、もう引退しよう!とシーズン最終のビッグレースを終えると思いながらも、冬の間のオフシーズンを終えると、またソワソワとビッグレースが恋しくなるのです。春先のシーズンの開幕は「ファン感謝デー」から始まり、フォーミュラー日本、スーパーGT、8時間耐久ロードレース、ポッカ700Km、F-1日本グランプリ、フォーミュラ日本と年間のスケジュールは決まってくるのです。そのポッカ700Km耐久レースが今日、明日の二日間開催されているのですが、これが終われば、F-1日本GPに向けて全力疾走となります。やはり、鈴鹿サーキットでもF-1GPは、レースの中でも別格です。規制や制限も厳しいものがあり、普段のような厚顔な図々しい顔パスで出入りできる場ではなくなります。

 F-1に限らず、一つ間違えば、大きな事故につながる危険性をもった仕事独特の緊張感。そのストレスは介護の世界では経験できないものがあります。僕は、この緊張感の中で、自分なりに判断してイベントの進行をスムーズにこなしていく限り、この仕事からの引退は無いのかもしれないと密かに心に誓っているのです。明日も早朝から、夜遅くまで、色々なハプニングに臨機応変に対応を考え、現場作業をそつなくこなしていけるように、そろそろベッドに入ります。

2010/8/20
自分流の高齢者福祉

自分流の高齢者福祉、なんとおこがましい言葉! 自分を分かっての言葉か?と耳を疑いたくなる言葉であるが、実際に太陽の家では、この「自分流の高齢者福祉」を進めている。

進めている!という言葉も、若干の補足説明が必要ではあるが、つまりは、私たちの太陽の家で実践される高齢者介護には、自分流と言われる、色々な高齢者に対する思い入れを大切に介護に役立てる事を重視しているということである。ただ、誤解の無いように補足すれば、自分流とは、個々の職員がバラバラでちぐはぐな、不定量の介護を実践すると言う意味ではない。私の考えかたは、運営理念に掲げるとおり、太陽の家の中心的骨格を形成する大切なものであり、誰がなんと言おうと曲げられない究極の福祉論である。しかし、理念だけでは、高齢者にとっては絵に描いた餅。夢と希望だけ与えられても、現実が伴わなければ意味が無い。其の絵に描いた餅を、実際に食して満腹にしてしまうことが出来るのが、其の理念に沿って育てられた、色々な福祉に対する職員の想いではないかと考える。

職員の知識、スキルや経験値は、それこそバラバラで、皆が同じ技量、スキル、知識と経験値を持って介護を実践できる施設はすばらしい施設だと思うが、おそらく日本全国を探してもそのようなパーフェクトな施設は存在しない。存在しないばかりか、逆に全国的にもこの業界で名前を売った超カリスマ的管理者、施設長の居る施設でさえ、虐待や身体拘束が行われていたりする。そのような日本の高齢者福祉、歴史自体が浅く、介護保険制度にしても10年経ったばかり、社会福祉にしても第二次世界大戦以降に本科悪的に試行錯誤を繰り返すにすぎない。そんな歴史しかない分野。社会保障や高齢者介護自体、国民全体に理解されているのか、甚だ疑問に思うのである。

福祉の現場に働く者にしても、私同様、一夜漬けで勉強してきたような輩も多く、その物の考え方も千差万別であることは、仕方ない事実であろう。そう考えるとき、太陽の家に10人の職員が居れば10人色の自分流があっても良いではないか!という考え方に至るのである。ただし、皆の考える自分流は、全員の最終目標、理想とする姿は同じであるべきであり、其の到達点までバラバラでは、これは歪な不安定な介護としか言えないのではないか。そこで、少し荒っぽい言い方かもしれないが、太陽の家で働く職員の全てが方向は同じであったとしても、考えかたは自分流であっても良いのではないかと考えている。色々な視点があって、色々な経験値があって、そこに生まれる支援方法がまちまちであることから、より高度なコクのある(料理じゃないけど)介護が提供できるのではないかと考えている。そして、組織体として高齢者福祉を実践する以上、意見交換は充分行うことが求められる。意見交換とは、一方的に言い分を聞く傾聴路線ではなく、意見を戦わす路線であるべきなのは言うまでもない。

熱い気持ち、相手を包み込むような思いやり、同時に鋭く切り捨てることの出来る決断力が高齢者福祉には絶対に必要な要素であると考えている。

僕は、タダ単に必要なものを必要なだけ与える、ばら撒き的福祉には異論を唱えるものである。今の日本の福祉からも10年後、日本の65歳以上の人口が3人に一人の割合で増加したときに、今と同じ介護サービスを増税抜きに確約できるのか?と考えるとき、自然とばら蒔き福祉に終止符を打たなければいけなくなる。今よりも在宅で、家族の力を優先に、自立支援を目指して!と言う強烈なスローガンの下、必要性に対する審判がより厳しく、またサービスの供給主に対する評価も厳しさが生じてくるはずである。誰でも手を上げて指定を受ければ金が入る、今の日本の福祉社会ではなく、現物の質、量共に今以上のモノを要求される時代はすぐそこに来ている。非常に極端な理論で日本の福祉を見ていると考えれなくも無いが、僕は、太陽の家の職員さんには、自分流の福祉理念をいち早く形成し、自分流に切り込んで、将来的に起こりえる福祉クライシスに対応できるよう、今から備えを築いていってほしいと願っている。

2010/8/19
ネット環境の悪化からブログ更新が出来にくくなっていました。

ここ数日間、ネットに一切コネクトできないトラブルがありました。奥の手として、無線ランを使ったのですが、送受信容量が小さく、なかなか重いデータをおくるには時間がかかり、其の分、ブログに写真を貼り付けて公開するなんて作業が滞ってしまいました。原因は、自宅のルーターの電源が外れかかっていただけと言う単純なトラブルでした。電源を抜いて、10秒後に再び差し戻したら、無事にネットにコネクトできました。やれやれ!と言った感想です。

 インターネットのある生活に慣れてしまうと、インターネット出来ない環境に非常に不安感を覚えます。どうしても、社会から隔絶されたくない感覚が強いのでしょう。ネットはイコール、社会ではないのですが、意外と自分の生活の一部と化して、こうやってモニター画面を見つめながらPCと戯れる時間が大切に思えてくるのですから、慣れとは恐ろしいものです。

 さて、ネット環境が回復したので、ここで最近の短縮言葉について書いてみたいと思います。

 皆さんは以下の言葉の意味がわかりますか?

 『かいべん』・・・・・・・快食、快眠、快便の快便ではありませんよ。

 『とりび』・・・・・・・・・・ブラッドピットをブラピと短縮して言う人も居ますが、人の名前では有りません。

 答えは「かいべん」=購入した弁当 (買い弁)

     「とりび」=とりあえずビール  居酒屋やレストランで最初に飲みたい飲料として、他の何よりも、まずはビールと言う意味らしいです。

 最近の困りごとは、これらの短縮言葉を年老いた年代の者(私を含めた中年のおっさんも含め)が、若者に阻害されることを恐れ、率先してこれらの短縮言葉を使い始めた点です。若者たちに嫌われたくない感情なのか、それとも自分を若く見せたいのか・・・?その理由はいろいろです。しかっし、日本の言葉として、僕は関西弁のイントネーションが好きです。言い回しも独特のやわらかさを含んでいるように思えますが、これらの日本古来からの言語が、今の若者世代に、ことごとく無視されていく、そんな現代の日本語に対して危惧感を持ってしまうのです。最近では、ごくごく一般的な日本語すら、めったに聞けない社会。これから先、どうなるのでしょうか?

2010/8/17
急な発熱。

 本当に急な発熱で、初めての体験で驚いています。

 昨日は昼一番で、デイサービス利用者の皆さんに、「便秘」について面白おかしく解説し、其の予防を説明して、結構自分では意欲もあったのですが、夕方から四肢の関節に抜けるようなだるさを感じ、少し普段と違った違和感を覚えました。しかし、特に他に目立つ病気の兆候も無く、そのまま夕食を作って食べたのです。夕食後にテレビを観ていた頃から、エアコンの冷気が寒く感じ、急に身震いが始まり、体温を測ると38度を超えています。体中から熱りを感じ、表現として「体全体が膨張している」ような感じがして、そのままベッドに倒れこんだのですが、やはり寒い。手持ちの解熱剤を飲んで、偶然冷凍庫にあった食品用の保冷剤をタオルにくるんで頭を冷やして寝ていました。

 今朝まで熟睡は出来ず、夜中に何度も目覚める状態でした。それでも、朝起きて朝食も食べ、少し気分も良く。出勤。病院に電話して診察をお願いして医師を尋ね、体温を測ると37.9度。「風邪ですね!」と言われ、薬をいただいて帰ってきました。

 そんなわけで、朝から出勤こそしたものの、そのまま一日休んでしまう結果となったのですが、処方薬を飲んで、横になっていたら夜の8時まで寝てしまいました。それ程、体力に不安は無いのですが、ここの所、暑さ続きの毎日で、エアコンの効いた室内とオーブンの中のような室外との温度差に体がついていけなくなったことから風邪を引いたようです。自分の中で「風鈴の会」に浮かれながら、若者たちとの交流を楽しんでいたのですが、やはり若者とすでに若者世代を終えた者との歴然とした体力の格差を改めて認識したしだいです。風鈴の会って、暗黙の年齢制限があるのだ!と悟りました。

2010/8/16
開店休業中の風鈴の会の風鈴が3個になりました。

新しい風鈴です。

この週末に新たに風鈴が二個増えました。二個とも100円均一ショップで探しました。 さすがに三個も並ぶと結構、騒々しくなるものです。今日は特に風が強く、裏口に出ると風鈴の音が入り乱れ若干、公園でなくセミのように、耳障り・・・・?!

日本古来の「お盆」、職員さんの一部は長期のお休みをとって実家に帰省する人も居ます。テレビの報道では、飛行場や高速道路の帰省ラッシュで渋滞などのニュースが聞こえてきます。私の実家は、同じ町内。帰ると言っても歩いていける距離。それはそれで便利ですし、渋滞の心配も無く楽ちんですが、ある意味、帰省する田舎が無いというのも寂しいと言えば寂しいものです。帰省を理由に、気分転換の旅行にも出れず、又今日も一日、この鈴鹿市に居ます。日中の蒸し暑さに耐え、お年寄りの介護に汗かいています。(汗かいていると、嘘をかいてしまいました!)

この夏は、9月に入っても暑い日が続くような長期予報がありますが、これだけ厳しい夏は、体調管理にいつも以上に注意が必要です。エアコンのお世話にならず窓を開放して、新鮮な秋の空気を早く吸いたいものです。太陽の家・風鈴の会は、長期休暇の職員によって、暫し開店休業の状態です。


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