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ブログ-施設長の部屋

2010/9/18
高齢と認知症

 ここにきて社会全体が高齢社会を いたる所で話題にするのですが、確かに高齢者の占める割合は多くなってきている日本の社会です。そして、にわかに『認知症』という状態がクローズアップされるようになって、先日のNHKのためしてガッテンでも認知症ケアの新兵器と題して、センター方式のその人となりを理解する事やバリデーションが取り上げられていました。この番組のプロデューサーは、前回東京に上京した折にお知り合いになった方が、構成された番組ということで、私も、太陽の家の職員も見させていただきました。 この中で取り上げられていた、認知症高齢者の問題行動に対する改善策として、その人を思う介護者の気持ちが逆に要介護者にとっての心的負担につながるという点。これは、とても重要なことで、認知症=何もかも失った人間の体は残っても感情と頭脳が消えてしまった。と言う誤解に対する大きな警鐘につながったと思います。

 認知症とは大脳気質にいろいろな病気を原因として、細かな脳細胞の変質が原因と解明されてきています。こまかな脳細胞の変質ですから、脳全体がおかされているわけではありません。すなわち、出来る事と出来ない事がはっきりと分かれてしまったと言えるのです。今までお元気な時には、バリバリと色々な作業を行い、家事をこなしてきた人たちが、徐々に物事を完結させる事が難しくなってくる状態が認知症と言えるのです。しかし、これって、よくよく考えてみれば高齢者には当然と言っていい症状では無いのでしょうか? 高齢になると身体的にもいろいろな部分で衰えがでます。記憶にも同じように衰えが出ます。物忘れや心配性になったり、ことさら頑固者になったり。これらの症状はお年寄りにはつきものの症状であり、これらが社会問題化するのは、逆に言えば、それだけ長寿社会となり人間が長生きしてきた証拠のようにも考えられます。

 最近の統計でも年々、日本人の男女の平均寿命が延びております。世界の国の中では、今でも平均寿命が40代後半であったり、60歳まで生きることが難しい国もあります。日本も以前は早くから人が他界していくような社会でした。その当時は、おそらく認知症となる前に人々は亡くなり、今のような認知症でどうのこうの・・・という問題は無かったはずです。

 人間も動物も全ての生きものは、長寿と共に身体・精神の両面から衰え始め、それなりに介護を必要となります。決して長寿がダメだとは言いません。この社会が長寿に対応できていない事が問題であると考えます。介護保険制度自体、この調子で要介護者が増加していくなかで制度の維持は、さらに困難な状況となるでしょうし、政府自身、社会保障を維持するためには消費税の大幅な増額を言いだしています。 実際、非常に財政的に逼迫してきているのは感じます。逼迫する財政にも拘らず、施設整備はまだまだ完璧に満たされていなく、施設入所には長い年月の待機期間を自宅または病院(この病院も、最近では療養型施設の廃止に伴い減少傾向にある)で暮らさなければなりません。ましてや、認知症に特化したグループホームや小規模多機能等は、元々から整備数が限られているために、家族の対応に苦慮する現実の問題が発生してくるのです。

 2050年頃には、老人一人を働く若者一人が支えていかなければいけない時代が来ると言います。これは、まったく物理的に不可能な時代の襲来を予告しているも同然です。家族で支え、地域で支える今のシステムも、もっとスピードアップが必要です。もっとレベルアップが必要となります。さらに、精神的なストレスのケアに至るまで、この社会を構成していく人間全てに対して、しっかりとしたビジョンを持って、高齢社会と認知症への対応策を出来る限り早いうち、それも真剣に議論していくべきです。

2010/9/18
お~そら・みよ

オー・ソレ・ミーヨならぬ「お~そら・みよ」って、何か分かりますか? 

先日、上京した折に東京駅の皇居側にあたる丸の内近辺で、屋根のない観光バスが沢山走り回っているのを見かけるのです。車体横に大きく派手にペイントされたボディに「お~そら・みよ」の文字。いろいろと注意深く周りを見ていると、丸の内の道路脇に停車している観光バスの横で、それらしい旗を持ったバスガイド風の女性がたって 乗車しようとする観光客風の団体さん相手に孤軍奮闘していました。 そう言えば、最近、東京のはとバスが一躍有名になってきているようで、沢山の人が利用しているようです。 はとバス自体、私達の世代のイメージは、年寄りくさい、古臭いイメージが先行して、それこそ御上りさん的イメージが大きく敬遠されがちでしたが、最近では企画されているツアーにも工夫がされて、都内に住む人でも楽しめるような内容とか・・・。 この屋根なし観光バスのツアーも、その一環で誕生したのでしょうか。非常にユニークな発想で、僕も時間があれば一度乗ってみたいと思いながら、東京の丸の内のガード下にある赤ちょうちんに消えたのでした。

と、個々までの文章は、今日の午前中、ちょこっと仕事の合間をぬって書いたのですが。流石に仕事中のブログの書き込みは集中できないとみえて、結局、おーそれ・みよとは何ぞや?という主題について何も触れていなかったのですね。 夜になって、自分の時間にブログを読み直してみて、今加筆しようとしています。

 そうなんです、屋根なしの観光バスは、そのまま東京の空、高くそびえ建つ高層ビル郡が見やすいように切ってあるようです。普通の観光バスから、六本木の高層ビルを見上げるには、観光バスの窓からでは難しい。邪魔な存在ならばオープントップにすればいい!と言った結論でしょうか・・・・?でも、今年の夏の日中に、こんな屋根のないバスに乗って、都内の道を走ってほしくないですよね!  熱中症どころか、乾燥してホシイカのようになりそうです。今週になって随分と朝夕の気温も下がり傾向になり、この気候なら、あのバスに揺られて新宿、六本木、青山あたりから東京タワーの夜景を眺めながら観光するには良いのかもしれません。おのぼりさんではなくとも、タクシーではなく、大型観光バスの二階席で上を向いて観光するのもおつなものかもしれませんね!

2010/9/17
着実に変化してきたデイサービス

『変化してきた』というより「進化してきた」と言うべきかもしれない。 ここのところ、スタッフ一同のモチベーションのアップとベクトルの統一が出来上がりつつあると何時ぞやのブログに書いたが、職員さん全員が、本当に一生懸命に努力してくれている結果として、今、太陽の家デイサービスセンターのサービスが花開いた!と言えるかもしれない。

 過去に太陽の家を良くする為に必死に努力してくれた看護師さん、介護職さん。今は、この場を去ってしまっているけど、彼女たちの遣ってきた事に、今のスタッフの学んできたスキルをミックスして、そこに職員の一体感をプラスして、それで出来上がった、新しい太陽の家。今では介護の領域を超えて、生活支援や自立支援に向けてのお手伝いを行っている。自負心が職員の中に芽生えている。これが、最高にいい結果を生んでいる要因だと思う。

 そして、利用者の顔をみてても明るい!とにかく笑顔が多い! この太陽の家でリハビリしたり、レクしたりすることを楽しみに来て頂いていることが良く分かる。そんな太陽の家に高めてくれた職員さんたちに感謝してる。今は、何も特別なことはしてあげられないけど、この皆が行っている努力には、何とか報いたいと思っている。

 非常に手前味噌のようなブログとなったが、今日の誕生会を成功させて思うことが、以上のような感想である。みんな、それぞれが家庭をもっている人たちばかりだが、仕事も充実させることが出来る人は、自然と家庭環境も充実さえることが出来ると信じている。この太陽の家の利用者の皆さんに温かな思いやりを注いでくれるように、同じだけ家族にも思いやりと愛情を注いでもらえるよう期待したい。

 みんな、ありがとうね!

2010/9/16
今朝の大雨はすさまじかったですね!

 今朝の鈴鹿も出勤時間帯の7時30分頃より、とても激しい雨が降りました。この夏の鈴鹿は雨が乏しく、太陽の家の裏庭の植木や花には、朝夕だけでなく昼も水遣りを欠かせない状態の毎日でしたが、流石に今日の雨は一日中、水を与える必要のないほど降りました。でも、このような豪雨って、地面の表層をすべるように流れてしまうので、しっかりと根っこまで届くような水ではないのですよね!また明日から30度近い気温に戻る予報が出ています、明日も朝から水を与えなければ・・・・と考えるだけで憂鬱です。だって、其の分、余分な作業が増えるのですから・・・・

 さて、話は、この豪雨に関して、今朝は流石にいつもの時間に送迎バスの出発は避けました。大型のワンボックスカーですから雨には強いのですが、この土砂降りの中で利用者のお家から車に乗り込むまでの間にびしょ濡れになる確率が高い。少し濡れるなんてものではなく、上着はぐっちょり。下手をすれば下着まで濡れてしまいかねません。この天候の下、濡れた服のまま座っていたら、結果は言わずと知れたこと。皆さん熱出して寝込むか、肺炎で入院!その様な危険性がありました。また、足元が滑りやすく、自宅玄関先をでて、雨で滑って転倒、挙句の果ては骨折!なんて事故も考えられます。

 このような事から、送迎時間を少し遅らせて、巨大な雨雲の去るのを待って、送迎の開始としたほうが安全な状況もあります。太陽の家のデイサービス利用契約書には、大雨、強風や大雪の場合、突如としてデイサービスの運営を中止する場合があります!とうたってあります。今日のような雨が、まさしく其の強雨といわれる類の雨でした。

 利用者の方によっては、お一人暮らしでデイサービスの利用がなくなることで、其の日の昼食が確保できなくなる方もみえます。数年前の冬の大雪の日を思い出しますが、朝からの大雪で中央道路ばかりか、鈴鹿市内の道路の全てが機能しなくなる程の降雪がありました。送迎車両にチェインを巻いても走行が危険な状態で、送迎に伺うことが困難な日がありました。職員と共に太陽の家の前を除雪したりしていましたが、やはり、このときもお一人住まいの利用者が数名みえましたあ。当然、お昼ご飯は確保できてないと想像されました。この時は、お弁当を作って、複数の職員を伴ってお昼弁当を自宅までお届けしたことを覚えています。

まあ、今日は台風でもなく、少し時間を遅らせて雨をやりすごせば、おそらく小雨に戻るだろうと言う予想で、30分遅く送迎をスタートしました。もちろん、職員が手分けして、利用者のご自宅に、その旨理由を説明するように電話しました。ここのところ、地球全体的な異常気象は、想像できない大雨などの自然の驚異をもたらします。今後も、今日のような大雨が降るような早朝、若干の送迎時間の変更はおこりえます。なるべく、ご自宅へ電話にてご連絡はいたしますが、連絡がなくても、雨のきつい日は、送迎時間の変更はありえますので、そのようにご理解ください。

2010/9/15
ソーシャルワークの理念について

 今日、うちの職員より子供の成長に関する問題を聞いた。なかなか子供と言えども放っておけば自然と大人に成長していくわけでもなさそうだ。よそさんの子供さんを見てると、いつの間にか気がつかないうちに大きく成長して、何の問題も無く大人になっていくように思えるのが普通であり、子供のいない僕には、世の中は適当にそのように放置していても(失礼! 世の親が子育てを放棄していると言う意味ではありませぬぞ!)、勉強ができる子供とか、何かに優れているとか言う事は別にして、それなりに成長はしていくことが普通のように思いこんでいる節があった。しかし、今日、うちの職員の話を聞いていると、実際の子育てと言うのは、非常に大きな波が幾度も押し寄せ、その都度、家族で苦しみ、泣き、悲しむことも多いのだと言う事を知った。

 そう考えると、人間全てに対して「健常な人」と言う言葉は、何を持って意味するのか?一昨日も、僕は仕事がお休みで、一人で市内の中華レストランで昼食を食べる事となったのだが、生憎、相席を求められ隣に、二人のおばさんが座った。最初、メニューを眺めながら注文の品を決めるまでは一般的なオバサンの会話であったが、いざ食事が提供されて食べ始めると、いよいよ本題の世間話に突入。何処そこの誰々さんが病気になって入院しただの、夫が最近様子が変なので病院受診したら、軽い脳梗塞だっただの、兎に角、病の話題が非常に多い。そして、この相席のお二人さんだけに限らず、隣の席に座る若い女性4人組のテーブルの話題も「病」の話である。

 世の中、本当にいろいろな病に侵され悩む人の多い事。実際、自分自身も咳が止まらない。もうしばらく様子を見て、改善されないようなら一度病院の門をたたくべきか・・・と思いあぐんでいるところである。ひょっとして、肺がん!などと宣告を受けるかもしれない。と秘かに恐れおののいているのであるが、本当に人間の一生の中で病院のお世話になることの多い事。そして、誰しもが健康を害している現実を考えると、我々の実践しているソーシャルワーク自体を考え直さなければいけなくなるように思えてきた。ソーシャルワークの基本は、自助、公助、共助であり、あくまで自分で自分を助けるために努力する。それでも不足する部分に関してお互いがお互いを助け合い、フォーマルなソーシャルワークとして公的機関のサービスを利用する。ということが謳われている。しかし、自助と言いつつ、どこまで自助が可能であるのか?公助の出来る範囲は?と問いつめれば穴ぼこだらけのソーシャルワーク理論が現実問題として私達の福祉には存在する。

 子供の将来を想い、病気に苦しみ介護の必要となる親を不憫に思いながらも負わなくてはならなくなる介護負担を考えるだけで人生は真っ暗。仕事を探し求め、ようやく働き口を見つけたものの、体調を崩し退職を余儀なくされた者など、考えれば考えるほど、世の中に暮らす人々の全てが、ソーシャルワークの必要な人ばかりのような気がしてくるのである。私達ソーシャルワーカーが、この世界を住みよい安心できる社会に変えていくために努力するためにも、社会全体の機運と言うものが、さらに発展したものの考え方に成長しなければ社会全体の改革なんてできそうにないのです。全ての人が受け身の態勢では、何も始まらないどころか、大なる抵抗勢力になりかねない、そんな危険性さえも含んでいると言えるのです。

 私たち自身が将来をしっかりと見据えて、健常な人は一人も存在しないんだ!という事実を認識して理解する事が咲いて現不可欠な理論なのだと思うのです。

 最後に、うちの職員に理解してほしいのは、子供の成長に際し問題は山ほど発生してくる事と思います。しかし、今日、明日の次元の将来ではなく、もっともっと先の将来に向けて地道な努力が求められているのが子育てのように思います。その時の状況に一喜一憂する、その気持ちは分かりますが、あえて長い目で見るようにしてください。その子の将来、あと何年か寿命は紙様しかわかりません。しかし、この世に生を受けている間は、最低限の安心を確保できるよう、導いてあげたいものです。親の役目として、その子が自律とまでは言わずとも、生きることのできる世界に於いてあげることを目標に、今から親の義務を果たしていかねばなりませんね。

 とても偉そうな事を書きました。これは、私の施設に働く女性職員に対しての言葉のつもりです。そのようにご理解ください。


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