今朝の鈴鹿も出勤時間帯の7時30分頃より、とても激しい雨が降りました。この夏の鈴鹿は雨が乏しく、太陽の家の裏庭の植木や花には、朝夕だけでなく昼も水遣りを欠かせない状態の毎日でしたが、流石に今日の雨は一日中、水を与える必要のないほど降りました。でも、このような豪雨って、地面の表層をすべるように流れてしまうので、しっかりと根っこまで届くような水ではないのですよね!また明日から30度近い気温に戻る予報が出ています、明日も朝から水を与えなければ・・・・と考えるだけで憂鬱です。だって、其の分、余分な作業が増えるのですから・・・・
さて、話は、この豪雨に関して、今朝は流石にいつもの時間に送迎バスの出発は避けました。大型のワンボックスカーですから雨には強いのですが、この土砂降りの中で利用者のお家から車に乗り込むまでの間にびしょ濡れになる確率が高い。少し濡れるなんてものではなく、上着はぐっちょり。下手をすれば下着まで濡れてしまいかねません。この天候の下、濡れた服のまま座っていたら、結果は言わずと知れたこと。皆さん熱出して寝込むか、肺炎で入院!その様な危険性がありました。また、足元が滑りやすく、自宅玄関先をでて、雨で滑って転倒、挙句の果ては骨折!なんて事故も考えられます。
このような事から、送迎時間を少し遅らせて、巨大な雨雲の去るのを待って、送迎の開始としたほうが安全な状況もあります。太陽の家のデイサービス利用契約書には、大雨、強風や大雪の場合、突如としてデイサービスの運営を中止する場合があります!とうたってあります。今日のような雨が、まさしく其の強雨といわれる類の雨でした。
利用者の方によっては、お一人暮らしでデイサービスの利用がなくなることで、其の日の昼食が確保できなくなる方もみえます。数年前の冬の大雪の日を思い出しますが、朝からの大雪で中央道路ばかりか、鈴鹿市内の道路の全てが機能しなくなる程の降雪がありました。送迎車両にチェインを巻いても走行が危険な状態で、送迎に伺うことが困難な日がありました。職員と共に太陽の家の前を除雪したりしていましたが、やはり、このときもお一人住まいの利用者が数名みえましたあ。当然、お昼ご飯は確保できてないと想像されました。この時は、お弁当を作って、複数の職員を伴ってお昼弁当を自宅までお届けしたことを覚えています。
まあ、今日は台風でもなく、少し時間を遅らせて雨をやりすごせば、おそらく小雨に戻るだろうと言う予想で、30分遅く送迎をスタートしました。もちろん、職員が手分けして、利用者のご自宅に、その旨理由を説明するように電話しました。ここのところ、地球全体的な異常気象は、想像できない大雨などの自然の驚異をもたらします。今後も、今日のような大雨が降るような早朝、若干の送迎時間の変更はおこりえます。なるべく、ご自宅へ電話にてご連絡はいたしますが、連絡がなくても、雨のきつい日は、送迎時間の変更はありえますので、そのようにご理解ください。
今日、うちの職員より子供の成長に関する問題を聞いた。なかなか子供と言えども放っておけば自然と大人に成長していくわけでもなさそうだ。よそさんの子供さんを見てると、いつの間にか気がつかないうちに大きく成長して、何の問題も無く大人になっていくように思えるのが普通であり、子供のいない僕には、世の中は適当にそのように放置していても(失礼! 世の親が子育てを放棄していると言う意味ではありませぬぞ!)、勉強ができる子供とか、何かに優れているとか言う事は別にして、それなりに成長はしていくことが普通のように思いこんでいる節があった。しかし、今日、うちの職員の話を聞いていると、実際の子育てと言うのは、非常に大きな波が幾度も押し寄せ、その都度、家族で苦しみ、泣き、悲しむことも多いのだと言う事を知った。
そう考えると、人間全てに対して「健常な人」と言う言葉は、何を持って意味するのか?一昨日も、僕は仕事がお休みで、一人で市内の中華レストランで昼食を食べる事となったのだが、生憎、相席を求められ隣に、二人のおばさんが座った。最初、メニューを眺めながら注文の品を決めるまでは一般的なオバサンの会話であったが、いざ食事が提供されて食べ始めると、いよいよ本題の世間話に突入。何処そこの誰々さんが病気になって入院しただの、夫が最近様子が変なので病院受診したら、軽い脳梗塞だっただの、兎に角、病の話題が非常に多い。そして、この相席のお二人さんだけに限らず、隣の席に座る若い女性4人組のテーブルの話題も「病」の話である。
世の中、本当にいろいろな病に侵され悩む人の多い事。実際、自分自身も咳が止まらない。もうしばらく様子を見て、改善されないようなら一度病院の門をたたくべきか・・・と思いあぐんでいるところである。ひょっとして、肺がん!などと宣告を受けるかもしれない。と秘かに恐れおののいているのであるが、本当に人間の一生の中で病院のお世話になることの多い事。そして、誰しもが健康を害している現実を考えると、我々の実践しているソーシャルワーク自体を考え直さなければいけなくなるように思えてきた。ソーシャルワークの基本は、自助、公助、共助であり、あくまで自分で自分を助けるために努力する。それでも不足する部分に関してお互いがお互いを助け合い、フォーマルなソーシャルワークとして公的機関のサービスを利用する。ということが謳われている。しかし、自助と言いつつ、どこまで自助が可能であるのか?公助の出来る範囲は?と問いつめれば穴ぼこだらけのソーシャルワーク理論が現実問題として私達の福祉には存在する。
子供の将来を想い、病気に苦しみ介護の必要となる親を不憫に思いながらも負わなくてはならなくなる介護負担を考えるだけで人生は真っ暗。仕事を探し求め、ようやく働き口を見つけたものの、体調を崩し退職を余儀なくされた者など、考えれば考えるほど、世の中に暮らす人々の全てが、ソーシャルワークの必要な人ばかりのような気がしてくるのである。私達ソーシャルワーカーが、この世界を住みよい安心できる社会に変えていくために努力するためにも、社会全体の機運と言うものが、さらに発展したものの考え方に成長しなければ社会全体の改革なんてできそうにないのです。全ての人が受け身の態勢では、何も始まらないどころか、大なる抵抗勢力になりかねない、そんな危険性さえも含んでいると言えるのです。
私たち自身が将来をしっかりと見据えて、健常な人は一人も存在しないんだ!という事実を認識して理解する事が咲いて現不可欠な理論なのだと思うのです。
最後に、うちの職員に理解してほしいのは、子供の成長に際し問題は山ほど発生してくる事と思います。しかし、今日、明日の次元の将来ではなく、もっともっと先の将来に向けて地道な努力が求められているのが子育てのように思います。その時の状況に一喜一憂する、その気持ちは分かりますが、あえて長い目で見るようにしてください。その子の将来、あと何年か寿命は紙様しかわかりません。しかし、この世に生を受けている間は、最低限の安心を確保できるよう、導いてあげたいものです。親の役目として、その子が自律とまでは言わずとも、生きることのできる世界に於いてあげることを目標に、今から親の義務を果たしていかねばなりませんね。
とても偉そうな事を書きました。これは、私の施設に働く女性職員に対しての言葉のつもりです。そのようにご理解ください。
少々わけあって、最近ブログ更新を怠っていた結果、それに比例するように当ホームページへのアクセス数が減少している。久しぶりにブログを更新しながら、アクセス一覧を見ていて笑ってしまった。 まぁ、考えてみれば致し方ない事かもしれない。太陽の家のホームページの基本は固定されていて、日々変わる内容では無いのですから、常にホームページを覗きに来てくれるビジターの方が楽しめる・・・(?)・・・・(?????)ページはブログとお知らせページ、それとスタッフ紹介ページ位の限られた部分だけですからね!
そんなわけで、今日は当ホームページ上のお知らせコーナーに 毎月発行している『ひだまり』という新聞を掲載してみました。PDF形式で掲載いしていますので、青色に変わっている表記の部分をクリックしてもらえると表示されるはずです。
このひだまりは、施設開設以来発行を継続している新聞ですが、最近は編集長が私から事務長に交代したばかりです。書き手が変われば、新聞紙面も変化します。いろいろと私のブログとは違った感性で物を見ていますので、楽しめるはずです。一度、ご確認ください。
週末は東京で過ごした。いつものように学校の関係で(と言っても、教育を受ける立場としてですが)都内のホテルに二泊した。都内のホテルライフ、と言うより住環境としてホテルを使う我々のようなおのぼりさん達にとって一番重要なことは、田舎の生活に近い静寂な環境で夜眠れる。という条件が必要となってくるが、これは、一流ホテルでない限りなかなか難しい条件となる。なんせ一泊数千円程度の安宿を探し求めて、それでいて立地条件の良い環境を探し求めるわけだから、安いけど目的地から遠いとかいうのではホテル決定にはいたらない。インターネットという便利なツールを酷使し、自分の求めに適合する宿泊先を探し求めることは至難の業なのである。
さて、そのような過酷な条件をある程度満たしてくれる宿泊先となると、やはり旅館ではなくホテルという事となりがちで、素泊まりでナンボ!、夕食実感の指定やら、外出への制限の少ないビジネスホテルが主流となるのは確実である。前払いのホテルもあれば、チェックアウト時に清算のシステムを採用するホテルやら色々だが、都内のホテルの面白いところは、どんなビジネス系ホテルにしても、それなりに外国人宿泊客が泊っているところが面白い。朝食にしても軽くパンとコーヒー、ジュースだけの所もあれば、盛大なバイキングを用意しているところもあり、これもホテル選びの条件の一つとなっている。ただ、外国人宿泊客はと言うと、僕の個人的な意見としては、日本人よりもマナーが悪く、夜中に酒飲んで騒々しいのは外国人の方が圧倒的に多い。日本人観光客の団体さんは、とかくマナー無視の田舎っぺ、のイメージが多いが、そんな田舎の団体さん以上に飲んで騒がしいのが外国人の数名のグループ客である。時間も関係なく、客室前の廊下を大声で話しながら通っていく。また、客室前で長話。安ホテルだから壁もドアも薄く、音をシャットアウトする事が出来ないうえに、そとで騒がれては堪らない。そんな経験はいっぱいしている。
次に、ホテルライフの楽しいところとして、飲酒運転の危険性も無く、ホテル近辺に沢山の歓楽街を作っている点である。一歩、外に出れば24時間眠らない都市として夜中まで営業しているお店が多く、飲むことに苦労はしない。まあもちろん、これは酒飲みの言う言葉で、僕のように数杯のワインで酔っぱらう人間には大した問題ではないが。しかし、夜中でもコンビニにジュースやお茶を買いに行ける、小腹がすいたらドーナッツでも・・・・など欲しいものが何でも時間を気にせず入手できる環境は素晴らしい。しかし、これまた、ひっくり返した視点でみてみれば、深夜徘徊の余計な人間がたむろする事で、治安の悪化に日尾着買っているような節も見受けられ、やはり人間は眠る時間帯には床についている事が必要なのかもしれない。
さて、実際のホテル住まいで一番の問題は、万全な態勢で完備されている顧客ニーズ対応だが、このニーズに対してそれなりの費用が求められる事である。基本サービス以外のサービスには、付加価値料金まで加算された料金が求められ、後になって清算の時に驚きの声が出てしまう事も多い。そう考えると、一泊数万円の高額なホテルの方が、安ホテルに比べて基本サービスの枠が大きく、トータル的に安く済む場合もあり得る。リッツカールトンのスイートルームの宿泊料金の最高額が一泊二百万円らしい。また香港の5星ホテル、ペニンシュラの東京にあるスイートは一泊が100万円らしい。そしておまけにロールスロイスによる送迎つきらしい。そんな事を考えると、そこまでのサービスを有効に使いこなす事が出来るかどうかが求められる。我々のような平民にとってロールスロイスで送迎してもらって・・・・何処へ行くか? 銀座の高級料亭でもなく、横町にあるラーメン屋にしか行かない者にとっては、ロールスは不要である。もちろん、一度は乗ってみたい気もするが、ちょっと「しょく」なイメージである。
まあ、そんなわけで、ホテルのチョイスには、やはり普段からの自分なりの生活レベルに合わせたクラスに宿泊する事が一番居心地の良い環境なのかもしれない。
今日の午後から、所属する地域密着型サービス協議会の役員会のために伊勢自動車道と紀勢道を走った。津インターから南方面へは、無料化実験区間として、全ての車両は高速料金の支払いが必要ない区間である。 ある程度、走りづらいだろうなア~と想像していたが、それほどでもない。ただ車両の数は多い。ETC搭載車両でなくても無料となる区間なので、一般国道と同じ位の交通量はあるようだ。
僕の前を走る普通車がほぼ同時に高速道路のゲートを通過し、同じ伊勢方面へ流れた。僕が先に出ればよかったものの、相手ドライバーが女性だったので先を譲ったことが、後になって災いした。高速道路へのアプローチで、なかなか本線に合流できないでいる。誘導路でブレーキふむな!と一人、自分の車の中で叫んでしまうほどトロトロと走る。充分な馬力をもつ最近の普通自動車だから、本線に合流することは、それ程難しいことではない。ただ単に、高速道路を使い慣れていない人の運転。というわけである。
先日、テレビのコラムで、その道のプロが解説していた。高速道路で本線に交わるときの感覚は、走行車線を走る車を追いかける感じで、つながって合流していく。まさしく、其の感覚で僕たちは高速道路に乗っかる。まあ、不慣れなドライバーも居る。と思い直して、一気に加速して本線に合流、そのまま後方確認しながらウインカーを出して、追い越し車線へと車線変更をしていく。僕の前でオタオタしてた普通車は、もうすでに遥か後ろの方を走っている。一応、無事に高速道路の本線には乗れたようだ。まあ、こんなわけで、高速の乗り口で若干のウロウロ、オタオタ、チマチマって事があるが、それ以外は、順調に高速は流れていた。
しかし、めったに渋滞しない伊勢道下り車線、久居インター近辺でノロノロの渋滞。原因は中央分離帯の植栽の剪定作業であった。上下線とも追い越し車線を規制して、走行車線だけ。普通なら、多少のスピードダウンはあるかもしれないが、今日のように完全に停車するに近い渋滞は珍しい。この点でも、高速道路初心者が多く走っているという証拠だろうか・・・・?!
それと、あともう一つ苦言を書くなら、トンネル内でヘッドライトの点灯しない車が多いことである。最近の新しい高速道路、特にトンネル内の照明には、非常に沢山の経験と技術が注がれており、トンネル入り口から徐々に照度を下げていく等、トンネルの走行性は格段の進歩があると思うが、それでも、ヘッドライトの点灯は、自分以外の走行車両に自分自身の車の接近を分かりやすくする目的を持っていることを知らないのか、それとも、「そんなの関係ねえ!」のか・・・・?兎に角、日本人ドライバーは、夕闇の中でもヘッドライトの点灯が遅い。自分からの視界が確保されればOKなのか?と伺いたくなる。
伊勢道は、それでも二車線ある高速道路だけあって、走りやすい。しかし、紀勢道は片側一車線の対面通行。中央分離帯にはパイプが等間隔に埋め込まれているだけ。対向車線からはみ出して、突っ込まれでもしようものなら、大事故につながるかのウエイのある高速道路である。おまけに車線幅も狭い。ついでに、スピード制限より10Km程度抑えて走る車が必ず居る。そのお陰で、車が連なってしまいがちである。
まあ、標語にもあったが「狭い日本、そんなに急いでどこ行くの?」と・・・・先を急ぐばかりではなく、のんびりと周りの景色を見ながら(運転中によそ見は危険です!)大台の町並みを楽しみながら運転しまひょ!と自分に言い聞かせながらも、ついついイライラしてしまう。悪いドライバーの私でした。