敬老の日を含んで3連休中、東名阪道のぼり四日市インター近辺から亀山までの渋滞が続いていたようです。今日の午後もインターネットで検索してみると、同区間で渋滞。事故も新名神との合流地点近辺2か所で事故の連絡。一般道にも車の多さは、デイサービスの送迎を行ってみると、良く分かります。太陽の家の前の中央道路でも、交通量は多く、車の流れが切れなくて、なかなか中央道路に入れない状態があります。しかし、いずれにしてもイライラ運転は事故の元となります。急いで事故を起こせば、それこそ本末転倒、余計に時間がかかります。ましてや、不運にも事故車両の後方を走っている場合、渋滞が始まります。今の東名阪で起きている渋滞は車両の自然発生的な渋滞ですが、主原因は通行量の絶対数が多いことと、高速道路に不慣れな人のブレーキ操作が、後ろに行けばいくほど影響が大きく出て、完全にブレーキを踏まなければいけなくなることが原因だそうです。目的地にスムーズに、出来る限り短時間に到着したいのは、皆さん同じです。目的地への到着時間を気にするあまり、逆に周りのドライバーに迷惑をかける結果とならない為にも、慎重な運転が必要と思います。車は応接間では無い。リラックスする場所でもない。はたまた、若い二人の世界でもない。色々な人が、同じ道路を使って移動している状況をしっかりと認識して車を運転してもらいたいですね。
また、中央道路を走る車をじっくりと観察すると、運転手の姿勢が面白いのです。多くのドライバーが、それこそ応接間のソファーに寛ぐような姿勢で車を運転している姿を見かけます。お年寄りを乗せて送迎バスを運転する時は、ハンドルに両手を置いて、自動車教習所の生徒のような気持ちで送迎バスを運転します。片手ハンドルで、くつろいで運転する事なんて不可能です。一番多くの利用者を乗せる場合、送迎バスの走行距離は30Kmを超えます。30Kmを超えると言う距離は、鈴鹿から弥冨くらいまで運転するに等しい距離を移動するのですが、この間、約一時間。緊張に緊張を重ね、ブレーキペダルの操作やハンドル操作にかなりの神経を使います。また、送迎中に遭遇する危険も結構多く、なまじっか荒い運転でもしようものなら、接触事故に発展しそうな場面にも遭遇します。
ある意味、介護のプロであるだけではなく、運転のプロであることも必須の課題です。大事故につながりやすい高齢者を乗せて車を運転する場合、車間距離も速度も一般車両よりも抑えなければなりません。一般道では送迎車両が原因で車の列が数珠つなぎ。と言う場面も目にします。先を急ぐドライバーのイライラの原因を高齢者送迎バスがつくっているのかもしれませんが、この点については、急発進、急加速、急ブレーキは、車内での打撲などの事故の元。どうしてもゆっくりと運転せざるをえません。一般車には申し訳ないのですが、しばらくのご辛抱をお願いしたいですね。
今日の昼過ぎに、ちょいと用があって仕事車に乗って太陽の家を出ることとなった。太陽の家の前の道路は鈴鹿の幹線道路であり、土日の今日などは交通量も多く、非常に出にくい場所であることは利用者のご家族も充分ご承知のことと思う。そんな環境の中でも、仕事となれば、個々の施設から中央道路に出なければいけないわけで、今日もゆっくりと車を車道に近づけて歩道の半分まで車を進めた。一時停止し安全確認をするが、平田方面への車の量が異常に多く、なかなか車列が切れない。ようよう、車列が切れたので・・・とここからが問題の箇所です。僕は不覚にも自分の右手方向ばかり気にしていて、左手方向はお留守となってしまっていた。行けると!おもいズルズルと車を車道に進めると同時に自転車のブレーキの音。
其の音にハッとして左前方を見ると、そこには自転車に乗った若者がいた。思わずブレーキをかけて停車すると、其の自転車の若者は、運転手の僕のほうを見ながら必死で転倒を防ごうと自転車を操作していたが、それでも、あの歩道の切れ目と言うか、入り口というか・・・・あそこは車の乗り入れのために車道に向けスロープ状になっているのです。自転車が倒れそうになるので、足を付こうとして足を伸ばすものの、傾斜になっているので足が届かない。彼はスローモーションのように倒れていき、自転車を放り出したように転倒した。(彼は、転倒する前に自転車を放りだしたので、転倒はしていない) ビックリして、そのまま車を降りて安全を確認したのですが、大丈夫!何とも無いよ!と言ってくれて、彼はその場から走り去ろうとしたのですが、今度は、太陽の家の横の側道から飛び出してきた車にぶつかりそうになって、今度は、車道に飛び出していった彼。何だか、僕の車との接触事故らしき状況の直後に別の車との接触ですか・・・・?なんと運の悪い!としか言いようのない事件でした。
この一部始終を信号停車中の中央道路の車の運転手が複雑な面持ちで、この事件を見ていたようです。あ~危ない。 中央道路の交通量もそうですが、この施設の前を通行する自転車も多く。施設への出入りには充分な注意が必要です。皆さんも気をつけてください。僕も気をつけます。
ここにきて社会全体が高齢社会を いたる所で話題にするのですが、確かに高齢者の占める割合は多くなってきている日本の社会です。そして、にわかに『認知症』という状態がクローズアップされるようになって、先日のNHKのためしてガッテンでも認知症ケアの新兵器と題して、センター方式のその人となりを理解する事やバリデーションが取り上げられていました。この番組のプロデューサーは、前回東京に上京した折にお知り合いになった方が、構成された番組ということで、私も、太陽の家の職員も見させていただきました。 この中で取り上げられていた、認知症高齢者の問題行動に対する改善策として、その人を思う介護者の気持ちが逆に要介護者にとっての心的負担につながるという点。これは、とても重要なことで、認知症=何もかも失った人間の体は残っても感情と頭脳が消えてしまった。と言う誤解に対する大きな警鐘につながったと思います。
認知症とは大脳気質にいろいろな病気を原因として、細かな脳細胞の変質が原因と解明されてきています。こまかな脳細胞の変質ですから、脳全体がおかされているわけではありません。すなわち、出来る事と出来ない事がはっきりと分かれてしまったと言えるのです。今までお元気な時には、バリバリと色々な作業を行い、家事をこなしてきた人たちが、徐々に物事を完結させる事が難しくなってくる状態が認知症と言えるのです。しかし、これって、よくよく考えてみれば高齢者には当然と言っていい症状では無いのでしょうか? 高齢になると身体的にもいろいろな部分で衰えがでます。記憶にも同じように衰えが出ます。物忘れや心配性になったり、ことさら頑固者になったり。これらの症状はお年寄りにはつきものの症状であり、これらが社会問題化するのは、逆に言えば、それだけ長寿社会となり人間が長生きしてきた証拠のようにも考えられます。
最近の統計でも年々、日本人の男女の平均寿命が延びております。世界の国の中では、今でも平均寿命が40代後半であったり、60歳まで生きることが難しい国もあります。日本も以前は早くから人が他界していくような社会でした。その当時は、おそらく認知症となる前に人々は亡くなり、今のような認知症でどうのこうの・・・という問題は無かったはずです。
人間も動物も全ての生きものは、長寿と共に身体・精神の両面から衰え始め、それなりに介護を必要となります。決して長寿がダメだとは言いません。この社会が長寿に対応できていない事が問題であると考えます。介護保険制度自体、この調子で要介護者が増加していくなかで制度の維持は、さらに困難な状況となるでしょうし、政府自身、社会保障を維持するためには消費税の大幅な増額を言いだしています。 実際、非常に財政的に逼迫してきているのは感じます。逼迫する財政にも拘らず、施設整備はまだまだ完璧に満たされていなく、施設入所には長い年月の待機期間を自宅または病院(この病院も、最近では療養型施設の廃止に伴い減少傾向にある)で暮らさなければなりません。ましてや、認知症に特化したグループホームや小規模多機能等は、元々から整備数が限られているために、家族の対応に苦慮する現実の問題が発生してくるのです。
2050年頃には、老人一人を働く若者一人が支えていかなければいけない時代が来ると言います。これは、まったく物理的に不可能な時代の襲来を予告しているも同然です。家族で支え、地域で支える今のシステムも、もっとスピードアップが必要です。もっとレベルアップが必要となります。さらに、精神的なストレスのケアに至るまで、この社会を構成していく人間全てに対して、しっかりとしたビジョンを持って、高齢社会と認知症への対応策を出来る限り早いうち、それも真剣に議論していくべきです。
オー・ソレ・ミーヨならぬ「お~そら・みよ」って、何か分かりますか?
先日、上京した折に東京駅の皇居側にあたる丸の内近辺で、屋根のない観光バスが沢山走り回っているのを見かけるのです。車体横に大きく派手にペイントされたボディに「お~そら・みよ」の文字。いろいろと注意深く周りを見ていると、丸の内の道路脇に停車している観光バスの横で、それらしい旗を持ったバスガイド風の女性がたって 乗車しようとする観光客風の団体さん相手に孤軍奮闘していました。 そう言えば、最近、東京のはとバスが一躍有名になってきているようで、沢山の人が利用しているようです。 はとバス自体、私達の世代のイメージは、年寄りくさい、古臭いイメージが先行して、それこそ御上りさん的イメージが大きく敬遠されがちでしたが、最近では企画されているツアーにも工夫がされて、都内に住む人でも楽しめるような内容とか・・・。 この屋根なし観光バスのツアーも、その一環で誕生したのでしょうか。非常にユニークな発想で、僕も時間があれば一度乗ってみたいと思いながら、東京の丸の内のガード下にある赤ちょうちんに消えたのでした。
と、個々までの文章は、今日の午前中、ちょこっと仕事の合間をぬって書いたのですが。流石に仕事中のブログの書き込みは集中できないとみえて、結局、おーそれ・みよとは何ぞや?という主題について何も触れていなかったのですね。 夜になって、自分の時間にブログを読み直してみて、今加筆しようとしています。
そうなんです、屋根なしの観光バスは、そのまま東京の空、高くそびえ建つ高層ビル郡が見やすいように切ってあるようです。普通の観光バスから、六本木の高層ビルを見上げるには、観光バスの窓からでは難しい。邪魔な存在ならばオープントップにすればいい!と言った結論でしょうか・・・・?でも、今年の夏の日中に、こんな屋根のないバスに乗って、都内の道を走ってほしくないですよね! 熱中症どころか、乾燥してホシイカのようになりそうです。今週になって随分と朝夕の気温も下がり傾向になり、この気候なら、あのバスに揺られて新宿、六本木、青山あたりから東京タワーの夜景を眺めながら観光するには良いのかもしれません。おのぼりさんではなくとも、タクシーではなく、大型観光バスの二階席で上を向いて観光するのもおつなものかもしれませんね!
『変化してきた』というより「進化してきた」と言うべきかもしれない。 ここのところ、スタッフ一同のモチベーションのアップとベクトルの統一が出来上がりつつあると何時ぞやのブログに書いたが、職員さん全員が、本当に一生懸命に努力してくれている結果として、今、太陽の家デイサービスセンターのサービスが花開いた!と言えるかもしれない。
過去に太陽の家を良くする為に必死に努力してくれた看護師さん、介護職さん。今は、この場を去ってしまっているけど、彼女たちの遣ってきた事に、今のスタッフの学んできたスキルをミックスして、そこに職員の一体感をプラスして、それで出来上がった、新しい太陽の家。今では介護の領域を超えて、生活支援や自立支援に向けてのお手伝いを行っている。自負心が職員の中に芽生えている。これが、最高にいい結果を生んでいる要因だと思う。
そして、利用者の顔をみてても明るい!とにかく笑顔が多い! この太陽の家でリハビリしたり、レクしたりすることを楽しみに来て頂いていることが良く分かる。そんな太陽の家に高めてくれた職員さんたちに感謝してる。今は、何も特別なことはしてあげられないけど、この皆が行っている努力には、何とか報いたいと思っている。
非常に手前味噌のようなブログとなったが、今日の誕生会を成功させて思うことが、以上のような感想である。みんな、それぞれが家庭をもっている人たちばかりだが、仕事も充実させることが出来る人は、自然と家庭環境も充実さえることが出来ると信じている。この太陽の家の利用者の皆さんに温かな思いやりを注いでくれるように、同じだけ家族にも思いやりと愛情を注いでもらえるよう期待したい。
みんな、ありがとうね!