太陽の家

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ブログ-施設長の部屋

2010/12/16
運営推進会議

地域密着型サービスには運営推進会議と言われる地元住民を含んだ会議が二ヶ月毎に開催を義務付けられている。当然、太陽の家のグループホームも、この運営推進会議なるものを開催している。地元住民代表者、民生委員、地域包括から一名(鈴鹿亀山広域連合では行政の代表の変わりに地域包括が参加することとなっている)、家族の代表などを交えて、其の事業所の事業を広く地域に開かれた場所にするための会議を行っている。つまりは、閉鎖的な社会ゆえに地域社会に公開することで、事業所主体となりがちな運営を、公平性を維持しながら利用者主体の運営を守っていこうとするための会議である。確かに地域社会の住民や家族代表などを交えて事業運営を考える場を持つことは、社会福祉という公益性を高め、より意識の高い福祉の提供を見守り、利用者の人権を守るための監視的役割も持ち合わせており有意義なシステムではある。

 そのような運営推進会議が今日、太陽の家で開催された。おおよそ一時間の短時間ではあるが、近況報告やその他運営に関する様子を説明したりして、毎回の運営推進会議は終わっていく。この運営推進会議に関して、沢山の事業所の管理者から、どのような内容を話し合っているのか?とか回数を重ねるにつれ話題がなくなってきた!などの言葉を良く耳にする。実際、太陽の家でも、個々数回の運営推進会議の場における話題が減少傾向にある。減少傾向というより、業務上の個人情報の取り扱いにからんで運営推進会議の中で利用者の近況報告は行いがたい点を抱えている。僕がブログに丸子さんの状態を面白おかしく書けるのは、そこには人物が実在していないからである。認知症という事例を丸子さんの名前で書いているだけだから書けるのである。それが、個人として実在する人物の状況を家族でもない一般市民にお話しするには、少し紀が引けるというのが本音である。

 それと、もう一つの障害が、会議の進行が固いと非難される点である。地域を代表、家族を代表と言われる方々に出向いてもらっておりながら、世間話の延長では申し訳ない気がして仕方ない。その点で、なんとか身になる会議を行いたいあまり、会議の進行画家t区なると言う図式である。これについては、まだまだ自分自身が未熟であるために興味の沸く様な会議を行えない。という反省はある。この点で、なかなか苦労が耐えないのは事実である。いってみれば、一番の頭痛の種かもしれない。僕は、利用者の前で話すことは苦ではない。また、僕の加入している三重県地域密着型サービス協議会(旧三重県グループホーム協議会)の例会の進行や、其の全国大開の大ホールにおける司会進行もまったく苦にはしていない。しかし、地域住民や家族代表を前にすると何故か言葉が進まない。言うことなすことが「セールストーク」的に感じてしまうからである。僕はアホほど素直に洗いざらいの出来事を包み隠さず話している。しかし、それが言い方私大によっては逆作用になってしまう場面を考えてしまうから、余計に言葉を選んで話してしまう。

 まあ、この会議が糞面白くなく、非常に退屈な会議であることは重々承知している。今後の開催をどのように行うのか・・・・?そこが次年度の課題である。

2010/12/16
総合病院での検診

今日は朝から内科検診を受けている。昨晩の9以降絶飲食ののち予約された時間から腹部エコーを施行してもらった。事前予約されていたので、それ程の待ち時間を経験することなく、比較的スムーズに終了。健診結果を提出して次の診察に・・・というところで、文頭に書いたように『内科検診を受けている』と言う表現方法を詳しく説明しなければならない。

 実を言うと、この後に予定されているCT検査には、予約の時間がとれずにエコー検査から次の検査までに4時間ほどの余白が出来てしまったのである。僕を見てくれている総合病院院長も、エコー検査が終了したら一旦帰ってもいいよ!と言ってくださったこともあって、今は事務所のパソコンからの入力を行う事が出来ている。それも、うちの事業所から総合病院までの距離も近く、行き帰りの時間的なロスも少ないと言う事も大きなメリットであるかもしれない。

 この後、昼食をとって再度病院に出かけて昼からの診察に臨むわけだが、初のCT検査。と言うより、この検診自体、初の総合病院受診。あまりに大きすぎてスタッフの数も多く、患者数も多い中で、よくも患者の取り違え(もちろんあってはならない問題だが)が起こらないものだ!と感心してしまう。それと、多くの患者さん達(検診組も含めて)が待合で待っているわけだが、いろいろな思いで待っている事を考えると、多少気分は重くなる。中には重大な疾患を抱えて前途暗く不安な気持ちの方も多いかもしれない。。と言う点である。

 兎に角、病院は介護の現場と違って、病を治療するための施設ですから、それ以外の余分な物は排除されがちですが、そこには少なからず、待つ側の気持ちを和らげるような工夫がされている。病院に集まるボランティアの方々による、病院の案内やスタッフによるきめ細かな説明など、多くの人がふじゅうを感じなくて済むような配慮が施されている。この細かな心配りが、大勢の疾患に苦しむ人を少なからず救っているような気がした。

2010/12/15
Vs認知症高齢者

認知症って世間では非常に恐ろしい病気と考えられているようであるが、実際に「認知症」という病気はない。認知症とは原因疾患が別にあって、その影響を受けて起こりうる状態の事を言う。例えば、アルツハイマー型認知症の場合は、脳細胞の委縮によって起こりうる様々な症状として記憶に障害を受けたり、人格の変化などがそれである。認知症症状の一番に前述の記憶障害があげられるが、その記憶障害に関して今日、うちの居宅介護支援事業所のケアマネが面白い事を話してくれた。

 彼女は利用者のお宅に出向いては色々と相談援助を行う訳だが、その訪問の際に、やはり認知症特有の記憶障害から彼女が担当ケアマネジャーである事を忘れてしまって、毎回、訪問するたびに「はじめまして!」という会話からスタートするそうである。毎回毎回、訪問してもゼロからのスタートで全てがリセットされる状態と言うのは、我々第三者には笑える事象かもしれないが、当の本人(ケアマネ)にしてみれば大変な苦労なのだろう・・・・記憶が障害を受けると言う事は、逆に言えば世の中の嫌な出来事や嫌な思いをイレースする意味において、とても合理的ではある。だって、思い出したくもない事柄を覚えている我々は、その事だけでも胃が痛くなるような思いの時もあります。そんな不快な思いをしなくても済む。若いころから、そんな苦労をいっぱいしてきて、ようやく人生最後になって記憶が飛んでしまうことは、本来は幸せなことかもしれないと考えるのです。

 しかし、喜んでばかりはいられないのが、その当事者を抱える家族でしょう。なんせ家族の一員が直近の出来事や約束事を記憶できない状態は、家族としては非常にやりずらい。回数を重ねての説明と報告の繰り返しは、それだけでも多大なる労力である。何度も繰り返し説明する労力に家族全体が疲弊するのも当然である。

 我々を生み、育ててくれた両親が年と共に老いてゆき、物忘れが激しくなる。本人にとっても表現はせずとも秘かに不安や焦りを心に抱きながらの毎日は辛かろう!そう考えると、認知症高齢者を抱える家族また本人ともに辛い毎日を送らねばならない。しかし、もう一度よく考えてみれば、認知症となり記憶に障害を受けていたとしても、その状況を受け入れ納得する事で、家族や本人の受ける負担感も減少するはずである。つまりは、歳をとれば身体機能は低下するもの!記憶も定かではなくなるもの!という理解。それが普通であると言う理解。そう考えてみれば特に問題は感じなくて済むのではないか?!実際に我が身に降りかからねば分からない辛さではあるが、自分自身も認知症症状を見せる父を抱えての対応は、兎に角肯定的な日々を目指している。全てに対して否定はしない。まずは相手の言い分を聞き、そのあとに自分の意見を話せば理解する。もちろん、繰り返しの説明をする事は必要ではあるが、その繰り返しさえ小さな努力で苦にはならなくなる。

 認知症介護の中で一番重要な介護は、相手を理解する事。そのまま受容すること。決して昔の元気なころと比較しないこと。今の姿が年老いた両親の姿である事。自分も年老いた時には同じようになる事を考える事です。

 

2010/12/14
プルーンの効果

以前、うちの太陽の家を利用してもらっているじいちゃん、ばあちゃんたちに便秘の解消法をお教えした。そのときにはバナナの効果を強調したのであるが、ここで新たにプルーンの効果も訴えたい。ドライプルーンって知っていると思うが、知らない人の為に少し紹介をしておこう。テレビでプルーンエキスのCMやら見たことあると思うが、僕の言っているプルーンは、そのエキスを採取する前のフルーツを乾燥させた物で、スーパーのお菓子売り場などで種ぬきドライプルーンとして袋入りで販売されているものである。

このブログを食事しながら読んでいる方には申し訳ないが、このドライプルーンをここ数日ためしに食べているが、毎朝かならず便通がある。それも二回。必ず。僕の起床時間は結構まばらで、早いときは5時ころ、遅くても6時半には起床する。その後に何をするか?起きてすぐにコップ一杯の冷たいお茶を飲む。テレビのニュースを見る。プルーンを夕食後に食べ始めて以降、ニュースを見始めて5分程度後にはトイレに行きたくなる。まず、一回目の快便。そして、朝食を食べてしばらくすると又トイレに行きたくなる。

其の要求のままトイレに直行。即効で二回目の排便。この二回の排便のお陰でここ数日、腹の張ったような違和感が出没しなくなった。本当に順調に大量の排便が促される。最近、バナナでは排便管理が困難なほど効きが悪くなっていた矢先で、自分としてはとても快調である。

最近、バナナを食べていても排便コントロールが静ライトおもう方には、夕食後、就寝少し前にドライプルーンを数個食べてみれば効果は見えるはず。便秘薬に頼らない自然排便の強い味方! プルーンをお試しあれ!!

2010/12/12
関西のおばちゃんに閉口!

先日、東京に行くこととなって西銀座のチャンスセンターで宝くじを買った。その長蛇の列の中で、僕の真後ろに陣取った関西弁の女性、大よそ40代ほどの女性が街列の中で、携帯電話の連続。待っている間中、携帯電話でなにやら世間話。それも大きな声で。僕は、一向に前に進まない列の中で静かに自分の番が回ってくるのを待っていたが、其のおばちゃんの大声の会話を聞いているうちに腹が立ってきた。とても耳障りである。声が耳に刺さる。聞きたくも無い会話を聞かされる回りの迷惑関係なく、話しっぱなし。こんな女性って、どんな顔をしてるのだ?!と思い後ろを振り返る。まあ、そこそこ見れる顔立ちの若い女性である。しかし、周りの迷惑に鈍感なだけかもしれないが、関西弁で公衆のルールを破られることに、同じ関西人として恥ずかしい。何とかならんのかい???と考えながら耐えていた。

 しかし、そんな忍耐のときもそこまで。長い電話が終了ししばしの静寂の後に、再度、電話をかけている様子。今度は知人の誰かに電話で話しをしている。今の現状について事細かに様子を話している。そこで、僕は切れた!後ろで得意げに話を進めている女性を睨み付けて言った!『もう少し、静かに話をしてくれ!』と・・・・言った後から自分のとった行動に恥ずかしさを感じた。そのまま見てみぬ振りをすべきだったと・・・・彼女の恥ずかしい行為は、周りの他人に充分認知されているにもかかわらず、僕が注意した行為は、そんな彼女と同様の行為なのかもしれない!と考えた。実際、最近の世の中、妙に正義感を大きく訴えることは逆作用の場合が多い。喧嘩の仲裁に入った者が殴られ、逆に袋叩きにあったり・・・(市川家の問題ではないが・・・)

 まあ、こんな後味の悪い中で購入した宝くじ、全部はずれだったらどうしよう・・・・・!と不安になったと言うお話し。

でもね、携帯電話って、良く考えてみると、随分とわずらわしい器具なんですね。とても便利なように見えて、その実、話している会話の内容には緊急性は少なく、今殊更話さなくてはならない内容ではないことも多いと思うのです。また、他の人と話をしている最中であったり、会議の席であったり、運転中であったり、兎に角、時と場所に関わらず勝手にブルブル、りんりんと音を立てるのですから、周りの者にはいい迷惑なときが多いのです。僕は、携帯電話を持つことでじぶんっ自身の行動が縛られ制限されるような気がしてならない。そして、知らず知らずの内に、先ほどの関西のおばちゃん同様、色々な人に迷惑をかけてるかもしれないのです。皆さんもご自身の携帯電話の取り扱いには充分な注意をお願いします。


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