


今年は新年早々からの「年頭所感」などと気取って書き始めたこのブログですが、案の定、そのれから以降にパッタリ。まあ、僕的には色々な事が起こった年始ゆえ、どうかご理解を・・・
さて、今日はデイサービスの意味を考えてみたいと思っています。太陽の家では、今年の年始は4日からのサービス提供を行っています。今日で5日目ですが、久しぶりに朝から送迎運転手を担当していました。今年初の運転業務。運転する事に別段の苦は無いものの、その中で今日感じたこと。それは、我々デイサービスの事業者が提供できるサービスの限度を感じたのです。
利用者によって生活環境はマチマチです。一人住まいの要介護者もあり、老人夫婦二人で住まいし二人とも認知症であったり、家族は居るもののデイサービス以降は部屋に籠りっきりの要介護者など。本当に沢山のケースで溢れています。まず、この利用者の皆さんの精神状態を考えると、昼間にデイで騒いで楽しく振舞うのは良しとして、その反面、自宅に帰った以降のギャップを思うと、果たして今のままで良いのか?と考えてしまうのです。昼間は気分も高揚して楽しい、しかし、夜、一番高齢者にとって不安な時間帯に一人ぼっち。尚の事、夜の眠りに影響があるのではないか・・・?私達は利用者の皆さんの昼夜逆転現象を防ぐためにも昼間楽しんで頂いているのですが、それだけで夜ぐっすりと休めるのでしょうか?と言う疑問が一つ。
そして第二に、認知症状の進んだ要介護者を介護する家族の苦労を考えると、果たしてこのままで良いのか?と言う疑問が起こってくるのです。この家庭は奥様が気丈な方で、甲斐甲斐しい介護を献身的に実施してみえるのですが、当の要介護者には、意思の疎通はまったく取れない状態で、夜間の介護を奥様一人で負担する事が出来るのだろうか?昼間でもデイサービスの職員数名で更衣を手伝い、トイレ介助を行っていることから考えても、重度認知症高齢者の介護を女性一人で介護するには、少々の厳しさを感じずにはいられないのです。
介護保険の制度の問題ではなく、施設の出来ることが限定される中で、もう少しフレキシブルな支援が出来るようなシステムの構築が必要なのかもしれない。と同時に、職員さんも人間ですから、それぞれ24時間休みなしの労働は不可能です。職員にも負担が少なく、家族支援が出来るシステム。それは殆ど机上の空論のレベルでしょうが・・・
制度が確立されればされるほど、「人間の生き方」に矛盾と言うかねじれが生じてきます。私が今日のブログで書きたいのは、このねじれです。社会福祉援助を専門とする立場としてふさわしい話題ではないかもしれません。しかし、社会の中には「生きる」と言うことを考え悩んでしまう事が多く存在します。僕は、人の生死を審判でませんし、自分の生死に関しても無力です。これが人間の性であれば、その性をより複雑に無闇な苦痛を負わせているのも性なのかもしれません。
新年早々、暗いブログですが、次回は面白い話を書けるようにしますね。
みなさま、新年明けましておめでとうございます。本年が皆様にとって幸多い年でありますよう心よりお祈り申し上げます。
平成23年となり、太陽の家は8年目に突入いたします。当初、訳分からず我武者羅に出帆した太陽丸ではありますが、ここにきてようやく方向性が定まってきたように思います。職員全体の資質も伴い、提供サービスも年々向上してきております。特にここ数年の全体的な活動は活発化しており、それに伴い利用者の皆様の意欲や期待感も非常に大きく変化してきてるように思います。これは、デイサービス事業所に限らず、グループホーム事業所でも同様、提供されるサービスが大きく改善されているように感じます。一番大きな変化として、グループホーム事業所においては「職員の笑顔」が増えたことがあげられます。そして、事業所の中が明るくなった。訪れてみて感じるイメージとして、家庭的な印象が出てきたように思います。もちろん、それまでのグループホームに家庭的なケアが行われていなかった訳ではないのですが、今の雰囲気は、そこに生活する場を感じることが出来ます。デイサービスが通いの寄り合い所と表現するなら、グループホームは、人が生きる家を感じるようになってきました。
太陽の家では、利用者の方々を交えて食事を調理する作業を当初より、専門業者に委託してきました。其の分、利用者との関わる時間が増加すると考えたからです。しかし、ただ闇雲に利用者との時間を確保することは、そのまま良いケアに結びつかないこともありました。逆に職員への負担が増えるともいえるようでした。つまり、入居者の皆さんと一緒に、自分達の食べる食事を工夫する時間は、毎日の生活の中で大きな時間を占めるわけですが、その大きな時間枠が完全にフリーとなる分、その時間のケアを考えなければいけない職員の負担は大きなものとなっていったようです。必然的に覚醒している必要性を与えることが出来ないまま時間が過ぎてしまったように反省するのです。もちろん、過去の職員が何もしていなかったわけでは無いのです。職員に適切なアドバイスもできず、当然、其の革新的な問題点も見出せないまま今に至っていた点で、事業運営する側として反省をしております。そして、この期において、グループホームが変わろうとし始めた今を好機として、もう一つのステップを踏み出せるよう努力したいと考えています。三度の食事を業者委託することに変わりはありません。今までどおり、月に一回だけでも利用者の皆さんと楽しみながら献立を考え調理する日があるだけでも良いと判断しています。しかし、今年の目標は、それ以外の時間を持て余すことなく有効に活用できるよう支援する。そして、少なくとも昼間、病気でもないのにベッドに寝ていることの無い様な支援を心がけたい。其れで居て、ただ単に毎日の入浴だけが取柄とならないように努力したいと考えています。9人の方が個別に入浴するためには、少なくとも半日の時間が必要となります。職員にとっては半日ですが、個人にとっては半日のうち入浴している時間はわずか10分程度です。それ以外は、ただ単に待っている時間であってはいけないと考えます。今まで行ってきた支援を見直し、改善できる点は改善し、さらに利用者の方々が生きがいを感じることが出来るよう職員の一人一人が真面目に考える必要があると思います。そして、私はこの方向性を維持するために必要な決断はしてゆくつもりです。
次に、デイサービス事業所に関しては、今までどおり個別機能訓練の充実を目指したい。これまでの機能訓練でそれなりの効果が見え始めてきています。利用者の気持ちの中に「期待感」が現れるようになってきました。しかし、問題はここからです。一つ担当する職員には認識してほしいのは、個々までの機能回復は比較的簡単に実現できます。それこそ、通常の機能訓練を継続すればよいのです。しかし、この先の機能の改善は今までのようには進まないことを充分に職員が自覚していないといけません。これからは忍耐との勝負です。ある程度、機能を向上させることに成功したら、次には利用者の自発的で地道な努力も必要とします。デイサービスですから、この太陽の家から帰ってからの生活も重要なリハビリの一環となります。この間を『沈黙の成果』と呼びたいのですが、同時に職員にとっても遣り甲斐を感じれなくなる時期でもあります。自分の突っ込む努力の割りに改善が見られなくなる時期です。しかし、この時期を疎かにすると将来的な機能回復に大きな差が生じてきます。結果を信じて、ただひたすらとなるかもしれないのですが、地道な努力と忍耐を薦めることとなります。今までのリハビリが機械的な機能訓練であるならば、今後のリハビリは拠りメンタルな、精神的な支援と言えるカもしれません。もちろん、この領域に達していない利用者の方も増加してきます。よって、職員として、同時進行で個別機能訓練を進化させ学んでいかなければいけません。今年は、言ってみれば新たなる改革の年といえるかもしれません。それは、利用者に限らず職員自身のレベルアップを目指すと言う意味においても言えるのでは無いでしょうか。
総体的に、太陽の家は完熟期を迎えようとしています。高齢者介護に長年関与されている所先輩も居る中とても生意気なようですが、少なくとも職員の意識レベルは「完熟期」に差し掛かっていると考えてもらいたいのです。いつまでも教えてもらう受身の体制ではなく、自ら学んでいこうとする姿勢が必要です。昨年で成長した職員は、今年は更なるステップに登ってもらいたいのです。事業所としてもステップアップを目指す年、職員もそれぞれのステップアップを目指してもらいたい。また、職員間の調和に関しても、今ようやく職員の和が成長してきている。この「ハーモニー」を揺るがないモノに変える努力も必要と考えています。まったくの垢の他人同士が太陽の家に集まり、それぞれの考え方も生活習慣も違う中、高齢者介護を目的として集っています。どの様にすれば働きやすい遣り甲斐を感じることの出来る職場にできるか?この長年の私の夢を実現させるためにも、職員全ての協力が必要となります。今年一年を後に振り返るとき、後悔しないですむよう、最初から職員と話し合って、協働に努めていきます。
利用者のご家族は元よりご本人の生きがいを育てること、其の生きがいを糧に第二の人生の花を咲かすことが出来るような支援を行って生きたい。と考えています。利用者の皆さんと同じ時をシェアーする者として、この「時」を大切にしていきたい。
平成23年1月1日 元旦
太陽の家 施設長
玉田 浩一
年末ジャンボもあえなく撃沈! 微かな億万長者の夢を抱き一億円の当たりくじの多く出ると言われる西銀座のチャンスセンターで並んでまで購入した宝くじですが、そこは、やはりはかない夢。また来年もあくせく働く一年となってしまいました。(笑)まあ。考えてみれば、ここで一億円でも当たろうものなら、それこそ自分の人生、どういう風に変わるか・・・知れたものでない。当たらずとも、一億円の夢で心を一杯に膨らませ、今日までの日々をワクワクしながら過ごせたのだから、それはそれで充分元は取れたのではないか?と自分に言い聞かせているような次第です。
さて、今年はどんな年だったんだろう・・・・?と考えてみるのですが、例年同様、非常に激動の一年であったような記憶と共に、何となく平穏な内に終えることが出来た安堵感と矛盾する両方が入り混じった年ではありました。毎年毎年、自転車操業の実情に変わりは無く、今年もやっと超えることが出来た!と言った感はぬぐえませんね!まあ、世の中の経済が低迷している中で、倒産もせずに生きながらえていることは至って良いほうかもしれないのですが、我々にとって一番重要なことは金回りよりも、事故の無い運営が一番重要でも有るのです。事故や事件は、大手の企業の屋台骨をも揺るがしかねない大きな問題として、全ての経営者は慎重になります。特に我々のような高齢者介護の世界では事故や事件は、そのまま即事業の存続につながる大きな問題であるわけです。世間では、グループホームにおける火災事故や高齢者虐待などのニュースが飛び交う一年でした。火事や虐待などの不祥事は、そのまま高齢者の命に関わる問題です。大切な家族をお預かりしている立場では、其の点で、ミスは許されません。自分自身が管理運営する施設から、そのような問題を起こさないためにも、毎月二回の職員研修を繰り返してきて、何とか職員の意識向上と精神的な負荷の軽減を目指してきましたが、研修の効果は意外な方向へ出ているようです。一つは、一部の職員の中で国家資格の取得に向けて目標をもちテスト勉強に意欲を燃やしていること。第二に、グループホームの職員の中で職員の人間関係の改善に努力する風潮が見え始めたこと。第三に、個別機能訓練に対する職員の意欲が利用者の皆さんに伝わったこと。
本当にうれしい話ですが、太陽の家を利用される高齢者の方の身体機能が、素晴らしく改善してきていること。その風潮や流れは他の利用者の皆さんの夢につながり、ご自身の目標に大きく影響を及ぼしているのです。今まで足を引きずり歩いていた利用者が、大きく麻痺側の足を上げて歩行できるようになってきたこと。もちろん、まだまだ杖なくして歩くことは難しいし、少し不安定さは残っています。しかし、ご本人にとっても、はっきりと機能向上を認識できるほどの状態に、やはり他の利用者の同じような悩みを抱える人々にとっては大きな夢となっています。やれば出来る!諦めずにやれば出来る!という気概が膨らんでいます。今年一年かけて、職員の技術もスキルも向上し、その結果、デイサービスの中では利用者のADL向上に大きな進歩が見えてきたことは素晴らしいと評価したいと思います。
この気概を大切にして、来年度は更なる訓練の充実を実施しながら職員と一緒に利用者の皆さんの夢をかなえていける年にしたと思っています。
この年最後のブログとなりました。この一年、私の日常的な他愛無いつぶやきのようなブログを読んでいただいている皆さん。一年間、本当にありがとうございました。来年も本年同様、ブログの更新をマメに行っていくつもりです。なんとか読んでいただくにふさわしい文章を書けるよう更に努力してまいります。また、ぜひこのブログに沢山のご意見や批判をお寄せください。皆さんの声を励みにブログの充実を目指してがんばっていきます。
最後になりましたが、このブログをお読みの皆様に幸多い一年となりますよう心よりお祈り申し上げております。
今日が今年最後のデイサービスとなります。明日から5日間の正月休暇を頂戴します。5日間はデイサービス利用者の方々にとっては非常に長い日々となるのですが、ここは職員さんにも年に一回くらいの長期のお休みが必要であると考えますので、暫くご辛抱頂くこととなります。その点ではグループホームの職員は年中無休の態勢ですから、思うように長期休暇をとれない等の不都合も生じていることも事実です。今特に、出産と腰痛による人員不足が影響して、この年末から年明けにかけて、グループホームの職員さんには苦労をかけています。補充人員を確保でき次第、個々に休みを取れる様努力するつもりですので、後しばらくご協力ください。
さて、デイサービスの利用者の皆さんを今日の夕方に、お家までお送りしたら今年の業務は終了となります。生憎、今年の暮れの天候は崩れやすくて送迎時間に合わせるように雨模様となったり、寒くなったり大変でしたが、何とか今年一年、大きな事故も病気もなく無事に過ごす事が出来ました。利用者の皆さんも、午後からの個別リハビリに意欲を発揮頂き、脳梗塞で半身まひの男性利用者の方を含めて、かなりの機能改善を果たす事が出来ました。特に一人の方は、左下肢の麻痺を克服し、杖歩行まで出来るばかりか、補助さえ行えば太陽の家の非常階段を上り下りできるまで回復されています。一人の利用者の機能回復は他の利用者の希望の火をともし、今では全体的に機能訓練への期待感と機能向上への意欲が増しています。このまま、5日間の長期の休暇の利用者のADL低下に与える影響は無いとは言えませんが、その分、正月明けのサービス提供からしっかりと訓練を繰り返して、この休暇の間のブランクを取り戻したいと考えています。
もう一つ、朝のお迎えから戻ってから運転業務の担当者で手分けして、送迎車両7台の洗車を行いました。鈴鹿降ろしのふきすさぶ中、洗車してもらいました。常日頃より定期的に洗車は行っているのですが、やはり屋外の屋根の無い駐車場に保管しているので、どうしても埃をかぶってしまいます。車内も清掃して、新年にむけて準備を整えています。後は、明日一日で、玄関周りと、デイルームの窓などを洗ってしめ縄を飾る。そんな正月準備を行います。
まあ、そんな訳で、暫くの間ですが、太陽の家デイサービスのデイルームから大声で笑う利用者の皆さんの笑い声が消えます。そして、正月明けの4日から、また利用者の皆さんの笑顔と話し声が戻ってくるまで、ひとやすみ!とさせていただきますね!
クリスマスも、これと言って特別のことも行わず、ただじっと家にいて食事を普通のように摂ってテレビを観て過ごした。そんなクリスマスが過ぎてしまえば、正月までのカウントダウンとなり、毎日がせわしく、仕事だけでなく、一年の締めくくりのための大掃除や正月準備が同時進行で開始される。こうなると、一年の最終は非常に足早に過ぎ去っていくものなんだ。そんな中、今日の夕食後にNHKのBS放送でハイチのストリート・チュルドレンのドキュメンタリーをみた。ハイチのストリート・チュルドレンの二人の兄弟の10年を取材したものだったが、同じ人間でありながら肌の色が違うだけで、生活の違いを目の当たりにして驚愕と悲しみを感じた。
見る者の気持ちを重くする映像であった。以前にも、このブログで触れたことがあるが「貧困の連鎖」そのもので、数世代前は奴隷として植民地につれてこられた黒人社会の貧困が、さらなる貧困を生んでいる。国としての社会保障も無く、全てを自分の力で生きながらえなければいけない人が、この世の中に存在することは驚きである。富裕層の食べ残した残飯を、ゴミ処理施設で奪い合い、力で奪った残飯を頬張る子供たち。小高い丘の上に建つ豪華な屋敷と、その丘のふもとにひしめき合うスラム街。この街では1%の富裕層が国土の半分の土地を所有しているらしい。残りの半分を99%の住民が暮らすわけだから、自然と一人の占有できる面積は小さい。おまけに主だった産業も無く、就労することも困難な社会ゆえ、日々の糧にも困窮する毎日である。所得も無く、家計は苦しく、満足な食事どころか教育すら与えることの出来ない過程では、生れ落ちた子供を邪魔者扱いする親が多く、虐待や暴行が横行する。そんな家庭に居ても、生活していける希望も無く、こども達は家を出て路上で生活するようになる。
そんなストリート・チュルドレンが生きていくために、安い手間賃で洗車をして金を稼いだり、露天商を始めたりといろいろ知恵を働かせて生きようとする。上排水設備も整っていない国であるから、飲み水も満足に手に入らない。排水の一部を利用し生活用水として再利用するレベルである。衛生管理の行き届いた日本の社会で慣れきった我々のような人間が生活するには、毎日が下痢と嘔吐の連続であろう。それよりも何よりも、廃棄処分された残飯をより分け、熱も加えず、そのまま残飯を頬張る若者の映像には、強いショックを感じた。私達の社会は、なんと裕福で豊かな生活なんだろう!と・・・
時折、ユニセフから寄付を募る手紙が送られてくる。僕は、今までそのような郵便物を信用していなかった。寄付したところで、それらのお金は直接必要としている子供達には届かないような気がするからだ。ハイチに限らず、上で苦しむ人々に救援物資を届ける映像は良く見かける。しかし、どの映像も、救援物資が公平に分配されているわけではない。ここでも弱肉強食の社会が存在し、力の強い者が奪い取り、弱者には何も残らない。そんな映像が紹介されることからも、寄付する意味が見出せないで居る。しかし、今回のハイチのストリート・チュルドレンの情景を垣間見て、充分すぎるほど栄養過多の自分の食事代の一回を抜いてでも寄付すべきかもしれないと感じた。
肌の色が黒いという意味は、日本のような平和社会にとっぷりと浸りきった国民には理解できない辛い、厳しい、超えられないジレンマが存在するのだろう。この自然界で一番残虐な動物は人間であるといわれる。其の言葉の通り、同じ人間同士が、権力と富を求めて殺しあい、肌の色や種族によって差別しあう。本当に心をもった動物とは思えない社会が人間社会のようである。
流石に、今日のブログは内容が重かったようである。しかし、時にはまじめに人間を考える場も無ければ・・・それでだって単純で安っぽい同情心で物事を一方向でしか見れないのだから・・・・