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ブログ-施設長の部屋

2010/11/9
最近、広がりつつあるブログ読者の輪

 ひと昔前のはやり言葉で聞いたことがある「わ!」ですが、最近、特にこの施設長の部屋を読んでくれる人々に驚かされることがある。つまり、予想もしていない場所で、ブログのネタを振られることが時々あってビックリするのです。どこのルートから、このホームページに到達したのか不思議に思うこともしばしば・・・・やはり、色々な人の目に触れる機会は多いんだ!と改めて感慨深く、又同時にこのブログの影響力も侮れない気がして、一瞬恐怖すら感じてしまう・・・・

 さてさて、ブログネタはともかくとして、今日、地元の中学生の職場体験学習として二名の生徒が太陽の家にて、介護の仕事を体験している。ここ何年か、地元の中学から生徒たちが職場体験という実習を行っている。毎年、色々な中学生たちが色々な職場を三日間体験してるようだ。その実習生たちを見ていると、とてもしっかりとして大人顔負けの中学生で、対応する我々のほうが、普段から腑抜けた仕事をしていると反省しなければいけないほどの子供たちである。まあ。もちろん、学校の先生方が、話し方から全てのマナーを教えているから出来ることではあると思うが、それでも、人生経験が未熟な分だけ、真摯に職場実習に入ろうとする分、中途半端は中年男性を面接しているときよりも、立派な態度である。

 片や、学校内のいじめがあって自殺した女子中学生のニュースが報道される。何が大きな原因かは想像でしか言えないが、話を聞いて感じることは、「命」の軽さのようなものを常に最近の若者から感じてしまう。自分の命も軽く扱える若者たちは、他人の命(それは動物であったり、人間であったり)さえゲームの一部、ゲームの延長線上のアバター的な捕らえ方をしてるように思う。今の若者にとって、人間として、若者としての自分や周りのものに対するイメージ像は、年代に関係なく偉大であったり、崇高なものであったりする。自分のアイデンティティーを重要視し、自分自身を追い求める姿は一昔前の自分たちの世代と同じである。私たちの時代は、安保闘争の時代を過ごした若者が、大衆的人格を否定し、個別性とオリジナリティーを求めて反発していた。今の若者も、こと個人の人格と言う点では、昔も今も大差ないということであり、そこで大きな違いは、今の若者が「命」はリセットできるものと勘違いしていることであろう。モノの命が、映画の中、ゲームの中では簡単にリセットできる。自分にとって不都合となれば、いつでも全てをリセットして、やり直しが可能であると錯覚している点がおおきな違いであるように思う。

 話は脱線したが、今、太陽の家で職場体験を実践する負たちの中学生には、そのような「命」の軽さは感じることなく、もっと煮えたぎるよな熱い熱意を感じる。この子達には、どんな将来が待っているのか?私たちの中年の感性で捉え、評価すると高得点の中学生たちも、其の多くが私の言う「出来ない奴ら」だとするなら、出来ると判断される者たちが少数派となってしまい、それこそ苦労を背負い込まなければいけなくなる世の中だとしたら、馬鹿らしくて仕方ない・・・・と人生を諦めたくなってしまう・・・・・。

2010/11/8
禁煙を医療的支援に頼るふがいなさ!

今日、一ヶ月前から予約を入れていた医療機関で、ようやく禁煙への第一歩を踏み出した。禁煙に切っ掛けやら、タバコを止めてしまうと、どんなストレスを感じるのか等カウンセリングを受けて、今日の午前中の全てを費やした。病院から帰って夕食を食べて早速、タバコを一本吸った。笑えるでしょう!禁煙外来で半日費やして、それなりにお金を支払って、それも意味無く2本も吸ってしまいました。

 タバコに対する依存症を断ち切ることは、非常に厳しいものがあり、特段、体に振るえがくるという症状こそ無いものの、長年の習慣から一定時間の周期でタバコを吸いたい気持ちが持ち上がってくるのです。カウンセラーは、この依存する気持ちは、ニコチンが大きく作用し、脳内のドーパミンの欠乏から来る精神的な落ち込みから来ると言うメカニズムを知れば禁煙は守りやすいと話しているのですが、まずは、今日一日、一本吸おうが20本吸おうが、その意味は同じと言う点から考えても、禁煙外来を頼りながら、何たるふがいなさ!! これで本当に禁煙する気持ちがあるの?と自分を疑いたくなる。

 しかし、僕の中には言い訳が沢山用意してあって、例えば、太陽の家の職員と喫煙所での会話を楽しみにしているので、其の場所に赴く理由がなくなることは辛いですね。禁煙することから職員とのフリーな意見交換の場をなくす事となるのですから・・・・・

 また、禁煙のイライラが及ぼす施設長としての決断や判断のミスを誘発するかもしれない点が不安ですね・・・・・

 またまた、せっかく購入したライターのコレクションが無駄になります。また、今、ほとんど満杯に近く残っている葉巻がもったいない。全てがパーになります。この葉巻は一本2500円、後24本残っています。(実際は、アメリカで購入してるので、1万円程度ですけどね・・・・)

それに、タバコやめると太りますしね!これ以上太ると、持ってるズボンがはけなくなりますね。つまり、また新たにズボンを新調しなければいけない。それこそ余分なお金が必要となります。

 こう考えていくと、今回の禁煙外来で使った4000数百円のお金をボツにしたほうが、今後必要となる余分なコストに比べると遥かに被害金額は安くなるという理屈が成り立つのです。こうやって、愚かにも禁煙を続ける意志の弱さは適当に理由を並べ立て、自分自身の保身のための言い訳をいっぱい、用意してしまうのです。

 玉ちゃんの禁煙、危うし!です。( 初日からこれですよ! どうよ?これ!)

2010/11/5
今日の驚き。

今日は書房本部からの立ち入り検査やら打ち合わせやら、朝からドタバタの連続で、先ほど打ち合わせから帰って来たばかりなのですが、その帰宅途中に農道の見晴らしの良い交差点で信号待ちをしてる私の前方から走ってきた車が、そのままノンストップで信号無視。若い男性が信号待ちしている私の方を睨みつけながら、如何にも「アホやな!おまえ!」と言わんばかりな顔で通り過ぎてゆきました。赤信号を確認して停車している最中の出来事ですし、車の往来も多い交差点での出来事で、交差する側のそうおこう車両の運転手も唖然とする状態。何だかな~、正直者がばか扱いされる世の中ってどうよ???って怒りが吹きあげてきたのですね。 こんな連中が車を運転しているのですから事故もへりません。僕も道路法規を完全に守っていると胸を張る事は出来ませんが、しかし、信号無視した罪の意識を捻じ曲げて、信号待ちしている相手を睨んで行くな!と言いたいですね。

そう言えば、最近、美容院でも訳の分からない苦情と言うよりも怒鳴りこみが急増しているらしく、対応に苦慮しているようである。モンスターペアレンツと言う名称も良く聞く言葉ですが、世の中では、自分にとって不都合な些細な問題に対しても怒鳴り散らした者が勝つという風潮はいかがなものかと思うのです。家族関係、社会的な立場、財産や資格など、失うものは多いはず。ましてや社会全体で地域密着思考が強くなり、地域との連携と絆を重要視する中で、自分の権利と主張を最前列に何が何でも置いときたいという輩が増加してきている事は、殊更世の中を住みにくい世界にしているように思います。

これらの点に対する予防的処置として個人情報の保護が言われているとすれば、これは、更に人間関係を希薄な物にしていくデメリットではないかと考えるのです。どこの誰とも分からない、どうせ分からないのだから高圧的で理不尽な事柄も、声を大きく叫んだ方が勝ちと言う社会には閉口してしまうのです。これらの行動には幼少時代の教育と躾が大きく影響を及ぼします。また家庭環境も子供に与える影響としては、将来的に物事をいびつに取り込んでしまう。そんな影響力がある事を若い両親は、特に考えていてほしいと思うのです。

2010/11/4
時にはブログを職員に書いてもらうと言うアイデア!

 最近、自分自身を見直し始めて、同様にこのブログ自体もマンネリ化してきつつある。其の中で、とても面白いアイデアを思いついた。と言うより、以前から、ある職員には勧めていたが、なかなか実現しないで居る課題があった。それが、職員によるブログの執筆である。ブログと言うから書きづらい。職員のつぶやきとして書いてみれば、何のことは無い!ってもんだ!(と、自分自身も、最近ブログを書くのに青色吐息な状態なのに・・・・って叱られそうだが・・・・)

しかし、職員の目から見る太陽の家って、僕とはまた違った視点から見えているはず。また、利用者の皆さんへの気持ちの面でも私とは違った想いを持っていることだろう。皆が違った考えを持っていたとしても、それは当然のことで、この仕事を選んだ切っ掛けもそれぞれ違うように、介護にかける気持ちもそれぞれに違いが有るはずだ。良い悪いは置いといて、自分の思う気持ちを書いてみれば、意外と面白い結果が見えてくるやもしれない。

また、僕は、この太陽の家を職員と一緒に完成させたいと常に願っている。職員と共にというとおこがましいが、実際に職員のやる気に支えられながら運営を継続している。言わば、職員あっての太陽の家であり、主体は職員なわけさ!(この文章を読んで、きっと職員は言うんだろうな・・・・嘘ばっか!と)まあ、しかし、今まで僕が言ってきたことも、まんざら嘘ばかりではないことは、当の職員さん本人が一番良く知っていることと思う。そして、職員の率直な呟きを書いてもらうことによって、このブログを読んでいただいてる世間の人に、太陽の家は、本当に健全な施設であると分かってもらえることと思う。

 一人の職員でブログを完成させることが困難であれば、複数の職員のつぶやきばかりを特集で組んでも良い。例えば、フロアーリーダーが数行つぶやき、また別の職員が数行つぶやく。それらの個々の呟きを掲載する。職員のつぶやき特集ってとこで・・・・いかがかな?

 明日にでも、何かしらの呟きが届くことを期待して今晩はゆっくりと眠ることにしよう・・・・!

2010/11/3
今日のお気に入り動画

ブラジルのリオデジャネイロにある石造の大きなキリスト像については、行った事は無くとも色々な観光パンフなどで、何度も目にしている有名な石像ですが、今日、インターネットのユーチューブで紹介されていた画像が、非常に印象的で、ぜひ皆さんにも見て頂きたいと思い掲示します。

リオデジャネイロのキリスト像は、昔の映画で非常に深く記憶に残っている映画があります。シドニーポアチエと言う有名な俳優が主演していた映画ですが、残念ながら映画のタイトルは忘れました。この映画の中でも、貧困にあえぐブラジルの人々の唯一無二の信仰心のシンボルとでもいえるような、山の頂上にそびえたつキリスト像が印象的でした。スッとまっすぐ立ちあがるキリスト像は、大きく両手を広げ、色々な苦しみを抱えた人々を何も言わずに受け止めてくれるような力強く、そして揺るぎない安泰を与えてくれそうなイメージが伝わってきます。

そのキリスト像が、この動画の中では人々を抱擁するように手を曲げて包み込んでくれる画像です。もちろん、目の錯覚でも無く、実際の石造が動くわけは無いのですが、演出が上手く石造の大きさに合わせてコンピュータグラフィックスの画像を石造に投影し、その画像が暗闇の中で手を曲げ、抱擁しているように見せているのです。

もう11月となり、もうすぐクリスマスがやってくる今、南半球のリオデジャネイロは日本と反対の気候です。冬に入る日本、これからが夏のリオデジャネイロと、全く違った環境ですが、人々の信仰心をあおると言うか、キリスト教信者で無くとも同じような感動を与える素晴らしい演出であると思いました。

 この特殊効果にいくらの費用がかかったのか分かりませんが、この演出を生で見た人々に与えた感動を想像すると、費用の問題ではないように思えるのですが・・・如何でしょうか?日本でも、このように人々に感動と喜びを与えることのできる演出をもっと色々な地域で実践してもらえれば、国民の文化的意識の高まりが期待できるのではないでしょうか?

Projeção do abraço do Cristo no Rio, de Fernan…

※動画は二分ほどの映像ですが、キリストが腕を曲げるのは最後の方です、諦めずに見てください。


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