2024年も年の瀬となり、いよいよ信念を迎えるための準備に入ろうとする今、
太陽の家は、全体的に大改修工事を行っています。
今回の改修工事は、外回りだけでなく内装の改修も行っています。
通常の高齢者介護事業も運営しながらの改修工事ですから
作業をしてもらう業者さんには、いろいろと無理をお願いし
夜間の工事や日曜日の工事などのご協力をお願いしております。
今日は一階のデイルームの天井のクロス張替え、一階フロアーの張替え、一階浴室の脱衣場の床の張替えと
大勢のスタッフさんにお越しいただいての複数個所の同時進行です。
さすがにプロだけあって、作業が早いし、確実。
私たちも介護のプロとして、これくらいのプロ意識をもって仕事をせにゃあかんね!と改めて思ったところです。
うちのグループホームのお話。
この女性は、典型的な認知症の高齢者で、記憶と見当識に障害を抱えている。
円背による前屈姿勢ではあるが、さっさと歩く。
自分で物を伝うように、さっさと歩く。
入居して6年。さすがに近年では歩行も不安定となり
時折、転んだりを繰り返している。
転倒は介護職員の悩みの種であり、介護するうえで一番の課題として恐れている事故の一つである。
さて、この女性だが、施設内の他者の居室に敷いてある畳の部屋に入り込むことがある。
他室訪問と言って、これも介護側からすると避けたいリスクの一つ。
居室の入居者からすれば、断りもなく他人が部屋に入ってくるのだから、当事者としては困ってしまうのも当然。
さて、他室訪問は今回の話題にはわきに置くとして。
ここで問題となって職員の中でも話し合いが行われたのことがある。
それは、他室訪問する女性利用者の部屋に畳を敷いて、畳の生活に変える是非についてである。
この女性、畳の部屋で座り込むと、自力では立ち上がれなくなってしまうのである。
下肢筋力の問題と円背による前屈姿勢を原因としてか
畳の部屋でゴロゴロするばかりで、起き上がれない。
この起き上がれない状態は『身体拘束』にあたらないのか???といった疑問が出てきた。
当然ご本人の意思に反して、介護者が立ち上がりの支援もせずに放置することは
身体拘束の中のネグレクトにあたる。
しかし、床でゴロゴロしていると店頭の危険性はない。
まさしく両刃の剣である。
そんな職員の疑問点が、昨日、僕の耳に入ったわけで
私なりの意見を伝えなければならない。
そこで、私なりの意見として、どちらを優先するにせよ
畳の上で起き上がることもできなく、ゴロゴロを繰り返さすって、
その人の自由を奪うことだけでなく身体機能の低下に結び付かない?という点。
いつも職員にお話しすることに、自分が年老いて認知症を患ったとき
歩きたいときに歩いて、どこかに行きたくなったら歩き始め、
何かを食べたくなったら冷蔵庫をあさり。と、自由に、気のまま、
こけることを苦にして動かさないより、自由気ままに動けることを望む!と思うのです。
畳でゴロゴロも最初は気持ちいいかもしれない。しかし、
時として尿意をもよおした時どうするのか?
円背があって天井を見て寝っ転がることができず、横向いて寝て何の楽しみがあるの?と考えてしまうのです。
出来れば定期的に立ち上がり訓練や、歩行訓練をやってくれるなら良いけど
そのまま放置され、食事時となってようやく車いすで迎えが来る。って生活はご免こうむりたい。
僕はそのように思うのです。
いつも働きっぱなしで健康な人たちにとって、一日の終わりに横になって体を休めるための畳ってのは最高だ。
しかし、毎日、何の目的もなく横になっているのは、完全に職員の都合によるものだと思う。
一昨日の水曜日より、丹野智文さんと共に尾鷲市の熊野古道センターにて
認知症当事者の映画「オレンジランプ上映会」、丹野さんの講演会「認知症とともに生きる」
そして、認知症カフェに参加した。
丹野さんは、この日のためにお一人で仙台から列車を乗り継いで白子駅まできていただいた。
白子駅でお迎えし、夕食を共に摂らせていただいて一泊。
翌日に、車で尾鷲市の熊野古道センターにて映画上映会、講演会と認知症カフェに参加いただき
ハードスケジュールの中、非常にエネルギッシュに活躍していただいた。
今回のイベントは、一般社団法人三重県地域密着型サービス協議会主催で開催され
尾鷲市の包括、社協、尾鷲市の行政担当者の皆さんのお力添えで100名近い方々に参加いただき
盛大に開催された。認知症当事者の丹野さんを囲んで、市内の認知症当事者の方々の
悩み事や相談を受けていただき、いろいろなアドバイスやヒントをいただいた。
丹野さんの関わる仙台の認知症当事者の会では、要介護4であり年齢も90歳の方々でも
しっかりと自分の想いを伝えることができることを映像で紹介している。
認知症ケアを実践する私たち介護のスタッフとしても、いかに普段から認知症ケアの名の元
その人の想いをくみ取っていないかが、よくわかる。
自立支援と言いながら、まったく自立支援となっていない現状に警鐘をならす
久しぶりの「おしっこ」の話題です。
その後の認知症の人はどうなったのでしょうか?
その後、主治医の先生から何の手立ても支持もないまま今に至っています。
かろうじて泌尿器科を受診することはできたのですが、泌尿器に問題はないと診断され
今なお、同じようにトイレへ行きつ戻りつを一日中、繰り返しています。
ご自宅においても同じようで、ご家族も特に静止することなく本人さんの意思に任せているようです。
もちろん、当事業所においても同じくで、ご本人が行きたいなら行ってもらう。
毎回、トイレへの案内は必要ですが、今のところ場所さえ教えて差し上げればご自身で処理されています。
さて、この方の過去の生活歴を考えてみると
ご夫婦で生活されている中で、すべての決定権はご主人にあり
ご本人はすべての指示に従って日々の生活が成り立っていたようです。
要するに控えめで、それでいて頑固な一面も持ち合わせている方。
ご主人を亡くされ、独り身となった今、毎日の生活に迷いや葛藤がありそうです。
この迷いや葛藤は、ご本人の心の中で不安感となってくすぶり続け
その不安感が唯一癒される場所として『トイレ」が存在するのではないかと私は考えています。
一人になれる場所ではなく、おそらくですよ・・・(素になれる場所として)トイレがあるのかもしれません。
それでは、自宅や施設の中で巣になれる場所を、どのように提供するのか・・・
その一つの方法として、昔なじみの家具と部屋ってのはどうでしょう?!
認知症グループホームでは、入居の際に、過去に使ってみえたなじみの家具を持ち込んでいただくことを勧めています。
まったく同じ環境は無理としても、なじみの物に囲まれて暮らす日々は
少なくても味気ない白い壁紙の貼られた個室より、心安らぐこととなりませんか?
ナンスタディという研究発表からも理解できるように
なじみの行動や同じルーティンの生活環境においては
脳に器質的変化があったとしても、それまでと変わらない生活が送れた。
そのような報告もあります。
認知症とならないために、常に刺激ある生活を!ではなく、
それまでの「普段の生活」をどうやって維持させてあげるか・・・が一番大きな課題と思います。
ナンスタディに興味ある方は、ネット検索で「デヴィッド・スノードン又はナンスタディ」で検索してみてください。
アルツハイマー型認知症とその原因究明に協力した修道女たちの研究結果を知ることができます。
認知症道中膝栗毛もいよいよ90話を超えてきた。
もっとまじめに力入れて書き込みしていれば、もっと早くに百羽を超えていたことと反省している。
さて、今日のお話は、医療と介護の連携が、なぜ認知症ケアに重要であるかについて触れてみたいと思います。
私の事業所では、インターネットの専用ソフトを使って主治医とつながっています。
メヂカルケアステーションの名称で、多職種の方々が加わるネットワークですが
薬剤師、機能訓練士、看護師、訪問介護看護の担当者を含め
その人に必要な社会資源が加わっている中で情報を共有しています。
認知症と言っても、いろいろな原因疾患があり、それぞれの疾患による独特の諸症状が表出されます。
行動心理症状(BPSD)に対しても、情報を共有する中で、今服薬しているお薬の調整が症状の緩和に
とても重要な場面もあり。そんな時に主治医の指示に従いお薬を調整していただくこともあります。
また、薬剤師の方々には、出現するいろいろな課題に際し、漢方薬をすすめていただいたり、
私たち介護の現場の状況を、我々ではドクターに伝えきれない部分(こんなことあってはいけないのですが・・・)
薬剤師の先生からドクターに補足説明を行っていただくこともあります。
認知症の人の困りごとは、ご本人では解決できない場合が多く、
大半の人が、認知症の人特有の不安感に苛まれながら、その感情の変化を適切に家族や介護者に伝えることができないのが
一番おっきな課題となっています。
この課題を、細かな情報として多職種が連携することで解決できることもあります。
文殊の知恵!と言ったところですね。
家族さんにしても、常に認知症の本人と四六時中、ともに見守ることはできません。
しかし、部分的にも関わる者同士が、その時の情報を共有することで
実態と課題が見えてきます。
情報共有と多職種の連携、特に医療との連携は、認知症の人の安泰な生活維持に欠かせないものです。