今日は、施設のレクリエーション会議が開催された。次月からの大きな行事を話し合う場である。レク担当委員ってのが集まって色々と話し合うのだが、この中における施設長の意見ってのが大きく取り上げられてしまう。もちろん、正論である。施設長である以上、正論を述べるのは当然であり、それなりに多角的に物事を見ながら判断した結果を話しているのだが、果たして、それら正論が全てなのか?と言えば、決してそうとは言い切れない。 なんせ、相手は色々な身体状況や精神状態の課題を抱える高齢者のこと、概して正論とは毒にも薬にもならない、言うなれば「安全策」という中途半端な道を行く危険性をはらんでいるものだからだ。こう言う書き方をすると、自分で自分の意見を否定して居る様にも聞こえるが、単純に否定しているわけではなく、出来れば職員さんにもっと考えてほしいと願っている結果である。
そういう意味で言えば、施設長の意見と言えども、会議の場で納得いかない場合は、徹底的に(時間的に無理であれば、日を変えても)逆に施設長を納得させるだけのおまけを付けてしまえばいいわけで、なにも施設長の一言で、全てを覆す必要は無いわけである。
僕は、常々、主任介護員に意見を求めるようにしている。意見の時もあれば、彼女の考え方を参考にさせてもらう時もある。これは、介護主任に限らず、事務長でも管理者でも同じで、僕自身の判断材料とするために色々な意見を集約しようとしている。レク会議での僕の発言は、参加者の考え方や対象への思いの深さを感じ取る場であると考えている。
ある退職した職員が言った言葉に、施設長は自分のブログを使って職員に指示を出している。とあった。僕は、このブログを使って職員に指示を出した事は一度もないと思っている。僕はあくまでも自分の考え方を述べ、それを読んでくれた職員さんが、自身で考え、結論を見出してくれるように期待しているだけで、言ってみればアドバイスと言うものと同じと考えている。
ただ、絶対に考えてほしいのは、私達の行う介護や行事は利用者の為にあるべきで、施設長を納得させるために考え、検討されるものではないと言うことである。施設長として、利用者の皆さんのために有益であるならば、どんな企画でも賛成する。そして、そこに必ず全職員が同じ方向をみて、同じ情報を共有し漫然として行動を実施できることが不可欠であるが・・・。
テレビやネットで評判の某メーカーのコーヒーマシンを導入した。
失敗した!
まずかった!
誰か、ほしい人には販売しますよ!
ってわけで、今回4月いっぱいは表示価格よりも安く販売すると言うCMに踊らされて、ネット販売を利用し、さっそく昨日、日曜日に商品は届いた。もともと、僕はコーヒーはあまり飲まない方で、それ程の必要性を感じていないものだったが、職員さんを始め利用者の方も結構コーヒー通の方が多く、まあ、この程度の価格なら買ってみてもいいか!!!という安易な気持ちで購入を決めた訳です。一夜明けた今日、さっそく事務所で開封、試しにコーヒーを入れてもらった。
・・・・・・・・?ってのが,正直な感想。また、これで倉庫の肥しを一つ追加してしまったようである。
今日夜中継映像が全世界に配信されたイギリスのロイヤル・ウエディングを皆さんはどのように見られましたか?
僕は、結構、気持ち良くイギリスの王族の結婚式を観ていました。僕は右派でも左派でもなく単なるミーハーなオッサンかもしれないので当然かもしれませんが、このような結婚式に対して税金の無駄使いだとか、この景気の低迷期に・・・とか思えないのです。逆に、日本の場合、あの大震災の被害者が今も重い空気の中で毎日の生活をギリギリおくっている時だからこそ、このような国を挙げての盛大で華やかな結婚式を実施する事で、平民である我々にも大きな夢や希望を与えてくれる材料になっているように思うのです。
ただ僕だったら、あのような多くの人の前で結婚式を挙げる緊張に耐えきれないとは思いますが・・・(笑)また、世界的にも著名な人に囲まれながら主役を演じきる王子とケイト嬢の姿を見ていると、本当に素直に「おめでとうございます!」と言いたくなるのですが、僕と同じようなミーハーな大勢の観衆の歓喜の声がテレビ中継から溢れてくる状況をみてても、やはり多くの人達が手放しで祝福している姿が理解できます。
このウエディングから、イギリスの歴史を見る思いがしました。日本の皇室の結婚式とは違って、やはり古くから王室を維持してきたヨーロッパの大国に守られてきた伝統と文化、過去には辛い歴史も抱えながら今なお国民の象徴として愛され続けているロイヤル・ファミリーの偉大さを感じていました。
明日から、世に言う「ゴールデンウイーク」がスタートする。今日の市内の銀行には、本当に沢山の人が訪れていた。ATM利用者も多かったが、窓口に並ぶ人も多く、資金移動を目的に窓口に行った僕は、その待ち時間の長さに辟易としてしまったくらいである。日本の国民性か、皆がこぞって同じ日、同じ時に休みをとる。それが、海外のように感謝祭とクリスマスの時くらいで、それも長くて一日から数日の短いお休みの場合は許せる。しかし、日本の場合は、大型の連休を容赦なく皆が取ろうとする社会では、一部の休みを取れない者と取れる者との格差が大きくなりすぎる点、問題だと思う。特に高齢者福祉に携わる者にとっては、長期の連休でも利用者は存在する。休みがほしいけど、自分だけが休むわけにはいかない。しかし、子供を預かってくれる保育所も休みとなってしまえば、年寄りの世話なんてしてられない!
休みをとれない人とは、高齢者介護に携わる者だけではない。サービス業もそうであるし、観光で生計を立てる者も同じである。また、農家の人も、この時期には通常だと田植えの準備で大忙しの日々なのである。
そうだ、いっその事、皆がバラバラの時期に適当に自分なりの休暇をとるようにすればどうなんだろう・・・・?観光地で渋滞や人の渦に押し流され疲れるだけの行楽も少しは緩和されるのではないだろうか?今の日本では、休みを取れる家族は、逆に疲れを倍増させるだけの行楽に翻弄されてしまっている。せっかくに息抜きが、息抜きどころか逆に疲れ切ってしまう家族奉仕の辛い日々としかなっていないのではないか・・・と思っている。
サマータイムを導入し、日没時間を遅らせて、ゆっくりと家族で関われる一日を大切にできる環境を整えていけば、もっともっとスポーツも文化も盛んになってくるのではないかと思う。
何だか仰々しいタイトルの出だしとなってしまいましたが、これは、うちの太陽の家のデイサービスの午後のひと時、ほんの少しの時間ですが、職員が持ち回りで利用者の皆さん全体を体操や歌に誘う時があります。それぞれが色々な情報を集め、その日に一番旬な話題をもって、利用者の皆さんの興味をそそる時です。大体のパターンがあって、お昼御飯の献立の話題や、過去の今日起きた事件やトピック等を話します。その中で、時々、僕が飛び入りで参加する事があるのですが、この時に、ある職員さんは自分の想いとは違う方向へ話題がそらされたり、思ってもみなかった話題が出てきて対応に苦慮する時があるようです。
そりゃあ、そうでしょう。私が担当者だとしても同じように、話の歩調を合わせることに悩むと思います。職員さんは、本当に困った顔をする時もあります。僕が一方的に話題を振って、それに上手く対応できなく目を白黒させながら、黙り込んでしまう職員さんも居ます。この瞬間が僕は非常に楽しいと言うか、生きがいを感じるときでもあります。そして、利用者の方々も、そんなトンチンカンな二人の話に笑顔で答えてくれます。これは、年寄りなりの気遣いで笑顔を振ってくれているのだと思いますが、それでも、いつもの同じパターンで始まっていく午後の時間を、少しだけ雰囲気を切り替えて、昼食後の一番眠くなる時間帯に目覚めてもらえる瞬間かともおもうのです。
時にはちょっと意地悪に、職員さんを困らせたり、時には年寄りにゲキを飛ばしたり、時には神妙な話をしたり。僕が期待するのは、その時の場の雰囲気をどのように調整するのか?を第一番に考えています。今、この人たちは、どのような気分で座っているのか?これからの時間をどう過ごしたいのか?を読み取って、何とか利用者の人達の午後の覚醒に向けて役に立てれば良いなあ!と思いながら話を進めています。
何でも良いのです。僕との話に協調性がなくてもいいと思うのです。お互いに別々の話題について話をしてたとしても良いと考えています。僕は、この瞬間に年寄りが何かしらの期待を持って見てくれれば、それで目的の大半はクリアー出来たと思うのです。自分が年老いて、デイサービスのフロアー座る時。これから何をやって時間を過ごすのか?帰宅時間までの間、ただ単に時間に埋もれているだけなのか?と不安な気持ちとそれこそ期待薄い、面白みに欠ける時をどうするのか?そう不安になると思うのです。僕は、いつも言うように、年寄りの一番の問題は「不安感情」だと思うのです。何に関しても不安な気持ちで、感情の半分以上は重く、閉鎖的で、暗い部分を持ち合わせての生活だと思うのです。そんな時、一体何が一番求められるのか?その点を一番重要に考えていかなければ、年寄りの気持ちから「不安」を取り除く(完璧に取り除く事は難しいとは思いますが)事が可能となるのではないのでしょうか?
デイサービスに来て、いつも「今日が最後で、明日からはデイサービスを休ませてもらいます!」と繰り返す利用者が居ます。その人にとっては、ここで過ごす時間は辛いのでしょう。認知症があるから夕方には、自分が言った事すら忘れてしまうから・・・!ではなく、その人でも楽しめる、何か期待できるモノを与えられるデイサービスでありたい。そういつも願っています。うちの職員さんは、僕が飛び入り参加して困惑するのかもしれませんが、そんな事をモノともせず、次の機会には、逆に僕を追い払うくらいの勢いで対抗してもらってもいいはずです。皆さんなりに考えて、機会があれば掛け合い漫才でもやるくらいの闘士をもって対抗してもらえれば、さらに面白い場面設定が生まれるのかと思います。