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ブログ-施設長の部屋

2011/4/12
う~ん、これだけは高齢者をもつご家族にも知っててほしいかなぁ~って

 年寄りってのは、うちの親も含めて子供に当たる自分から言えば充分「大人」であり、自分以上に人生経験も豊かという先入観を持っている。年寄りに対するこの先入観が、結構、高齢者介護の誤解を招く原因となっている場合があるのです。例えば、相手は「大人」だがら、分別も理解力も持っているはずだ!という思い込みで、大した説明と理解も得ないまま子供の勝手に事を進めてしまう事があると言う点です。親子関係の中でも、お互いが若く心身ともに健康な時は、それ程の意思の疎通がなくとも過ぎてしまう問題も、相手に高齢に伴う機能低下など心身機能に低下が目立つ状況下においては、しっかりとした相互理解が伴わないと逆に年寄りには不安感情に大きく作用するようになるのです。

 考えてみれば分かると思うのですが、年取って周りの出来ごとに疎くなってくると、全てを子供たちや後見人に頼ろうとするのが年寄りの特徴である。自分だって体調不良をおこし病の床に伏せる時などは、全ての生活に必要な行動など無視したくなる時があるはずです。細かな事に配慮しながら、只でさえ意気消沈している中で気力を振り絞ることなどしたくは無いですよね。これを「依存的とか、甘え」と言いがちですが、歳をとれば全体的に機能が低下してやるせない日々をかろうじて送っている人も少なくは無い事を思えば理解できるはずです。

 僕が入院中、一番辛かった時間に、手術後に一泊したICUの時間です。周囲には自分と同じよう、またはそれ以上にコンディションの悪い、言ってみれば要注意患者の人達なわけです。突発的緊急時を見守るために色々な器具を体に取り付けてます。それらの機械類の発する音や看護師の動きなどが、如何にも集中治療室的であり、英語で言うクリティカルなコンディションを肌で感じる事となる場の雰囲気があるのです。これが、結構、麻酔から覚めて自分自身を取り戻そうとする自分にとって、不安感を増幅するのです。僕は、ICUにいる間、夢うつつの時間を過ごしながら、文字どおり夢を見ていました。普段見る夢とは違って、形もストーリーもなく、ただ単に閉塞的な夢。と言うより閉塞的感情の固まりの中で苦しんでいた事が思い出されます。この事から、ICUから一般病棟に戻った後も、再手術を受けることへの恐怖とICUに戻る恐怖は(実際は、その必要性は皆無なのですが)付いて回りました。この気持ちは、ぼくにとって、トラウマ的な心的ストレスへとつながっていったのです。

 この症状と同じケースを僕は、在宅ケアの高齢者が極端に自宅から離れることを拒否する行動に見ることがあります。ショートステーを利用しなければならない時。もちろん、ショートステー事業所ってのは、悪魔的支配者による監獄でもないわけで、行政の指導を受けてしっかりと運営されている福祉施設なはずです。しかし、利用者によっては、その人の利用した時の印象が思いの外悪かったのかもしれない。または、普段の自宅生活からはかけ離れすぎている生活であったのかもしれない。いずれにせよ、僕のICU同様、その存在は患者にとって必要不可欠であっても怖いものは怖いのです。そこに戻るには、かなりの勇気または話し合いが必要であると思うのです。それを家族ってのは、結構簡単に決めてしまいがちですし、担当のケアマネジャー自体も、いとも簡単にショートステー利用を一押しの物件のごとく利用を推し進める場合もあります。家族からすれば、どうしても仕方なくショートステーの利用に踏み切っているのですが、そこに相互の理解が伴っていない点が問題かもしれません。

 健康な人には分からない、高齢者の抱える苦痛ってのは、意外と身近な場面でも沢山の苦痛を感じている事が多いのです。それらの苦痛全てを取り除く事は不可能であります。年寄り特有の鬱が影響した苦痛や不安感情に対処するには専門的な知識とスキルが必要だからです。しかし、大半の高齢者の抱える不安感情には、家族のちょっとした言葉かけだけで充分に事足りる効果を発揮する場面も多いのです。健康な家族は一日中働き通しで疲れているから、そんな我儘いわないで!という気持ちはわかりますが、そこをじっと耐えて、年寄りと同じ目線で「辛いな~ぁ、でも、大丈夫や!何にも心配いらへんよ!」の一言で、年寄りの気持ちは随分と緩和されるものです。

 高齢者を抱える家族の皆さん、どうか気長に、過去に血気盛んな力みなぎる大人であった人も歳と共に気弱になり、何にでも不安な気持ちが先に立つようになる。と言う事を意識して接して頂ければ、高齢者にまつわる心的ストレスも、かなりの点で減少するのかと思います。この些細な思いやりを放棄することで、さらなる大きな問題である高齢者の鬱と正面切って対峙しなければいけなくなるのです。

2011/4/11
『ひだまり』 太陽の家発行の機関誌製作へのヒント

ほぼ毎月、発行を実行している我が太陽の家新聞『ひだまり』。利用者のご家族にも評判良く、結構皆さんが楽しみにされているようである。しかしながら、ここに来て、製作サイドの息切れが出始めているようである。毎月発行ってのは、はっきり言って苦しい。写真を載せて紹介文を書いて、紙面構成も行い印刷する。そればかりか、個別に折り畳んでデイの利用者には、利用日に持ち帰って頂けるように配布。グループホームに関しては、月々の請求書に同封して発送する。これを、通常の業務をこなしながら、毎月実施する。僕なんかにやらせれば、一カ月後には発行見合わせだ!

 さて、しかし、そんな否定的な事ばかり言ってはいられんばい! 製作者本人もやる気はある。それなりのやりがいもあるようだ。しかし、そこにアイデアの枯渇が見え隠れしていると言う点が問題のようである。それでは、こんなのはどうだ???って言うアイデアを書こうと思って、今日のブログとした。

①まず、この月にあった出来事や、撮りためた写真を全てレイアウト無視して、紙面上にアップする。レイアウト無視だから、重なろうとちぐはぐなサイズだろうと関係なく、兎に角、紙の上に並べるように置いていく。全ての掲載したい写真をのせたら、そこで並べ替えを行い、削除し、拡大縮小していく。最終的にあいた部分に説明のコメントを書いて終了。

②各フロアー長に相談して、今月記憶に残る出来事を聞く。その話題の中からピックアップして、記事を書き写真を掲載する。

③編集用コンピューターから離れて紙と鉛筆だけを用意。全ての作業を中止して風呂に入る。頭の中から編集業務を忘れる。そして、自分の気に入ったテレビ番組を見てバカ笑いを楽しむ。全てが完了したら寝る・・・・・それで・・・・・その間にひらめいたアイデアを紙に書き取り、翌日の朝、目が覚めて業務に復帰したらメモを元にして作業を進める。寝てる間にメモる事が出来なければ、出来るまで繰り返す。(笑)

④とにかく何もしない。何も書かない。写真もみない。放置する。そして数カ月放っておく。発行を心待ちにしているご家族には申し訳ないが、無視して黙りこむ。すると、数か月しないうちに又新たにやる気が起きてくる。

⑤前月の紙面レイアウトをそのまま再利用する。写真を入れ替え、文言を入力しなおす。

以上の無責任な5つのアイデア。だしてみました。ご検討アレ!

  超無責任な施設長より

2011/4/11
結構、沢山の人がお花見してました。

この日曜日は、いたる所の桜の木の下で家族ぐるみでお花見の実施があったようです。僕も日中、車を走らせて桜の木の下にドット繰り出した人達の姿を見て、少し安心。世の中全体が停滞ムードかと思いきや、そこは堂々とお花見を行っている家族の姿が見受けられたのです。流石に企業関係者が夜桜見物で、酒の力も借りてのドンチキ騒ぎってのは遭遇していないですが、小さな子どもと一緒に家族が陽の日差しの元、ゆっくりとお弁当を広げる姿は、見てても心和む気持ちとなります。被災地の人々には申し訳ないのですが、これくらいの元気印は、逆に被災者を勇気づけるニュースとなる事を期待しています。

 さて、まだつぼみも固い木もあって、まだまだ満開と言うには数日の余裕があるように思うのですが、僕自身は桜吹雪が好きですね。何といっても、体にまとわりつくような花弁の乱舞。この情景をみていると、自分自身が温かな愛情いっぱいに包み込まれるような気持ちになるのです。髪の毛や服の中にも飛び込んでくる花弁は煩わしいようでもあるのですが、年に一回、味わえる春があります。桜吹雪の時って、それ程長くは続きません。だから貴重な瞬間だと思っています。

 この花吹雪、桜以外の花では例えられない様ですが何故でしょうねえ~? うちの敷地の中にマンサクという花があります。結構沢山の花が咲いて、風が吹く度に庭先に花弁が散乱するのですが、「マンサク吹雪」とは言わないですよねえ!音の響きもおかしい。モクレンの白い花弁も風に舞いますが、モクレン吹雪と言うほどの多くは一瞬に散りません。第一、あの大きな花弁が、吹雪のように散る光景って、ど~ウよ???って感じじゃあないですか? 第一、金さんの背中の彫り物がモクレンだったら・・・・笑ってしまいますよね。やはり、吹雪となって一番似合う花弁って「桜」に尽きるのだと思いました。

 この桜、今全盛期に近く、咲きほころんでいます。陽が増すごとに花弁が散りゆき、その内に青々とした新芽が木々を覆う頃となります。どんな環境でも、どんな状況でも、どんなに凹んでいても、自然界は時の流れと共にいつものように再生していこうとします。新たな時を迎えるために、自然は黙々と努力を続けています。私達人間も同じです。自分が出来ることを毎日続けていくこと。とても小さなことで変化は一様にみえない事も、地道に毎日続けることで最終的に大きな変化に到達するのです。折れず、諦めず、腐らずに気長にゆきましょう。

2011/4/10
もう一つ、愚痴こぼしてもいい・・・?

うちの家はご存じのように商業地域内にある。周りには大手のチェーン店や飲食店などが軒を連ねる場所である。当然、夜中であっても人の往来は激しい。車の出入りも激しい。まあ、こんな場所に家を建てなければ、今回のような愚痴は出ないのかもしれないが。なんせ、今どきのバカ者たちは深夜であろうと何だろうとお構いなく、友人同士だろう車が別れ際にクラクションを鳴らしていく。それも、くどく、長く、何度も。普通の神経からすれば、深夜の時間帯に車のクラクションでお互いが合図しあう事は避けるだろうに・・・?

 それとバカ者達の深夜帯のバカ笑いの声の高さ。これにも腹が立つ。昔のブログで取り上げたネタかもしれないが、マイケル・ダグラス主演の映画で、こんな時の僕の気持ちを代弁してくれている映画があった。流石にアメリカだけあって、銃も機関銃もバズーカも何でも手に入り易い社会だけあって、マイケルダグラスは、色々な銃火器を使って、自分の気に障る市民を皆殺しにしていく。決して、お勧めできる正当制は皆無でナンセンスな話ではあるが、ここに至る感情の起伏は理解できる時がある。自分勝手に騒音撒き散らして走り回る暴走族、その族をちょっと離れて後方から赤灯回して追いかける(併走する?)パトカーなんかを見ててもバカばかしくって仕方ない。何だろうね・・・・?これ

 

2011/4/10
またまた、電力行政についての愚痴

今日のBS放送でドイツのある町の太陽光発電についての収録を観た。流石にヨーロッパの中でもドイツは自然エネルギーへの考え方がすすんでいる。日本の行政が遮二無二守ろうとしている原子力発電。東日本大震災の多重災害をみても、何か考え方にずれがあるように思えないだろうか?先進ヨーロッパよりも日本は母性社会の色が濃く、鳴り物入りで政権交代して将来に期待された民主党においても、自民党政権と同じように電力行政の中心に原子力を据えている。

 話は変わるが、昨年末にうちの太陽の家を建てた三井ホームから、太陽光発電システムの営業活動があった。政府の補助金制度が、例の事業仕分けにひっかかり補助金制度の先行きが怪しくなってくる前に、ソーラーパネルの設置を進めてきた。僕自身、石油価格の変動と共に価格返送する電気代に愛想を尽かし、補助金を受けれるうちに設置してみても良いかもしれないと、一応見積もりと対価の償却シュミレーションをうけてみた。早い話、我々のような事業所が設置するにしても補助金額は小さく、おまけに買い取り電力の代金は一般家庭からの買取よりも安い値段でしか買い取れない。結果、事業所がソーラーパネルを設置したとしても、金銭的なメリットは考えられないと言う。それに、設置にかかる費用として、750万円程度の投資が必要となる。補助金をもらっても500万円は持ち出しである。そうして電力の売価と購入価格との差額を考えて、20年かけても設置費用の償却もできないと判明した。 じゃあ、何のために高額の投資をして太陽光のパネルをつけるか?となるわけだが、この点について、その営業マンは、社会的に自然環境について配慮している企業イメージの向上を一番に打ち出してきた。

 今日のBS放送で紹介されたドイツでは、ソーラーシステムの導入後8年程度で、投資額の元は取れると言う。いったいぜんたい、この差は何から来るのだろう・・・・?もちろん、ドイツでは余剰電力の買い取り価格が日本より高く設定されるように法律で定めていると言う。この価格差が償却期間の短縮につながっているようである。

 日本の将来は、全国が東京のようにビルが乱立し、緑も少なく見た目だけ都会の顔を持った町がつくられ、全国津々浦々でマクドナルドを食べ、スターバックスのラテを飲む事ができる姿を近代化と勘違いしているのではないだろうか?

 


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