太陽の家

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ブログ-施設長の部屋

2011/7/9
我ながら迅速な対応!

今朝がたのニュース報道を見ていて、福島県や宮城県の東日本大震災被災地では、この暑い夏の始まりに扇風機が買いたくても店頭には商品が欠品状態で手に入らないらしい情報。さっそく、三重県の認知症グループホーム協議会の会長と話をして現地に現物を送ってあげようと決定。朝から市内の家電量販店やDIYショップを訪ねて、まだ在庫で扇風機を持つ量販店を発見。私の方は10個まとめて購入し、そのまま福島県の協議会へ発送をお願いした。個別に送料が必要で割高ではあるが已む無し。また、地元の人にも扇風機は必要なところもあろうが、取りあえず福島へ送らせてもらった。買占めはいけないのですが、福島県の認知症グループホームに10個送ったところで、焼け石に水状態。必要な施設に配布しても、一事業所に一台が渡るか否か?

そのような状況の中、少しでも暑さに耐えて熱中症を予防できるよう効果を最大限発揮してくれれば、この扇風機の大きな役目は達成されたと思う。今回の物品配送にかかった時間、スピードは我ながら大したものである。と自画自賛!福島の仲間が喜んでくれる顔を想像して、今後の更なる支援を考えていきたい。

2011/7/8
あまりの暑さに雲まで赤色?!

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昔、山谷ブルースって歌があった。「今日の~仕事は辛かった~」から始まる、僕の年代のオッサンには懐かしい歌である。今の時代、労働環境は格段の改善が行われ、仕事は厳しい面を持ち合わせているが、就労時間や業務管理などがしっかりと実施されて労働者は、完全に守られていると言っても良いと思う。僕が日本福祉大学で学んでいた頃、学校の授業でよく取り上げられた映画に「キューポラのある街」がある。浦山 桐郎監督、吉永小百合主演と、その時代の名監督、名優の映画で、内容も非常にストイックな部分を持ち合わせ社会に訴えかける映画である。時代は太平洋戦争後の成長期の日本。まだまだ生活は貧しく労働者の大半は搾取され、人権も大きく抑圧されている時代の背景の中、それらの不当な軋轢に立ち上がる若者の姿を描いている。キューポラのある街は埼玉県川口市の鋳物工場を題材として製作された映画である。戦後の日本の復興、少しだけ裕福になった日本は三種の神器といわれた家電製品を追い求め、安保闘争の時代へと突き進んでいく。日本全体が東京オリンピックの開催や大阪万博に賑わい、古い文化を忘れ新しい海外の文化、様式を乾ききった砂漠に水が沁みていくように社会は急激な変化を生み出した。鈴鹿の町並みも一変した。建物が新しくなり街を歩く人々のファッションも変わった。でも、今日の空の色は、其の時代も今も変わらない。僕が子供の頃、西条(この地)から西をあおげば、三日市の森が見え、空には協と同じような赤く萌えるような雲が浮かんでいた。人間がいくら賢くなっても、不可能を可能とすることが出来ても、自然を変える事はできない。しかし、この茜色にそまる夕焼け空を真っ黒に染めてしまうような変化や破壊は簡単に起こすことが出来る。今の福島県に代表される原発問題と地球温暖化へのCO2排出量の問題。経済活動と自然破壊行動の悪性な連鎖、複雑に利権が絡み合った今の日本社会。ドイツやイタリアのように単純に原発からの脱却は困難なようである。スーパーコンピューターの精度が世界二位では、なぜだめなの?と聞く国だから、節電と強制的な停電の可能性を言いながら、サマータイムの導入にも及び腰の日本。事業仕分けで問答無用の説法とともにすべての無駄を削ごうとした実力があるにもかかわらず、結果的には我々には見えないところで暗躍する陰の力に押さえ込まれて身動きが取れなくなっているように感じる。

今日、東海地方が梅雨明けした。例年よりも早いのはもちろん、降水量も例年よりも遥かに少ない今年の梅雨。さてさて、どの様にこの地方の夏を形つくるんだろう・・・?

 

2011/7/8
深夜の徘徊・・・パート2

今日も徘徊した。それで行き先は? 今日は浜街道を走り四日市へ。夜の10時をまわり、いっぱいのコーヒーを求めて喫茶店を探してドライブする。最近では喫茶店が減った。減ったどころか街中から喫茶店が消えたと言ったほうが近いかもしれない。昔は、辺鄙な駅前にも一件程度の喫茶店は営業していた。また、郊外にも、少し車を走らせると美味しいコーヒーをのませてくれて、ちょこっとだけ新聞や雑誌を読んでリラックスさせてくれる店があったのに・・・最近はこじんまりした喫茶店に変わり、全国チェーンのコーヒー専門店やらファミリーレストランなどが乗り込んできて、市内の小さな資本の喫茶店は、次々と店をたたんでしまったようだ。

昔は、行きつけの喫茶店に朝早くから行っては、モーニングコーヒーを楽しんだものだ。コーヒー一杯に小さなサラダ、ゆで卵、厚切り食パンのトースト付で350円とか・・・・喫茶店のモーニングでたべるゆで卵、コレが結構旨い。コーヒーをすすりながら殻をむいて、塩かけて食べる。口の中でパサつくものの、これが意外と癖になる。それにトーストにべったりとぬってくれるマーガリンの塩加減が程よく感じられる。このモーニングサービスってのは、発祥が名古屋らしい。行きつけの喫茶店にいつものマスターが居て、または何時ものベッピンなママさんが居てコーヒーを入れてくれる。これも日本の文化では無いですか?!アメリカのように座れば、コーヒーポットを持ってきて「 Coffee?? 」ってすすめられるファミレス的サービスとは違って、日本の場合はコーヒー一杯に、それなりの価値観が付随していた。

まあ、だれも深夜徘徊を朝食まで引っ張るつもりは無いし、昔の日本の喫茶店文化を懐かしむつもりはないが、夜は酒!コーヒーは昼!と言った固定観念が夜間の喫茶店の営業を断念させ、私のように酒を飲まない人間の深夜徘徊の行き先が無くなってしまうと言った田舎っぽい現象(?)が発生するのでしょう。そう言えば、喫茶店だけに限らず赤ちょうちんの数も以前より少なくなった様にも感じる。町中の飲食業がすべて低迷し、確実に業績を伸ばしてるのは深夜のコンビニか牛丼チェーンか?と言ったところか・・・? 非常に簡単、安価で味も一定している全国チェーンのお店ばかりに客が集中する理由は今の時代に合致しているのは理解できるが、客が店を育て、店が客を育てる共存のシステムが存在しない田舎ほど食の文化が低迷する理由がここにある。安くて、早くって、安価で、量も多いだけの食事を求め始めると、食事を楽しむ、その喜びを味わうこと無く、単なる満腹中枢を満足させるためだけの固形物の摂取という単純な行為に、人間の生活する意欲やQOLに大きく影響を及ぼす要因がある。

2011/7/7
原発関係のニュースを読んで。

スズキ自動車が、中電の浜岡電発より12Km北にある相良工場のエンジン生産の半数を原発から60Km離れた湖西市移転させるよう調整に入ったそうである。スズキ自動車も原発事故を警戒して、自社のリスク負担の軽減にむけて行動を開始したわけである。流石に福島の東京電力の原発事故被害を考えると当然の決断かとも思える。企業として自社従業員の生活を守ることも大切であり、同時に企業として存続できるようにあらゆる危険リスクを考慮に入れた事前防護策は必要である。

 しかし、スズキ自動車のように資金力に余裕のある大企業であれば、リスク負担の少ない地域への移転も可能ではあるが、それさえも自由にならない零細企業や一般市民は、危険リスクからの事前対策なんて夢のまた夢といった物語りであることも厳しい現実である。家一軒建てることは庶民の高根の花。一生に一度の大きな買い物をするわけで、その自宅を安全圏へ移転させると言う事は、ほぼ不可能な作業である。結果的に、何が起ころうとも自宅のある場所に執着しなければいけない現実がある。これは、そのまま、今回の東日本大震災の抱える問題であり、原発に限らず津波被害に遭遇した人々にしても、自宅を失うことはとても大きな負担を残してしまう結果となっている。

 今年の夏は暑い。梅雨も関係なく熱射が降り注ぎ、毎日毎日猛暑日の連続。原発に頼り切った日本のエネルギー政策にも大きな打撃を与え、電力供給のバランスを保つための節電が叫ばれ、エアコンの設定温度を高めに設定しなければいけない時。この暑い毎日にエアコン温度を高めにセットすることも辛く、また大勢の人達に熱中症による体調不良の危険が増加し、とかく原発だろうと何だろうと電力の潤沢な供給に甘んじる方向性に揺らごうとしている。

しかし、私達の将来の健康被害等を考えると、更なる節電への工夫と行政による適切な電力供給への方向性を示して行けるだけの強いリーダーシップが必要であろう。イタリアやドイツでは、早々と原発との決別を宣言した。日本は世界で初の原爆被爆国であり、広島、長崎は原子力問題の象徴的な街として世界に大きな意味を持って名前が知られている。そんな日本の政府が、経済基盤を揺るがす可能性のあるエネルギー政策で、今でも原発に依存して、他の代替エネルギーへの変革にシフトできないとは、何と言うお粗末なブレインだろう・・・・!

 パラダイムシフトが叫ばれ、その言葉の意味こそ理解はしてるものの、本来のパラダイムシフトに思いっきり良く決断する能力をもつトップリーダーが今の日本には不在である証拠かもしれない。

2011/7/7
太陽の家こぼれ話・・・・

 太陽の家って他の社会福祉法人などの法人組織に比べるとちっぽけな組織である。小さいと不都合ばかりで何もメリットが無いかといえば、意外とそうでもない。事業所を経営する点からすればメリットは少ない。要するに儲けは少ない。事業規模が小さくとも、国民負担の費用(公費と呼ばれる性格のお金)である以上、其の給付金をめぐる積算方法や請求金額の正当性など、はたまた労務管理や福利厚生などの管理もかなり厳しく追及され、一般の企業であれば従業員を1000人も抱える規模と同じくらい、規則、規律などの整備を求められている。これらの整備には、色々と外部の識者に委託したりする費用などが必要となり、其の費用負担は小規模こそ売り上げスケールから判断しても事業所の負担する比率は当然高くなり経営を圧迫する。

 まあ、そんな経営上の恨み節ではなく、この小規模な事業所だからこそ出来る介護。大手の事業所では到底不可能な部分を徹底して小規模が隙間を埋める形で今の日本の高齢者介護は辛うじて維持されているように思う。何が不服で「辛うじて・・・」なのか?と言えば、そこには大手事業所と小規模の民間事業所との間の連携が取れていないからである。もちろん、この連携をとる重要な要にケアマネジャーの存在がある。僕は、このケアマネジャー個人の介護理念または精神保健福祉技術の捉え方の違いが大きく支援の方向をゆがめてるような気がしてならない。ケアマネ一人の責任とするつもりは無いが、今の現状としてケアマネジャーは国家資格にはなっていない。あくまでも任用資格であり各地方自治体が認める資格なのである。其の分、資格選定試験のレベルも低く介護保険制度の創設にあわせて、急激に人員配置に必要性から量産してきたケアマネジャーである。主任ケアマネやら何やらと、一般的なケアマネ資格に上乗せする資格を追加してるものの、それとて一定時間の講義を受ければ取得できる資格であり、あくまでも任用資格の枠を出ることは無い。

 ケアマネを長く経験するうちに、それなりの経験をつんで対人援助に一定の自分なりのパターン化が見えてくる。過去の事例に従った画一的といえるかもしれないパターンで処理しようとするケアマネは、利用者の真のニーズを捉えることなく十羽一絡げな作業をしてしまいがちとなるわけだ。また、長年の支援の中で関係者の中に人間関係の強弱が生まれる。キーパーソンと言う表現は、本来は要介護者の意思決定や生きるために大きく影響を及ぼす人物を示す言葉だが、そのキーパーソンの意向がすべてとなってしまうケースも見受けられる。本人の意思は元より、ケアマネのアドバイスよりもキーパーソンの都合が最優先する。そんな最悪なケースも多く見受けられる。またこの歪な関係はケアマネが一番強いケースも存在し、本人の意思も、家族の意向も無視し、ケアマネの思い込み介護の押し売り型もある。対人福祉援助技術ってのは正論が無い分難しい。時と場所、其の関係に細かな要因が加わり複雑に絡み合っていく問題を多面的に支援していく技は、かなりな高等な技術を要する。ここに至るにはケアマネとして一種の燃え尽き症候群のような業務に対する一種の諦めムードも影響を及ぼしている点も否定できない。ケアマネは事業所に雇用されている場合もあり給与体系はバラバラである。一人の要介護者を支援することで月額1万円程度からの報酬を保険者から給付される。この給付に際しても、一定の条件をクリアーしない場合、例えば要介護者が外部サービスの一切を利用しない場合、ケアマネの相談援助に対して給付金の支払いはない。要するにただ働きである。それと、先にも書いた基本給付額が少ない。人ひとりを支援するのにケアプラン作成、アセスメント、医療情報の収集、サービス提供担当者会議の開催など多義にわたる業務をこなし、その記録をすべて残して初めて給付される金額が一人に対して1万円前後。労力の割りに設けは少ない。真剣に要介護者のニーズを満たす努力にモチベーションは下がる一方。そんな気持ちも分からないでもない。

 さて、今までケアマネだけの責任のように話が展開されているが、そればかりではない。個々の事業所においても細かなケアは行われていない点が問題である。この細かなケア、厳密に言えば不可能なケアといえるかもしれない。おそらく、この細かなケアを実施するには、要介護者一人に対し介護者を一人マンツーマンで設置しなければ不可能である。今の法律で定められている人員配置基準では到底、個別ケアは難しい。それでも実施しなければいけない使命感は介護職員も持っているし、事業所も持っている。それでも、現実化しない個別ケアの課題は何処にあるのか? 一つは措置の時代に活躍した寮母意識の名残がベルトコンベアー式介護が横行している現状がある。特に特養などの重度要介護者を専門とする施設郡に多い。職員の配置基準は満たされているものの、一日に実施しなければいけない業務の量が多すぎることが原因として作業が煩雑になりすぎている結果、要介護者、特に寝たっきり老人に対しては、時間ごとの給水、排泄、排尿、入浴など決められた時間通りにしか介護者は支援しない。要介護者はただひたすら介護者が来てくれる時間を心待ちにするしかない現状。これは介護といえないだろう!と憤慨しても、改善のしようが無いのが現実である。そういう意味で、認知症介護においてグループホームという業種では、マンツーマンに近い環境の中で、認知症高齢者の生活を、その人を中心においたケアを行える聖域として期待された事業だった。されとて、グループホームに課せられた特命を経営者も職員も理解せずに始まった事業だけに、ミニ特養的団体行動をメインとして粉別な配慮も無く、食事を与え、排泄を手助けし、入浴を促し、夜は徘徊する認知症高齢者を居室に閉じ込めて鍵を掛ける。そんな介護がまかり通る時を越えて今に至っている。其の頃の悪評高きグループホーム、今後の活動や介護スキルの向上を目指し提供サービスの向上を維持しなければ、認知症介護の専門職と言えないどころか、経営すら危ぶまれる事態となる。

 とにかく介護のビジネスとは、隙間産業なのである。他の事業所の実施できない点を埋める方向で対応する。提供時間、提供日、質、量、すべてにおいて更なる負担は事業所に、また職員にかかってくる。これらの労力に対する正当な報酬も確保できるように努力しながら、これから先に増加する要介護者支援に事業所の規模や法人組織に関係なく連携をとりながら、今まで以上の介護の質を求めて行きたい。


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