最近、メダカをもらった。子供の頃の夏祭りの屋台で金魚すくいの景品として貰った金魚以来、初めての観賞魚(・・・・?)の飼育をする事となった。 ペットなんて言っても、うちにはミニチュアのダックスが居るだけ。当然、魚を飼育するだけの水槽も無い。魚を育てるためには、酸素やろ過機やら水草やら・・・兎に角、サイズはさておいても、そこに居住できる空間を造る事から、始めないといけないんでないの?・・・右も左もわからない、初めての魚。結局、大きめの金魚鉢で育てるkとに結論づけて、その金魚鉢なるものを探しにお店を回る。 昔懐かしい金魚蜂って、逆に今では古物扱い。なかなか市販で売っていない。
ようやく希望するサイズの金魚鉢を探し当て、早速購入。施設に持ち帰り、住める環境づくりに没頭する。まず水道水のカルキを抜く作業。バケツに水をためて、日光浴を半日程・・・(今の時期、直射日光の元に半日置いとけば、熱湯となるので気をつけなければ、それこそ新鮮メダカの釜ゆでになりそう・・・・)その間に、中に石を敷いたり、水草を浮かべたりするために、必要な物品の購入。
なんだかんだ言いながらも、何とか住める環境を整えることが出来て、メダカを放流。前の住まいから太陽に移って来るまでの間、2Lのペットボトルが住まいだったことから考えると、今の住居は水草あり、敷石あり、隠れ家になる岩の塊ありで、広さこそ少し狭い感はあるが、それでも一応の居住空間を確保できた! メダカ達も、とても元気に水中で飛び回って泳いでいます。
こんな小さな生き物ですが、ジッと見てると、いつまでも没頭して見ている事が出来る。飽きがこないのが不思議です。そして、結構、この小魚のお陰で自分自身も癒されているのです。
久しぶりのブログ更新だ。ここの所色々と忙しい毎日だった。僕の場合の忙しさとは、他の職員さんの様に実際のケアに係る自分の関わり度が増えた。訳ではなく、介護以外の雑用が多いのである。実際、忙しいと言う状況は、忙しい分だけ発生してくる売上額の増加を連想してしまいがちであるが、私の場合、大半がタダ働きであるケースが多い。
タダ働きである、イコール、無料奉仕ってこと?と問われれば、少し違う。僕は、色々な社会関係をもって生活を営んでいる。これは僕に限らず、社会人なら誰しも何らかの関係や役割をもって生活している。自治会活動や子供のPTAなどがそれに当たる。それらの活動から金銭的な収益は期待できないが、其処からはお金に変えられない人間関係や色々な学びやいい意味でのストレスを得て、自分自身の成長に大きく貢献していると考えられる。
金銭的な利潤ばかりではなく、人間として生きる上で、これらの社会との関わりは年齢が増して、要介護状態となっても必要不可欠なファクターであり、年寄りだから、車椅子の生活だから、記憶障害を抱えた認知症だから、そんな社会生活は不要と考える事は僕達には出来ない。面倒だけど逆に何かの役目をもってもらうことを勧め、役割作りを推進する。
そんな関わりを創りたい。
今日は長崎の平和祈念日。広島への原爆投下と同じ66年前の今日、11時02分に長崎県に原爆が投下された。人類に二度と同じ苦しみを繰り返さないことを祈願して、また、同時に世界が平和であることを祈念する日として、後世につなげていく重要な日である。繰り返しになるが、広島の平和祈念日にも感じたこと。二度と繰り返さない惨劇を、原発事故によって放射線の恐怖に生活する場所を追われてしまう結果となってしまっている。
広島、長崎の原爆投下による恐怖を考えるとき。世界的な株価の下落が始まり、史上初の円高記録を更新する経済市況の混乱に世界経済への不安が見え隠れする。1929年のニューヨークの株価の大暴落から世界恐慌へと発展した暗黒の時代を想像してしまう。また、イギリスでは、低所得層の若年層を中心に暴動が発生。世界のソニーの倉庫から製品が略奪され、その後に放火されたようで、保管されていた製品が消失。ソニーに限らず、イギリスの複数の地方にも暴動は波及して大きな問題になっているようだ。
福島、宮城、岩手県を襲った大震災によって、日本全土が試練を体験する中、欧米諸国も色々な面で試練を体験しているよう。なぜそこまで試練が与えられ無ければいけないんだ!?と神を罵りたくなるような、そんな苦しいときを人類は経験させられている。
さて、今日のタイトルとブログの内容に、脈絡が感じられない文書となってしまった。本当は、記念日の解釈次第で、まったく意味の異なる日本語の読みに、日本語の難しさをあらためて感じた日となったと言うお話でした。
1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、広島市上空のB29爆撃機「エノラ・ゲイ」からウラン型原子爆弾が投下された。
今から66年まえの出来ごと。66年前の今日がその日。奇しくも今の日本は、悪夢のような東日本大震災の津波によって福島の原子力発電所が破壊される被害をこうむる事となり、その後遺症と言うか影響を受けて地域一体また日本中に放射能汚染の魔の手が広がりつつある。世界で初めて原子爆弾の恐怖を味わったはずの日本が、66年の歴史を刻む中で、またも原子力の脅威に国民全体が恐怖におののく事になるのも何かの皮肉か・・・?
今日の原爆記念日のニュース映像を見ていて、小学生の子供二人が原爆の恐ろしさを繰り返さないと必死に訴えていたのが印象的であった。しかし、過去を知らない子供に、誰か大人の書いた原稿を読ませる姿に一種の違和感を感じたのは僕だけだろうか?子供に伝え、この思いを継続してほしいと言う願う気持ちは理解できる。しかし、その反面で、原子力発電に電力供給を頼り、福島の事故を経験してもなお、電力会社はコスト重視の原発に依存する電力需給に、本当に日本人の我々は、過去の広島、長崎の原爆投下を肝に銘じて平和を願っているのか?サラサラ疑問である。
僕自身、終戦後の日本に生まれ、原爆の日を知らない。広島の原爆ドームを見学した程度で原爆の恐ろしさを理解しているとは言えない。しかし、福島の原発にまつわる苦悩については、ある程度察することができる。廃炉するにも長い時間と、非常に危険な業務の遂行、多額の保証金、周辺地域の放射能汚染など、そうやすやすと解決できそうにない程の苦悩が山積みである。
チェルノブイリの原発の事故を知り、遠く離れたロシアの彼方の事故と、他人ごとのように見ていた当時。フランスから輸入されていたミネラルウオーターが一時、輸入を自粛したことがあった。放射能汚染を懸念した輸入元が自主的に判断して輸入を取りやめた。同時に、店頭から在庫も引き上げた時代があった。牛肉だけでなく、日本の食の安全が脅かされている。過剰反応は良くない事はわかるが、日本人の我々も、社会も、経済発展を優先するあまりに、あまりにも先を急ぎ、安易な御都合主義に流されてはいないのだろうか?
今の僕の一番のお気に入りがこの写真の状況である。エアコンの効いた室内よりも、やはり蒸し暑くも若干の風が吹き抜ける屋外(裏庭のベランダ)のロッキングベンチに座り、ぬるいペットボトルの水を飲み、蚊取り線香をたいて、パソコンで遊ぶ。この時間が一番、和み、心安らぐ時間である。今日は、いつもより外は熱く、首筋に汗をかきながらの休憩だ。第三者から見れば、一見涼しげに見える、この状況であるが、なんのこたあない、むちゃくちゃ暑いのです。先ほど、パソコンを取りにデイサービスのフロアーを抜けて行ったら、その涼しさと快適な空気は何?と言うほど気持ちよく感じたくらいです。
では、なんでエアコンの効いた室内でパソコンをしないの・・・?と言われそうだが、やはりね、自然の風や自然の音を聞きながら好きな音楽を流して、陽の光を感じて過ごす時間が最高。最近、部屋の中のうす暗さがどうも感覚的に合わなくなってきてるのです。うす暗い所にいると息が詰まる。だから、多少暑くても、外でノンビリと揺りかごのように椅子に揺られて物思いにふけっている方が好きなんですね。
最近、入手したバッハの曲を女性二人のピアノデュオが演奏するCDがお気に入りです。そんな週末の過ごし方。僕にとって、一番、今優雅な過ごし方。