太陽の家

  • ホーム
  • 太陽の家とは
  • 施設のご案内
  • サービスのご案内
  • ブログ-施設長の部屋

ブログ-施設長の部屋

2012/9/1
チームワークとは?

昨日、太陽の家に先月配車した新車軽ワゴン左前輪近辺をブロック塀等でこすった痕を見つけた。樹脂製バンパーの一部であるから、凹みや錆はないが、結構深くえぐれるように横にこすっている。さっそく、運転した者に確認をするが、誰一人として記憶にないという。誰も壁をこすった記憶がない以上、駐車していた車に自然の悪戯か?それとも誰も運転しないまま車が勝手に動いてブロック塀と相撲を取ったようである。

この事を理由に職員に修理代を弁償させようという気持ちはない。ましてや、業務としてデイサービス利用者を自宅と施設の間を送迎に出てくれている以上、ある意味、不可抗力ともいえる事故であろうと考えている。

常日頃より、僕は施設の車を大切に扱ってほしい!とすべての職員にお願いしている。その理由は、もちろん不必要な経費の支払いを防ぎたい事もあるが、それよりも、社用車の姿、見た目は、そのまま第三者に太陽の家の内面の脆弱さを明かしているように思うからである。この夏祭りの時に、僕は家族の皆さんへのご挨拶に、当太陽の家の職員全員には自慢できる「こころ」がある!と言った。確かに一人として意地悪な人材はいない。みんなが明るく元気で優しい気持ちの持ち主であることは、何度でも、誰に対しても自慢できると思っている。しかし、送迎車両に限らず、建物、看板や職員の服装に至るまで、全てにおいて華美である必要はないにしても、清潔で健康であることが望まれる。ボロボロで傷だらけの送迎車両は、見えないところでの「扱いが雑」である証拠となり、ゴミや汚れで不潔な建物、要するに掃除の行き届いていない施設は、本来なされるべき事柄がお座成りにされている証でもある。

送迎車両をついつい、タイトな路地で擦ってくることは十分考えられる。ここ数回の突然の強雨などで進行方向の確認が取りにくいなどの悪条件の重なりも想定される。大切に、常に十分な注意を怠らない自家用車でも、時として不注意が重なりボディーに凹みを作ることだってあり得る。だから、送迎車両のように、毎日、何回もチョイ乗りに近い状況下で運行される車両については、小さな事故の可能性は増加する。

だからと言って誰一人として過失に気づかない状況ってのは正常ではない。この事象は、そのままケアの質に結びつく。職員の皆さんに、この話をすると、「そんな些細な傷を、なんて大袈裟な!おまけに介護の質にまで結びつけるって、無茶苦茶な話よね!」と考えるだろう。しかし、皆さんが言うように小さな傷であっても、この傷が出来た状況を考えてもらえれば、僕の言う重要性を理解してもらえることと思う。

前述の豪雨による視界不良、時間的制約の中の焦り、不慣れな新車という運転環境などから考えても、そこに運転手の注意が散漫となっている状況が浮かび上がってくる。ひょっとすると、同乗の利用者との会話に夢中になっていたかもしれないし、認知症の人が急に精神の安定を欠いた状況があったのかもしれない。それでも車は運転手が停車させない以上、移動していく。周りの風景が幅広く見えている状況から、点でしか見えてない状況に変わる瞬間、事故は起きる。瞬間の出来事は、よほどの大事故で目に見えて異変を感じることがない以上、運転手の記憶に残ることは無い。その時は、何か変な音がした!と思いつつも、時間的制約を受けている中では、そんな小さな異常は、その直後から忘れ去られる。

この事故は、きっと上記のような状況下で起こったものであり、これはたまたま車両がからむこすりキズで終わったが、実際の介護の現場でも常に職員さんは時間の制約に追われて過ごしているのであり、同じような状況が起こり得る可能性を秘めているのである。デイサービスのフロアーでも、一人の利用者の転倒を予防する為に、その人に神経を集中するあまり、その介護職員の視界から外れた場所にいる利用者の行動には、まったく関心がいかない。そして介護事故は発生する。

先日、チームケアとチームワークを施設内研修として学んだところであるが、自分一人でいくら頑張ってもできる範囲は限られてくる。限られた範囲を合わせれば、360度の範囲でもれなく利用者の行動を見守れる。職員全体が、自分のできる範囲を守りながら、共同することでできる範囲は広がる。一人で運転する送迎車両、ほかの職員の協力を得ることはできない。その分だけ一人の運転手に全責任が負いかぶさる。全部を一人で負うリスクの軽減方法は、危険を先取りする力とリスクを軽減する力が必要である。実際の車の運転で事故のリスクを下げるためには、危険箇所でのスピードダウン、繰り返しの確認しか方法はない。しかし、そこまで注意深く、精神的にも追い込まれることがなければ自動車事故は起きない。

利用者の安全、健康をまず職員が脅かさない努力。次にしなければいけない事ばかりを気にして、時間が足りないというこじ付けの言い訳を言わなくて済むよう、職員の沈着冷静な業務の遂行を望むところだ!

2012/8/31
ファン心理

巨人に村田とエドガーはいらない! 巨人を応援するファンの一人として(と言うと大げさだが)本当に、この二人、ええ加減にせいよ!って叫びたい。本来なら、巨人の優勝にもっと貢献できる予定で迎え入れたはずだろうに、今シーズは最初から絶不調の連続。打率も伸び悩み、ここぞというところの一発が出ない。昨日までの中日との三連戦、中日の外国人助っ人ピッチャの球を打ちあぐねて、三連戦の二試合を落とす不始末。ファンってのは、いくら勝ちが続いていようと、容赦ない。そう!常にチームは勝利を収めないといけないのである。

 本来なら、巨人の独走態勢ってのは、野球自体をつまらなくしてしまうわけで、もっともっと接戦の方がゲーム観戦としては面白いし、それなりに応援に醍醐味を感じるのである。だから、状態としては、二位、中日がもう少し頑張ってゲーム差をなくすほうが面白い。しかしファン心理としては、野球のだいご味より、優勝へのステップアップを切に望んでしまうところが矛盾しているのである。

 しかし、100歩譲ったとしても村田とエドガーには、なんとか踏ん張って結果を残してほしい。高給で雇われている選手であり、それなりに期待されている以上、見せ場に感動を与えることができるよう、頑張ってほしいものである。

2012/8/24
予想以上の増加が見込まれる将来の認知症高齢者

今日のニュースで取り上げられていた認知症高齢者の数についてであるが、以前の厚生労働省の読みは団塊の世代が高齢となり1号保険じゃとなる2025年ころは、認知症の高齢者は全国で350万人程度を予測していたが、今回、その予想をはるかに上回る430万人規模の認知症高齢者数が発表されたのである。

先日、私の所属する認知症高齢者の協議会で、認知症高齢者をもっと理解しようとパネルディスカッションが行われたばかりである。認知症は2004年までは痴呆やボケ老人と呼ばれていた老人特有の病気で、なんとも対処の方法がない、困った状態として恐れられてきた。それこそ、対応できる病院は精神病院といった、どちらかかと言えば精神に異常をきたした困った存在として扱われてきた病気である。

それから数十年が経過し、いろいろな研究が行われ認知症と名称変換も実施され、ノーマライゼーションの理念のもと、今では「その人なりの生き方支援」「自立支援」「見守り」「バリデーション」など沢山の援助方法があみ出され、支援方法によっては認知症の諸症状に沿った支援が可能となってきた。言ってみれば「適切な支援」を実施することで、認知症を患っていても「普通」の生活を継続できるところまで変わってきた。

人間が認知症を患うことを予防したり、それらの諸症状を遅らせたりという面でも先進医療との連携で少なからず可能となってきたのであるが、それでも、いろいろな生活環境やその人の性格もあって認知症を患う人は、どんどんと増加しているのである。

これも医療の進歩が大きく関与しているともいえるが、要するに人が長生きするようになってきた。つまり、人間として年齢の積み重ねに応じて、多かれ少なかれ体のあらゆる部位に支障をきたすわけだが、言ってみれば「故障」の始まる年齢まで生きることが出来る時代となったといえるのではないか。昔の日本は栄養状態も良くなく、生きる環境は劣悪で、おまけに医療技術も進んでいない中では、人の命は短命であった。しかし、定年60歳と言いながらも、今の60歳は若い。まだまだ働ける情痴あの人が多い。かく言う自分自身もあと一年で還暦という年代でありながら、今なお真っ赤のフェラーリに憧れ、短パンに柄シャツきて今風のブレスレットをつけて「ちょい悪オヤジ」を気取っている。癌だ、結核だ!ヘルニアだ!等と言いつつ、病院へ行けば、痛い思いはすれど、ちょこっと我慢すれば勝てない病気はないほどの時代である。当然、このまま年齢を重ねていけば、それなりの健康意識の高まりの中で患うところと言えば、「脳」に限定されてしまうのも理解できる。

さて、そんなわけで、この僕も恐らく認知症の爺さんとなってしまのだろうが、そこで問題となるのが、今のような自制心(持ってないかもしれないけど・・・)でブレーキをかけている、とんでもない行動が表面化することである。ファッションが大好きで、派手なスポーツカーに憧れる自分は、ひょっとすると年齢を無視した無茶苦茶なファッションで、如何にも格好良いつもりで街の中をフラフラするかもしれない。世間では、この行為を「徘徊」と呼び、担当のケアマネには、叱られ、家族には迷子防止のために「GPS」を縫い付けた服を着せられ、あまりにひどい徘徊には拘束服を着せられ、ベッドに縛り付けられるかもしれない。

きっと僕は大声あげて自己主張することだろう!「やめてくれ!」「俺は正気や!」などと声の限り叫び、通りすがりのすべての人に自分を解放するよう懇願するだろう。すると、この行為を社会は「暴言」と呼び、今度は精神安定剤を盛り込んだ食事を食わされることとなる。過度な薬剤依存は行動を抑制するには効果が期待できる。しかし、そのことで僕の身体機能は、日増しに低下し、暴言や暴行がなくなるころには、体中の筋肉がやせ衰え、それだけではなく、僕の精神状態も気力を喪失し、人間としての人格の崩壊にまで追い込まれていることだろう。

人格の崩壊は、そのまま食べる気力、生きる気力まで奪い去り、廃人となって最終的には、口からの栄養摂取が出来なくなり体中に栄養チューブなるものが入れられ、食欲や思考を無視したドロドロの高カロリー栄養剤なるものを流し込まれるのである。

この認知症の高齢者数もそうであるが、昨夜のNHKでは、人の尊厳死について考えさせられる報道もあった。何のために生き、何のために治療するのか?認知症となっても普通のような生活ができるなら生きていたい。誰でもいいから横に寄り添ってくれて、僕の不足する部分を補ってくれて生活が成り立つならそれでいい。しかし、縛られ、くくられ、無理矢理に栄養補給を実施されながら生きることはしたくない。僕は、認知症高齢者が増える以上、認知症をもっともっと理解して適切な支援を提供できる人を育てていきたい。そう強く感じた朝だった。

2012/8/24
ETCをすり抜ける車両

今日は朝から名古屋に来ている。名古屋インター近所の動物病院へうちのペットちゃんの診察のために、わざわざ鈴鹿から高速にのってやってきた。昔に比べると名古屋、特に東山や星が丘なんて、チョイッと軽い気分で来れるのも高速道路が拡充、整備されてきたからである。

さて、そんな高速道路へのアプローチに、最近ではETCカードを利用する車両のほうが多いくらい、大半の車両はETCを搭載しノンストップで高速道路のゲートをくぐる。そんな今朝、僕の前を走る商用車の一台がカードの挿入忘れか、ゲートでもたついてしまった。次に続く僕も前が止まってしまう以上進めない。仕方なく、その車両の後ろで一旦停車、様子を見てると車両の運転手、鞄の中をまさぐる様子、明らかに慌てふためいて、急いで事の収支をバランスとろうと焦っている様子である。しかし、ゲートは閉じたまま。時間ばかりが経過していく中で、僕自身、前にも後ろにも進めずに焦り始めたころ、彼は何を思ったのか閉じたゲートの間をすり抜けるように前進していった。

ETCのゲートは改良に改良を重ねられ、衝突事故を回避するためにバーとバーの間に若干の隙間が持たれているのだ。僕もじっくりとゲートを見たことがなかったが、軽車両クラスのボディー幅なら、ゲートのバーの隙間を通り抜けることが出来るようだ。でも、高速は入口のゲートを未承認で通過して出口で困らないのかなあ~

2012/8/20
国際社会における日本人

韓国と領有権を争う竹島、中国とは尖閣諸島、ロシアとは北方領土。島国の日本は国としての領域の線引きが非常に難しい地理的要素を抱え苦悩している。オスプレーの配備ではアメリカと安全性の面で不協和音が響いてくる。8月15日、67回目の終戦記念日を迎え、テレビニュースの街頭インタビューに96歳のかくしゃくとした女性が答えていた。「もっともっと、話し合わなければ・・・」

それこそ榎本博明氏の「すみません」の国という本に書かれているとおり、ホンネとタテマエの二重構造の国、日本らしくその場を無難にしのぐために真実の追及や責任の糾弾を良しとしない国民性がそのまま表面化しているようである。日本の外交政策は自民も民主も同じ。主義主張が違っても国民性は同じなのか???と笑えてくる。

 そんな二重構造の社会が、ファッション、食品や生活文化の欧米化に伴い、日本古来の文化が崩壊しかけている。中国の活動家の尖閣諸島への上陸に次いで、今度は日本の地方議員達の上陸騒動。中国の反日感情に油を注ぐ形となった一部の日本人の行動ではあるが、このまま直接戦争に発展する危険性は少ないというものの、このまま感情のもつれを放置したままの国際関係に、海外旅行、特にアジア圏への旅行に多少の不安が伴うよね。韓国歴史ドラマにはまり狂って、一度は韓国の文化財を訪問してみたいと願っている僕には、とっても不安な要素ではある。

 過去に起こった不幸な出来事。人間生きる上でいろいろな場面、状況に遭遇し、それらのすべてにベストを尽くし、つくし切れない不幸に対する決算と言うか、清算を如何につけるか・・・その点が思いの外難しいのが人間であるようだ。


2025年 5月
     1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031  
月別表示
最近の記事

  • 太陽の家 お気軽にお問い合わせください
    〒513-0808 三重県鈴鹿市西條町495-1
    TEL:059-383-8383 FAX:059-383-7938
  • インターネットからお問い合わせ
  • お電話でのお問い合わせ
059-383-8383
受付時間/9:00~18:00
閉じる  印刷する