


団塊の世代が高齢に近づき、次第に機能低下が始まる頃。日本の高齢者介護の現場は、どのように変わっていくのか?僕の尊敬する大学の教授が講義の中で常に言い続けていた、福祉のビッグバーンは必ず近いうちに訪れる!その言葉が、妙に頭にこびりついて仕方ない。
団塊の世代から少し遅れて生まれた私自身も、そう遠くはない将来に第一号保険者となる。要介護状態となるかは分からないが、遅かれ早かれ人の手を借りなければ生きていけなくなる日は来るはずだ。その時の自分自身を考えると、今、自分たちが対応している高齢者の求めよりも遥かに多く、遥かに幅広い要望を持つことと思う。物がない時代に青春時代を過ごした人たちとは違い、物が豊富に整った時代に育ったわれわれ世代。ものの考え方一つにしても、自由奔放な考え方が許されていた時代に育ったものだから、人間性も多義にわたる。
カラオケひとつとっても、戦後の復興の中で流行した歌謡曲が唯一の音楽だったころと違って、ジャズもクラッシックもレゲーもヒップホップも、本当に幅広い音楽を吸収して育った世代が歳を重ねたとき、いったいどの音楽を聴くと心が和むのか?集団で過ごすことよりも単体で生きることに慣れた世代が大規模通所介護事業所の中で、どのように自分の居場所を確保できるのか?世界中の食文化にふれる機会をもち、いろいろな味を堪能した世代が、給食程度の食事や色気もなく生きるためだけの配食弁当を食べさせられ何を思うのか?
高齢者介護を生業にしているものが思うことではないが、自由な行動すべてに制約を加えられながら生きることって、何の意味があるのか?そこまでして生きながらえる自分は、どんな目標と生きがいを持てるのか?そう考えると、自分たちの将来に不安を感じる。
今、僕同様、社会福祉や高齢者介護を学びながら実践する者たちに将来を託さなければならない。僕が今、不安に思っている点をどのように考えているのか聞いてみたい。そして、その答えに対して、答えてくれた彼らの高齢社会に期待が持てるのか?を考えてもらいたい。
今なんとかしなければいけない。日本の今をしっかりと見つめ、今皆が学ばなければ次を育てることができない。私たちが生きる上で、チェーンのような連鎖的努力と意識の継続性がなければ、その時点で社会は崩壊する。福祉だけでなく、経済もすべてがマッドマックスの世界へと変貌する。
※ちょっと、ブログにしては重いねえ!暗いね!・・・・・いや、これくらい真剣に考えていってもらえないと、日本の将来は今以上に困窮する福祉難民が増加すると考えている。
今日、旅行関連の人と話をしてる中で、北陸の方で起きたツアーバス事故の影響を大きくうけて運営に苦悩するバス会社の話題が出た。要するに、あの夜行バスによる大事故で多くの犠牲者がでたわけではあるが、あの事故を境に行政の安全規制が厳しくなり、それと同時にバス会社自らの安全意識改革もあって運転手が不足しているという事態に発展しているそうである。夜行バスに限らず、長距離運行バスの安全を確保するために、運転手の就労条件を改善し、適切な休憩をとり、適切な勤務体系を整えることが必須となった。そのことで、今までのような一人運転手で長距離走行することが困難となり、複数のドライバーを確保しなくてはならないことが、車はあるものの、運転する者が居ない。そのような状況になっているそうである。
バス会社としては、需要のある時に閑散期のマイナスを取り戻すことが経営上、必要不可欠の要素ではあるにもかかわらず、安全を重視するあまり利益より、健全な運行を確保する必要があるわけだ。
言ってみれば、一人の犯した重大なミスは、同業各社を巻き込んだ大騒動となったのである。
しかし、ここで質問。車の性能、居住性(車に居住性を求めること自体、意味わからんが!)の向上と道路整備の行き届いたインフラ整備の改善まで行われた今、なぜ?これほどまでに事故が多いのか? 今、市販車の中では、走行補助機能付き乗用車の販売が増えてきている。前方の障害物を感知して自動で止まったり、進路外す前に機械的な衝撃を加え、ドライバーに危険信号を発したり、それこそ手放しで寝てても車は、無事に目的地まで運んでくれるような時代である。にもかかわらず、前回のような観光バスの事故や幼児を巻き込んだ人身事故が発生する。機能が向上することと、安全運転とは、まったく異なるもののようだ。どこまで技術が向上しようとも、やはり人間そのものの意識が、必ず必要であるわけだにゃ!
継ぎ目を感じさせない道路環境、大型で見やすく整理された道路案内板、昼間のように明るく視認性の優れたLEDライトの採用等、車を取り巻く環境の改善よりも、運転手の車を運転する意識が絶対条件となっている。
10月31日を最後にブログ更新できていないわけだが、その理由(言い訳)はこうだ!
10月末にWindows 8を搭載!までは良かった。その後に、いろいろと弊害が出始め、それらの諸問題を解決するために東芝のHPより、対策ソフトをインストールした・そしたら絡んだ! パソコンが起動しない!何をやってもダメ!この薄っぺらなノートパソコンの中では、いろいろなソフトが、熾烈なバトルを繰り返しているようだった。固まってしまって動かない。
ありゃ!こりゃ大変!と、内の姉妹施設の施設長に泣き付いてみた。ソフトを自分で組み立てることのできる人だから、絶対に直してくれる。と、電話してお願いしてみた。パソコンを預けて、数日後。希望通り、Windows 8は削除してもらい、最新のWindows7を再インストールしてもらった。
・・・と、いう事は! パソコンが工場出荷時と同じ状態に戻ったという意味である。問題は解決した!と同時に、すべての記憶がゼロとなった。お始めの状態に戻った。メールも送受信できない、ネットにもつながらない。印刷もできない!
このような訳で、暇さえあるとパソコンとにらめっこ。一から入れ直しをしていたというわけである。やはり、慣れない事はするもんじゃあない。今まで、パソコンで幾ら無駄なお金を使ってきたんだ!?と自分を責めるものの、使ったお金は元には戻らない。バーチャルな世界だけに、実感もモノも残らず空中に消え去ってしまった。とても空しい気分になった。
つい先日発売になったWindows8を 特別価格で入手して自分のパソコンにインストールした。立ち上がりスピードとシャットダウンのスピードが速くなった。特にシャットダウンは、今までのように窓口でシャットダウンをチョイスして、それから全ての窓口が閉じていく方式から、パソコン起動ボタンで瞬時にシャットダウン出来るようになった。この点では使い勝手が良くなった。しかし、その代わり、今まで搭載されていたアプリが使えなくなる場合があり、使っていくうちに逆に不便なケースも登場してくるようになった。
新もの食い!と言われるかもしれないが、新しいものをやたらめったら取り入れるのもよし悪し!です。
それと、業務で使用するには、このソフトは、余りにもエンタテーメント性が強く出すぎて却って使いにくい。装飾や見た目よりも、使う便利性を追求してほしかった。新もの食いの直観的感想でした。
だんだん年も暮れに近づくにつれ、道路工事個所が増えてくる頃となりました。時の過ぎ去るスピードもさることながら、この頃の道路事情が以前に比べると、若干、変わってきたように感じられるのは僕だけでしょうか?それと言うのも、車の往来が平日でも増えたこと。行きかう車の運転方法に忙しなさを感じる。大半のドライバーが先を急ぐ傾向にある等、以前では感じられなかった慌ただしい運転を日々、感じるようになりました。このような忙しなさってのは、年末の大晦日が近づくにつれ、非常に強く感じる状況であったのですが、その感覚と同じような状況が、年末までまだまだ遠い今、感じるというのは、僕が年老いた証拠でしょうか?それとも、周りの運転する人々のマナーの問題でしょうか?よく分からないのですが、車を運転するときには、今まで以上の注意力を要求されているようで、とても疲れる毎日です。
先日来、海外からの来客が来てたのですが、その方々を案内していろいろと出かけた時。まさしく同じような感想を漏らしていました。もちろん、この来客はアメリカからの訪問者であって、あちらの道路事情は、日本のそれとは大きく違う点として、道路幅が数倍ほど違うということ、湾曲したカーブの道路より直線的な道路が多く、日本の道を運転するにあたり、ドライバーの技術をほめるとともに、そんな狭い道路事情を憐れんでいたようです。
まあ、狭い国土ですから、道路幅が狭いことも仕方ないのですが、そんな環境にもかかわらず走りゆく車のスピードは速く、これは道路の問題ではなく、日本人の気質に由来するものかもしれませんね。私たち日本人ってのは、外国人に対しては几帳面でおとなしいというイメージを与えているようですが、本性はと言うと・・・いやいや決して大人しく几帳面でもなんでもありませんよね!
僕も車を運転する者の一人として、ある程度のユトリをもって車を運転したいと考えてはいますが、いざハンドルを握ると人が変わる。多くの日本人ドライバーがそうであるように、ハンドルを握ると普段控えめな人が、ソコノケそこのけ式に前へ前へとハンドルを切りながら追い越していく。まあ、人間って、多面的な要素を抱えて生きているものなんでしょう。外見からイメージを決めつけた人物像が崩れる事って結構あります。人を相手の商売をしている以上、先入観だけで相手の人物像を決めつけない様、車の運転から行き着いた結論として、今日のブログを閉じます。それでは、お疲れ様でした。