最近のニュースで取り上げられている問題に学校教育にとどまらず、スポーツ養成の中での体罰がある。今の社会的風潮をみると体罰は「悪」のイメージが強い。と言うよりもメディア先行の体罰を悪者扱いする流れができているのではないか?と感じている。もちろん、僕自身も体罰に関して、「良い」とは思っていない。
一頃、戸塚ヨットスクールにおける教育方法が司法判断に持ち込まれた時があった。今の若者は知らない時代の話かもしれない。それ程昔となってしまった事件であるが、この時に僕の印象は、戸塚さんの考え方にある面で同調する部分があった。それは、人間が必ず求める「逃避」という自己防衛機能のような「甘さ」を正すには、そこそこのスパルタンな指導も必要かもしれない。と考えたからである。もちろん、ここで問題となるのは、その対象者の人格を専門職が分析した結果、それらの外圧に耐えれるか否かの判断を受けると言う条件付きでの許容とする考えるわけだ。
さて、今日のニュースではオリンピックを目指す柔道家たちに対する体罰がパワーハラスメントに関する情報が取りざたされていたのだが、これはどうなんだろう・・・?と考えてしまう。オリンピックを目指すと言うことは、世界のトップを目指すことと同じと考える。その中で行われる肉体的、精神的な苦痛を体罰やパワハラとするのだろうか?僕は、ここには体罰として訴えられる人間関係のまずさが隠れているように思う。
今の時代の流れに従って、すべての体罰を排除し、何が残るのか?そこには、甘やかされた温室育ちの人間が大量生産され、免疫力の無い弱体化された人間しか残らないような気がする。
ずいぶん昔の話であるが、僕の事務所で働いていたスタッフを、派遣先の現場で叱ったことがある。彼女は、僕に叱られたことを気にして、涙ながらに訴えてきた。僕が彼女をしかったのは、派遣先の業務中の私語が多すぎるという理由で、派遣先に気を使った結果の教育的指導であったはずであるが、彼女は父親にも叱られたことがないと!泣き叫んだことがあった。まあ、こうやって書くと、このブログの読者には、圧倒的に怒られたことに腹を立てている彼女のほうに部が悪くなる印象を受けると思う。しかし、一歩引いて考えてみると、そこには彼女なりの生活と習慣が彼女なりの常識を作っており、僕が一方的に彼女の人格をないがしろにした。とすればどうだろう・・・・?
体罰を考えるとき、やはり両サイドから、そのものをじっくりとみる必要があるのではないか。そういう点で、僕はメディアにも、体罰の持つ意義についても論じてもらいたいと感じている。
ありゃ・・・もう1月も末。ついしばらく前に正月を迎えたばかりのような気がするのに・・・もう一月もあと2日を残すばかり。光陰矢のごとし!とは・・・
今月のブログ更新は3回となるのか???
一昨日より、大府にて認知症介護指導者研修の後期が始まった。初日の昨日は、正月休みを挟んでちょこ1か月の字施設における課題研究の結果発表を行った。持ち時間10分。パワーポイントを使って、受講生の仲間と講師数名の前にて実施する。その後の15分間を質疑応答の時間にあて参加者の質問に答える。そんな流れで、受講生13名のすべてが、自らの研究の成果を発表する。
まあ、大変と言えば大変!・・・・・何が大変って?そりゃ、自分のやったことが公開されるわけで。只でさえ自信のない、ええ加減な研究を如何にごまかすかが問われている・・・(いやア、ごめんなさい!ええ加減さを問われていると言うと怒られるけど・・・)
おまけに僕は、もう一人の受講生の仲間とともに、一日の発表会の司会進行役を担当していた。人前で話をすることには抵抗は全くないが、それでも色々と考えながら進める苦労は同じ。結構、面倒な役柄である。話は変わるが、この人前で話をすることの慣れてのは、やはり回数をこなすしかないのだろうか・・・?僕自身、最初から人前で話をすることが得意だったわけではない。ずいぶん昔は、人前で話をするたびに緊張して、何を、どのように話せばわかってもらえるのか?を考えながら話を始めるものだから、結局しどろもどろなお話となってしまうことが多かった。まあ、そんな場面を繰り返しながら、いつも人前で話をした後は、いろいろな思いがフラッシュバックし、後悔し、居ても立っても居られない経験を繰り返してきた。そして、それでも、業務上止む無く人前で話しているうちに次第に場の雰囲気になれてきたってことなんだわ。
まあ、今でも人前に立って反省することも多く。常に自分の言ったことに後悔しない日はない。それほど難しいのです。と言うお話!
支離滅裂!
どのような職種においても働く場におけるスーパービジョンの重要性が問われている時代である。我々の福祉業界では、殊更スーパービジョンの役割が提供サービスの質だけではなく、職場における人間関係の改善と維持に厳しく問われている。管理者として職場の人間関係や上質なサービス提供を担保するために、個々の職員自身に自己覚知を促していく必要がある。
スーパービジョンには4つの機能があり、それぞれが独立した機能ではあるが、課題に対しては4つの機能すべてを駆使しながらのスーパーバイズの展開となっていく。僕は、当然のことではあるが教育的機能を中心にスーパービジョンを実施してきたが、ここで問題となってくるのは「相手の人格」である。ケースによって4つの機能を使い分けるのは当然!と書いたが、相手の人格を考え、個々の機能をどれほど?どこまで?を考えなくてはならない点が難しい。
ある者には、教育的機能を8割、残りの2割を支持的、管理的機能を添えるように実施すれば良い場合もあれば、逆に支持的機能を多く与えていかなければいけない場合もあり得る。これが俗にいう「脅したり、透かしたり、宥めたり」ってことなんだろうか・・・?!
自分の管理もままならない者が、他者を管理・マネージするずうずうしさ・・・。スーパービジョンの前に自分がスーパーバイズされなければならない!と自分をいさめるのである。
毎年、年始のご挨拶をブログで公開していたのですが、今年はついつい機会を逃してしまい、今に至る!といった反省をしております。昨年末の認知症介護指導者養成研修を受講していたひずみ(・・・って言うと、大府の研究・研修センターの講師陣には怒られるけど)が、結局、自分自身に年末という認識を形成するには至らなかった結果、クリスマスも大晦日も元旦も無く、普通のような生活を送ったということです。
また、今年の正月を迎えるにあたり、昨年末は31日もデイサービスのサービスを提供していたのですが、それも一因として言い訳しておきます。
さてさて、そんな言い訳はさておいて、年明け早々より禁煙をスタートさせてしまったお蔭で、太り始めました。高脂血症と高血圧が課題の自分は、体重の増加は大敵。何とかして増加傾向にブレーキをかけなくてはならないのですが、一向に体重の減少には結びつきません。それもそのはず、間食が増えたこと。仕事しながらも年末のごあいさつとして頂戴したお菓子の類を、暇があれば口に入れている状態です。そして、間食だけではなく、三度の食事もおいしくって、ついつい腹いっぱい!食べてしまっている、口いやしい自分に腹が立ちますね。
先日、何かの番組で食事の食べ方について話をしていたが、一口づつよく噛んで食べることが重要であるらしい。太る人間は早食いである。早く食べ物を胃の中に入れてしまうと、満腹感がないばかりか、胃と腸に負担もかけてしまう。わかっているのに、なぜか早く食いとなってしまう。だから最近では、一口ごとに箸をおくことにしている。箸をおいて、一口づつゆっくりと味わって食べるようにすることで、よく噛み、ゆっくりと食事ができるようになる。まあ、これもいつまで続くやら。前途多難な一年のスタートです。
年末と言えば大掃除。大掃除と言えば窓拭き。年度の終わりに重労働が控えている。今日から太陽の家でも、ぼちぼちと掃除が始まった。利用者がいるから掃除できる時間に限りがある。大々的に埃を舞い上がらせて、ハタキと箒でパッパっとはいかない。窓は窓で、寒い木枯らしの吹き荒ぶ中、窓を開け放って両面、きっちりと磨き上げなければいけない。
手も荒れる。歳とってきてお肌の脂分が少なくなってきているのに水仕事は、更なる乾燥をさそう。お肌もボロボロ、身もボロボロ。おまけに床だけではなく、天井部分の煤と埃にも気を配らなくてはいけない。顎をあげて上目づかいに仕事をしてると腰にも普段以上の負荷がかかる。「腰、いてえ~よう・・・」ってなわけで、こんなしんどい仕事しながら、高齢者介護しなけりゃいけない。今年のカレンダーのひまわりが良くない。29日土曜日、30日日曜日、31日月曜日は、利用者にとっても厳しい。一般企業のように28日金曜日を今年の最終日としてしまうと、利用者は29日から年明けて4日までの6日間、風呂にも入れなくなってしまうじゃんか!
僕なんか1日たりとも風呂を欠かさず生活している者にとっては、1週間入浴のない生活は非常に苦しい。なんぼ汗をかかない冬といえども、1週間はさすがに臭いが気になる。体の臭いだけではなく、髪の毛も自身の脂でベッタリと艶が出てしまうではないか・・・これはダンディーな僕には許されない。
てなわけで、31日もサービスの提供をしてしまう。結果的に大掃除にしわ寄せがくる。体がしんどい。目が回る。これを本末転倒と言わずして何と言おう!!
アッ、そうか・・・30日の日曜日を休まず代休として31日を休みにすればいいのか・・・・いやいや・・・そんな問題ではない。4日間よりは3日間。せめて1日でも少なく入浴できない日を、それが相手を思いやる配慮というもんだ!と自分を慰める。俺たちゃ社会福祉をやってんだ!単なる金儲けでやってるんじゃねえよ!!ってか・・・