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ブログ-施設長の部屋

2013/4/6
思い出

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今日はいつになくセンチメンタルな気分なのか・・・先のブログで思い出のカーメルの画像を張り付けていたら、どうも古臭い昔が懐かしく思い出されてネットサーフィンを繰り返しながら、昔、学生時分に働いていたナーセリーの写真を発見した。あの場所のにおいや空気までよみがえってくるような気がした。

僕はこの園芸屋さんで、お客さんの購入した花や肥料などを、お客さんの車まで運ぶ仕事をしてた。時々もらえるチップがうれしかったことを覚えてる。でも、アメリカの園芸用肥料は大容量で、日本のものよりも遥かに大きく、重く、そして臭かった。一日中働くと、頭から足先、全身に牛のウンコの匂いと埃にまみれ、力仕事の疲労と匂いで辛かったことを覚えている。しかし、慣れてくるにつれ、接客もさせてもらえるようになり、自分のセールスで花や肥料や消毒薬などを販売できるようになったときは、仕事が面白くて仕方なかった。

そんなちょっとした思い出のかけらを、皆さんにも感じてもらいたくって紹介します。

Los Altos Nurseryです。

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2013/4/6
ある番組・・・2355について

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毎晩、11時55分になると観る番組がある。タイトルに書いたように、その番組を数字で2355と言う。まさしく、文字どおりと言うか、23時55分のたった5分間の番組を放送しているEテレのことである。たった5分だが、この5分が面白い。そこに展開されるアートワークって言うか、発想が面白い。皆さんも一度、ご覧になると良い。クスッ!と笑えるかもしれない。

今日、紹介している画像は、アメリカ合衆国のカリフォルニア・モントレー郡カーメルのビーチに生えている糸杉の画像である。僕が滞在していたころから存在する木で、まだまだ若かりし頃、当時の彼女とともにこの木の下で写真を撮ったことを思い出した。今から思えばずいぶん昔の話である。

まだ気持ちは、その当時のままではあるが、写真を見ながら当時を思い起こすと、そこにすでに40年近い歳月が経過している。自分にとって一番輝いていたころの話だ。2355の終わりがけに必ず、明日につなげるナレーションが入る。「にいさんごーごーが、土曜日を告げます!」と。過去は今の過ぎ去った跡。今の自分は、すでに過去のものになっていく。この番組を観ながら、いつも一日の終わりに感謝する自分が居る。波乱にとんだ一日でも同じように感謝してる。明日に向かって、気持ちを入れ替え、新たなるスタートを切る、とても良いきっかけとして番組を観ている。lomberd5.jpg

サンフランシスコ湾に浮かぶアルカトラズを望む

2013/4/3
訴訟化への懸念

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名古屋市の市立中学校に通っていた男子生徒(16)が同級生にいじめられ、うつ状態になったとして、当時の同級生(16)とその母親を相手取って損害賠償訴訟を起こし、名古屋地裁(片田信宏裁判長)がいじめを認定して、同級生と母親に対し33万円の支払いを命じる判決を出していたことが3日分かった。判決は母親についても「親として子供の教育や監督を怠った」と指摘し、責任を認めた。(毎日新聞)

日本もアメリカを追従するように訴訟が盛んに行われる社会へと変貌してきているようだ。いじめ問題は、今の時代を象徴する問題であり、このまま野放図に放置できないことは十分に承知の上で、この文章を書いている。ここで問題としたい点は子供の問題を訴訟に発展させてしまう社会構図について考えてみたい。高齢者介護の上においても希薄化する人間関係が、高齢者の社会活動に少なからず影響を与えている点では、本来の自立支援ってのは考えられない時代である。

いじめは排除すべきである。世の中が平和的社会秩序を保てるとすれば、それが一番の理想ではある。しかし、個人の自由、権利、尊厳が大切に扱われる反面、それら大切なものを強く主張しすぎるケースも無きにしも非ず。お互いの主張が真っ向から衝突することを良しとする社会が出来上がりつつある。また、あえて法廷闘争に持ち込む場面すら見受けられる。個人の主張が強く、相手を思いやり理解しようとする努力義務が忘れ去られているようである。もちろん、今回、取り上げた朝日新聞の記事を、僕個人の一方的な理論として、当事者たちを批判するものではない。そこには、少量の情報しかなく、人を批判するには少なすぎる情報であることから、この訴訟に至った行為をどうこう云うつもりはない。

ただ、訴訟への判断の良し悪しではなく、このような事例が増加することで、子供たちの社会が大きく変化する懸念。そして、その影響は子供の教育自体に跳ね返ってくるという点が不安なだけである。高齢者の介護を実践する中で、事故は常に大きなリスクとして介護者にのしかかっている。自立支援を奨励するあまり、何の制約もなく歩いてもらっていると転倒骨折のリスクが伴い、施設だけの生活から脱するための外出を進めることで、インフルエンザやノロウイルスに感染するリスクを背負い込むこととなる。高齢者をお預かりする立場としては、健康で安心な普通の生活を保障することが最重要課題であるにもかかわらず、これらの事故の発生は利用者の身体的活動能力を奪うばかりか、生命まで危機にさらすこととなる。もしもの事故を想定すると何もしない、活動もなく24時間ベッドで寝ててもらえることが一番の安心となってしまう危険性。僕は、この訴訟社会の抱える問題として、同じような無気力な社会を助長するような気がする。

訴えられて損害賠償金を支払うくらいなら、他人との接点を持たなければよい。そう安直に考えることが一番のリスク回避となる社会への変貌。それが、この社会の結末であるならば、こんな寂しいことはない。

2013/4/3
内緒だけどね!

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まあ、こんな発言って誤解されやすいので嫌なんだけど、ぼく、結構、マツコデラックス好きだねえ!いや、いや、ぼくはその筋の人でもなんでもなくいたってノーマルな男なんですが、マツコデラックスだけは嫌じゃないのですよ。最近のテレビ業界、様々なオカマちゃん達が大活躍してるではないですか。まあ、アメリカではベトナム戦争時代にすでにゲイが、社会的地位を確立するほどだったわけで、そう考えると日本でオカマが流行ってもおかしくはない時代なんでしょうね。

さて、マツコデラックスの体系や顔立ち、それこそ本物の女性よりも女性らしく美しい東南アジアのニューハーフからすれば、異様な程並外れた感じで、どこがいいのさ!?って聞かれても、それをシッカリと説明できるわけでもない。しかし、彼女(・・・?)のトークが面白い。なんだか、人のいい太っちょのおばちゃんって感じで、一緒にいたら話がはずむような気がするのです。感情の表現方法が感性豊か!って思うのですね。結構きつい言葉で相手を傷つけそうな場面でも、言葉が突き刺さらない。すごく上手な配分で話を進めるところに、妙に納得してしまうのです。

オカマちゃんと言えば、昔、面白い体験をした。学生時代にバイト中、髯もじゃのオッサンから電話しておいでと電話番号を紙マッチの裏蓋に書いて渡されたことがある。相手は白人のオッサン。若い日本人の男の子に興味があったんだろうね。次に、タイのバンコクのとある路地裏の怪しげなゴーゴーバー。無茶苦茶別嬪のプロポーションもきれいな女性(ではなかったんだけどね、あとで分かった)、お店に入ってカクテル飲んで、その子の踊りを眺めていた。まあ、本当にきれい! 日本でも、こんな別嬪みたことない!ってな感じ。まあ、運よく夜を共にする前にニューハーフってことが分かって、それで終わったけど。まあ、面白い国だバンコクって。

マツコデラックスの話が、オカマちゃんの話になってしまったけど、何にしてもテレビで売れている人は、それなりに輝くものを持っているんでしょうね。

2013/4/2
グループホーム太陽の家 さくらの会

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桜の会とは、うちのグループホームに組織された入居者による「自治会」の事である。この自治会は名称を変えながらも、このグループホームが設立された当初から継続されているが、ここ数年の自治会活動はかなり活発になってきている。その一つの理由に、職員のスキル向上が大きな要因と考えられる。それまでの自治会は、お仕着せの自治会的な集まりであり、そこで自由な発想や意見の抽出ができていなかったことが大きな原因ではなかったか。それが、今では定期的(月一回)な開催に合わせて、入居者の方々にも自治会の意見を普段の生活に反映されている点を含め、少なからず「やりがい」に結びついているのではないかと判断される。

さて、そんな自治会。僕は今では直接的に参加することはないが、毎回の議事録を確認している中で、その時の情景が目に浮かぶようだ。議事録に記される発言なども、読んでいて面白い。それぞれ皆さんの生活歴が如実に表れている点、その人を感じることができる貴重な時間であろう。今、新たに入居された方を含め、昔取った杵柄、それぞれに得意な分野を大いに活用させてもらえそうな面白さがある。

今回は、コーヒーが好きだという入居者さんの加入で、今までコーヒーを飲みたいといったことのない人たちが、口々にコーヒーを飲みに喫茶店に行きたいと言い始めたのである。これは、グループホームにとって画期的な出来事である。そして、職員にとっては思いもかけない方向性に、嬉しい状況であろう。前のブログでも書いたように認知症の人は、無感情、無表情、無関心な人ではない。そうしているのは、そこで働く職員の介護力の問題であり、なんら利用者の皆さんの責任ではないわけである。だから、利用者の方々が自発的にこうしたい、ああしたい!と言い始めることはうれしい事であり、生活自体が活発になってきている証である。

喫茶店に行く!喫茶店ごっこをやってみる。家族さんを呼んで、地域の皆さんを招いてウエイトレスも喫茶店のママさん役も決めてコーヒーを提供する場を作る。そのまま、オレンジプランで求められている認知症サロン、そのままである。

認知症の人との生活って、このような面白い、楽しい部分が多い。もちろん、生活支援ってのはシンドイ。しかし、毎日、こんな面白い発想や夢が見れる場になってくると、ここで働くことが楽しくなってくるのではないか・・・?!と思っている。


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