


今、自分の中の楽しみは、これらの本とCDである!(えらっそうに!・・・) 連休前にネット注文して、今日届いた本とCD。まず、これらの書物を紹介すれば、左から元リッツカールトン日本支社長だった高野登氏の「日本人の流儀」、人生の勝ちは、社会や周囲にどれだけ貢献したかで決まる。そのために、今日から自分は何をすべきか?という内容の本である。次に、日本に初めてディズニーランドがオープンした当時の正社員だった福島文二郎氏のチームワークの構築に関する書籍。人間は何のために生きるのかを問う書籍「生き方」;稲盛和夫氏の書籍。最後の右端は、元リッツの高野氏と志賀内泰弘氏のエッセイ。気配り、心配り、言葉かけに関するヒントを引き出そうと購入した。
高野氏に関しては、僕はなぜかしら非常に賛同できる気持ちが多く感じられて、彼の著書はほとんどすべてを読んでいるし、もちろん自分で購入して蔵書としている。高野氏の文章から学ぶことは多く、まったく異業種であるホテル業界の話が大半ではあるが、そこに学ぶべき介護の精神、ホスピタリティは多く存在する。先日、車を購入した際、私の担当となった若いセールスマンに高野氏の書籍を買って読んでみろと言ったことがあって、その彼は正直にも自分で購入して読んでみたそうだ。もちろん、非常に参考になりましたとの連絡を受けて、お勧めした甲斐があったように感じて安心した。とにかく、介護の業界で働く人には、特にこの高野氏の著書を読んでもらいたい。逆に介護理念のなんちゃら!とか、何とかの介護論!ってのよりよっぽど学ぶことが多い内容である。
次に、上の写真は購入した4枚のCDである。この中の2枚は好きな演奏家のCDで一人はトゥーツ・シールマン(右下)、ハーモニカ奏者である。彼の音楽との出会いは一本の映画である。随分と昔の映画だが、スティーブ・マックイーン主演の「GETAWAY」のメインテーマ曲を担当したのが、このシールマン。けだるい感じでアーバンチックな音色で語る、彼独特のハーモニカは、一人で過ごす夜のひと時には最適の音楽である。ただし、心に大きな負担を抱えている人には、お勧めはできない。(間違っても、葬送曲には使わないように・・・) そのななめ左上にあるのが、ジャック・ルーシエール トリオと言う参院組のバンドが演奏するバッハの曲をジャズの旋律で奏でる。これはもう至福の一枚。このトリオを知ったのは、ちょい昔のトヨタ・クラウン・アスリートのCM曲が最初だった。アップテンポでバッハを演奏する。軽快、そしてバッハ特有の美しいなgれる旋律を崩さずジャッジーな感覚を保っている点、あっぱれ!としか言いようがない一枚である。残りの二枚については、ネット上で視聴してみて購入。どちらかと言えば、昔風のスタンダードなジャズに少しだけアンニュイな女性ボーカルの混じった音楽である。この二枚は、ホームパーティーなどの場でBGMとして使うにはてきしているのかな・・・・と感じた。
まあ、秋の夜長ではなく春先の今の時期に、なんで本とCDをたくさん・・・と思われるだろうが。最近ねえ、夜あまり眠れないんだよね!!と少し愚痴ってみたりして・・・はははは・・・・でも、本を読むこと、音楽を聴くこと。これらは僕の気持ちを豊かにしてくれることは確実である。皆さんも、一度、本屋を覗いてみれば・・・・きっとお気に入りの作家との巡り合いがあるかも・・・・!
先日、近所の書店を訪れたときに、何気なく目に入ったものがあった。「エンディングノート」の名称で、要するに自分のもしもの時に、残された人たちに自分の生前の記録を残すための記録と言えば分りやすいかもしれない。よくよく見てみれば、いろいろな種類や価格帯のものがある。名称も「もしもノート」、「私のエンディングノート」や超豪華装丁版まであって、一冊4万円もするような物まで販売されている。平均的に一冊、1000円程度の価格であって、内容として自分自身の基本情報、資産情報、預金残高、各種ネット関連のID、パスワードなどを記入できる。また、附属にCD-ROMまでついて、映像、画像、音楽などを保存できるようになっている。この辺りはパソコン社会の現代を象徴している。そして、一番重要なのは、本人と家族、医療と介護、葬儀とお墓、アドレス帳があって、万一の時に知らせてほしい人の連絡先を書き込めるようになっている。
本屋で立ち読みにしては、長い時間を、このエンディングノートに割いて見入ってしまったが、自分の最後をしっかりと見つめながら、このエンディングノートを埋めていく時の心境を思い浮かべていた。自分自身だけではなく、誰にも訪れる「死」ではあるが、今すぐに往ってしまうこともないだろう・・・自分にとっても、少し重い、辛さがあった。私たちは認知症の人たちを介護する中で、高齢者の人たちにお伝えすることとして、健康老人のうちに自分の過去や思い出、趣味や嗜好を書居といてもらえると、認知症となったときに適切な援助を可能とするので助かりますよ!とお願いすることもある。
なかなか人間の本心ってのは家族でも理解しきれていない部分が多く、認知症の方々を受け入れる時に、その人の性格、生活歴、嗜好や習慣を尋ねても分からないケースが多いものである。一人として同じ人間は存在しないから、そこに個別の援助を実践するうえにおいても個人情報ってのは非常に助かるのが、我々支援サイドの願い。しかし、これとて、今の話ではないが、自分が健康な時から、もしもの時を想定して自分を表出していくことに何の抵抗も感じなかった自分がいた。エンディングノートを見つめながら、その人への配慮のなさに改めて自分自身が気づいた。そんな気がした。
(全写真提供;Yahoo.japanウイキペディアより転用)
国民の祝日というテーマと交通渋滞の写真の関係性は、少し的外れなところもあるが。とにかく、僕は今回のゴールデンウイークとやらの長期連休ってのが大っ嫌い!アメリカから帰ってから以降、僕は、これらの連休ってのを楽しんだ覚えがない。常に連休中は仕事として、サービスの提供にあたっている側に属し、連休の交通渋滞を満喫(?)する余裕すらない。そうして今も爺さん・婆さんのお世話に明け暮れている。
交通渋滞は世界のいたるところで発生しているので、車が多いから連休という長期のお休みが嫌いというだけの理由には当たらない。企業で働く人々にとって、生産ラインの効率性から一斉に休みをとって生産ラインの調整を行うってのも理解できる。普段から寡黙で、自己主張の下手くそな日本人だから、それとも団体の中に生きる者として共生理念を自らの勝手に打ち破る「遠慮」としての感覚からか、日本人はバケーションの申請を出す術を知らないからか、欧米人のように自分に与えられた権利の行使がうまくできないでいる。だから、国民の祝日として「決められた日」に、国民がこぞってお休みを得ることとなる。
行楽地や高速道路などには、車で移動する国民によって大渋滞をもたらし、公共交通機関に至っては満車率200%などと冗談のような話が、あちらこちらのニュースで話題となる。車社会の日本、おまけに国土も狭く、その分道路も狭く、言った先々の駐車スペースも限度ある環境では、渋滞しない方が不自然である。ネット情報や雑誌に取り上げられたスポットには、お年寄りも若者も集まりレストランはもとよりトイレにまで列ができる始末。休日とは、普段のハードなお仕事の骨休めとして英気を養う場面であるはずが、家族サービスまたは恋人との良好な関係維持に、行楽に行く段階でストレスいっぱい、疲れ果ててしまう現状を考えると、果たしてこれで良いのか?と思ってしまう。
確かに人ごみのない行楽地やレストランってのも、何かと不自然極まりないと言うか、暇すぎる場所ってのも面白みに欠けるのも事実ではある。しかし、毎日が東京ディズニーランドの中のような人ごみは、提供されるサービスの点で多少の疑問も感じる。猫の手も借りたい状況ってのは、商売人として冥利に尽きる。しかし、そこで行われる作業が通常行われる100%のサービスが保障されるかと言えば疑問でないか?十分な準備はされているものの、忙しさにかまけて削減されるものはないのか? そこには、忙しさのあまりつい!手抜きが・・・という点も無きにしも非ず。ではないか。
国民の8割が休暇を楽しんでいるにもかかわらず、なんで自分は働いているのか?という嫉妬心が皆無と言うわけでなく、すこしは妬みも含まれてはいるだろう。しかし、それでも、この国民性、何とかならないものだろうか・・・と常に期待している。僕はまだ経営者として、この間に商いをさせてもらえる以上、文句のつけようがないが、しかし、介護に携わる者たちは、祝日だからと言って長期の休みを取るわけにもいかず、嫌でも爺さん・婆さんのお世話に出てこなければいけない。かく言う爺さん・婆さんにしても、この連休中は家族の休暇から置いてけぼり。デイサービスと言うよりショートステーの稼働率がアップする。そんな現状に、日本人の気質にちょこっと首をかしげたくなるのである。
トヨタのコマーシャルで(・・・僕の話題ってテレビの話題が多いなあ~と自分でも思う。よっぽどのテレビ好きなのか?どうなのか?・・・)、北野武氏とジャン・レノの登場するコマーシャル。あのCMの大半は、僕には意味が分からない部分が多いのだが、唯一、トンネルの中を走行している車の運転席のたけし氏が、つぶやく場面。「トンネルの出口だ!」につなげて、ジャンレノが「未来への入り口でしょ!」と言う。そして、ドラえもんの何処でもドアのどちらが入り口で、出口?の問いに、「どっちも!」と答えるドラえもん役のジャンレノ。この二つが面白い!
Fly Me to the Moon、 And let me play among the stars
Let me see what spring is like on jupiter and mars.
In other words, Hold my hand
In other words. daring,kiss me!
苦しみ、悲しみ、辛い毎日も、一夜明けるまでもなく、今、生活している場面がすでに未来の入り口と考えることができれば、気持ちはある程度楽になる。入り口か?出口か?この辛い時が、どれほど続くのか?という問いかけに絡めて考えれば、ドラえもんの何処でもドアってのは、いつ、どのように通り抜けたにせよ、そこには新たな一歩を刻むことにつながる。人生、長いようでいて短い。明日をも知れない人生であれば、その時、その瞬間を精一杯生きて、生き抜くことが、ドラえもんの何処でもドアを通り抜けた瞬間ではないか・・・と感じるから好きなんだ。
自分たちの歩いたステップは、足を動かす瞬間から「過去」と変わっていく。自分たちが歩を進めるたびに後ろを振り返らないように、私たちも過去を気にせず、常に前向きに一歩一歩、確実に前進することを目指していくしか方法はない。そこで色々と不必要な懸念や心配事を考えたとしても、それはすでに過去の産物となり得る。過去を振り返らない。自分の思う道を自信を持って前進すれば、いつかはマイナススパイラルから脱することが可能となるのではないか・・・・!