御在所岳が呼んでいる。ここのところ日曜日ごとに雨の日が続いており、なかなか山登りに出かけることができない。ちょい昔なら、雨が降ろうと槍が降ろうとお構いなしに、御在所登山を行っていたが、この業界に籍を置くようになって、とんと山登りから遠ざかっていた。登山ブーツも使わなくなると、靴箱の中でも劣化していくのです。ゴムの部分が朽ちていき、とうとう一足は捨ててしまった。残る一足も、まだ確認はしていないものの、同じように朽ち果てているような気配。
御在所岳は、三重県と滋賀県の間にそびえる1000メートルを少し超える標高の山で、いろいろなパターンの登山道を有する面白い山である。僕の好きなコースは、中道と呼ばれる登山道で、初心者も少し注意を払えば登頂できるルートである。
山頂までの中間地点に、展望の開ける格好の場所があり、断崖絶壁だから少し恐ろしいのは恐ろしい場所ではあるが、それなりに天気さえよければ景色を堪能できる。
それと、今の時期はつつじが有名。どうだんつつじや皐月の木の間を縫って、登山すると、何処からともなく鶯の声が聞こえてくる。いろいろな鳥が飛び交い、その鳴き声が、息切れした登山者の清涼剤のように、疲れを一掃してくれる。
登山はシンドイ。途中で上ることを止めたくなる程疲れる。しかし、登山途中に中腹で食べるおにぎりの味と澄んだ空気が、気持ちを上へ上へと導いてくれるような気がする。天気の良い一日、汗びっしょりとかきながら、山頂を目指してすすむことは、とてもリフレッシュの意味でも良い機会である。
天候さえよくなれば、今一度、御在所をのぼってみるつもりだ。
やはり暑くなってきました。いよいよ日本の夏が近づいてきた様子。汗がジンワリと滲み始めます。汗かいて夏痩せするのなら、それはそれで大歓迎なのですが、僕は夏も秋も冬も、季節に関係なく痩せない人間なので大変です。汗臭くなるだけ・・・う~んン、痩せない!といつも体重計に乗るのが恐ろしくなってしまいます。
体重計に乗らないまでも、パンツを買いに行って試着すると太ったことが分かります。行きつけのブティックでは、僕の過去のデータ管理を必ず行っています。黙っていても僕のサイズとおぼしきものを選んで試着室まで持ってきてくれます。
試着してみるものの前のボタンがはまらない。ジッパーも上がらない。・・・もう最悪!でございます。
そう呟きながら、毎回、運動するぞ!と固く(?)決心するものの、始める前からギブアップ。
そのような暑い今日は、グループホームの婆さんを伴って、えんどう豆をとりに行った。なじみの畑にお邪魔して、グリーンピースをとらせてもらった。できるだけ太っちょのものをとってくださいね!とお願いする。最初は太っちょばかりを狙って、採取してくれるものの、次第に何でもかんでも、目につくものを全て採取してしまう。おまけに葉っぱも蔓も・・・
でも、皆さんとても満足げで、行って良かったって感じています。
最近、自分の書いたブログを読み直している。2009年から始まったブログ。ブログの更新回数も1000回に近くなってきた。遠い昔のような気がするけど、実際の年月の過ぎ去る速度は、本当に早いものである。最初の一ページから読み直してみると、微妙ながら年を経るごとに、文章が少しづつ変化してきている。
最近は、読み手を意識して書いていることが想像できるような点で、以前のような荒削りなイメージは薄らいできている。良いのか悪いのか?は、読み手の好みによるけど・・・しかし、相変わらず書き下ろしの文章には誤字や脱字、つながりの悪い文章は継承されている。
良いところが継承されるならまだしも、悪いところが改善されずに維持されるって、どうなの・・・?
それと、僕のブログを書く行為ってのは、これでいて結構自分のためにも役立っている面もある。つまり、公言してしまうことで達成しなければいけなくなる。(まあ、禁煙はそうはならなかったけどね・・・へへへ)目標設定というより、行動自体がブログに書き込むことにより、矯正されていくこともあるということ。認知症の人への理解に関しても、僕は呼んでくれる介護職員さんに話すように書いてはいるが、結構これでも自分自身の考え方の確認を行っているのです。
また、職員さんへの想いってのも、ここに冷静な気持ちで書き込みながら、スーパービジョンを実践していることもあるのです。
インターネットを使ったコミュニケーションってのは、単にメールだけではなく、このような公の場において意見を述べることにより達成される場合もあるのです。逆に、このような媒体を利用して、悪用することも簡単に可能としてしまう。そういったデメリットも存在はするのですが。
昔、日本福祉大学で学んでいる頃、学生の間でネットを使った交流サイトがあって、その交流サイトでいろいろな体験をしたわけです。時に、言葉は文字になると勝手に独り歩きし、誤解を招くことも多くあった。文字の使い方の難しさは、その時に学んだのだが、しかし、今でも文字の扱い、感情のコントロールでは、学び切れていない、そんな経験を今でもしている。
後悔先に立たずです。
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太陽の家では、今、介護職員さんを募集している。そして、それなりに結構、多くの方々に気にしていただいてるようで、ハローワークで求人を知ったとか、友達から聞いたから、と言いながら面接させてもらう事が多い。
そして、面接の方々に聞くと、皆さんがうちのホームページを閲覧して、イメージをつかんでもらっているようである。多くの方が、ホームページのスタッフ紹介のページや僕のブログを読んでもらって、それなりに働きやすい職場という印象を持ってもらえるようである。
そんな言葉を聞いたので、と言うわけではないが。これから介護の業務に就こうとしている人たちにアドバイスをさせてもらえば。
介護の仕事ってのは、誰でも資格なくスタートはできる。しかし、なぜ、資格を求めるか?と言えば、それだけ専門性が高い業務だからである。この業務はロボットではできないのです。心のこもった人間でないと出来ないから、だから仕事しながらでも、いろいろと専門性を学んでいく必要がある。
次に、臭い、キツイ、汚いってのは嘘!今どきの高齢者介護って、言うほど臭くない、汚くない、きつくない!それは、介護保険制度の始まる前の措置の時代の、日本の高齢者介護の暗黒時代のことである。まあ、確かに排せつのお世話などはしなければいけないが、それとて、毎日日課のようにウンチまみれの業務ではない。これこそ、排せつは人間の一番重要な機能であり、これさえも専門性が要求される。つまりは医学の片割れのような次元の話なんだ!
そして、給料の問題。確かに給料は製造業などに比べて少ないかもしれない。しかし、単に金額だけの比較で多い少ないと評価していいものだろうか???僕は、それはそれなりに、資格を取得し、それなりに経験を積んでいくことでベースアップは可能であると考えている。でも、お金が必要と考える人は介護の仕事は、確かに向いてないかもしれない。お給料と仕事(やりがい)をどのように捉えるかによって変わってくるよね。
さて、次に、このホームページを見てもらって「イージー」なイメージを抱く人へ! 太陽の家は、それ程簡単な職場ではないことは言っておきたい。甘くはない!とても厳しいよ! 先日も職員の一人を泣かせている。私たちは人の命を預かっている。その立場をと責任を忘れて、なんでも良い!と、見過ごすことはできない。認知症の人が幸せそうな顔を表現できるように、そこで必死に努めてもらえない職員さんにはカツを入れる。
間違いは指摘する。学んでいただく。改善していただく。そして、良い介護には褒めて、さらにステップアップできるように支援する。この職場は人生道場のようなものである。
運動機能を維持するためリハビリを!と、認知症の人を口説いているリハビリ師。そんなものいらん!と断り続ける利用者。この様子は見てて面白い。リハビリ師は業務として利用者に問いかけ、利用者は必要性を認識できずに断り続ける。マッサージやリハビリやそんな言葉には、ずべて必要ない!と断る。
あの手この手と利用者は、笑顔で断り続け、挙句の果ては「私は、まだ若いもん!」と仰る。90歳にあと少しという年齢でも、まだまだお若いのである。少女とまでは言わないが、そこそこ若いつもりでいる。まだ独身・・・?!(・・・になった!)
それはそれで、とても上手に(上手と言う表現は不適切ではあるが、本当に誰に危害を加えるわけでもなく、そこそこ自立状態を保ちながら、記憶の中抜け状態は、認知症の状態としては理想的な状態といえる。その意味で、「上手に」という表現を使っている)年齢に応じた状態が維持されている。
人によっては、いろいろな問題を引き起こす方もいる中、認知症にも色んなタイプが存在する。今日のこの話題の主は、少しばかりお腹がすいていた。空腹感が虚脱感になり、空腹を強く訴えることはないが、体を動かすことに抵抗したくなる気持ちになったんだろう。
柔らかくリハビリを促すリハビリ師は、肩もみをしましょう!と誘いかけ、結果的にはリハビリを実施することができた。
この婆さん、リハビリから戻るなり、周りの利用者に「な~んも、気持ちよ~うなかったわ!」と笑顔で話していた。
認知症の婆さん、新人職員たちが「かわいい~・・・!」と寄り添うのは、こう言った婆さんの事を云うんだろうね。しかし、可愛い・・・だけでは、介護はできないわけで、なんとか利用者の気持ちを動かさないと、それこそ、体中の関節が固くなって動かせなくなる。ってことを、考えてももらいたいね!新人職員さんたち、お願いしますよ!