今日のEテレを観た。ワークライフバランスって、働き方について様々な企業で働く人たちの仕事とプライベートの時間の割合をもとに、労働上の無駄について話し合っていた。
「あなたの仕事とプライベートの時間比率はどうですか?」と聞かれて、絶対的に仕事に費やす時間の方が多い我々は、本当に自分自身の人生を楽しんでいるのか?と考えてしまう。デイサービスでは、サービス提供時間を7時間から9時間設定にたって高齢者介護を行なっている。家族からすれば、出来るだけ長く、デイサービス施設にいてもらいたいと願っている。それは、年寄が自宅に居ることが煩わしいという感情ではなく、自分たち家族も外で働く者として、年寄を一人で家に放置することが不安だからである。働く若夫婦の子供を保育園で面倒見てもらってる時の感情と似ている。
さて、そんな家族の思いを考えると、必然的に介護職ってのは自由出勤なんて夢のまた夢。どうしても家に帰る時間が遅くなってしまう。
では、どうすれば介護職員にもバランスのとれた生活ができるか?と言えば、今の日本の標準時間設定を二時間前倒しにする(要するにサマータイム・又はデイライトセイビング・タイム)システムの採用ではないかと思う。朝8時半から夕方の5時半まで働き、退勤時間の頃には陽の光も陰り始める時間。家路を急いで夕ご飯の準備を急がなければいけない。
しかし、二時間の前倒しにすれば、今までの5時半の退勤が、三時半の退勤となる。9月中旬の日没は、6時45分くらいであるから、二時間の前倒しによって、家に帰ってから日没まで3時間は存在することとなる。
この三時間、自分の時間として有意義に使うことができれば、僕は自転車に乗って50Kmは走れる。スイミングプールでみっちりと2~3Kmは泳げる。
統計によれば先進7か国の中で、このワークライフバランス比率でいうと7番目の国がわが日本であるそうだ。高度成長時代の猛烈社員の名残が根深く残る日本企業。働くばかりで金儲けしか頭になければ、文化は育たない。福祉意識も拡大しない。こりゃ、なんとかせにゃあかん!!
台風が直撃すると叫ばれる中、それも朝方、新幹線は東京までの一部区間の運転を見合わせていたにもかかわらず、運転再開の報道を見て出張に踏み切った。
結構頻繁に東京に行くことが多いが、今回の上京は協議会の関係の出張である。それも3連休の真ん中、おまけに台風のさなか。そして認知症フォーラムを1週間後に控えた今・・・?なんで・・・?と思うだろうが、それが結構重要な会議が本当にあった。
まあ、そんな会議の内容は兎も角、今回は東京のホテルの窓から見える変化していく都内の写真をお見せしたい。
この台風は京都や滋賀県に大きな被害をもたらしたことはニュースで知られている。しかし、新幹線を使う乗客もとても大きな不便を感じていた。15日(日曜日)は午前中に運行を中止、翌日の月曜日16日は昼過ぎの3時まで東海道新幹線は止まったまま。3時以降に運転は再開されたものの、富士川の規定水域を超えたことから、慎重にスピードを減速して、橋を同時に複数の列車が通行しないよう、交互にわたる。そのような対策をとっていた。3分に一本の新幹線が移動しまくっている東海道、この区間の渋滞が響き、普段の倍の時間をかけて東京から名古屋まで帰ってきた。そんな苦労もあるのです。
実際、品川駅でも、運休が続いたことから新幹線の切符販売窓口は長蛇の列ができてしまい、改札口にも列車の運行を待つ人々であふれかえっていた。地震、台風などの天災に弱いのが新幹線。無茶をしないという点で、安全を保障している日本のシステム。事故に巻き込まれる不安を考えると、神経質すぎて丁度いい!そんなことを考えながら、乗客のだれも文句ひとつ言わないで、ただ待っていた。
これが日本人の良いところでもあるし、逆に自分の感情を押し殺してしまう国民性として、日本人の考えていることが読めない外国人にとって不気味に感じる気質であろう。
まあ、東京に二日間。たっぷりと時間はあった。しかし、何をするでもなく、新幹線の再開に期待して、一日中、まったりとニュース番組に首ったけの時間を過ごしてしまった。
偉そうに!資格取得を目指す!なんて・・・自分が取得したからって!なんて思われるかもしれないけど、うちの事業所から今年もたくさんのスタッフがケアマネや介護福祉士資格取得のために試験を受ける。
特にケアマネは、来月中旬と、残すところ1か月。本人たちは、結構ドキドキな毎日に、襲い掛かる不安感がストレスに変わり、そのストレスに押しつぶされそうな日々を過ごしていることだろう。
かく言う私も、数年前には同じ経験をしている。ケアマネ受験を行い、その年度に社会福祉士の資格取得で、同じようにストレスに気が狂いそうな日々を送っていた。そんな体験者の一人として受験生諸君にお話ししよう。
① 受験日間近になった今だから、参考書を調べての問題解釈に力を注ぐことをやめよう!今となっては、更に過去問を徹底的に、それも繰り返しやるだけに徹しよう。理屈を理解するよりも、問題の傾向を理解することに力を注ごう。
何度も何度も、繰り返し過去問をやっているうちに、問題の中の癖みたいなものが見えてくる。テスト問題の中には、ひっかけ問題のようなものもある。普通の者は、このひっかけ問題で落とされる。ほんの少しの違いが、結果として大きな違いを生むのだよ!過去問を通して、問題に慣れよう!
② 受験日前日または前々日くらいになったら、一度公共交通機関を使って受験会場まで訪れてみよう!乗車駅、降車駅、ルート確認、所要時間や会場周辺の環境をじっくりと観察してくる。仮に試験会場がなじみの場所であっても、この行為を行うことで、試験当日に心の余裕ができる。そして、試験に集中することが可能となる。
そして、試験当日に会場に入る時間に、多すぎる程の余裕をもって入ろう!突発の事故、事件に影響され、只でさえ心臓バコバコの心境に拍車がかかるような状況を作らないため。
③ 試験当日は、いまさら焦ることは無意味だと考えること。過去を嘆くなかれ!嘆く位なら、それまでの時間を無駄に過ごすな!時間を無駄!と言っても、何もかも投げ捨てて一日中、やみくもに試験勉強をすれば良いのかと言えば、それは間違っている。誰だって100%試験勉強だけに没頭できる環境の者はいない。何かかんかと勉強に邪魔は入る。それはそれで、シッカリと全うし、試験勉強は勉強で集中して全うする。全ては頭の切り替えに集中すること。
試験の時間は、徹底的に試験だけを考え、他ごとに恐れおののくなかれ!落ちたらどうしよう・・・?!とか、他の仲間が合格して私が不合格だったら・・・・!なんてことは考えない。やる以上は、空欄は作るなかれ。全ての問いに必ず答えを記入してこよう。まぐれに期待して、自分の運にかけてみよう。ダメな時は、もう一度トライすればいい!
まあ、このアドバイスを守れば、君も必ず合格する。首の皮一枚の差で!僕がそうだあったように!合格点ギリギリでも、合格に変わりはない。
君たちにアドバイスし、これで合格したら、君たちは僕に何かおごれよ!飯の一杯でもおごってくれれば良い! だめならコンビニの肉まん一個でいいよ!まあ、何とかなるものさ!
あと少し、本当に残すところ少しの時間。頑張れ!そして、テストを無事終了させて美酒に酔ってくれ!君たちの奮闘に心よりエールを贈る。
今月の20日は、うちのデイサービスの職員を対象に「認知症の人に対する接遇」をテーマに研修を行う予定である。太陽の家デイサービスセンターでは、今後月一回のカンファレンスと同様、職員研修を復活させようという機運が高まり、今回のテーマは認知症の人に対する接遇を求めてきた。
職員側からすれば、認知症の人に対し、どのように接し、どのように理解していけば良いか、事例を挙げて個々のケースに回答を求めているのだろうが、認知症の人ってのは、それぞれに状態が全部違う。その人の認知症の原因疾患によっても、その人の人格、生活歴、性格や環境によっても、極端な話、その時の体調によっても出現する課題ってのはバラバラである。
そんな種々雑多なケースを網羅しようものなら、それこそ一日中、色々なケースを取り上げて説明を加えていかなければいけない。それより、職員の持つスキルや知識に応じて、認知症の人について考え方の基本を学んでもらった方が、より研修の効果が期待できる。
昨日の日曜日、僕は午後の一時を事務所で気になる仕事を片付けるためデスクに着いた。日曜日、だれも居ない事務所のデスクに着き、パソコンのスイッチを入れた途端にGHの入居者の一人と遭遇した。彼女はピンク電話を使って外部に電話しようと、自分のオンバ(手押し歩行器みたいなもの)に腰掛けて、一人ぶつくさ呟きながら電話の受話器を手に悪戦苦闘していた。どうも電話がつながらないようである。(電話代を払ってないからではない! 電話の仕方に問題があるようだ。
彼女は、僕の姿を見かけると即、電話がかからないと訴え、そこから普段から鬱積している愚痴が止めどもなく始まってしまった。彼女にとっては、とても悔しい昔の話である。大半は、兄弟、親戚、交友関係の人たちに対する不満である。今回は実の姉の悪口である。その話の中では、彼女はいつも善人であり、悪者はすべてにおいて他者である。「こうすればよかったのに・・・」から始まり、「あかんわな!」で続き、「いつも父親が言っていたけど・・・」とつながっていく。
最近の太陽の家のグループホームは、入居者が世代交代し入居者が若返った。そして、その大半は日常の生活は自立している人ばかりである。要するに身体介護が減少し、精神的な寄り添いを強く求められる自立組が増えてきたのである。この意味は、同じ業界で仕事する人には理解してもらいやすいと思う。要するに、介護職員の疲労の原因が肉体的な労働から、精神的ストレスによる疲労に変わってきたということである。
職員だって人間である。他人の感じる重い部分は、救おうにも救いにくい同時に身体介護よりも重い気分となるのが、これら精神的に鬱積したものへの対応である。同情しても解決には結びつかない。その場しのぎであり、それ以降に何度も、何度も同じ訴えを聞かなければならない。それで、僕はどのように対応したかである。
僕は、認知症の人を小手先で騙してあふれ出る鬱憤をせき止めることはしない。本人がある程度言いたい分は、すべて言い放ってもらう。そして、否定ではなく、自分が考える道義的な視点を含めて、訴えている内容に答えていく。
つまり、この方の場合、大好きで心配で仕方ない姉妹間の行き違いが大半を占めてる苦情が多い。姉妹に対する愛情は、他の誰よりも強い持ち主である。だから、僕は、その点を強く強調して、相手を悪く言うことをやめてもらうようお願いする。この苛々さえなくなれば、いたって普通の善良な婆さんなのに・・・もったいない!とお話しする。言えばいうほど、自分の想いの中に逆作用が働き、文句を言っている自分がみじめな気持ちになるでしょう!とお話しする。そして、それよりも、もっと楽しいことを考えてみませんかと話題を提供する。
もちろん、毎回成功するわけではないが、少なくてもその人の抱える頭痛くなる悲しさは気分転換する方向に向けることができる。僕はこれを「受容」と考えている。受容とは相手の言い分を何が何でも受け入れるんではなく、鬱憤に押しつぶされそうな婆さんであり、なんとか憂さを晴らして身軽になりたいと願っている人として取り入れる。これが受容である。その人のすべてを取り込んでしまうと、そこに人間同士の信頼関係は築かれない。
受容の姿勢は言ってみれば、その人を真剣に理解しようとしていると相手に分かってもらえる、信頼関係構築のための近道である。なんでもいうことを黙って聞いてくれる姿勢ってのは、一見優しい気持ちのように思われがちだが、その実、そうではない。ただ単にクドクドと話しこまれまいとする自己防衛策であることが相手には丸わかりとなってしまう。そんな関係に信頼ってのは生まれない。
相手の言葉を真剣に受けとめ、自分なりの心を添える。例え考え方は完全に違っていたとしても、相手に寄り添う気持ちさえあれば、そこに信頼関係は作られる。僕は、認知症ケアの中で、この点が若い職員さんたちは苦手と思っているように思う。
当然のこと。なんでも転ぶと、体のあちこちの打ち身が痛む。昨日、自転車で転んで打った箇所が痛む。おまけに頭をとっさに保護しようと、無意識に首と肩に力が入ったせいか、今日は右首筋が痛む。
なんでこけるか?それは、僕が自転車に不慣れだということ!自転車に初めて乗ったのは、幼稚園の頃だったと思うが、後輪の両脇に補助輪をつけて練習し、慣れるにつれ片方だけの補助輪に、最終的には補助輪なしで走り始めた。
今、乗ってる自転車は、そんな頃の自転車ではなく、極極細いタイヤを履いて、フレーム自体もフルカーボン製で軽い。ちょっとした凸凹にも、反応が厳しい。自分では大丈夫と思っていても、色んな場面で想像とは違った反応がある。よく言う「想定外」って奴だ!
高齢者の介護を行なっていると、この想定外ってのが結構多い。予想できない事象に、思わぬ事故や事件が起こることがある。この予想できない事ってのは、自分が経験したことない事が大きな要因であると思う。特に若い職員さんには危険が見えてこない。僕が、段差を乗り越えられると思いつつ転倒してしまった。その原因と同じである。
リスクマネージメントとは、根本に自分自身の想像力ってのが影響を与える。先が見える!って程大げさなものではないが、自分が経験してきた痛い事、苦しかった事、辛かった事などの肉体的、精神的苦痛を経験してきた数の問題でもある。だからと言って、僕は若い職員さんたちに、今から苦痛を体験してほしいとは思わない。しかし、いろいろな場面や状況を見て、そこから発展していきそうな未来を想像する力を養ってほしい。と思っている。
このまま行くと危険かも・・・?って予想が、事故を未然に防ぐ秘訣かもしれない。
僕も、今回の転倒でまた一つ学んだ。これ以上のダメージを受けることなく安全に自転車を楽しむには、どうすればいいか?それを考え、予想しながら、今日も自転車に乗った。自転車をこぎながら、色々なことを考えている。今は、この9月25日から始まる、認知症フォーラムのことを考えながら、自転車をこいでいる。もちろん、そうしながら、交差点のたびに十分すぎる程の注意を払っている。あとどれ位、自転車を楽しむことが可能か分からないけど、出来る限り年をとっても続けていきたい。と今は思っている。(飽き性だからな・・・少し心配)