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ブログ-施設長の部屋

2014/4/20
高齢者介護の難しさ。

何を今さら・・・と思うかもしれないが、本当に高齢者介護ってのは難しい。

まず一番困難な点は、相手が脆く、崩れやすい点である。言うなれば、ヒビが入ったガラス製品のようなもので、単純な外圧によって崩壊しやすい。骨は脆く、皮膚は剥離しやすい。

慎重に介助していても何かの拍子に皮膚に傷をつけたり、最悪の場合は骨折したりと、本当に繊細な細心の注意が求められる現場である。

大切な人たちを高齢者施設ではお預かりしている以上、心身の安全の確約は言うまでもない。

このお約束ではないが、相手に対する思いや家族に対する責任を思うと、本当に介護は成り立っているのか?という課題にぶち当たっているのが現場作業のようだ。

大切な人を傷つけないよう慎重に、慎重を重ねて綿でくるんで壊れないように扱うことも重要ではあるが、僕は、ここに本人、家族、施設の三者の相互理解と信頼関係の問題があると思っている。

常日頃より本人の思いに沿った介助を心がけ、その姿勢を家族が十分に理解してもらっていることが最優先課題であるのではないか?と思うのである。

ただ、家族との信頼関係の構築は簡単にはできない。家族は、現場を見ることがない。要介護者の受けているケアを確認していない点で言えば、何をされているのか分からない気持ちになってしまう。これは当然のことで、見えない介護を理解しろと言う方に無理がある。

我々は、要介護者本人の意思を尊重するだけではなく、そこに至るまでの経緯を順序立てて家族に説明し続ける事が望まれる。

そして出来れば担当のケアマネジャーには、時折、現場の状況を見てもらうことも必要である。忙しいケアマネだから、出来る限り問題を負わすことは避けたい。そのためにも、困難な事例を抱える時には、ケアマネを通して現場確認をしてもらいながら、相談することを薦めたい。

それと、最終的には、もしもの事故が起きた時には、施設のトップがしっかりと真摯に対応することが必要である。私は、太陽の家のトップとして、どのような事件、事故に際しても、最前面で対処することを約束する。だから、職員さんたちは、思う存分、ケアプランに従って介護を進めてもらえればよい。

年寄りは難しい。のではなく、年寄りを中心にした信頼関係の構築が難しいのである。

さあ、怖がりすぎずに、高齢者支援の本筋を守るために、頑張ろう!

2014/4/17
暑い!けど寒い!!

年寄りは体感温度に敏感である。

いやっ!敏感であるのではなく思い込みが激しいだけなのかもしれない。

春先の天気の良い日などは、ほぼ毎日のように西風が吹いている。

日中、陽のあたる下では初夏を思わせる程の気温上昇があり、締め切った窓際では汗ばむほどの陽気となる。

そして、あまりの暑さに窓を開けて空気の流れを誘導すると途端に、年寄りは寒いと言い始める。

体に風があたり、寒いと感じてしまうのだろうが、これが曲者である。寒さを訴える年寄ほど厚着である。重ね着を何重にもし、その衣服の数は想像を絶する枚数を重ねてきていることが多い。

なんせ重ね着をしていようがお構いなし。暑さを感じないのか、汗ひとつかかずにじっと座っている。

動作が緩慢となり静止画像のように止まったまま、体の代謝も低下してしまう年齢ともなると何枚も服を重ねてきていても暑くないのである。逆に風があたると、その部分で寒さを感じる。

この状態を繰り返すことによって風邪をひかせてしまうのである。頭と体のバランスが崩れ、真冬のような寒さでなくとも寒いと感じる時に、我々の支援方法を誤ると相手に風邪をひかせてしまう。

僕にとっては暑いけど、この人たちにとっては寒い!この状況には、細心の注意が必要と考えられる。

年齢の高い方々、春だから温かいはずであるは通用しないのが難点である。

2014/4/17
僕の先々の夢

今年で丸10年の節目を迎えることができた太陽の家として、今後の展開を考えている。

僕はこの施設が、将来的に認知症の人の役に立てる施設となることを夢見ている。

同時に認知症の人、当事者だけではなくその家族に対し色々な援助を行えることを目標としている。

認知症の人の精神的な安定は本より家族の心労を緩和できること。地域社会の人々に正しい認知症の人との接し方を理解してもらうこと。

まだまだ多くの家族には、認知症への理解不足から一部の家族に精神的負荷の偏りが見られる。家族全体が正しく認知症を理解し、認知症の家族を受け入れることが健全な家族の生活維持には欠かせない部分であることからも、認知症の人を持つことや公的なサービス受給に対するスティグマを無くすことが、今後の家族支援にとって欠かせない課題ではないかと考えている。

私たちグループホームに従事する者として、今までに培ってきた専門性を、何かの形で地域に還元すること。そのために何が必要か?を考えている。

今後、増え続ける認知症高齢者や要介護高齢者。その頃には自分自身も後期高齢者の域に入り始める。ひょっとすると誰よりも先に自分自身が要介護となるやもしれない。そうなったときに安心して普通の生活を送ることのできる体制づくり。

それがこれからの撲自身に与えられた使命ではないかと考えている。

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2014/4/15
シャレードを聴いて落ち着くって・・・

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最近、入眠前にテレビよりも音楽を聴くことが多い。それもジャズやクラッシクではない。軽音楽と言われる昔の映画のテーマ曲などを聴く。

皆さんもご存じのジェットストリームってラジオ番組のCD収録を聴いている。

今の子供にシャレードって映画すら馴染みない、そんな映画音楽のイメージを話したところで意味がないのである。しかし、そんな古臭い旋律が落ち着くのである。

以前に自分のブログでも書いたが、こんな僕が認知症となり要介護状態となったとき。その時に歌うのは小学校唱歌でもなければ演歌でもない。しかし、これはあくまでも僕個人的な好みの話。人によってもっている思い出の音楽は違うはずである。これから介護を実践する人たちには、この点を十分に理解し支援に結びつけてほしい。

さらに時代が変われば、年寄り向け発信する音楽がAKB48の曲かもしれない。時は世につれ、音とと共に変化していくのです。

2014/4/15
自分の親が認知症となる時

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認知症・・・記憶に障害をもつ。それだけではないが、認知症とは本当に厄介な病である。脳の器質変化が原因となり、人として生きていく中で不都合な面がたくさん生じてくる。

そんな状態に自分の親がなっていくのは、家族として見るに忍びない。普段から認知症高齢者を支援している自分にとっても辛いところである。

その大きな要因として、昔、僕が子供だった頃の親のイメージが崩れてしまう。今、ここにある姿は老いて、威厳を亡くした親の姿がある。厳しかった親が妙に小さく見えるとき。スネかじりの自分にとって親の位置は、遠く先を行く自分よりも大きな存在だった。そんな人物のイメージが消え去ってしまう寂しさに一抹の動揺がもたらされる。

人間いつしか親から離れ、独り立ちしなければならない。それ以上に、次は自分が親の持つ重圧を一身に引き受けなくてはならない。親の庇護のもと内海の穏やかな波間を公開してきた自分も、これからは自分が中心となって社会の荒波に対峙していかなければならない。

もうずいぶんと社会の厳しさの中で生き抜いてきた自分ではあるが。親が相談する対象でなくなる時点から、さらに社会の波風の強さをひしひしと感じざるを得なくなる。

いつか通る道。

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