この三枚の写真は、以前も紹介したように自転車専用ウエアの会社『ラファ』のホームページに掲載されたものです。
どの写真も、僕が見ると「むちゃ!格好いい!」となってしまうのですが、これを自転車に対する興味がまだ持てない人が見るとどう感じるのか?疑問に思ったのです。
僕からすれば、自転車ってのは人力に頼る乗り物で、自分の体力が勝負なわけです。だからこそ、この写真は、とても苦しい息のなか、無我夢中で自転車を転がしている人物が格好いい。そして、そこにひっそりとした地味なエレガントを感じてしまうのです。
何と言えば分りやすいのかと言えば、ただひたすら目立たない地味ではあるけど、その地味さの中にすべての人が出来るわけでもない独特のオリジナリティが感じられるのです。人間の中には、他社とは違う個性を重視する人もいると思うのですが、その個性が自転車に感じられるのです。
自転車に取りつかれている男の書き込みだから、あまりあてにはできないかもしれないけど、これは、自分もやってみれば理解できるのかもしれないです。よろしければ貴方も自転車、乗ってみませんか??!!
先日、大事な鉄道用パスカードを探していて見つからない!とぼやいていた矢先に今度は、洗濯機のレベル調整用のネジを失くして、昨夜から部屋中を家探し。今日の午後なんて、ゴミとして搬出したゴミ袋まで、中の物を取り出して再確認。それでも見つからない。
このレベル調整ネジってのは、洗濯機の一番底の部分についているネジで、設置場所のフローリングのレベルに合わせて高さ調整を行い、洗濯機が水平に保たれているか調整するための物で、このレベルが水平でないと洗濯物の片寄りで脱水状態の時に洗濯機自体が大暴れする、とても重要なパーツの一種である。
今日の夜も家探しを継続していたが、神隠しにあったように何処にも見当たらない。
こんな小さな一個のパーツのために洗濯機を買い替えるのもバカらしいし、欠けたパーツを取り寄せている間、洗濯ができないというのも不便極まりない。なんとも仕様の無い焦りの中、ひょっとしてと思い屋外にある分別ごみのペールを覗き込んでみた。
あった!!ガラス瓶の収集用ペールの中に。
自分の気持ちは20代のまま、でも、本当はそれなりに高齢になってきつつあるのか・・・なア・・・と、我ながら情けない!!(笑)
何はともあれ、前回に次ぐ大失態!恥ずかしいやら腹立たしいやら・・・
危険から守られることを祈るのではなく、
恐れることなく危険に立ち向かうような人間になれますように。
痛みが静まることを祈るのではなく、
痛みに打ち勝つ心を乞うような人間になれますように。
人生という戦場における盟友を求めるのではなく、
ひたすら自分の力を求めるような人間になれますように。
恐怖におののきながら救われることばかりを渇望するのではなく、
ただ自由を勝ち取るための忍耐を望むような人間になれますように。
成功のなかにのみ、あなたの慈愛を感じるような卑怯者ではなく、
自分が失敗したときに、あなたの手に握られていることを感じるような、
そんな人間になれますように。
ルピンドラナート・タゴール 『果実採り』より
主治医の勧めでキュープラー・ロスの本を購入した。巻頭に書き込まれたタゴールの言葉自体が重い意味を感じさせる内容で、この「死ぬ瞬間」を読み切ることができるのか少し不安な気持ちとなった。うちの居宅介護支援事業所が抱えるケースに難病患者がいる。その人にまつわる、いろいろな支援の中で、この本の意義は非常に大きいという。
人間が死ぬ瞬間。そこに至るまでの心理、感情、悲哀を健常な支援者がどこまで理解し、寄り添えるか?そこの点を少しでも学んでいきたいと願って購入した。
「死ぬ瞬間」 エリザベス・キュープラー・ロス 著 鈴木 晶 翻訳
中央公論新社 発行 定価1048円+消費税
この文章は、基本的にキリスト教徒であることが前提とする教えである。文中に登場する「あなた」とは、まさしくイエス・キリストであり、キリストを主と仰ぐ人々の思想である。遠藤周作氏が著書の中で書いていた言葉を思い出した。イエス・キリストの奇跡は、私たち凡人が考える奇跡ではなく、痛み、苦悩、悲しみに打ちひしがれる人の傍で、その人がの思いに寄り添うこと。それがイエス・キリストが成しえた奇跡であると解釈されていた。その為に、イエスは、自らの無実の罪を背負って十字架にかけられ、昇天していく道を選んだ。と言う。つまり、自分も痛みを感じている皆と一緒の痛みや苦しみ、苦悩や悲しみを受け入れたから、皆さんの思いに寄り添って、同じ思いでいることができる。この苦しみは貴方一人だけでのものではないのですよ!と表現されていた。
そのように考えながら上の文章を読めば、この文章の持つ意味が理解しやすいと思う。
ここ数日前から大事なものを失くしたことで、毎晩、部屋の中、洋服ダンスの衣類から、カバンの中まで何度も何度も探し回っていた。いつ失くしたかも分からない、まるで認知症のオヤジとなってしまっている自分であった。流石に夜も眠れない…ってわけではなく、適当に諦めて直ぐに寝入ってしまう毎日を過ごしながらも、少しは不安な気持ちではあった。
さて、その失くしたものとは・・・近鉄電車のピタパってカードである。このカード一枚で、近鉄電車なら何回も乗れてしまう。クレジットカードのようなものだが、クレジットのように、高額商品を限度額まで購入できるってわけでもない。もちろん、お金と同様、非常に重要かつ大切なものだが見当たらない。
そんなカードがクリーニング屋さんに保管されていた。先だって沢山まとめてカッターシャツ等をクリーニングに出したのだが、その一枚のシャツの胸ポケットに入れたまま、クリーニングに持ち込んだらしい。
今日、クリーニングを受け取りに行って、そこの店主に手渡され、無事に僕の手元に戻ってきた。いつもお世話になっているクリーニング屋さんで、信頼しきっていることもあると思うが、それよりも何よりも僕のケアレス、大雑把!な性格が災いしてるのだろうね。それと、大きな声では言えないけど、新幹線用の磁気カードも一緒に入れていたみたいで、そのカードを紛失している事実さえ気づかなかったのです。
まあ、何よりも無事に戻してもらえたことに感謝してます!
世の中はゴールデンウイークなる連休に湧き立っている。
今日も病院、銀行、他一般道も今z夏極まりない状況があった。
掛かりつけ医を受診したが、何だかんだと患者がいつもの数倍が待合にごった返しており、待ち時間一時間、薬を受け取るのに又待って。と、午前中はすべて病院で終わってしまった。
次に銀行。受付番号が30人先。すぐさま同銀行の出張所へ回るも、そこも同じく10人待ち。出張所だから窓口の数も少ない。結果的に支店の窓口も出張所の窓口も、自分の番がまわってくるのにかかる時間は同じだった。
送迎では、道路事情に混雑が見られ、普段以上の神経を使って運転士、交差点と言う交差点で渋滞がおこり、直線道路もノロノロ。
世間様が長期連休に浮かれる間、我々介護の現場では普段以上の奮闘が求められ、普段以上に神経をすり減らしながらの介護を強いられる。
こんな無りやり押し付けられるがごとく連休をおかれると、一番困るのが弱者。高齢者である。働き蜂の日本人に、半強制的に休日を与えられ、一時的にシステムがスローダウンする状況が、その隙間を埋める業種が一番苦労する。