何の屈託もない自然の笑顔があふれている顔です。私たち職員は、この顔を忘れないだけではなく、この時のすべてを記憶に残すことが重要です。つまり、この日の体調、天候、食事の内容と量、昨夜の睡眠量、気温、湿度から来ている服まで、しっかりと記憶に止めることです。
人は誰だって気分の抑揚は存在します。当然、認知症の人も同じような気分の浮き沈みは存在します。同じように気分変動があるけれど、一つだけ違うことがあります。それは、気分の浮き沈みを自分の力で操作できない点です。我々健常な者は、パーフェクトまではいかなくても、自分自身の感情をコントロールすることで日々の日常を生活できています。それが、ひとたび認知症となると、気分障害の理由も対応の仕方も分からなくなります。
この分からなくなった部分だけに支援を行えば、その人も気分を転換させることができ普通の気分に戻ることが可能です。この笑顔の時の状況を職員は客観的に理解しておくことで、次の不穏な気分の日に、その原因などを言葉なくても理解できることとなるのです。
認知症の人は、人間そのものが変化してしまったわけではなく、その人の大半は残っています。昔の思い出も、培ってきた技術も残ります。ただ、元気なころの気力が乏しくなりこだわりがなくなっていきます。一般市民には、認知症は脳の細胞が破壊され廃人となるような認識を持って誤解されていることが多いです。それは全くの間違いで、認知症はその人の新しい記憶が定着しないだけなんです。だから、薬を飲んだこと、食事をしたことなどの最近の行動を忘れてしまうことで、一般的な家庭生活が送りにくくなってしまうのです。
いずれにせよ、日本は世界に先駆けて長寿社会の国となり、同時に認知症高齢者の割合も多く、このまま現状を維持するだけでは高齢者介護は破たんします。そうならないためにも、地域の皆さんの理解と協力を得て、今後の認知症ケアを考えなければならないと思います。
種をまいたわけでなく、故意に植えたわけでなく、自然に生えてきた松の木が太陽の家の裏庭に存在します。クリスマス時期に拾い集めた松ぼっくりから種が落ちたのか、いつの間にか裏庭のベランダ下から芽を出し、一年たった今では写真のような大きさにまで成長しました。
この松を抜くに抜けず、今となっては黙って成長を見守るしかないような気がしてきました。成長すれば、建物に近すぎる松の位置はいつかは撤去しなければいけなくなるかもしれませんが、時の経過とともに大事な存在になりつつあります。
過酷な条件というわけではないけど、肥料も水も与えていないにもかかわらず、すこぶる元気に成長していく姿は、そのままこの施設を利用する皆さんの心意気につながるような気がします。ですから、将来的に邪魔になるかもしれないですが、それまでは黙って見守ることとします。
82歳、男性、若いころよりウイルス性の疾患を患い四肢機能障害の後遺症を持つ。本人の努力により一般企業に定年まで就労し現在に至る。歩行には若干の不安定さがあり、一部車椅子を利用しながらの移動を行っている。最近、物忘れがひどくなり、同時に被害妄想が出現、自分で隠した金銭を忘れ、親族が盗っていった。と訴える。
現在一人住まいで成年後見人もついていない。金銭管理の面で非常に苦心する場面が多く、本人も自分が稼いだ金を自分の思うようにつかえない不便さに苛立ちを感じている。毎日、手持ちの金がないので銀行を訪れては窓口で問題を起こしている。
担当のケアマネジャーも、銀行との連携を求め、何度も話し合いを行い、その都度、水分補給やケアマネへの連絡をとるなど非常に協力的な対応を行ってくれている。
この方の問題は、独居生活であり、経済的な管理のすべてを遠く離れた親族が行っているにも拘らず、その理由や原因を正当に理解できないために、親族が悪者となってしまっている。同時にまだらな認知症の影響で、銀行の窓口に日参することである。銀行も同じ町内にある環境であるが車いすでの移動に決して簡単に行ける距離ではない。高齢者が四肢の機能障害を抱えて車いす移動するには、この時節柄、脱水症も懸念される。その点でも、周りの者は、出来る限り外出を控えてもらいたいと願っている。
地域連携の施策の下、認知症の人の意思をしっかりと受け止めてあげたいと願うが、毎日のように繰り返される行動に、その尻拭いを行うには、限界が迫っているのも事実である。 それよりも、この状態を継続する中で、不慮の交通事故や脱水症、金銭の紛失などの事故や事件が起こってからでは元も子もない。
このケースの場合、この方に関わる者としては、銀行のスタッフ、通所介護のスタッフ、担当ケアマネの三者が絡んでくるが、それぞれに立場と出来る範囲に限度があることにより、上手く認知症の人が普通のような生活をおくるには至っていない。まだまだ制度上の課題や地域資源の枠が狭くて支えきれない現実があるようだ。認知症の人のライフサポートモデルも、まだまだ絵に描いた餅である。
また自転車の話で申し訳ない。今日は結構遠距離を走った。海から山へと、箕田の海岸を河芸まで走り、そのまま芸濃町へ、306を使って亀山市内、亀山城跡を通って関の古い町並みを抜けて地蔵院へ、帰りは一号線を走り帰ってきた。
天気予報では風は強くならない予報だったにもかかわらず、走り始めたら向かい風が強くしんどかった。おまけに、家に帰って昼食を食べ終えたころに台所の外で者が倒れる音がして見に出たら、大きな蛇がとゆを伝って地面に降りようとしていた。
やいのやいのと叫びながら、何とか取っ手の長い火バサミでつかんで裏の田んぼにの用水に放り込んできた。自分、蛇年生まれなのに蛇が怖い。毎年、同じような時期に家の周りに出没する蛇騒動。僕は苦手だけど、この家を守る蛇なのかもしれない。しかし、それでも遠慮する。
急激に認知機能が低下した男性、78歳。ラクナ梗塞多数、アルツハイマー型認知症+脳血管性認知症。自宅にいることや妻が認識できなくなり混乱が増大し、易怒性と幻覚が出現。起き上がりが困難となり車椅子生活、食事、排せつ、入浴ともに全介助。この状態に至るまでの期間が3年程度。
この男性認知症高齢者の介護は非常に難しい。易怒性は時として激しく、周りの利用者の気分を阻害し不安にさせてしまうほどの大声でわめき散らす。年齢も若いことから体力はしっかりと維持されているが、3年前のてんかん発作による転倒以降、歩行が困難となり車いすでの生活となる。
この人に何が必要か?この人の求めるものは?
この課題を探るのには、まずは信頼関係の構築が一番必要と考えられる。意思の疎通のかなわない人に対して信頼関係って構築可能なのか?と思い込んでしまうが、記憶障害を抱えているとしても、意思の疎通ができないにしても、繰り返しのアプローチとしっかりと相手を受け止めることから、次第に信頼関係は出来上がってくる。不穏状態の時に話しかける技術も学んでいった。相手の気持ちを読み取るスキルも学んだ。そして一番大きな功績として、この人の排便周期をコントロールできることがあげられる。今まで、かなり不定期に、言ってみれば「見境なく」という表現が相応しいほど乱れた便通に家族、職員共々振り回されていた。
この排便管理に効果があったのは、下剤の服用を制限したことだった。便通が促されないから下剤を繰り返し、毎日毎晩服用していたのを、週二回、日曜夜と木曜夜に減らしてみた。回数と量を制限することが、この人の便通を安定させ、排便周期がしっかりと保てるようになった。このおかげで、在宅での排便はなくなり、家族の介護負担はかなり軽減された。
そして、二次的な副産物として、精神の安定も以前よりは改善方向にある。成立しない会話も、成立しているように本人は納得できる状況となり、笑顔が多くみられるようになった。この点でも家族の喜びようは他にない程であった。
認知症の人であっても、働きかけの方法によっては、認知症の人の気持ちを安定させ、他者(職員を含む)へ与える不快感も減少させることができる。これすなわち医療・福祉・家族の連携のたまものであり、うちの職員に関して言えば、チームケアの充実の賜物と考えられる。