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ブログ-施設長の部屋

2019/9/23
虹の丘グループホームの空き室が残り3部屋となりました。

お蔭様で9月1日より実働開始した虹の丘グループホームも

残り3部屋で満床となります。

今回の新しいグループホームを立ち上げて入居者募集に際し

今の介護サービスについて、非常に寂しい思いを感じました。

虹の丘グループホームは、まだまだ駆け出しのヒヨッコ施設です。

しかし、そんなグループホームを見学に来てもらって、皆さんが驚かれることとして

「建物を施錠していない」そんな言葉があります。

太陽の家でも、自動ドアのセンサーこそ少し高い地に取り付けてはいるものの

施錠は一切していません。

ましてやグループホームの居室に施錠もしません。

入居者や利用者は、全く自由に歩き回ることができます。

そして、次に驚いたこととして、利用者の行動心理症状の理由に納得したことです。

ドアを杖で殴る。壁を叩く。大声で叫ぶ。テレビを大音量で聴く。

なぜ、このような行動心理症状が起こったのか・・・?

最初に書いたとおり、僕が驚いたことが、それらの行動心理症状の理由だったのでしょう。

虹の丘では、そのような行動心理症状は一切見られません。

認知症は精神が壊れた人を意味しません。

繰り返しの言葉、不安症状の継続的な訴え、無秩序な欲求の繰り返しが

認知症の代名詞のように誤解され、厄介者扱いされる介護保険サービスに

介護給付されるのは公平ではないと思うのだけど・・・!

2019/9/23
孤独に強いひと

孤独とは、寂しさや悲しみを感じている状態を言う。

人とそんな寂しさや悲しみを共有できない時に孤独を感じる。

沢山の人に囲まれながらも、孤独は存在する。

逆に一人ぽっちで誰もそばに居なくても寂しくない人も居れば悲しく感じない人も居る。

こんな人は孤独とは表現しない。「一人ぼっち」なんだ。

社会全体がネット文化でつながり、何処に居ても同じ情報を拾い出すことができる。

そういった意味でも日本の社会は自由があって幸せな社会である。

この写真を見て皆さんはどのように感じるだろうか・・・?

loneliness.jpg

クマが一匹、遠くの海を眺めている・・・

これは孤独な写真だろうか?

いや逆に恋人が船に乗ってやってくるのを心躍らせて待ち望んでいる姿だろうか・・・?

いずれにせよ、この写真を見て寂しさを感じる人は、

少なからず満たされない何かを抱えている人なのかもしれない。

自分の心をコントロールすることは、非常に難しい。

その理由は、ひょっとすると寂しいと思う気持ちを受け入れることができないからではないのだろうか?

客観的に自分の置かれている状況を見つめることができないからでは?と思う。

どうも、人間ってのは寂しさ、悲しみを感じる時、その思いから抜け出したいと思いつつ

その思いを振り払うことができず虜になっていしまいがちに

悲しみに浸る自分を肯定も否定もできない状態に陥っているのではないだろうか・・・

それは、おおよそ「蟻地獄」のようにもがけば、もがくほど深みにはまりこんでしまう。

少しその場で一度立ち止まって、自分を診断してみよう・・・

客観的に自分を見つめる事。データとして自分の姿を評価してみよう。

これが認知行動療法と言われる泥沼スランプからはい出る方法の一つだ!!

2019/9/21
認知症の人

認知症の人に関して、色々な場所で啓蒙啓発活動をしてきた。

しかし、まだまだ認知症の人が理解されていない現実を感じた事がある。

いま、その理解されていないケースをお話しすることは別の機会にするとして

今日は、認知症の人についてお話しすることにする。

認知所の人は、重度の認知症状の人より軽度の人の方が世間からの理解はされにくい。

初期の認知症は、正気の時とつじつまの合わない時のムラがある。

そして、このムラが、一般の人には見えにくく、その人に対する不信感として敬遠される。

なにせ一見したところ普通の姿で、どの角度から見ても健常な老人としか見えない。

そんなお年寄りが、いざ会話してみると、何を言っているのかチンプンカンプン。

または、非常に聞き分けのない駄々っ子のような、相手している方は 次第にフラストレーションが蓄積する。

認知症の人も、相手に自分の思いが伝わらないジレンマで余計に不安になってしまう。

ここで、生来の性格によって、出現する感情が変わる。

癇癪持ちの人は、そのジレンマに易怒性が高まり、

またある人は悲しくなってふさぎ込んでしまう。

この状況を認知症の人の行動心理症状と言う。

認知症となって記憶に障害が出て、記銘力が障害され、見当識が低下する。

時間や場所が理解できない。そんな状況を誰しもが不安な気持ちになる。

僕たち専門職は、この不安な気持ちに心を添えて、認知症であっても心配はいらない!と

支援するのが仕事である。

ぼくが今日言いたいのは、認知症の人を怒らないでほしい。

認知症の人の前で感情を表さないでほしい。

確かに繰り返しの言動にはフラストレーションいっぱいになるのは事実。

これは専門職にしても同じ。でも、我々は、認知症の人を傷つけない。

その理由は、傷つけてしまうことで、その後の介護が余計に難しくなるからだ。

2019/9/21
つまづき易いのは、足の筋力の問題ではないらしい。

何の変哲もない小さな段差に、

段差もないカーペットを歩いている最中に、

はたまたフラットなクッションフロアーを歩いている時に

つま先が引っかかって転びそうになる。

高齢者の代名詞のようなつまづきと転倒骨折。

この原因は足の筋力の低下ではなく

首の骨が脊髄のとおる脊柱管を圧迫していることが

一番大きな原因のようだ。

脊柱管を圧迫するとは、パソコン作業における姿勢等が

首の骨を支える椎間板が滑るなどの障害を引き起こしているそうだ。

要するに、高齢者においても、何度も転倒骨折を繰り返す人は

普段からの姿勢に注意し、猫背傾向の人は特に姿勢に注意が必要と言う。

もちろん、70代、80代と年齢が増すごとに筋肉量の減少も

転倒骨折に少なからず影響を及ぼす。

今後、高齢者の転倒に関して

リハビリや矯正装具などによって減少していけば良いなあ~と思っている。

2019/9/20
老害について

https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/張本勲がtvから干されないのはナゼか…我々に必要なのは「老害」をポジティブとらえる感性/ar-AAHyqwS?ocid=spartandhp#page=2

『サンデーモーニング』(TBS系)に(スポーツコーナーの)“ご意見番”として出演し、事あるごとに世間の批判にされられている野球解説者の張本勲氏(79)。つい最近では、高校野球の岩手大会決勝で、大船渡高校の国安監督が「故障を防ぐため」と、佐々木朗希投手の登板を回避したことを受け、「そんなの投げさせたほうがいいに決まっているじゃない」と一刀両断し、大炎上。その前近代的な発想に、現役メジャーリーガーのダルビッシュ有投手までもが自身のツイッターに「シェンロンが一つ願いごと叶えてくれるって言ってきたら迷いなく(張本氏が“ご意見番”を努める)このコーナーを消してくださいと言う」と投稿を寄せる事態へと発展した一件は、まだ記憶に新しい。

 

 

百歩譲って、元プロ野球の名選手だった張本氏が野球について、過激であろうが自由に意見を述べることはわからなくもない。が、氏は同番組で、ほかのスポーツに関しても、ひたすら底の浅い素人レベルの「渇!」を入れまくる。サッカーについて適当な発言をした張本氏に対して、サッカー好きの加藤浩次が『スッキリ』(日本テレビ系)で「おじいちゃんの戯言」と切り捨てたこともあったという。

 

 

ところが! もはや「テレビ界の火薬庫」的な存在にすら上り詰めた(?)張本氏が、お茶の間から消え去る、つまり「干される」ケースはまずない──こんな内容の記事を『東洋経済ONLINE』が配信なされていた。その根拠とは以下のようなものである。

 

 

高齢者のユーザーが少ないインターネットの世界では、張本氏らを指して「老害」という言葉がよく使われる。一方、新聞や週刊誌やテレビではその単語を目にすることはあまりない。なぜなら、それらのメディアが高齢者自身を主なターゲットにしているため、その層を敵に回すようなことはそもそも書けないし言えない状況にあるからだ。

 

 

とくに、高齢者の視聴者が多いテレビのゴールデンタイムのバラエティ番組では、高齢タレントが必要とされる事情がある。バラエティ番組の出演者が若者ばかりになってしまったら、テレビ視聴層の大半を占める高齢者は「これは自分たちが観る番組ではない」と感じて、その番組から離れてしまう。それを防ぐためには一定数の「昭和の頑固オヤジ」を配置して、高齢視聴者の代弁者になってもらうしかないのだ。

 

 

なるほど……じつに納得な言ではないか。私も今年で57歳。普通に会社勤務していたら、あと3年で定年を迎えるお年ごろであり、腐ってもメディアを通じて主義主張を物申す立場にある者の一人として、そろそろ「老害」の側へとシフトしていくべきなのか、もしくは「若者文化に理解のある柔らか頭のおじさん」をあくまで演じつつ、世代間のギャップを調整するキャラを気取り続けていくべきなのか……そこらへんのジャッジをみずからに下さねばならない時期でもある。

 

 

そりゃあ、テレビではなくネットを主戦場とするならば……迷わず後者の道を選ぶべきだろう。しかし、「若者文化に理解のある柔らか頭のおじさん」を頑張って演じているつもりが、やはり微妙なズレが積み重なり、いつの間にか「若者文化に理解のある風な昭和の頑固オヤジ」へとなり果ててしまっている可能性だって、十分にありうる。ある意味、開き直ったおじ(い)さんよりもタチが悪い、中途半端で「もっともイタい老害」であって、かくたるこの私もここcitrusでは、すでにそうなりつつあるのかもしれない。

 

 

いっそ「老害」なる単語の「害」という部分をネガティブにではなく、世論の活性化を促すきっかけとして一石を投じる「フック」だとポジティブに捉える楽観的な感性こそが我々中高年世代にとっては今、必要とされているのではなかろうか?

原文をネットニュースから貼り付けました。

今日のネットの書き込みの中で、タイトルのとおり「老害」って現象について触れている記事があった。

私自身にも当てはまりそうで、非常に興味深く読ませていただいた。

一度皆さんも読んでいただいて、共に共有できれば楽しいかもしれませんね。


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