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ブログ-施設長の部屋

2013/5/7
ルールを守るだけがおもてなしでは無い!

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少しルール違反な話をするが、随分昔、自分がまだ未成年だったころ。正確に言えば中学生の卒業した年のクラス会の時期の事。僕の担任の先生が、クラス全員を引き連れて椿神社に近い山間のキャンプ場に一泊のキャンプを計画してくれた。中学を卒業して、それぞれが思い思いの学校に進学していった時だから、まだ新しい学校生活に完全になれきっていない時の話である。今から40数年前の事。

皆でテントを張り、食事を作り、キャンプファイアーを灯し、更け行く山の夜を楽しんでいたころ、担任はウイスキーを取り出し、飲みたい奴は飲んでもいいぞ!と言い出したと記憶している。おまけにタバコを吸う連中も、担任の前でタバコに火をつける者まででた。今でいうと、不埒な学校教員として糾弾されるべき行動である。そして社会的制裁を加えられ、警察や教育委員会、そしてテレビ局のカメラが毎日、学校を包囲して取材合戦を繰り返す。言ってみれば正義の面した「魔女狩り的蛮行」が繰り広げられるだろう。

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この時の担任の行為は、今でこそ時効であるから公表しても差し支えないと思うが、その当時にしても大事ではなかったか?と思える。しかし、当事者の僕たちは、未成年者がっ喫煙する、飲酒するという行為に対して、それほどの大罪を犯した意識はない。それよりも、奥深くまで我々のクラスメイト同士のつながりを大切に考えてくれた担任ンお配慮に対して、今でも感動している。と言えるかもしれない。

その当時の風潮で新入学を果たした学生が5月に襲われる無気力な怠惰な感覚から自分を見失う時期を総称して5月病と称していた時代である。多くの学生が入学したての学校を退学していく生徒がいた。そんな僕たちの心を思ってか、担任はルール(法律までを犯すこととなる)を無視しても守りたかったものがあった。同じクラスで毎日けんかしたり、泣いたり、笑ったりした同僚たちは、言ってみれば家族も同然。担任の先生にはよく怒られ、殴られるものもいた。実際僕も一発食らった者の一人である。その理由は、すでに忘れてしまったが、殴られた後に猛省をしたことだけは覚えている。

おもてなしの心を時々、介護職員の前で説いている。相手を思う気持ちと介護を結び付けたいと願ってのことである。介護の現場だけではなく、客商売の現場では「接遇力」ってものが問われている時代。なんぼ教えても介護職員の接遇はよくならない。研修をまじめに受けていない訳でもない。しっかりと講義は聞いている。しかし、その場限りで忘れ去ってしまうのだろうか・・・それとも自分の問題として気づきに結びつけてくれにくい気質があるのだろう・・・?僕は、どちらかと言えば後者の方ではないかと想像している。僕たちは、その当時の人生の先輩と言うよりも師に思いやっていただきながら成長してきた者である。

良くも悪くも、全てを見てもらい世話をかけた。先生は先生なりに気苦労もあったと思うが、それでも今の教師よりも熱く直接介入してくれていたと思う。常に熱っぽく自分の夢を語り、指導してくれていた。そして、最後に生涯忘れえない大事な時間を与えてくれた。これを心狭い一部の親たちは「悪」と呼ぶのだろうか?違法は違法であることは事実であっても、それを貫き通して、代わりに何を得ることができるのか?そう考えると、今の時代に大事に育てられ、ネットや学校現場で受ける些細な仲たがいに、すぐに精神的に負けてしまう子供たちが大半の社会を形成していることの方が問題ではないかと思う。

おもてなしとルール違反のテーマから、倫理的な話に代わってしまったようだが、僕は相手を思う気持ち。この場合、将来的にいろいろな体験を摘んでいかなければならない我々子供たちにルールを無視してでも感じてもらいたいことを教えてくれた。そんんあ素晴らしい「おもてなし」を体験したという話でした。

2013/5/7
貴重なお休みの過ごし方

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昨日のブログに書こうと思って書けなかったが、日曜日は非常に天候もよく風もなく、洗車日和と言える日だった。特に何処に行く予定もなく、殊更渋滞を敬遠する自分としては、わざわざ渋滞にはまりに行くことよりも愛車の洗車をチョイスした。僕は洗車機にかけることは以前から好まず、すべて手作業で自分が行う。

あまり車のことはよく分からないが、車は好きだ。昔はフェラーリに憧れ一度は乗ってみたい車ではあるが、最近では年齢もかさんできてスポーツカーと呼ばれる車の運転は辛いものがある。と思い始めてきた。出来れば年相応なと言うか、それなりにリッチな感覚でジェントルマンらしく、アストンマーチンなんかが良い!と思うようになってきた。まあ、アストンマーチン自体、スポーツカーの部類に入るのかもしれないが・・・とにかく、しっとりと運転したい。年齢と共に自分の好みが変化していくのがよく分かる。

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この写真で分かってもらえるだろうか・・・今回の洗車ではホイルの仲間で雑巾を突っ込んで洗ったのである。ディスクブレーキの奥まで、手を突っ込んで洗う。この部分はブレーキダストと呼ばれる、ブレーキをかける時にディスクパッドが抑え込むときの摩擦で出る埃みたいなものがこびりついて、真っ黒になる部分である。車の美しさってのは、ボディのシルエットもそうであるが、足回りへの気遣いってのは、車をきれいに引き立たせる要素でもある。ホイルを磨き、タイヤの艶出しを行う。結構な重労働であるが楽しい。

きれいな車になると、ドライブが楽しくなる。何処に行くあてもないのに、ちょいと車を走らせたくなる。磨き上げた車は、いつもより加速が向上したような気になる。また、窓を全開にして好きな音楽をかけながら、口笛吹いて運転したくなる。本当に、気分でどこまでも変わるのがお調子者の僕なのである。

この連休、唯一の僕の楽しみは、この洗車作業だったような気がする。洗車だけして、あとは本を読んで、気が向いたから行きつけのカフェに立ち寄り、コーヒーを飲みながら車談議に花を咲かせた。そんな貴重な休日を過ごした。ぜいたくな一日であった。

2013/5/7
パラッツォ アデリアーノ

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そう!シシリアにある小さな町。パラッツォ・アデリアーノ。映画「ニューシネマ・パラダイス」の撮影を行った町の名前である。最近、ヨーロッパ各地を電車やバスなどを使って紹介する番組が多く放送されている。僕の大好きな「小さな村の物語・イタリア」も、同じような番組だが、こんな番組を観てるといつも思うのは、もう少し若ければ一人旅で行ってみたい。そんな気持ちになる

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日本だけでなく、歴史も文化も違う街を見てみたい。できれば、そんない文化の世界で暮らしてみたい。その地の空気を味わってみたい、ついでに、その地の食べ物も味わってみたい。本当に興味は尽きるところがない。派手さもなく都会のような便利さもない田舎なんだろうけど、自分の生活とガラッと変わった空間を味わいたい。毎日の自分が抱える煩わしさから解放されたい、そんな気持ちが湧き上がってくる

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毎日、色々なものに追われて日々を過ごしていると、現実からの逃避を考えてしまうものである。非現実的な空想の世界に浸っていられる一瞬だから、夢の世界で終わるのかもしれない。実際に海外の田舎町に暮らしてみると、思いのほか日本で生活する毎日以上に退屈で刺激の少ない毎日なのかもしれない。チルチル・ミチルが青い鳥を求めて旅する話と同じで、幸せは自分の家の中にあった!なんて童話の世界そのものなのかもしれない。

ある知り合いの人が定年を迎え、夫婦で船旅に出かけるという話を聞いた。最近、巷では豪華客船で長旅が流行っているらしい。余生をどのように過ごすか?人間の平均寿命が延び、昔の老人に比べると今の老人は若い。意識も若い。まだまだ健康で活発な活動が見込める人たちが、もっともっと増えてくる。この日本でも欧米の高齢者のように、定年を過ぎた老人たちが余生を楽しみ、人生を謳歌できる社会が訪れるのだろうか?

定年を迎えた老人たちに、もう一度春を経験してもらうために、何が必要なのか?第二の青春を送るには、どのような環境が必要なのか?僕も定年に近く年月が経過してきたものの一人として、如何に上手に年を重ねるかが大きな課題となってきた。出きれば、年老いても魅力的なファッションに身を包み、手入れの行き届いた靴を履いて姿勢よく歩きたいと願っている。そして、女性には優しくフェミニストで礼儀をわきまえた行動を維持したい。建物や公共の交通機関では、女性を優先しドアを開けて差し上げる。ちょっとキザかもしれないけど、年寄だから許される部分ってあるのではないか。若かりし頃には鼻に着く行為であっても、年寄だから許される。そんなキザな親父になりたい。

2013/5/4
今の楽しみ・・・

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 今、自分の中の楽しみは、これらの本とCDである!(えらっそうに!・・・) 連休前にネット注文して、今日届いた本とCD。まず、これらの書物を紹介すれば、左から元リッツカールトン日本支社長だった高野登氏の「日本人の流儀」、人生の勝ちは、社会や周囲にどれだけ貢献したかで決まる。そのために、今日から自分は何をすべきか?という内容の本である。次に、日本に初めてディズニーランドがオープンした当時の正社員だった福島文二郎氏のチームワークの構築に関する書籍。人間は何のために生きるのかを問う書籍「生き方」;稲盛和夫氏の書籍。最後の右端は、元リッツの高野氏と志賀内泰弘氏のエッセイ。気配り、心配り、言葉かけに関するヒントを引き出そうと購入した。

高野氏に関しては、僕はなぜかしら非常に賛同できる気持ちが多く感じられて、彼の著書はほとんどすべてを読んでいるし、もちろん自分で購入して蔵書としている。高野氏の文章から学ぶことは多く、まったく異業種であるホテル業界の話が大半ではあるが、そこに学ぶべき介護の精神、ホスピタリティは多く存在する。先日、車を購入した際、私の担当となった若いセールスマンに高野氏の書籍を買って読んでみろと言ったことがあって、その彼は正直にも自分で購入して読んでみたそうだ。もちろん、非常に参考になりましたとの連絡を受けて、お勧めした甲斐があったように感じて安心した。とにかく、介護の業界で働く人には、特にこの高野氏の著書を読んでもらいたい。逆に介護理念のなんちゃら!とか、何とかの介護論!ってのよりよっぽど学ぶことが多い内容である。

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次に、上の写真は購入した4枚のCDである。この中の2枚は好きな演奏家のCDで一人はトゥーツ・シールマン(右下)、ハーモニカ奏者である。彼の音楽との出会いは一本の映画である。随分と昔の映画だが、スティーブ・マックイーン主演の「GETAWAY」のメインテーマ曲を担当したのが、このシールマン。けだるい感じでアーバンチックな音色で語る、彼独特のハーモニカは、一人で過ごす夜のひと時には最適の音楽である。ただし、心に大きな負担を抱えている人には、お勧めはできない。(間違っても、葬送曲には使わないように・・・) そのななめ左上にあるのが、ジャック・ルーシエール トリオと言う参院組のバンドが演奏するバッハの曲をジャズの旋律で奏でる。これはもう至福の一枚。このトリオを知ったのは、ちょい昔のトヨタ・クラウン・アスリートのCM曲が最初だった。アップテンポでバッハを演奏する。軽快、そしてバッハ特有の美しいなgれる旋律を崩さずジャッジーな感覚を保っている点、あっぱれ!としか言いようがない一枚である。残りの二枚については、ネット上で視聴してみて購入。どちらかと言えば、昔風のスタンダードなジャズに少しだけアンニュイな女性ボーカルの混じった音楽である。この二枚は、ホームパーティーなどの場でBGMとして使うにはてきしているのかな・・・・と感じた。

まあ、秋の夜長ではなく春先の今の時期に、なんで本とCDをたくさん・・・と思われるだろうが。最近ねえ、夜あまり眠れないんだよね!!と少し愚痴ってみたりして・・・はははは・・・・でも、本を読むこと、音楽を聴くこと。これらは僕の気持ちを豊かにしてくれることは確実である。皆さんも、一度、本屋を覗いてみれば・・・・きっとお気に入りの作家との巡り合いがあるかも・・・・!

2013/5/4
エンディングノート・・・

先日、近所の書店を訪れたときに、何気なく目に入ったものがあった。「エンディングノート」の名称で、要するに自分のもしもの時に、残された人たちに自分の生前の記録を残すための記録と言えば分りやすいかもしれない。よくよく見てみれば、いろいろな種類や価格帯のものがある。名称も「もしもノート」、「私のエンディングノート」や超豪華装丁版まであって、一冊4万円もするような物まで販売されている。平均的に一冊、1000円程度の価格であって、内容として自分自身の基本情報、資産情報、預金残高、各種ネット関連のID、パスワードなどを記入できる。また、附属にCD-ROMまでついて、映像、画像、音楽などを保存できるようになっている。この辺りはパソコン社会の現代を象徴している。そして、一番重要なのは、本人と家族、医療と介護、葬儀とお墓、アドレス帳があって、万一の時に知らせてほしい人の連絡先を書き込めるようになっている。

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本屋で立ち読みにしては、長い時間を、このエンディングノートに割いて見入ってしまったが、自分の最後をしっかりと見つめながら、このエンディングノートを埋めていく時の心境を思い浮かべていた。自分自身だけではなく、誰にも訪れる「死」ではあるが、今すぐに往ってしまうこともないだろう・・・自分にとっても、少し重い、辛さがあった。私たちは認知症の人たちを介護する中で、高齢者の人たちにお伝えすることとして、健康老人のうちに自分の過去や思い出、趣味や嗜好を書居といてもらえると、認知症となったときに適切な援助を可能とするので助かりますよ!とお願いすることもある。

なかなか人間の本心ってのは家族でも理解しきれていない部分が多く、認知症の方々を受け入れる時に、その人の性格、生活歴、嗜好や習慣を尋ねても分からないケースが多いものである。一人として同じ人間は存在しないから、そこに個別の援助を実践するうえにおいても個人情報ってのは非常に助かるのが、我々支援サイドの願い。しかし、これとて、今の話ではないが、自分が健康な時から、もしもの時を想定して自分を表出していくことに何の抵抗も感じなかった自分がいた。エンディングノートを見つめながら、その人への配慮のなさに改めて自分自身が気づいた。そんな気がした。

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