トイレの改修工事を行っていますが、タイルの張り替えも終わり、便器の取り付けを残すだけとなりました。
この後、女子トイレの改修を行い、それが完成した次に車いすトイレの改修工事となります。まだまだ数週間はかかりそうです。
太陽の家を設立して9年が過ぎ、今年で10年目の年を迎える。営利法人として、何もわからずこの業界に足を踏み入れ、沢山のスタッフに支えられ、ここまでやってこられた。特にうちのグループホームの管理者や居宅のケアマネなどの力が大きい。他にもフロアーを取り持つリーダーや相談員の人柄にも助けられて、お世辞ではなく大いに感謝しているのは事実である。手前味噌にはなるが、うちのスタッフは、全てにおいて優しく、思いやり多いスタッフが揃っている。難点を言えば、「気づき」が増えにくい。とてもいい子達だけに、大事に育てられている。大事!大事!は、全てにおいて「据え膳」の生活を保障されてきたわけで、その点で自分から行動を起こすことに慣れていない。
子供時代にいろんな痛み、苦しみ、悲しみ、辛さを味わいながら生活してきたから「気づき」が形成されるわけでもない。その痛みや苦しみ、辛さを感じ、そこに自分自身の気持ちを添えることをやって、初めて「気づき」が育つ。痛みや苦しみだけしか経験していない者は単なる意地悪な人格となる。しかし、その辛さを味わい、なんとかその辛さから抜け出る方法を考え、脱却から失敗してまた苦しみを味わってしまうことの繰り返しが、心を添えるという意味であろう。と、同時に喜び、幸せ、楽しみや感激を知っていることも重要である。私は、うちの職員さんに期待したいのは、大いに苦しみ、大いに楽しみ、大いに悩んでもらいたい。そのことで人間の感性は磨かれ、一回り大きな人間となっていくことと信じている。
さて、前置きが長くなったが、なぜ私が介護の質にこだわるのか?というテーマに関してお話すれば、その一番の要因として今置かれている高齢者の環境に不安を感じていることである。うちのデイサービスを利用する高齢者の方を見守る中で、沢山の問題点を抱え生活に支障をきたす場面の多い方々がいる。たくさんの生活環境がある中、人によってはフォーマルな支援だけでは不足するケースも存在する。ケアマネなら多かれ少なかれ、同じような問題に悩んでいるはずだ。それほど高齢者を取り巻く環境は、今の介護保険の制度をもってしても完ぺきとは言いにくいことが一番の問題ではないか。
しかし、問題はなおの事根が深い。フォーマルな支援を提供する側の質の問題が、これほど制度が厳しく変わった今なお、一昔前の人を人として扱えなかった措置制度の時代と変わらない現状に腹が立つ。自分自身も介護保険の第一号被保険者となる年齢に近くなるにつれ、こんなフォーマルな支援は受けたくはない。一生を終える貴重な時間を、そのように理解し、支援してもらえる環境が整っていない。歳をとることは自然の流れである。誰しも歳を取り身体だけでなく精神的にも機能の低下がはじまる。その局面で、ただ単に寿命を終えるまで生かされている。そんな支援がまかり通ってよいのだろうか?
毎日、騒々しく時間を忘れさせて騒ぎまくるだけの介護でよいのか?食事、排せつ、入浴だけの介護でよいのか?どの施設も同じような活動を行い代わり映えしなサービスでよいのか?たまには一人で考え事したり、演歌や童謡だけの音楽ではなくクラッシックやジャズなどを聞きたい気持ではないのか?・・・食事も与えられるものではなく、自分でチョイスする機会がなくってよいのか?自分の好きな服を自分が選んで着ることはできないのか?いつも団体行動を強いられ、ともに何かをしなければいけないのか?話したくないにも拘らず、やたらとハイテンションで話しかけられ、会話を強要することでよいのか?一人で外出することは許されないかもしれないが、だからと言って部屋の中に閉じこもることしかできない環境ってのはどうなんだ?時にはおいしい特別の茶葉を入れておいしいお茶を楽しみたい。そんなことを考えてもらえる職員を育てたいと思っている。
太陽の家も10年の歳月が流れようとしています。長年、毎日、沢山の人数がトイレを使用する施設ですから、当然傷みも激しいのですが。今回、男女・車いすトイレの全面改修工事を行うこととなりました。事業所の運営を続けながら工事を行うには、男子トイレから女子トイレへと、改修を行わなければなりません。一括で工事できればよいのですが、その分、長期間のトイレの全面使用が不可能となるわけで、デイサービス自体を休止しなければなりません。サービス利用で毎日の生活の一部となっている要介護者にとって、サービス提供の長期休業は大きな痛手。そのような理由から、トイレの改修は、順次工事を段取り組んで実施するしか方法がないのです。
この間、男性利用者にも、女性利用者にもご不便をおかけしますが、数週間の工事です。ご理解、ご協力をお願いします。
暖かくなったり寒くなったり、服の管理が難しい時期である。半袖T-シャツでも汗ばむような日があったり、今日のように足元がジンジン冷える日もあったり、とにかく体温調節の難しい毎日である。週間予報によれば、今週末以降は20度を超える気温の毎日が続くようである。天候も晴れの日が多い。サンフランシスコの一年は、このようなカラッと寒い毎日が一年中続く。(厳密に言えば、夏は暑いことは暑い。)昼間は暑くなるものの、夜にはカーディガンの一枚も羽織らないと寒くて仕方ない、言ってみれば過ごしやすい気候である。
しかし、日本の場合は、この寒暖の大きな春先を超えると途端に、湿っぽく毎日がジメジメしたうっとうしい露がやってくる。すぐに食中毒警報が出され、行政機関から注意喚起の文書が回ってくる。乾季、雨季、熱波と続く日本の気候を、昔の人はそれなりに諦めて逆に楽しんだ。ものは考えようであり、ムシムシ・べたべたの暑い日本の夏も、生きてる証拠と考えて、毎日の湿気を楽しむようにすれば、それなりに過ごせるものなのか・・・?テレビCMでも早々と「水虫」の薬のCMが流されるようになった。
浴衣に花火、団扇に蚊取り線香、縁台と朝顔・・・日本の夏特有の風流は、今では洋風に変わり果て浴衣の代わりに派手派手模様のユニクロのステテコとダボダボのTシャツ、団扇の代わりの電池式簡易ファンと電子香取、キャンプ用折りたたみ椅子とイボイボのゴーヤ、花火も変わった。昔ほどの火力を誇ることのできないショボイ線香花火。派手派手な社会となりっていく中で、古い昔の風流は次第次第と時代遅れの遺物となっていくのかもしれない。
昔かたぎな目立ちたがりは形を変え、テーマパークで乱稚気騒ぎをして周りの人の迷惑を顧みず、自分だけが目立っていれば嬉しいアホな学生の多い時代。わびもさびもヘッタくれもない時代なんだろうな!
日本の冠婚葬祭は、年々大きく変化してきているようである。これも少子高齢社会のせいかな・・・?昨日、私の叔母が亡くなった。その葬儀のために一日を親族とともに過ごした。普段会うこともない親戚と顔を合わせ、その変貌ぶりに、このような場でなければ親戚と認識できない変化に驚くやら、成長した子供たちの姿に驚くやら・・・当日の葬儀会場は驚愕の声と笑い声が響く、ちょっと場の雰囲気もあったものではない。そのような状況であった。これも、年齢若く人が亡くなった場合の葬儀ではなく、世代交代の一部と言える別れの儀式との違いと言えるかもしれない。 そして、もう一つの大きな違いとして、葬儀に参列する人達である。年配者の葬儀の場合、参列者の方々は概ね後期高齢者と言われる人々が多く、歩くのもおぼつか無い年寄りばかり。あっちにヨロヨロ、こっちにヨロヨロ、いたるところにぶつかり、すべての動作が緩慢で、交わす会話の声がやたらと大きい。そして、その会話に耳を傾ければ、会話がかみ合っていないにもかかわらず、お互いが理解しあったような素振り。まったくもってデイサービスのような様相である。
一人の男性が我が父のそばに歩み寄り「こんにちは、ご無沙汰です!」。すると、うちの父は「はあ?どちらさんでした?」ときた。同じ地区に住む古くからの知り合いに向かってである。その会話を聞きながら、僕でも知ってるのに・・・と思いつつも何も口出しせずに見ていた。 第二に、火葬場の控室での話である。鈴鹿の火葬場の待機場所は和室である。おまけに上り框の段差付。皆が杖を頼りに歩きかねている爺さん婆さんたちが、和室に上がるのに一苦労。次に和室の床に座るにも一苦労。足を投げ出し、お茶や茶菓子の接待もままならない状態で、丸太が横たわるように、そこかしこに年寄りが座り込んでいる。まあ、活動的ではない、なんという無様な恰好!と一人の親戚が言う。
私の身内の世代交代が今始まりかけている。遅がけの世代交代は、老人ばかりが目立つ。ちょこっと元気な爺さん婆さんがヨイヨイの爺さん婆さんを労わって持成す。老々介護ではないが、老々接待の現場であった。今週初めは叔母の葬式、そして今週末は実の妹の娘の結婚披露宴に出席。まあ、今の時代の冠婚葬祭の様変わりに、変な興味がわいてきた。
今日はいつになくセンチメンタルな気分なのか・・・先のブログで思い出のカーメルの画像を張り付けていたら、どうも古臭い昔が懐かしく思い出されてネットサーフィンを繰り返しながら、昔、学生時分に働いていたナーセリーの写真を発見した。あの場所のにおいや空気までよみがえってくるような気がした。
僕はこの園芸屋さんで、お客さんの購入した花や肥料などを、お客さんの車まで運ぶ仕事をしてた。時々もらえるチップがうれしかったことを覚えてる。でも、アメリカの園芸用肥料は大容量で、日本のものよりも遥かに大きく、重く、そして臭かった。一日中働くと、頭から足先、全身に牛のウンコの匂いと埃にまみれ、力仕事の疲労と匂いで辛かったことを覚えている。しかし、慣れてくるにつれ、接客もさせてもらえるようになり、自分のセールスで花や肥料や消毒薬などを販売できるようになったときは、仕事が面白くて仕方なかった。
そんなちょっとした思い出のかけらを、皆さんにも感じてもらいたくって紹介します。
Los Altos Nurseryです。
毎晩、11時55分になると観る番組がある。タイトルに書いたように、その番組を数字で2355と言う。まさしく、文字どおりと言うか、23時55分のたった5分間の番組を放送しているEテレのことである。たった5分だが、この5分が面白い。そこに展開されるアートワークって言うか、発想が面白い。皆さんも一度、ご覧になると良い。クスッ!と笑えるかもしれない。
今日、紹介している画像は、アメリカ合衆国のカリフォルニア・モントレー郡カーメルのビーチに生えている糸杉の画像である。僕が滞在していたころから存在する木で、まだまだ若かりし頃、当時の彼女とともにこの木の下で写真を撮ったことを思い出した。今から思えばずいぶん昔の話である。
まだ気持ちは、その当時のままではあるが、写真を見ながら当時を思い起こすと、そこにすでに40年近い歳月が経過している。自分にとって一番輝いていたころの話だ。2355の終わりがけに必ず、明日につなげるナレーションが入る。「にいさんごーごーが、土曜日を告げます!」と。過去は今の過ぎ去った跡。今の自分は、すでに過去のものになっていく。この番組を観ながら、いつも一日の終わりに感謝する自分が居る。波乱にとんだ一日でも同じように感謝してる。明日に向かって、気持ちを入れ替え、新たなるスタートを切る、とても良いきっかけとして番組を観ている。
サンフランシスコ湾に浮かぶアルカトラズを望む
名古屋市の市立中学校に通っていた男子生徒(16)が同級生にいじめられ、うつ状態になったとして、当時の同級生(16)とその母親を相手取って損害賠償訴訟を起こし、名古屋地裁(片田信宏裁判長)がいじめを認定して、同級生と母親に対し33万円の支払いを命じる判決を出していたことが3日分かった。判決は母親についても「親として子供の教育や監督を怠った」と指摘し、責任を認めた。(毎日新聞)
日本もアメリカを追従するように訴訟が盛んに行われる社会へと変貌してきているようだ。いじめ問題は、今の時代を象徴する問題であり、このまま野放図に放置できないことは十分に承知の上で、この文章を書いている。ここで問題としたい点は子供の問題を訴訟に発展させてしまう社会構図について考えてみたい。高齢者介護の上においても希薄化する人間関係が、高齢者の社会活動に少なからず影響を与えている点では、本来の自立支援ってのは考えられない時代である。
いじめは排除すべきである。世の中が平和的社会秩序を保てるとすれば、それが一番の理想ではある。しかし、個人の自由、権利、尊厳が大切に扱われる反面、それら大切なものを強く主張しすぎるケースも無きにしも非ず。お互いの主張が真っ向から衝突することを良しとする社会が出来上がりつつある。また、あえて法廷闘争に持ち込む場面すら見受けられる。個人の主張が強く、相手を思いやり理解しようとする努力義務が忘れ去られているようである。もちろん、今回、取り上げた朝日新聞の記事を、僕個人の一方的な理論として、当事者たちを批判するものではない。そこには、少量の情報しかなく、人を批判するには少なすぎる情報であることから、この訴訟に至った行為をどうこう云うつもりはない。
ただ、訴訟への判断の良し悪しではなく、このような事例が増加することで、子供たちの社会が大きく変化する懸念。そして、その影響は子供の教育自体に跳ね返ってくるという点が不安なだけである。高齢者の介護を実践する中で、事故は常に大きなリスクとして介護者にのしかかっている。自立支援を奨励するあまり、何の制約もなく歩いてもらっていると転倒骨折のリスクが伴い、施設だけの生活から脱するための外出を進めることで、インフルエンザやノロウイルスに感染するリスクを背負い込むこととなる。高齢者をお預かりする立場としては、健康で安心な普通の生活を保障することが最重要課題であるにもかかわらず、これらの事故の発生は利用者の身体的活動能力を奪うばかりか、生命まで危機にさらすこととなる。もしもの事故を想定すると何もしない、活動もなく24時間ベッドで寝ててもらえることが一番の安心となってしまう危険性。僕は、この訴訟社会の抱える問題として、同じような無気力な社会を助長するような気がする。
訴えられて損害賠償金を支払うくらいなら、他人との接点を持たなければよい。そう安直に考えることが一番のリスク回避となる社会への変貌。それが、この社会の結末であるならば、こんな寂しいことはない。
まあ、こんな発言って誤解されやすいので嫌なんだけど、ぼく、結構、マツコデラックス好きだねえ!いや、いや、ぼくはその筋の人でもなんでもなくいたってノーマルな男なんですが、マツコデラックスだけは嫌じゃないのですよ。最近のテレビ業界、様々なオカマちゃん達が大活躍してるではないですか。まあ、アメリカではベトナム戦争時代にすでにゲイが、社会的地位を確立するほどだったわけで、そう考えると日本でオカマが流行ってもおかしくはない時代なんでしょうね。
さて、マツコデラックスの体系や顔立ち、それこそ本物の女性よりも女性らしく美しい東南アジアのニューハーフからすれば、異様な程並外れた感じで、どこがいいのさ!?って聞かれても、それをシッカリと説明できるわけでもない。しかし、彼女(・・・?)のトークが面白い。なんだか、人のいい太っちょのおばちゃんって感じで、一緒にいたら話がはずむような気がするのです。感情の表現方法が感性豊か!って思うのですね。結構きつい言葉で相手を傷つけそうな場面でも、言葉が突き刺さらない。すごく上手な配分で話を進めるところに、妙に納得してしまうのです。
オカマちゃんと言えば、昔、面白い体験をした。学生時代にバイト中、髯もじゃのオッサンから電話しておいでと電話番号を紙マッチの裏蓋に書いて渡されたことがある。相手は白人のオッサン。若い日本人の男の子に興味があったんだろうね。次に、タイのバンコクのとある路地裏の怪しげなゴーゴーバー。無茶苦茶別嬪のプロポーションもきれいな女性(ではなかったんだけどね、あとで分かった)、お店に入ってカクテル飲んで、その子の踊りを眺めていた。まあ、本当にきれい! 日本でも、こんな別嬪みたことない!ってな感じ。まあ、運よく夜を共にする前にニューハーフってことが分かって、それで終わったけど。まあ、面白い国だバンコクって。
マツコデラックスの話が、オカマちゃんの話になってしまったけど、何にしてもテレビで売れている人は、それなりに輝くものを持っているんでしょうね。
桜の会とは、うちのグループホームに組織された入居者による「自治会」の事である。この自治会は名称を変えながらも、このグループホームが設立された当初から継続されているが、ここ数年の自治会活動はかなり活発になってきている。その一つの理由に、職員のスキル向上が大きな要因と考えられる。それまでの自治会は、お仕着せの自治会的な集まりであり、そこで自由な発想や意見の抽出ができていなかったことが大きな原因ではなかったか。それが、今では定期的(月一回)な開催に合わせて、入居者の方々にも自治会の意見を普段の生活に反映されている点を含め、少なからず「やりがい」に結びついているのではないかと判断される。
さて、そんな自治会。僕は今では直接的に参加することはないが、毎回の議事録を確認している中で、その時の情景が目に浮かぶようだ。議事録に記される発言なども、読んでいて面白い。それぞれ皆さんの生活歴が如実に表れている点、その人を感じることができる貴重な時間であろう。今、新たに入居された方を含め、昔取った杵柄、それぞれに得意な分野を大いに活用させてもらえそうな面白さがある。
今回は、コーヒーが好きだという入居者さんの加入で、今までコーヒーを飲みたいといったことのない人たちが、口々にコーヒーを飲みに喫茶店に行きたいと言い始めたのである。これは、グループホームにとって画期的な出来事である。そして、職員にとっては思いもかけない方向性に、嬉しい状況であろう。前のブログでも書いたように認知症の人は、無感情、無表情、無関心な人ではない。そうしているのは、そこで働く職員の介護力の問題であり、なんら利用者の皆さんの責任ではないわけである。だから、利用者の方々が自発的にこうしたい、ああしたい!と言い始めることはうれしい事であり、生活自体が活発になってきている証である。
喫茶店に行く!喫茶店ごっこをやってみる。家族さんを呼んで、地域の皆さんを招いてウエイトレスも喫茶店のママさん役も決めてコーヒーを提供する場を作る。そのまま、オレンジプランで求められている認知症サロン、そのままである。
認知症の人との生活って、このような面白い、楽しい部分が多い。もちろん、生活支援ってのはシンドイ。しかし、毎日、こんな面白い発想や夢が見れる場になってくると、ここで働くことが楽しくなってくるのではないか・・・?!と思っている。