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ブログ-施設長の部屋

2013/4/30
4月も終わり、明日からは5月。

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トヨタのコマーシャルで(・・・僕の話題ってテレビの話題が多いなあ~と自分でも思う。よっぽどのテレビ好きなのか?どうなのか?・・・)、北野武氏とジャン・レノの登場するコマーシャル。あのCMの大半は、僕には意味が分からない部分が多いのだが、唯一、トンネルの中を走行している車の運転席のたけし氏が、つぶやく場面。「トンネルの出口だ!」につなげて、ジャンレノが「未来への入り口でしょ!」と言う。そして、ドラえもんの何処でもドアのどちらが入り口で、出口?の問いに、「どっちも!」と答えるドラえもん役のジャンレノ。この二つが面白い!

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 Fly Me to the Moon、 And let me play among the stars

  Let me see what spring is like on jupiter and mars.

  In other words, Hold my hand

  In other words. daring,kiss me!

苦しみ、悲しみ、辛い毎日も、一夜明けるまでもなく、今、生活している場面がすでに未来の入り口と考えることができれば、気持ちはある程度楽になる。入り口か?出口か?この辛い時が、どれほど続くのか?という問いかけに絡めて考えれば、ドラえもんの何処でもドアってのは、いつ、どのように通り抜けたにせよ、そこには新たな一歩を刻むことにつながる。人生、長いようでいて短い。明日をも知れない人生であれば、その時、その瞬間を精一杯生きて、生き抜くことが、ドラえもんの何処でもドアを通り抜けた瞬間ではないか・・・と感じるから好きなんだ。

自分たちの歩いたステップは、足を動かす瞬間から「過去」と変わっていく。自分たちが歩を進めるたびに後ろを振り返らないように、私たちも過去を気にせず、常に前向きに一歩一歩、確実に前進することを目指していくしか方法はない。そこで色々と不必要な懸念や心配事を考えたとしても、それはすでに過去の産物となり得る。過去を振り返らない。自分の思う道を自信を持って前進すれば、いつかはマイナススパイラルから脱することが可能となるのではないか・・・・!

2013/4/27
自分の住み慣れた街

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 貴方の住み慣れた街はどこですか?って聞かれて、「サンフランシスコ」って答えたら・・・ちょっとオシャレでしょ! 事実、僕の青春時代は、サンフランシスコにある。別に自慢するわけではないけど、添付している写真、両方ともサンフランシスコに通ずる有名な橋である。赤いブリッジはゴールデンゲート・ブリッジで、もう一枚の大きい方がベイブリッジと呼ばれ、サンフランシスコとバークレーを結ぶ橋である。この橋の真ん中にトレジャーアイランドと呼ばれる島があり、アメリカの海軍施設として使われている。一般の者も、この島の一部に入ることは可能で、そこからの夜のシスコの夜景は絶品である。ゴールデンゲートからは、湾内に浮かぶアルカトラズと言う小さな島があり、その昔アルカポネが収監されていた有名な監獄の島が見える。そして、橋を渡りきると右手にサウサリートと言う小さな町があり、アーティストが多く住んでいる。シスコって町は、有名すぎて説明が不要なほどの街であって、そんな街を夜を徹して徘徊していた青春時代。あの頃は、横着というか若気の至りというか、夜の街で遊んでいても恐怖感はなかった。今、思えばかなり危ないことをやっていたものだと恐ろしくなる。観光客でなく、現地で生活する者として金はないし、高価な装飾品も持っていない貧乏学生の事だから、周りから見れば危ないのは僕らの放つ印象の方が危険だったのではないだろうか・・・。

そんな思い出話はともかくとして、僕のパソコンの壁紙にベイブリッジの写真を使っているのだが、自分が考え事をするとき等に、自然と見つめてしまう写真が、このベイブリッジの写真である。遠くにサンフランシスコ・ジャイアンツのホームグラウンドであるキャンドルスティックパーク(野球場)が見えたりして、とても懐かしく思え、その当時に目にしていた光景の中に自分自身が吸い込まれていくような気がするのである。僕が年老いて(もうすでに一歩、足が入っているが)認知症となったら、このような写真を見つめて、さも自分はシスコにいるような気分で、ブロークンな英語をつぶやいているのかもしれない。

自分の一番思い出に残る場所。そして、そこに自分の心が残されているほど、認知症となって自分の気持ちが平坦でなくなったとき、僕は自分をその思い出の中に溶け込ませて、そこのイメージの中に生存しようとするのだろう。サンフランシスコなんて、随分と長く離れているにもかかわらず、僕は現実社会で済んでいる鈴鹿を、不安な気持ちで眺めることとなるのだろう。きっと「ここはどこ?サンフランシスコではない!」と不安な気持ちで、周りの者たちに訴えかけているはずだ。

人にとって、一番良かった時代。それが幼少のころであれば、その頃の自分に戻ろうとする。それは、自分で自分が見えなくなってしまい、その理由も原因も分からない自分を不安に思うとき、そんな時が人は自分を守るために他人を傷つけようとする。他者から見れば「問題」である。この認識のずれが介護を難しくしている。ここで説明すると、客観的に問題とされる点が、その人の行動であり他人に与える危害などの現実行動である。しかし、本人にとっての問題は、今の自分がどこにいるのか、サンフランシスコと思ってはいるけど、周りの状況が似てもにつかわない環境にい面食らっているわけで、その問題意識をしっかりと介護する側が理解してくれて、それなりの安定を図ってもらえれば精神的に安定を促すことは可能である。

認知症の人。その人の人生観、生活歴、病歴や人格などが、殊更介護に重要な要素となる点、少しは理解いただけただろうか?

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2013/4/27
旅客機・・・飛行場・・・

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羽田空港でのショット。 何の図柄がデザインされているのかは忘れたが、とにかくド派手な飛行機が飛び立っていった。

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これも羽田空港のスナップショット。オブザーベーションから見た駐機中の787機。期待不良で空を飛べなくなる前の画像だから、結構古い写真であるが、あの当時は787にあこがれをもって眺めていた。飛び立つときの主翼のしなりや、いろいろな部分でとても興味があった。

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これはセントレアの駐機場でのスナップショットである。飛行場ってどれも同じように見えるが、これでいて結構、その場所によって特徴がある。滑走路の向こうの景色や駐機場にあるゲートなどの様子が、それぞれの飛行場によって顔が違う。写真では伝わってこない、ジェットエンジンの音や轟音、カーゴ車両の走る音など、いろいろな音が聞こえてくる。いつも、飛行場に行って、飛び立つ準備が整った飛行機から順にエンジンの高鳴り、専用車両によって押し出されていく飛行機を眺めていると、今にも自分もどこか遠くに旅立とうとしている気分になれる。美香氏の僕のブログでも書いたと記憶しているが、その昔、サンフランシスコで生活していたころ、ホームシックとなって家を思い出すと、飛行場に行ってはボーディングゲート近くの椅子に座って飛行機を眺めていたことを思い出す。

飛行場には色々なドラマがある。喜びも、悲しみも、エクサイトメントも感動も・・・あの鉄の塊が空を飛ぶなんて・・・と言う方もいるが。僕は、あの流線型の機体と天高くそびえる尾翼を眺めていると、本当に美しいと感じてしまう。飛行場を鑑賞するには、井丹空港のオブザーベーションが面白い。旅客ターミナルとは、滑走路をはさんで反対側に滑走路沿いに設けられているオブザーベーションは飛行機の理発着を眺めることができる。それこそ、飛行機好きにとってみれば、お弁当を片手に一日中でも飛行機を眺めて過ごせる、格好の場所である。

2013/4/26
ブロガーとして・・・

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僕もなんだかんだ言いながらブロガーの一人なんだよね!昨夜、パソコンで自分の過去のブログを読み返してみた。まあ、誤字脱字の多いこと。これは、自他ともに認める、僕の抱える弱点なんだ!そして、過去のブログに写真の少ないこと!これについては、某パソコンのソフト開発会社の社長にアドバイスをもらって以降、ブログを如何に見やすく、読む気になってもらうか!を心がけるようになったからなんだ。まだまだ、自分の書く文章力も未熟で、読み進むうちに意味ぷ~な点も多く、過去のブログを読み返すと冷や汗が流れる場面も多くあった。

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ブログってのは、書いてみると意外に難しいものである。過去の自分のブログは、自分自身の感情的な熱い部分は表現されているものの、そこに中身が伴わない場面が多かった。思い付きを書いているから、そのような散文となってしまったのではないかと自分なりに理解している。僕のブログの当初の目的は、うちの職員さんへのメッセージであった。自分なりの考え、それも介護に限らず、お遊びや趣味嗜好の部分も含め、自分自身を理解してもらうことを第一目標としていた。その当時、うちの職場の人間関係はもめにもめていた時代である。個々の職員の介護に対する熱意は、強烈すぎるほどあった。しかし、その方向性がバラバラであった。個人の考え方がバラバラで、向かう方向を見失っていた時代である。その一番の原因は、自分自身が職員の中に受け入れられていなかったことだろう。専門職が混在する職場において、それぞれの専門性を発揮するにあたり、必要とされる方向またはポイントに集中的に無駄なく注ぐことができなければ意味がない。すべてが空回りする。協働という意味でもチームワークが形成されていなかった。そのような時代である。

だからブログで考え方を示したことが功を奏したとは言わない。そんな大それた事云えません。しかし、このブログは少なからず組織を引き締めるためには役に立った。そして、ブログを呼んだ職員たちは、個々人が自分なりに考え始めた点が大きな変化につながっていったと考えている。この職員が考え始めるという行為は、自分たちの行いを反省(・・・そこまでは疑問ではあるが・・・)見直し、気づきに結びつき、結果として自分なりに疑問を持つようになった。

僕は、この疑問を持った職員たちを褒めてあげたい。職員たちは、そこから自分で学び始め、お互いが話し合うことを始めた。誰が支持したわけでもなく。要するに僕のブログは、職員たちの話題の種をまいたことと同じ作用を及ぼしたようだ。この種が、時とともに芽生え、成長していくこととなるわけだが、その途中でもいろいろな問題は起こってくる。本当にいっぱい、それも留まることを知らない洪水のように湧き上がってくる悩みの連続は継続される。しかし、一度方向性が固まると、以前経験したような苦しみもがき改善に翻弄することなく、話し合いの場で解決していくようになった。

僕は他の事業所の管理者の皆さんに、この方法を見習ってもらいたいとは言わない。しかし、年寄りの介護を真剣理解し、そこの場所に右往左往する現場職員たちの気持ちを諮り、理解する努力は、管理者・経営者には必須ではないかと考えている。制度に縛られすぎる経営も、決して介護の質の面ではよくない。実際、高齢者福祉は儲からない! つぎ込む労力を時給換算すれば自然と理解できる。以前ある人が言った。高齢者福祉ってのは、砂漠に池を造ろうと水を注ぎ続ける行為と同じさ! そこまでひどくはないにしても、部分的に納得できるのである。そして、そのような状況下で介護者の持つエネルギーの補充を行ってあげるのが、経営者の役割ではないかと考えている。

2013/4/25
田植え時期

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風混じりの雨が、昨日一日この地方でも続いていた。個人的には雨の日より晴れた日の方が好きなことは誰しも一緒。でもこの時期の鈴鹿は田植えの始まりのころ。そろそろ田植えが始まっている。太陽の家の裏(南側)にはグリーンベルトゾーンと呼ばれる農振地域が確保されていて、広大な土地に稲が栽培されている。要するに、裏はすべてが田んぼ!ってことである。その田んぼに水が張られ、田植えの準備万端ってとこである。おそらく暑い夏の盛りには、新米が収穫されることだろう・・・

話は変わるが、この時期の緑が一番鮮やかできれいである。とても新鮮な緑を放っている。そして、水を張った田も夜の月明かりの中では、大きな池のような様相を作り出している。少し離れた町の明かりが反射し、月の光を受けて微妙な輝きを放っている。これが日本の春だ!ってな具合に感激も等しい。と、そのような中、夜の田んぼの散歩は恐ろしい。蛇が出てくる。水をふんだんに蓄えた田んぼに生きる小動物を狙って、夜間にニョロニョロと動き出す。アダムとイブの時代から蛇は存在するようで、僕はこの蛇が大の苦手。これほど恐ろしい生き物はいないと思っている。

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さて、このような状況下で夜道を散策するときに足元を照らすライトは必要か?というくだらない質問をしてみたい。貴方も僕と同じように蛇のことを恐れるタイプの人としよう。蛇をいち早く察知するために明るく足元を照らすライトは必要不可欠と考えるのか?それとも、知らぬが仏と言うではないか、怖いものをわざわざ照らし出さずとも、見えなければ怖くないわけだからライトは不要と考えるか?この選択肢のいずれを貴方なら選ぶのだろうか?実際、僕も非常に悩んでいる。見えなければ、わざわざ見なくても済む。しかし、見えない暗闇の中で、ひょっとしてアクシデントで蛇を足で踏みつけてしまったらどうしよう・・・・?!ってなわけだ。

どう~でもいい疑問を考えている僕。これは暇な証拠?それとも平和な証拠・・・・?    いやいや、違うのですよ。僕が言いたいのは、介護の現場では、このようなジレンマが無数に存在するのです。どうでもいいような問題に見えるかもしれない些細な課題。それを真剣に悩まないから、ことが重大に発展することが多いのです。フェイルセイフとかコンプライアンスとか、リスクマネージメントと言われる分野がこの例に当てはまる課題なのです。お年寄りは健康な若者より「壊れやすい」または「衝撃に弱い」。普段何気なく行っている介護が、選択ミスを起こすことで、大きな事故につながることも多い。

介護者は、気づきに結びつかない些細な変化や異変について、もっと神経質になるべきだ。それ程のこだわりを持って業務を遂行する必要があるってことを学んでほしい。見えなければいい!でなく、しっかりと目を見開いて察知する。感知する!理解する! アンテナは高く、レーダーは広く!です。

2013/4/24
地域の中心的な認知症の人の拠点になるために

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さて何ができるか・・・?認知症の人は決して特別な人ではない。我々と同様、いたって普通の人間であり、人である。この考え方が一般市民おなかに浸透しきっていない現状が存在するだけではなく、今でも認知症の人との接し方が分からずに悩み苦しむ家族は多く居る。認知症ってのは、非常に判断がしにくいのが問題と言えば問題ではある。年齢に応じた物忘れまで「認知症」に直結させる人が多いのが、その証拠である。もともと認知症って状態がクローズアップされてきたのは、医療分野の研究や技術が向上することで、人間の寿命が延びたことから、認知症を患う人が増加したわけで、それまでの社会は医療が充実していないことから、多くの高齢者たちは年齢の積み重ねとともに病に倒れ、死に至ることが大半であった。それが、今どき、癌でさえ早期発見、早期治療を行うことで完治する時代である、人は昭和の初期に比べ長生きし、同時に市民の健康意識の高まりから定年退職の年齢さえも先延ばしする時代である。

認知症は人間の脳細胞の気質変化に応じて起こり始める記憶障害だけが一般に普及してしまった結果、単なるモノ忘れさえも認知症と叫ばれ一大事件とばかりに家族の大きな問題としてしまう傾向がある。極端な隔離、幽閉、や叱責などの行為は、年寄りたちの精神状態を極限まで追い込む結果となり、それまで問題とならなかった精神的不安定さがクローズアップされてしまう結果となるケースが多い。認知症の場合、ケアする側が家族という場面が多く、家族であるが故のストレスや多方面の負荷は、第三者による介護に比べても大きくのしかかることとなる。これは、家族の気持ちの中に苛立ちを生み、そのことが虐待や身体拘束などに結びつくことが多い。

さて、そのような状況に陥る認知症の人は、良い状態、悪い状態を見極めることが重要である。

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認知症の人の悪い状態の時・・・・

 ◎ がっかりしている時や悲しい時にほったらかしにされている状態。

 ◎ 郷土の怒り

 ◎ 不安

 ◎ 恐怖

 ◎ 退屈

 ◎ 身体的な不快感

 ◎ 体の緊張、こわばり

 ◎ 動揺、興奮

 ◎ 無関心、無感動

 ◎ 力のある他人に抵抗することが困難

次に認知症の人の良い状態とは?

 ◎ 表現できること

 ◎ ゆったりしていること

 ◎ 周囲の人に対する思いやり

 ◎ ユーモアを示すこと

 ◎ 創造的な自己表現

 ◎ 喜びの表現

 ◎ 人に何かしてあげようとすること

 ◎ 自分から社会と接触する

 ◎ 愛情を示すこと

 ◎ 自尊心(汚れ、乱れを気にする)

 ◎ あらゆる感情を表現すること

・・・・・・さて、気が付いてもらえただろうか・・・・この良い状態も、悪い状態も、私たちの世代、健康な若者、誰にでもあてはまる事柄ではないだろうか?認知症ってのは「特別なもの」ではなく、いろいろな病態を見せるものの、そこにいるのは普通の人間であるということ。まず、この普通の人であることを今回のキーワードとしたい。

2013/4/23
うちのワンコ達

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うちには小型犬のミニチュアダックスが3匹いる。朝4時頃の新聞配達のバイクの音に反応し、吠える! 少し興奮した後落ち着きを取り戻すが、一時間後にはおしっこのために吠え始める。ここまでくると、そのまま放置できなくなる。なんせ喧しい。僕の部屋は二階にあって、ワンコ達は一階のフロアで生活する。この合図とともに起こされて、目覚めのオヤツを食べ、朝の7時半に朝食。お昼休憩の時間に再びオヤツ。自分が帰宅してからおしっこのために屋外を散歩させ、その後7時半に夕食。夕食後の散歩として、ベランダから外へ出て裏庭を徘徊。夜10時には就寝となるが、その前に三回目のオヤツ。うちは共働きだから日中の彼らは、誰の束縛もなくずっと昼寝。 

このような毎日ってどうなの?  人によっては一日中熱転がって定期的に食事が与えられ、食べることには何の心配もいらない日々。

アフリカの紛争地帯に生活する人々に比べれば、安全で安心した日々であろう。しかし、アフリカのそれも同様、決して良い環境ではないし、それと比較されても困ってしまうってものである。この子達にも生まれてきたには理由があるかもしれない。または、運命の悪戯として犬に生まれ、この家で飼われることとなったのかもしれない。

人間を犬に例えることに問題がないわけではない。しかし、このような生活って、高齢者の生活に似ていないか?デイサービスの利用日以外は、一日中寝て暮らす。家の中では疎外され、家族との団らんもなく、一人で部屋の中で暮らす毎日。食事こそまんべんなく与えられるものの、そこに自分の嗜好は加味されない。常に同じパターンで、年齢とともに脂っこい食事を避けて、巻きずしのパック入り、朝食は調理する必要のない菓子パンまたはコンビニのおにぎり。お茶はヤカンで朝食の時に配膳される。犬との違いは、唯一テレビが昼間のお供をしてくれている。テレビを点けっぱなしで居眠りして、家族に叱られ。どうしようもなく居たたまれず、ただ一人ふさぎ込んでしまう生活。

これは人間の生活ではない。犯罪を犯して収監されている刑務所でも、もっとましな生活をしているのではないだろうか?!

介護保険が十分に浸透した世の中にあっても、年寄りたちは、これに似たような生活を行っているのではないか。もう一度、高齢者を取り巻く環境について真剣に考えてみる必要があるのではないか・・・。

2013/4/20
う~っ、サッぶ!!

寒い! 無茶苦茶さっぶい!4月も下旬となるのにここ二日ほど、真冬に戻ったような寒さ。こんなにも毎日の気候変動が激しいと、着る服を選ぶし、大体からヤネ冬服を洗濯に出せない!今週末は、今日のような調子で寒い日が続き、来週にはまた20度を超える初夏の気温に戻るそうである。これは、年寄りには厳しい気候であるよね!

寒い日は骨身にこたえる。先日、クリーニング屋さんと話をしてて、寒いとね・・・体を動かす時が辛いのよ!なにせ、関節が軋むような音をたてて痛むの!ってな会話である。少しでも同じ姿勢でいる時間が長いと、その状態から体を動かすたびに関節が悲鳴を上げる。固まってしまって、体が動かない。膝の関節や足のくるぶしや踵などは、歩き初めに痛みが伴う。そんなクリーニング屋さんの会話に妙に納得すること多く、僕も同じような年齢であることで話題を共有できた。(結局、同じような年寄りかよ!)

まあ、話の結論は「歳はとりたくないねえ・・・!」で締めくくられるわけだが・・・・。多くの年寄りが同じような悩みを抱えながらも、仕方なく動いている状況である。こればかりは、改善の使用もなく、医者にかかっても「・・・老化!」の一言で済まされるのが落ち! 何とも仕方ない問題なのである。

しかし、実際問題として、このような状態は年齢だから!で済ましてしまうことは恐ろしい。これは若くても同じことは起こっているわけだが、そこに若若しい筋肉が伴っているから多少の無理をしても大きな怪我には発展しない。ほら!あなたも若かりし頃を思い出してみて・・・・スポーツの前に柔軟体操をやったではない。関節にじっくりと潤滑剤をまわし、筋肉をほぐしてからスポーツを始めていた。年寄りも同じで、急激な運動に入る前、例えばリハビリなどの運動前には、しっかりと関節の動きを確かめながら、ゆっくりと動作を増やしていく。朝起きた時もベッドから急に立ち上がろうものなら、それこそ足がもつれてつんのめる。下手すりゃ顔面をしっかりと床に打ち付けることとなりかねないわけで、何事もゆっくりとしたテンポとなってしまうのが年寄りの行動を緩慢にしてしまっている。

我々、高齢者を介護する者たちとして、このような高齢者の抱える諸問題に、どのようなアプローチをとればよいのか???機能訓練だけやってりゃいいのか?歌を唄って気分転換さえしてればいいのか?年寄りを、その人の気持ちになって理解することは難しい。しかし、我々は専門職として、年寄りの問題を嗅ぎ取る習慣を身に着けなければいけない。認知症だ、高血圧だ!糖尿病だ!という前に、その人を嗅ぎ取る(言い方は悪いけど、その人をわかろうと努力する姿勢を嗅ぎ取ると表現してみた)ことをめざして行けば、そこに気づきや思いやりは成長させることができる。相手の痛み。根本は、それほど難しい大きな問題ではないのではないか?寄り添うだけで解決できるもんだなのかもしれない。本当はほんの些細な問題しかないのに、そこに大きな疾病が加味されることで本質が隠されてしまっているのではないか? つまり、本人としては患っている重篤な病にたいしては諦め的な心情になっていないのか?その諦めが間違った方向に妥協し、反作用を引き起こしているのではないか?と考えてみたいのである。ちょっと、理屈っぽくなってきたが、例えば「癌」年取って、この病気にかかったとする。あなたならどうする?手術を受けて真正面から戦いを挑むだろうか?! 僕は、がんと真っ向から対決する考え方も認める。そしてその反対も認める。そして、一番重要なのは、その人がどのように癌と共生するか?を支援しなければいけないのだと思っている。

歳をとれば、いろいろなところが悪くなる。これだけ寒い日が襲ってくる異常な気象条件化に、健康を維持することがさらに難しくなる高齢者。健常な若者世代が、真守ってあげなければいけないことは、エアコンのスイッチを入れてあげることではなく、その気象条件を伝え自分なりの工夫を促すことの方が重要な働き掛けではないかと思っている。なんだか、分かったような分からなかったような・・・妙な話となってしまった。この話は、もうしばらく考えて、整理して第二弾を掲載したい。

2013/4/19
介護事故

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介護の中で事故は起こるべくして発生するものである。昨日のNHKのニュース9でも取り上げられていた救急搬送の受け入れ拒否から死亡につながる事例や、はたまた医療ミスによる死亡事故。介護の現場においても事故は発生する。転倒骨折、誤嚥、移乗中の擦過傷や打撲・・・相手は生身の体。万全の注意を払って支援していかなければ、そこには大きな落とし穴が待ち受けている。介護する側からすれば、事故を起こしても良い!という意識はない。それ以上に、介護途中の事故を誰よりも恐れながら、日々介護を続けている。

僕は、この介護途中の事故について、事故を起こした張本人に対し時と場合によって、きつく叱ることもある。事故を起こしたくて手を抜いてないことも十分理解できるし、そんないい加減な介護を行っていないこともよく理解している。本人はいたって真面目に仕事をしていることも理解しながらも、叱らなければいけない場面もある。それは、事故が続いた時である。今やスパルタ的教育はパワーハラスメントと呼ばれる時代であり、そこに暴力が加わればドメスティックバイオレンスと言われる時代。職員教育はパワーではなく、相手の理解を促しながら、優しく指導しなければならない。しかし、精神的・肉体的な痛みが伴う「事故」を起こした場合、それを繰り返す職員に対しては、ある程度の厳しさをもって教育しなければいけないと考えているからである。

自分の家族を、やむなく施設ケアに委ねなければならない家族としては、家を出た状態で家に帰してもらいたいと願うのが普通である。誰しも怪我をさせられても笑って済ませることのできる家族は存在しない。家族であるから、家族の苦痛や痛みは本人以上によくわかる。それが自分の手塩にかけた子供でなくとも、親や兄弟であれば同様、相手の痛みが自分に伝わってくるのである。そんな不慮の事故も、怒ってしまったものは取り返しがつかない。かくなるうえは、本人や家族に平身低頭謝るしか方法は残されていない。そして、真摯に責任を全うするしか方法は残されていないのである。起きてしまった事故を取り戻すのではなく、その事故の回復を手助けすることと、そこに自分たち事業所としての責任と気持ちを添えることが一番重要であり、家族や本人から求められる姿勢ではないか! 

そして、事業所としては、事故を起こした職員を十分守ることも必要である。そこに故意の事故であっても同様、そのような職員を雇用し管理しなければならない責任は事業所には存在するのではないか?!非常に不条理ではあるが、僕は、あらゆる事故から職員を守るつもりである。そして、同じようなミスを繰り返さないよう、事業所内で改善策を話し合い、事故の撲滅に働きかけることを優先すべきである。被害者の家族に施設内の問題を押し付けることは筋違いである。

いずれにせよ、介護途中の事故は起こり得る。だからと言って起こしても仕方ない!では無く、介護途中の事故の発生をできる限り起こさない努力は常日頃から実施すべきである。

2013/4/18
一日中しゃべりづめの一日。

ana-p2-02-1680.jpg  無事、タッチダウン!ってか・・・・?!

一昨日の話となってしまったが、久しぶりに一日中、話しっぱなしの日を過ごした。昨日の水曜日は朝から三重県の総合文化センターにおいて、地域密着型サービス協議会の総会があり、議長として議事の進行を行い話の連続。昼食をはさんで午後から会場を同じく三重県の総合文化センターにおいて、この9月に開催予定の認知症フォーラム実行委員会を開催。実行委員長として、愛知県、岐阜県の代表者を交えて、総勢20数名の会議を行い話しっぱなし。夕方5時に会議を終えて、とんぼ返りし、自宅のワンちゃんたちを裏庭に出しておしっこさせて、そのまま鈴鹿市の労働福祉会館へ研修講師として出席。6時半より8時半まで、みっちりと「ホスピタリティ・マインド」をテーマに介護事業者の枠を超えて、世界に名だたる高級ホテルやリゾート施設が実践するホスピタリティについて話をした。

元来、人前で話をすることが好きであるから、朝からテンションあがりっぱなしの状態で、夜の9時近くまで突っ走ったこととなる。途中、のど飴を少々なめながら、ペットボトルのお茶を少々。それでも、なんとか役割を果たすことで安心して床に就くことができた。結局寝たのは夜中の2時。いつも研修講師を務めると、その夜は眠ろうと思っても、その日の研修内容を思いだあしては身震いし、失態を思い起こしては悩むことが多い。これでいて結構小心者。口から出た言葉は訂正することができない分、悔やまれることも多い。特に昨日の研修は有料(参加費500円を払ってもらっていた)ので、なおの事責任重大である。支払った参加料に見合う内容であり結果を求められるとなると、本当にプレッシャーを感じてしまう。

まあ、研修講師の二時間も大変ではあったが、何よりもこの日を迎えるまでが、とても大変な日々を過ごしていたのである。総会の資料作り、実行委員会の資料作り、そして研修内容のと構成を考えながらパワーポイントの資料をつくる。三つの資料を同時進行で作成することが、一番大きな作業であった。何度も何度も資料を作り直し、加筆し、削除しと、やるべきことを一つ一つつぶしていく作業で、なんとか凌いだものの、やはり3つの大きな事業を同時にこなすことは避けたほうがよいと学んだ。

研修講師を終えての今日、さっそく研修を主催した事業所から受講者の評価を頂戴した。とても好意的に受け取っていただいたようで、一安心。次に、そんな評価を書いてくれた受講者の皆さんに感謝! ようやく安堵のため息が漏れた!って状況です。


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