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ブログ-施設長の部屋

2012/4/7
それ以上でも、それ以下でもない・・・・

いったい誰が言い始めた言葉なのか・・・「それ以上でも、それ以下でもない」という言葉。僕が最近気になり始めたこの言葉は、ある国会議員の答弁の中で耳にする機会が多い記憶がある。そんな言葉であるが、昨日の巨人・阪神戦の結果をうけて、スポーツ新聞の記事の中でも発見した。開幕7戦にして、4回目の零敗を記した巨人軍のバッティングコーチの言葉か、記者の言葉かは分からないが、僕はこの言葉は適切ではないと感じている。適切ではない以上、腹が立つ。

 それ以上でもそれ以下でもない。英語で言うなら more or less となるのだろうが、論点がぼけてしまう。もちろん発信者は、論点をぼかすことを目的として使用するのだろうが、特に広く国民全体に説明する責任を持つ政治家や日本にたくさんいる野球ファンへの釈明責任を持つ(釈明する責任までは言い過ぎかもしれないが)野球のプロの言葉ではない。最近ただでさえ、政治家の言葉が軽く感じられるにもかかわらず、このような言葉を聞くと落胆を超えて失望してしまうのは僕だけか・・・?!

 日本人は物事をはっきりと言い切る人種ではないことは、世界的にも有名ではあるが、そのような国民性にも増して、コンプライアンスや守秘義務などの過剰なほどの防御本能からか、ことさらに本質をぼかす帰来が見受けられる。世間の目にさらされる立場から発言も用心に用心を重ねなければならない部分は理解できる。世の中には、言葉の端々を取沙汰に揚げ足取りの特異な吾人がワンサカわんさか居る。しかし、それだけに人をリードする立場の人達だけに、誹謗中傷も恐れず、もっと信念を持った運営、広報活動を行えないものか・・・と思ってしまう。

 

2012/4/7
進化するハンズフリー電話の必要性。

 昨日のニュースから、世界の通信技術の最先端では、携帯の端末を特殊なメガネの中に内蔵して、映像と音声を同時に行える通信機器の研究を紹介していた。グーグルという会社が開発している段階で、近未来のSF映画などに登場するような通信機器である。通話しながら送られてくる文字情報や映像を特殊なメガネを通して、どの様な場面でも通信できると言う優れものだそうだ。

 確かに、歩きながら携帯電話を片手に通話することは便利な反面、手がつかれる。耳元に電話機を押し付けてなければいけないし、さらにそれが運転中である場合などは尚のこと難しい。また危険でもある。以前より、そんな不自由を解消するためのワイヤレス又は有線のイヤフォンタイプの機材は販売されているが、今回紹介された機器は、それをはるかに便利にした端末である。言葉を認識して、画面操作なく他社に電話を掛けたり、ネット検索もできる。そんな便利な情報をすべてキー操作無しで行えるのである。こんな電話が誕生すれば、今までの携帯電話は使えなくなる。携帯のメールを送ろうにも、キーボード面が小さすぎて、年寄りには文字が見難い、文字変換が難しい、文字検索に手間がかかる等の不自由さは、完全に解消されるのである。便利だ!

 しかし、よくよく考えてみれば、自分の目で認識している現実の画像と合わさって、通話または通信内容がメガネのガラス面に表示されるってことは、現実と虚構の見分けがつけにくいのではないか?と言う疑問がわいてきた。たとえば、お散歩中に、そんなメガネ通信機器を着けて歩いている途中に電話がかかってきた。ご丁寧に、桜を見物に行った友人からの電話である。友人は、その見事に咲き誇る桜の木々の素晴らしさを電話で興奮気味に伝えてくれた。何となく桜がきれいな場所にいるのだなあ・・・と想像していると、突然、その友人は、それらの桜並木の画像を転送してくれた。

 池のほとりを散歩中の自分の眼前に満開の桜並木が表示された。吉野の桜だ。山肌一面に咲く桜。上りこう配をふもとから写真を撮影している。自分の目の前には池。表示される画像は上り。二つの違った情報が、眼前に表示されるとすれば、おそらく僕自身は気分が悪くなるか、その状況を認識できずに足を踏み外して池に転がり込んでしまうだろう。

 いくら世の中の技術が進歩しても、人間の能力が向上しない限り、これらの高度なハイテク機材を使いこなせる人間は限られてくるのではないか。特に年寄りは、今以上に社会から疎外され、置いてけぼりの状態が多くなってしまう世の中になりそうだ。このまま進めば、ちょうど僕が65歳を超え、介護保険を使う年齢となるころには、何もできない、何も理解できない、生きてるだけの生き物と化してしまいそうである。今、こうやってパソコンやって、自分でブログを書いて、ネット通販で物を注文し、便利だ便利だ!と叫んでいる者であっても、これ以降の新たな技術についていくことは非常に努力を要するということ。そして、そんな年寄りも、その時代の文明の利器を使いこなせないだけで、その時代の介護職員から馬鹿にされ、用無し人間扱いされるのか?

 この図式って、何も将来起こり得る現象でもないようだ。今の認知症介護や高齢者介護の現場で、ごくごく一般的に行われている現状ではないだろうか・・・?!

2012/4/6
匂いについて

今、うちの施設は『匂い』が問題となっている。うちの施設は、住宅メーカーが施工した、俗に言う2X4工法による木造家屋である。二階建て、一階部分は高天上と設定してはいるものの、一般的な施設や病院よりは低い、3mの天井高である。天井が低い分、病院的イメージは感じられないメリットを持つ反面、採光や換気面では、多少の弱点を持ち合わせている。そして、換気面のデメリットは、感染症などの深刻なデメリットは防げているが、匂いについては、多少の改善策を必要としている。

さて、そんな匂いであるが、今の日本人社会の中へ新たな匂い文化が生まれようとしている。一昔前までは、男子便所の中の緑色したナフタリン臭のきつい消臭剤が一般的、衣服にしてもタンスの中でつけられる虫除けナフタリンの匂い程度。海外旅行から帰国すると、日本を真っ先に実感できたのが『醤油』の様な匂いであった。其れが、今では、色々な香が販売され、洗濯の際に投入する洗剤や柔軟剤などをはじめ、室内の匂い取り、気分転換や安らぎの為のアロマオイルなど、そして欧米から輸入される香水やコロンなど。独自の臭いが市中に溢れている。

匂いと臭いが混ざって、息もできない程、キツイ匂いに包まれての毎日である。僕も、外国人と接する場面が多く、その都度、香りの足跡を残しながら歩く欧米人の匂いに鼻が痛くなる時を感じている。屋外ですれ違う場合は許せるが、其れがレストランだと、少し話は違うように思う。一つの匂いは、それなりに美しい。まあ、美しいと言う表現は相応しくは無いが、其れ程の抵抗は感じない。しかし、其れらの個々の匂いが混ざり合ってしまうと、其れはもう、拷問である。鼻が曲がる。

僕自身、以前は香水の匂いが好きで、自分自身も沢山の量の香水を身にまとう頃もあった。多いときでは一月に一本のコロンを吹き付けていた。僕の歩いた後を、匂いをたどれば、正確にトレースできるくらいの量を、である。僕は、そんな自分の匂いを気分良く受け入れていたが、周りにとっての迷惑とは捉える事はできなかった。

しかし、こうやって年齢を重ねてみると、強過ぎる匂いは気をつけなくてはいけないと思うよになってきた。自分の匂い。本当に難しい話しだが、周りのものに不快感を与えない程度の良い匂いってのは存在するのだろうか?

課題となっている、施設の匂いを思い、先日空気清浄機を数台購入した。一日中フル稼働で余分な匂いを除去してくれるはずだ。まだ効果は、見えてないが、私たちが注意しなければいけない匂い。動物性たんぱく質や脂質を欧米風食文化を取り込みすぎて、日本人の体臭も欧米並に変化しそうな課題である。

2012/4/5
認知症ばあ様とのお付き合い。

 認知症ばあ様は、時として可愛い側面を見せてくれる。表情が無邪気。子供のような純真な顔をしてくれる時がある。幼い子供と遊んでいると、時として何かに没頭して食い入るように一点を見つめ、その音に集中するときの顔。それと同じような顔をする時がある。介護職の若い連中には、そんな顔をしたばあ様たちを「きゃわいい~・・・・!!♪♪」と表現する連中がいる。可愛い!と思うことはダメではない! ダメなのは、ばあ様達を子供扱いする表現方法が遺憾!

 子供の様に純真で、言ってみれば社会の毒気から遠のいて、今となっては純白で汚れを知らない少女のような澄んだ心を取り戻したような・・・私たちのような現代社会に汚染され続けている者とは、かけ離れた次元に住む人たちなのだ。決して子供ではない。列記とした大人の女性である。我々よりも長く人生を生きて経験豊富な人たちである。認知症にさえなってなければ、それこそ、「きゃわいい~」の言葉に激怒されるかもしれない。または、馬鹿者のケツを思いっきり蹴飛ばしてくれるかもしれない。逆に考えて、自分たちよりも下の中学生や小学生に「きゃわいい~」って黄色い歓声をあげられたら?どんな気分だろう…?おそらく「ふざけんな!十年早いわ!」って思うことだろう。

 認知症のばあ様やじい様を可愛い!と思えることは、決して悪いことではない。、しかし、プロの介護職員として考えると、あまりにも幼稚で客観視できていないと思いませんか? 何の恐怖も感じていない状態であり安定している状態でいるからこそ、純粋で曇りのない姿は、しっかりとしたケアが実践されている証拠なのに、素晴らしいケアも、その「きゃわいい~」の言葉で、すべてがチャラになってしまうぞ!

 ばあさまやじいさまは可愛いのではなく、心も静かに安定しているから、かわいらしくみんなの目には映るのですよ!そんな認知症のばあさまやじいさまを、もっともっと増やしていくように逆にファイトを燃やしてほしいね!

2012/4/5
眠れない夜。

たまに寝つきの悪い夜がある。今夜も、そんな夜である。テレビも教えて面白くない、見るに耐えない。ワケのわからない番組の出演者のギャグを聞いてても雑音でしかない。其れならと読みかけの本を取り出して、続きを読み始めるものの、目が霞んできて文字が見えづらい。。ネットで検索も、ようやく暖まった布団から抜け出てパソコンの前に座ることも億劫だ!

そうだ!! スマホのコンシェルジュがお話相手になってくれる!ってCMで言っていた。早速、スマホ相手に声をかける。適当に思いつきを話しかけてみたり、その回答を聞いたり。夜の夜中に携帯の中だけに暮らしているコンシェル。普段は画面のなかで右へ左へウロウロしてる彼。時々立ち止まり考え事をしてる。そんな彼に話しかけると、チョット考えてから回答を話してくれる。全ての問いかけを適切に理解するワケでは無いが、結構暇つぶしにはなった。

時代の変化、技術の進歩。僕の子供の頃は、電話の設置された家なんて、町内の数件。申請書類などの連絡先記入欄には「呼び出し」の記入欄があった。つまり、ご近所の電話を持つ家の電話番号とその方の氏名を記入する欄が存在してたのです。今なら、個人情報の取り扱いに接触して大きな問題になろうって事が普通だった時代。今の様に一人一台の電話を所有する。ましてや、其れらの電話にコードが付いていない。コードレスで世界中で使用可能。昔ならSFマンガの世界の話しである。子供の頃からは夢の物語だよね。

しかし、夜中にオッサンが暗闇の中で薄っすらと漏れ光る明かりの先に向かって一人つぶやいている姿。想像するだけで笑えるよね。


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