今日、広告をみて、ある雑誌を購入した。若い頃、其れも30代の頃には自分の中でも一番センスの良い、都会的センスを感じる事ができる雑誌として、一部の崇拝やステータスをも感じる雑誌だった。雑誌の理念は、芸術性の高い居住空間に主眼をおいていろいろな面からアートを表現していた。
若かった自分は、そのような雑誌を読んで、限りない新しい情報の全てに飢えていた。そして、あらゆる情報を乾いた砂に染み込んで行く水の様に際限なく吸収していった。もちろん、吸収したといっても、雑誌から読み取れる情報は、今で言うバーチャルな体験でしかなく、実際に自分の目で見て、体験して得た情報でないので、磨かれた感性と呼ぶには若干意味が違うが……
そんな憧れをもって読んだ雑誌も、この歳になってみると、そこに書かれている情報を、以前の様に素直に文句なく受け入れる事が出来ない自分がいた。雑誌の情報は、以前と同じくらい斬新な視点で、モノを見ているが、自分としては感動する事がなかった。更に、感動どころか逆に、掲載されているトピックには、目を通す事すら面倒な気持ちになっている自分がいた。
これは非常に危険な兆候。年寄りが知らず知らずのうちに老人となってしまう条件の一つに、物事に驚かない、興味を示さない!今日の僕が、昔憧れをもってむさぼる様に買いあさった雑誌すら、以前の様に興味をもって読む事が出来なくなっているではないか!
これは「 まずい!」 日経新聞のCMに感銘してる場合ではないぞ!リチャード・ギアのテレビCMを見て、密かな「オランジーノ」のファンとなってる様では、僕の感性も錆び付きつつあるようだ。
ほら! オッサンに特有のダジャレ。今の僕は、年齢からくる図々しさによって、ワビ、サビよりもだんご。の境地に陥ってしまっている。ちょい悪オヤジどころか、まだら白髪で昼飯に食ったラーメンのネギが前歯に挟めてバカ笑いしてるオッサンと同じに成り下がったのか???
まずっ!
インターネットの技術革新が進み、テレビや新聞などの報道の拡散スピードや範囲の拡大は、目覚ましい発展を遂げている。一般人の我々には見えない部分も見えるような世の中となり、聞こえなくても良いシークレットな情報まで簡単に入手できる世の中は、一見便利な様でいて、知らずに済む事まで、公開されてしまう今の社会。ある面、腹立たしいケースも見なければならなくなる。
日本の元総理大臣の鳩さんがイランを訪問し、逆にイラン流のプロパガンダに利用されてしまったと言う報道。ニュースソースとしては、そんな我々の生活に関係がない(厳密には石油価格の上昇と言う大きな問題ではあるが)イラン情勢に不用意にも首を突っ込み、その行為を利用されて、言ってもいない言葉を悪用されたと言う、アホ丸出しの報道がなされた。本当に格好悪い、単純で軽率な思い込みだけの、最低の行動。自分の力を過大評価し、あたかもアメリカ合衆国の元大統領と同じように自分を誤解したミステイク。これも、報道が自由になんの規制も無く瞬時に拡散する今の時代が生んだ負の影響が感じられる。鳩さんは、そんな現代社会の犠牲者とも言えるかもしれないが、其れでも、格好だけのスタンドプレー的思い上がりに、本人は元より一般国民にしても、そんなアホらしい報道に付き合わなければいけない訳で、甚だ気の毒としか言いようがない現実に、鳩さんには同情する。
しかし、これってどうなの?日本のトップの浅はかな行為。こんな人に日本の舵取りを任せていた有権者もアホ丸出しだったのかもしれない。
今年はロンドンオリンピックの年。今は、オリンピック出場を賭けた選考試合がめじろ押し。四年に一度、正確にいえば二年に一度、無国籍の日本人も日の丸を応援する、にわか仕立ての国粋主義者に大変身!!どこかの市長さんは、君が代を歌う時の姿勢について、厳しく規定している。僕自身、其れ程の国粋主義では無いものの、君が代を日本の国歌と考え、国歌に対する尊敬の念は、市長と同じくらい厳格に思っている。その一番の理由に、この国が自分の生まれ故郷であり、自分の育った国だからだ。僕は思春期をアメリカ合衆国で過ごした経験を持っているが、海外で居住した事があるだけで、アメリカが自分の国とは考えてはいない。アメリカの良い面も知っている。同時に日本の悪い面も知っている。其れでも、やっぱり日本がいい。 年齢を重ねる度に日本を大切に思うようになってきた。
しかし、この国は変わらない!政治を担う党派は変わったが、やってる事は同じだ!高齢者福祉の行き着く先は政府が変わっても、なんら変わりはない。原子力発電の問題に際しても、これだけ原発事故の後遺症に苦しんでいるにも関わらず、とても安易な方向へ突き進んでいる。これだけ日本全体が疲弊しているにも関わらず、政治のトップは、自分たちのポジション争いに満身創痍の思い。党派をこえて国民の生活と経済の発展のための論議は行われず、主権争いに興じる。
この国を想う人材は居ないのか?と思えてしまう程、自分の事だけを執拗に追い求める人達。
日本を背負って世界と戦うアスリート達も、モチベーションは下がりっぱなしじゃね。
桜の花が満開に近く、今日の良い天気の一日、我がデイサービスでもお花見ツアーを開催。利用者全員を引き連れて、近所の公園までお花見に行ってきました。屋外活動を実施して驚く事は、利用者である高齢者の方々の身体機能の低下を、改めて感じる事です。室内と屋外とでは、これ程にも歩行に違いがあるのか?!と言う点である。バリアフリー住宅のフラットで手すりも完備された環境と細かな砂混じりの地面と掴まる手すりも無い広い空間を歩くのとでは、歩行困難な状況がある事は理解できているが、やはり!と言うか、残念と言うか、施設のなか程、自由に安全に歩き回る事のできない利用者を見て、やはり額然としてしまいましたよ。
歳を重ねると言う意味を改めて認識させられる結果として、自分たちの提供している機能訓練を考え直さなければいけないと感じてしまいました。つまり、個別機能訓練の個別と言う意味に、年齢を加えた訓練方法の改善を加えていかないと、片手落ちでは無いか?! 転倒予防を中心軸に訓練メニューを構成してきたが、屋外で歩行するには、足の上げ下げはもちろんの事ながら、くるぶしの回転と関節の稼働域の改善が絶対に不可欠であると言う点を認識したワケです。今更、なんですが。ROM訓練の重要性を感じています。
次に、屋外活動に同行する職員として、先々に起こるかもしれない課題、問題、危険性やニーズを察するアンテナを構築する必要性です。歩道を歩いていても、歩く距離もそうですが、車道を横断する場面、交差点の小さな段差こえや行き交う歩行者や自転車への対応。団体行動出来ない身勝手な利用者の単独行動への注意力など、屋外活動には、室内とは違った危険予知が必要となるのです。
屋外では、一人の職員が一人分以上の力を発揮しないと事故の危険性が倍増するだけで無く、全職員がお互いを思いやる行動をとらないと、他の職員に作業やリスクが偏るのです。安全に、楽しく屋外活動に興じる為に、皆が最上級の多いやりとリスクマネージメントを達成して欲しいと願うものです。
たまに屋外活動を行う事は、色んな意味でも新たな発見があります。明日も、もう一度、お花見を実施します。適切な支援を実施し、ぜひお花見の目的を達成してもらいたいものです。