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ブログ-施設長の部屋

2011/12/2
太陽の家 忘年会の開催

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会場のレストランの写真です。

今月17日の土曜日は、太陽の家全体の忘年会を行います。ただグループホームの職員さん数名は勤務の都合上、職場を離れることが出来ないので忘年会への参加は出来なく申し訳なく思っています。昨年に引き続き、忘年会にかかる費用は全額事業所が負担しますが、当日会場ではお酒が出ます。お酒を飲む人は、帰りの車の運転は出来ませんので、その点を考えて会場まで来てください。

 忘年会日時 ; 平成23年12月17日(土曜日) 夜7:00より

 忘年会会場 : 鈴鹿市住吉町 欧風家庭料理の店 「 ランテルナ 」にて

 二次会は当時、相談の上、決定します。

  さて、忘年会にはお酒が付き物です。お酒の飲み方は千差万別、それぞれの固有の飲み方があるようです。舐めるように楽しむ派、グビグビと水を飲むごとくワインを飲む派、飲めば飲むほどケタケタと笑い上戸になる派、逆に酔っぱらうと涙を流して悲しくなる派、そして、最低なのは、怒り始める派。最後の怒りはじめて、やたらと相手に噛みつく輩は、扱いが非常に難しい。「まあ~まあ~まあ~」といなそうにも、相手は僕の手を振りほどいて逆に怒りが増す。挙句の果てに「おまえには、わからへん!」と来る。 「・・・・・そりゃまあ~、俺にはわからへんさ!」と心の中で思いつつも、そんな事を言おうものなら、彼の怒りの矛先は関係無い僕に向けられる。何を言っても、勝手にい飼っている本人は、放っておくに限る、かくして、怒り上戸の彼は一人ぽつ~んと放置され、寂しく一人手酌で酒を飲み続けてしまうのである。

 飲み続けて酔い潰れる輩は、まだ可愛い!飲みつぶれるどころか、前にも増して怒り心頭、その内に物に八つ当たりし始める輩は最低である。こん輩と派酒の席を一緒にしたくはない。でもね、そんな八つ当たりの彼も、翌朝には酒が抜けて正気に戻るわけだが、そんな夜のハプニングを彼は一切覚えていない。皆に迷惑かけたことなどどこ吹く風。いたって平常心で仕事にもどっているのである。

 って、この話は太陽の家の職員の話では無いですよ! 皆さんには誤解の無いように!

2011/12/2
高齢者の意欲を高めるには・・・・?

前回、僕のブログでも書いたが、デイサービスの利用者の意欲を高めるには、何が必要か?と言う点について、今回、ある職員から相談を受けた。確かに、利用者の中には、意欲を一切感じる事の出来ない方が居るのも事実である。認知症がすすんでいるわけでもなく、既往歴を見ても特に生活に支障をきたす要素もみられない。客観的には「廃用性」の症状が強いのではないかと思える人。そのような利用者がチラホラ見受けられる。今日のデイサービスにおいても、午前中の入浴時間に順番を待つフロアーで、介護主任が四苦八苦している姿を見かけた。結構、話術も巧みでソフトな接遇を実践できる主任ですら苦慮するのである、いったいどうすれば、この利用者に意欲を持ってもらえるのか・・・?

 この問題は、非常に難しい側面をもっている。意欲を促す中で障壁となるのが「個人の意思を尊重する」と言う点である。高齢者の人権を守る上で、尊厳と自己決定が大きく叫ばれる中、無理強いは決してしてはいけな。しかし、有る程度ねちっこく口説き落とそうとする行為に、逆に個人の感情を害することも想定される。こうなると、知識や経験の不足している職員は、口説き落とす前にギブアップするか、放置してしまうことになってしまう、または、職員自身も自信を喪失して業務に対するモチベーションが低下すると言う結果にも繋がりかねない。管理者として、この状況を放置する分けにはいかない。

 さて、そもそも、この『意欲』と言うものについて考えてみたい。意欲がその人にとって今、必要ななのか?である。意欲って、言葉で言って、相手の中に湧き上がる感情ではない。もっと簡単に言えば、意欲は食欲や性欲などの欲求とは少し違う欲求ではないか?と言うことである。食欲も性欲も、人間の中の欲求ではあるが、どちらかと言えば煩悩に近い欲求である。それに比べて、この特定の人の意欲は、何よりもその人のパーソナリティーとして考える方が自然かと考える。パーソナリティー=人格ととらえると、その人の持つ様々な特性因子が作用している特性論的人格と判断できる。つまり、高齢者の場合、本人による評価と第三者による評価に誤差があるのですが、まさしく、この状況ではないかと考えられます。さらに分かり易く言えば、私達、断三者が判断する「相手は喜んでいない」「相手は意欲を持っていない」であっても、その当事者は意外と喜んでいたり、それなりの意欲をもっている場合がある。ここで、忘れてほしくないのは、高齢者の感情自体は、老化に影響されず豊かであり、第三者から見るとあまり感情が表出していないように認識されやすいと言う点である。

 ここまで小難しい理論を書いてきましたが、実際の現場でのアドバイスにしては、現場職員に受け入れてもらえにくいので、もう少し具体的にどうすれば良いのか・・・を書いてみたい。 先にも書いたように、意欲を感じられない利用者の本心は、私達が感じる以上に意外と意欲的なのかもしれないと言う点を理解して、その人の人格として感情表出が苦手な人なんだと考える必要性も頭に入れながら、さらに感情を上手に表出できる場面を作っていくことに専念する。他者と同じ場所では「遠慮」など感情表出に邪魔なのであれば、場所を変え、その人がやりたい事をどんどんやってもらえる環境を確保する。そうしながら利用者の信頼を得るように働きかける。その人にとって信頼でき、安心できる支援者であれば、そこには、更なる本音が出てくる。

 その人を本当に理解し、信頼を得ない限り、いくら言葉で誘っても、職員の意のままに高齢者を操れないと言う事です。

 介護職ってのは、本当に大変です。しかし、これらの事を考え、理解し、実践できる介護職員は素晴らしい。

2011/12/1
もう、12月になってしまいましたね。

 2011年の12月1日。とうとう今年も最終月となってしまいました。社会人となって(この言葉にはちょっと恥ずかしさがある。だって、社会人となって、すでに30年を超えている者としては、恥ずかしいよね!)以降、1日の過ぎ去る速度が変わった。それはつまり、1日の内にやらなければいけない事が多いと言う理由からです。午前中はアレしてコレして・・・午後からは会議が入って・・・と言う風に1日中、せわしく仕事していると、朝起きて夜寝るまでの時間があっという間に過ぎ去っていくのです。毎日を、この調子で過ごしていると1日、1週間、1カ月が早く過ぎてしまい、おまけにこの1年の長い時間経過の中に、自分なりの目標や余暇の予定がある事によって、楽しみを待つ気分として、その分、ドンドンと日の過ぎ去るスピードがアップしてしまうのです。

 幸せな時、楽しみな時、そんな自分が大好きな時間を過ごしていても24時間という経過スピードと、逆に病気で病院のベッドに横たわっている人にも、時間経過は全ての人に平等に流れて行きます。病気で苦しんでいる時、連続的に点滴が必要な患者さんも、気の遠くなるような時間を要する治療も、大好きな海外旅行を楽しんでいる自分も、経過時間は同じなのです。ただ、その経過時間を快く思えるか苦痛に思ってしまうかの違いだけなのです。今年の自分は療養の1年でした。年初めに大病を患い、その治療にほぼ1年かかってしまいましたが、そんな苦痛と心労を受けながらも、とうとう12月の最終月を迎える事となりました。

 これは、後になって思う事ですが、あの気の遠くなるような長期間の治療も、今思えば意外と早く終えることが出来たようにも感じます。気持ちの持ちようによって、人は苦痛や困難な閉塞感にも立ち向かえることが可能なように出来ているのですね。人間の精神力って意外と強いとばかり油断は出来ません。拷問のような苦痛に四六時中長時間にわたって浸されている中では、こんな悠長なことも言ってはいられません。その言う特殊なケースはの除いて考えれば、緊張の時間、緊張を緩める時間、全てを忘れる時間と、自分の気持ちを転換できる場面を意識的に設けていくことで、掛るストレスは随分と緩和されます。

 介護職員と言う仕事は、航空会社のフライトアテンダントやホテルのボーイさん達のように「対人」を業務としている職業です。対人である以上、ある意味命にも大きく関係してくる業務ですから、そこに発生する責任は重大なものとなります。その点では我々の業務は、フライトアテンダントよりも、ホテルマンよりも重度なリスクを背負っているのですから、ここで受けるストレスには注意を払わなければいけません。何でも無い事も、処理することをなおざりにする事で、大きな精神的負担となりえます。管理者は、職員の細かな精神的ストレングスにも留意して、それなりに必要な処置をしなければいけません。また、同僚職員は、同僚として、日々の変化を注意深く見守っていかなければいけません。

 光陰矢のごとし。と言う言葉どおり、私達の生活は現在は存在しません。未来から瞬時にして過去に流れ去っていきます。過去に悔いを残さない為にも、過去を素晴らしいものとするためにも、時運の未来を大切に考えて行動するよう神経を使いたいと思っています。

2011/12/1
研修を引き受けて資料作りに苦慮してます。

 今回の研修は、認知症対応型事業所管理者研修の中のひとつである「権利擁護とリスクマネージメント」が、私の担当となってしまいました。権利擁護とは、特に認知症高齢者の意思能力に障碍を抱えた状態に付け込む悪徳な商人や心無い介護職員による金銭、介護内容、行動による全ての悪質行為から守るためのシステムの事であり、憲法で保障される人権を守るための制度のことです。またリスクマネージメントとは、リスク、つまり危険性を知り、未然に防ぐことを目的とした、言うなれば「気付き」を増やすための研修です。認知症という症状が、まだまだ社会全般に理解されずに、特に一般社会では、家族の一員が認知症を患う事の受容が出来にくいケースも多く、その介護の中で精神的負荷から暴力や暴言を浴びせてしまうケースも少なくは無いのが現状です。さて、そんな研修ですが、研修を受ける対象者が「管理者」と言うのですから大変です。管理者になろうとする人には、それなりの経験や資格を持っている方が大半で、謂わば「この道の猛者」と言われる人を相手に、じっくりと2時間、私の講義に注目させなければならないのです。いつもの調子で、面白おかしくパワーで押し切る講義形式では、相手も納得できな事と思いますし、そう考えると胃が痛くなる思いがします。

 さて、私の講義といっても、認知症グループホームの協議会の研修で開催したり、うちの事業所内の研修で実施した程度。一応、パワーポイントを使って解説を入れるのですが、今回の管理者研修では、相手の履歴から考えても、今までに色々な研修や講義の中で、権利擁護とリスクマネージメントについては、何度も何度も勉強してきているわけですから、通り一辺倒な内容では受講者の興味にはつながりません。講義の内容もおろそかにできない、また切り口にも工夫が必要であると言う点では、非常に頭が痛いのは事実ですね。

 ただ、私の唯一の強みは、物おじしない事です。どんな相手にも自分の話が出来る事です。大勢の聴衆の中でも司会進行は出来ます。以前、この協議会の全国大会で司会進行を任されたのですが、特に緊張することなく完成させることも出来ました。この点を利用しながら、今回の研修も実施して行くつもりです。そして、なによりも、相手にわかり易く、共感を得られる内容で講義を構成する事です。とかく人の話は、特に研修となると、眠くなるものです。声のトーンやスピードが一律した一定の周波数で流れる時、人は、その単調さに眠気が襲います。話すスピード、トーン、間のとり方などに変化をもたせて、時折冗談を交えて、会場の出席者に聴く意義を見出してもらえるように努めようと考えています。

 それにしても、いろいろと考えていると、自分の考えがぐらつく時があります。つまり、最初の計画から、資料作りを行っているうちに、講義内容の骨格が曲がっていくと言う現象です。例えば、人と話をしていて、あれもこれも言いたいことがいっぱいあるとすると、話の内容が脱線する時があります。まさしく、その「脱線」という状況が生まれてくるのです。それを、そのまま続けて行って本番を迎えると、それこそ聴いてる方としては話の内容にブレを感じて、何を言いたいのか理解できないと言う事になりかねないのです。とにかく、今は、この問題に注意しながら全体の骨組みを構成中なのです。

 まあ、後1カ月、苦しみながらも講義をまとめ上げて、参加者全員が得るモノを感じて帰ってもらえるよう努力するのみです。


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