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ブログ-施設長の部屋

2011/9/14
残暑厳しき折・・・・

今日も残暑厳しい一日であった。実際、今日の夜のニュースでも岐阜県や名古屋で夏日を記録して、おまけに小中学校の運動会の練習中に熱中症症状で救急搬送された児童も沢山いたようである。近年の地球全体のグローバルな温暖化傾向に、我々の子供時代とは夏の気温にも大きな変化があるようで、この夏、節電の影響もあり、毎日、多くの人々が熱中症で救急搬送されている。その大半がお年寄りや子供達であるが、しかし、これだけ子供達が日中の校庭での活動に際し、頭痛、吐き気やめまいを訴える様な状況に学校側も苦慮しているのではないだろうか?今日、熱中症の症状で救急車で搬送された児童の学校では、校庭に生徒達の控える校庭には大型テントまで設置していたにもかかわらず、熱中症の訴えがあったそうだ。

 社会全体が熱中症に限らず感染症や事故に対する危機感があまりにもセンシティブになりすぎているように感じる。高齢者福祉の世界でも高齢者を守るための行政指導や施設内のリスクマネージメントなどが徹底され、完全に予防されるべく対策が講じられている。大切な人の命をお預かりしている以上、命を守るために些細な事故も、感染症などの病気の罹患などは発生させない。そのことの重要性は理解しているが、最近の社会の風潮からすると、自分の命を自らの責任で防衛する本能が薄らいできてるのではないか? 最近の子供達(青年も含めて)自分達にとって都合の良い権利は主張し、七面倒な義務と責任は無視し、他人の責任にすることが蔓延しているように思う。例えば、行楽地や観光施設に来場する観客の命を守る責任は、それらの施設にあるわけで、自らの体調管理も出来ない人が気分が悪くなった場合の責任まで負う。観光地には、最近のユニバーサル思考によって、障碍者も健常者も分け隔てなく参加できる場が求められる時代である。障碍を抱えていても普通のように参加できる制約の無い行楽地は、本当のユートピア思考であるといえよう。しかし、この点で、施設側としては、広く一般の人々を受け入れてるなかで、それぞれの個人の情報は分からないし、みえない。その人の既往歴や現病も見えない中、問題が起こるまで状態の変化は外部からは察知できないわけで、それこそ、バリアフリーである以上、個人で自分の体調を管理する能力も必要である。すべてを他人に任せるのではなく、あくまでも自分で体調管理できるようなノウハウを普及させる必要があると思うのだが・・・。

 最近の小中学校の生徒達も、今の時代の考え方も影響を及ぼしているのか知れないが、少し体力不足な生徒が増加してるように思える。炎天下で活動してれば、誰だって気分は悪くなるし頭痛もおこしてくる。炎天下の作業なんて、社会にでれば一杯存在する。道路工事、農業、林業、水産業など、炎天下ではないにして大手の製造業などは、高温高湿度の劣悪な環境での作業を強いられる人もいる。作業場のところどころに会社側から提供された飲料水と梅干などで流れ出る塩分を補いながら就労している現場も存在する。

 少し軟弱な子供達の教育に、画っこ王の先生方も気苦労が多いのかな・・・!と日本の将来を心配する気持ちとなってしまう。

2011/9/13
デイサービスにおける話題作り

 太陽の家の職員さんからデイサービスの利用者さんとの話題作りに苦労すると言う意見をよく聞く。話術と言うのは、ある意味「慣れ」みたいなところがあって、人前で話す機会の多い人は、相手が高齢者であろうと苦にすることなく話が出来るものである。色々な場所で色々な人を相手に話をする機会ってのは、一般的には経験することが少ないのかもしれない。僕は偶然にも、グループホーム協議会で毎回、司会進行を担当することから、人前で話することは苦手ではない。逆に人前で話をする事が大好きである。この意識の差が人前で話す行為を負のストレスにするのか、正のストレスにするのかの分かれ道となる。好きこそ物の上手なり!と言われるように、人前で反す事を苦にしない意識は、そのまま話し上手な方向へ変わっていく。

さて、人前で話す事の上手い下手に関しては、話す機会を増やすことによって改善されていく。ここでタイトルに据えられたデイサービスにおける話題作りに関して言えば、これは好き嫌いの問題ではどうにもならない。基本的に高齢者の心理をまず理解しなければいけない。年寄りがなんで、そのような発言をするのか?、なぜ、こう言う行為が伴うのか?と言う点で、高齢者の心理は、それこそシンデレラのガラスの靴のようにセンシティブでナイーブなのである。うちのデイサービスにも一人のばあさんが居る。この婆さん、80歳を超えて周りの同年代のばあさんよりもすこぶる元気な方。ただ最近、発する言葉に棘が出始めた。最初は第三者の悪口と言うより、その人の状態を同情するような素振りで嫌味を言う程度だったものが、最近では聞えよがしに悪口を言うように変化してきてる。この場合、何が影響を及ぼしているのかを考えなければいけない。臭いものに蓋をすれば的な思考では、根本的な問題解決にはならない。このばあさん、自宅では孤立しているのかもしれない。唯一の社会的交流はデイサービスで保たれているだけで、自宅に帰った時点で誰とも接点もなく、部屋の壁越しに家人の存在を感じる程度の生活かもしれない。本人はある面で、長生きは罪だ!と考えていたかもしれないが、最近になって開き直りが出始めている?いろいろな場面を考慮しながら、職員同士が話し合って対応策を考えていかなければいけない。そして、デイサービスでの会話作りは、それらのデータを職員全体が共有したうえで構成されるものでなければいけない。

 私達の実施しているデイサービスやグループホーム、また老人福祉施設は、職員が高齢者の人々の暇つぶしのお世話をする場所になってしまってはいけない。あくまで、介護施設として分類され存続する以上、専門職として高齢者の方々を的確に観察し、必要な支援を適量(この適量と言う言葉には説明が必要であろうが、ここで敢て説明は割愛する)行える事を最大目的としなければいけない。だから、職員の話をもって時間をつぶしてもらう意識ではなく、そこで実施される介護は全てをプログラミングされたもので無ければいけないはずだ! 個々のデイサービス事業所は大阪の難波花月に娯楽を楽しみに来てるわけではないと言うことを考えなくてはいけない。太陽の家の職員さんが、同じ意識を共有し個人に必要な支援を的確なプログラミングをもって支援できるプロフェショナルな軍団に成長する日をこころより期待したい。

2011/9/13
芸術的な文章表現に憧れる。

  本を読んだり、広く一般的に出回っている雑誌の中に紀行文などを読む時。時として文章表現が素晴らしく、芸術的だと感動する時がある。僕なんぞは、文章を書くと言ってもブログを描く程度だから、単なる独り言に近い文章なんて芸術でも何でもない。でも、そんな僕でも素晴らしい表現を文章の中に見つけた時は、とても表現できないような感動を味わうことになる。例えば、「坊っちゃんは常に「上席」を利用したということで、奮発して3階個室コースを選択。早速、渡された浴衣に着替えて浴槽へ。体を沈めると、湯が肌を滑る感覚が心地よく、体がじわりと解ける」この文章はあるクレジットカード会社の発行する月刊誌の中で愛媛県の松山市を紹介する文章の中からの抜粋であるが、湯が肌を滑る感覚ってどんなだろうと考えてみる。僕のように年齢のいった者からすれば、湯船につかってみてもお湯が肌を滑るどころか、お湯は肌に刻まれた細かな溝を超えて・・・・と言う表現になってしまいそうである。まあ、この文章から想像すれば筆者は若い人。それ女性?と考えてしまうが、ついでお酒が大好きな人のように読み手の僕には伝わってくる。 体がじんわりと解けるのは、暖かなお湯に体全体がほぐれていく様子を美しく表現しているが、お酒の大好きな人なら、それこそ最初の一杯を入れる時の表現に近いのかもしれないと感心した。一日、しっかりと働いて疲れた体を、温かな湯気の立つ湯船に横たえる時、そして、同じように疲れて身体の節々に潤滑油が回りきれてない固まった状態の時に飲むいっぱいの上質の酒。それまで硬直していたからだが解ける。

 表現としてつかえるな~と思いませんか?! 

2011/9/12
自宅のエアコンが壊れた!

 先月自室のエアコンが故障して修理をお願いしたばかりで、今回は自宅居間のエアコンが完全に冷えなくなった。エアコンを回し続けても室温はあがるばかり。時間の経過と共に蒸し風呂状態の居間に、ようやく修理依頼の電話をし、今日、メーカーの方から修理に来てもらった。修理結果は完全なガスの漏れによる機能不全。修理代金に部品交換を行って、大雑把な計算ながら6万~7万円程の修理費用がかかるとのこと。築8年目の自宅。エアコンの耐用年数にしては早い故障だと思うが、こればっかりは機械の事。何ともクレームの付けようがない。

 この居間に取り付けられているエアコンは、自宅建築時から設置されていたもので、ハウスメーカーの方で機種の選択を行い、インテリアコーディネーターのアドバイスに従って購入したものではあるが、本来のエアコンの持つ容量を遙かに超えた容積を冷やしたり温めたりしてきた無理が祟ってのことなのか・・・・僕にはわからないが。こうなるといっその事新しいエアコンに、それも冷房容量の大きな機種への変更を行った方が無難なのかもしれないと考えた。

 さっそく友人の家電量販店店長に電話。事情を説明してなるべく安価に買い替えをお願いしたところである。

 この夏の電力需要に対して発電能力の低下から、節電を実施してきたが、ここ数日、残暑も厳しく、エアコンの無い居間で家族の団らんって考えられないほど暑い。居間の窓を全開にしていたものの、室温は期待通りにさがってくれない。蒸し暑いのは同じ。原発反対を声だかに叫び続けていたものの、自分が猛暑の夜をエアコン無くして過ごすことも出来ない軟弱な意識では、世間様から笑われる。本当に無様なほど、暑さに弱いと言うか、自分勝手と言うか、ご都合主義と言うか・・・・福島県の放射能汚染で居住区を追われて避難生活をしている人の事を思えば、エアコンが壊れたくらいで大騒ぎするな!と言いたい。

 この世の中、生活が便利になり、生活の質も向上した。その反面、それらのコンビニエントな生活様式が、少しでも崩れてしまうと現代人は生きることに非常に弱腰になると言う現実を見たような気がする。本当にダメだにゃ~猛省!!

2011/9/10
都会への思いに心はせて・・・

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今年は僕にとって休養期間と自分の中で認識づけている。珍しく東都にも昨年末以降訪れていない。特に東都に対する憧れは、この歳になってしまえば若いころに比べて、それ程強くは無い。でも、この鈴鹿では簡単に手に入らない食材や雑貨品が、ちょっと電車に乗って移動すれば入手できる便利さにはうらやましさを感じる時がある。そして、ファッションにしても文化にしても、都会だけあって、とても身近な存在である点が素晴らしい。ミュージカルの好きな友人が、東京は素晴らしい。しかし、それよりももっとニューヨークは素晴らしいと言っていた事を思い出す。芸術や音楽、文化に関しては、やはり日本中のどこよりも早く、沢山の作品が紹介される機会に満ち溢れている。仕事で上京しても、仕事を終えたひと時に、お気に入りのミュージシャンのライブでも・・・なんてことが軽業師のごとくできてしまう。そんな街が東京である。 林立する高層ビルや密集する住宅など、田舎育ちの僕には多少の息苦しさは苦手ではあるとしても、こうやってjホテルの高層階からの景色を見てると、様々な人生の縮図を見降ろす神のごとく、日々の喜びや苦しみなどの感情の変化のちっぽけさを感じてしまう。

 でも、この鈴鹿でも東都に引けを摂らない素晴らしい場面も多い。それを忘れてはいけないと思っている。例えば、昨日のブログで紹介した遊歩道。そして、世界の鈴鹿サーキットの存在、そして緑豊かな田園風景。決して全てにおいて東京が全国にぬきんでて素晴らしい街とは思わない。地方には地方なりの素晴らしさがあり、何よりも自分の生まれ故郷である事は、東京には無い重要な意義を持っていると思う。そして、一番重要なのは、私達田舎人にとって東都は訪れる先。要するに訪問先であること。東都のよい場面だけを見て帰る先を持っていることが大きなメリットである。

 僕は海外での生活も長く体験している中で、やはり自分の国を持っていた。アメリカ合衆国は自由で希望に満ち溢れた国である。特にカリフォルニアは気候も温暖で湿度も少なく、そこそこの大きな都市でもあり住む事に不自由は感じないし景色も最高のロケーションを自負している地域である。しかし、そんな素晴らしい街でも、僕にとっては異国の地、仮の住まいであって、母国の存在を忘れることは出来なかった。生まれ故郷は、何よりも重く、素晴らしい思い出と共に深く心の隅に残るのである。古くは明治、大正、昭和の初期に移民した日本人一世たちの気持ちは、日本から遠く離れたサンフランシスコの街に日本人街をつくり、日本庭園に癒しを求め、異教徒の国に仏教会を構成し、遙か日本への郷愁の想いを忘れないよう努力したほどである。

 さて、話がとてもワールドワイドになってしまったが、つまりは人間の故郷を思う気持ちについて書いてみた。ちょこっとセンチメンタルで、ちょこっと冒険的である都会と田舎の生活の差は、そのまま人間の感情の起伏の強弱に影響を及ぼすと言うこと。そして、そのセンチメンタルな気持ちこそ、年老いて生活する者にとって、とても重要なファクターである点。高齢者介護を行う者として忘れてはいけない課題であるように思う。


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