今回の太陽の家の外出行事は、施設の前のスーパーへ買い物に出かける。ショッピングだけが目的では無い。デイサービスを利用されている方々の在宅での生活模様を考慮に入れながら、また同時に身体機能も考えながら、言ってみれば、前のスーパーをお借りしての機能訓練である。認知症の症状や加齢に伴う生活不活発病などの停滞した生きる力、季節感の無くなった日々や、自分で決定する失われつつある主体性の回復を目的とする。そんな大きな目標を持った外出行事である。このアイデアは、太陽の家のデイサービスの介護職員から提案され、彼女たちの強い要望で持って失言されようとしている。
全ての企画から運営まで、彼女たちが交代で、それもマンツーマンに近い環境を維持しながら、出来ない事だけを支援する介護を完成させるためにも、今回の企画を実現させたいらしい。僕の意見は、彼女たちが自分たちで思い描き、考えて、実施するのだから、黙って見守ってやりたいと思っている。
ただ一つの心配は、ご家族の理解を得ることができるのか?である。こんな表現をすると、老人介護に無関心なご家族というイメージが起きてしまいがちだが、無関心と言うより、ご家族はご家族なりに別の心配をされることを我々は理解しなければいけない。特に在宅介護の主体は自宅での生活であり、要介護者が一日の中の大半を過ごされるのは自宅であると言うこと。そして、そこには医療にも介護にも不慣れな一般の人々が、要介護者を見守りつつ生活を共にしていること。つまり、外出行事に参加する事は喜ばしい事ではあっても、その後、自宅に帰ってから以降に発熱したり、下痢したり等の体調不良を訴える事ともなれば、ご家族として、それこそ「余計なこと」と愚痴やクレームも言いたくなるだろう。私達は自己の思いを完結するために介護をしてるわけではない。専門性を持って要介護者の生活の質を向上させながら、自宅における家族との共存を助けることを目的としている以上、やってあげたい気持ちだけで、それによる副産物に家族またはご本人が苦しむのではいけないと考えている。
とても素晴らしい規格である事は充分に理解できる。そして、その企画を成功させるなら、事細かな点にまで考えつくし、職員全員が同じ目的、気持ち、目標を持って備えることが必要である。決して無理をしないこと!良かれと思う自分の気持ちを相手に押し付けないことにも注意しながら進めてほしい。
今回の東日本大震災による原発事故から、話は東海地震による静岡県の原発全面停止要請に波及し、この地域でも夏の電力供給にショートが懸念される事態となってきた。供給量の絶対数は、確実に減少する以上、この夏の電力消費のピーク時には、かなりの点で電力消費を押さえなくてはいけないわけで、太陽の家でも、小難しい理屈ではなく、今の我々の業務を進める中で、何をどうすれば電気の使用量を抑えることができるのか?広く職員全員にアイデアを出してもらうように要望している。そして、集まったアイデアを検討してみて、太陽の家でも実現可能なアイデアの場合、そのアイデアの発案者に報奨金を支給するつもりである。
では、どんなアイデアを求めているのか?・・・・ここで例をあげると、その分提案できる案が減ってしまうので、あまり大声では言えないが。例えば、電球を白熱電球からLEDライトに変更する、とか、使わない電化製品の電源はコンセントから抜いておく等がアイデアとして利用できるかと思っている。
また、電気消費ばかりではなく、全ての資源利用の無駄を省くアイデアでも良い。報奨金はアイデアひとつに対して現金1000円。えっ? 少ない? 1000円と考えれば小額であるが、アイデアが10あれば、1万円となる。20も採用されれば2万円。何も一人一件のアイデアと限定もしていない。考えられるアイデアを出してもらえれば、それはそれで文殊の知恵と、僕一人が考えているより良いアイデアが出てくるのではと期待している。
今月いっぱいを締め切りとしているが、もしもアイデアを文章化しにくい場合は、口頭でも受け付けることとしよう!ぜひ、沢山の面白いアイデアを寄せてもらえることを期待している。
僕のお気に入りには、「イタリアン」であることが絶対条件のように、料理にしろファッションにしろイタリア風を好んでいる。今、流行だからという訳でなく、昔からイタリアの映画に始まり、車(特に僕はフェラーリが好き)、言葉の響きに至るまでイタリアが大好きである。アメリカにも多くのイタリア人移民が移住し生活しているが、その人たちの話す英語にもイタリア語訛りのような独特のイントネーションをもって、それすら憧れの対象として、自分の話す英語に取り入れたくて仕方無かった時もあった程である。僕の仕事仲間にイタリア語の通訳をしてる男性が居るが、彼の話すイタリア語は、傍で訳も分からず聞いてるだけで、なんて素敵な響き何だろうと感心しながら聞き入っている。
イタリア人の男性も女性もとても感情表現が激しく、いつもケンカ腰に話しかけてくるようなところがあり慣れないと突然、理由もなく怒られてるような感覚になってしまう。実際、イタリア人は、熱くなりやすい気性なようで、一緒に仕事してると時としてキレる時があって、何だよ!急に!っていう時がある。また、ちょっと、落ち着いて考えてみてよ!ってなだめないと熱くなりすぎることも沢山ある。言葉にしても、語尾に~ッチ、~ニ、~レとか付けてみれば、偽イタリア語に近く聞こえるから不思議。フレンチの場合には~トゥア、~セッを付けてみればフランス語っぽいのと同じで、イタリア語を語る真似をするには、上のようにカタカナ言葉の語尾をひっぱって、イントネーションを真似すればOK。まあ、言葉は兎も角、昔見たイタリアの映画も面白いものがあった。全体的に日本の映画と同様暗いイメージの映画が多かったのは、これまた、日本と同じように昔のイタリアは貧しく貧富の差の激しいお国柄、一般市民の生活は日本の国民と同様、とても苦しい生活を強いられていたことも影響してるようだ。
それと、世界でタコを食べる国民は日本人とイタリア人くらいと言われるが、食文化も良く似ている。魚や肉を生で食べる習慣もイタリアと日本くらい。他の国では、タコは悪魔の代理して食べることはしない。今でこそ「さしみ」は、世界中で市民権を得たものの、一昔前に生で魚を食べることは衛生上疑問視されたし、ゲテモノ食いのレッテルも貼られていたほどである。そんな、イタリア人の生活は意外と質素で、ブランドにこだわらない自分のオリジナリティーを大切にした生活を今でもキープしている点で、背伸びしてカツカツの日本人の生活とは違って、生活の質はかなり上質な物を獲得しているようである。昨日のブログにも書いたように、生きるための仕事なのか、生活を楽しむための仕事なのか・・・この違いが大きく左右しているところにお国柄がみえてくるようである。
ここのところイタリアン・ファッションに傾倒している。普通だったら加齢臭漂う中年オヤジが、ちょっと目覚めて恰好を気にし始めたってとこかな・・・・?世の中の広告業界や出版業界も、このオヤジたちの動きを鋭く察知して、そんなオヤジ年齢の者に向けてファッション雑誌を創刊したり、アクセサリー関係の雑誌を発行したり、結構、盛んに購買意欲をくすぐっている。そのような流れの中、超ミーハーな僕も、それらのファッション雑誌を買ってきては、いろいろと見聞を広めている・・・(?)
先日、仕事場では珍しいチノパンをはいた。それも、パンツの裾を数回折り曲げて、足のくるぶしを見せるように履いてみた。本当は素足でローファーかデッキシューズが適切なのだろうけど、この日は白のスニーカーに短めのソックス。これも、例のファッション雑誌で紹介されていた、イタ・カジの一例ではあった。今、僕が参考にしている雑誌は「レオン」というファッション誌で、実際のイタリアの街中で、拾い上げたイタリア人オヤジたちの街中ファッションを掲載している。ここで注目なのは、街中をあるくオヤジ達は、本当に一般の人間であり、下っ腹は突き出てるは、パンツの中に入れたシャツの裾の一部は、腰のベルトからはみ出てたり、着てるジャケットはヨレヨレであり、とても恰好イイ!と言えるようなレベルでは無いのだ!ただ顔立ちがイタリア人というだけで、写真映りが良くなってしまうラッキーなメリットを最大限に利用している雑誌なんだ。
実際、この雑誌を見てると、イタリアのちょい悪オヤジのファッションには、何でも有り!な、結構いい加減なルールがあるようだ。ただ、全体的にイタリアの街中に居るちょい悪オヤジ達に共通して言えることは、皆がそれなりに自分自身に自信を持っていること。顔立ち、髪の量、ファッションセンス(これが、結構、微妙・・・・)なんて関係ない。皆が、堂々と自分自身のファッションを楽しみ、人生を楽しんでいるという雰囲気がビンビン読者である我々に伝わってくる。日本では、震災後の省エネルギー対策として、クールビズを一カ月前倒しで5月に入ってすぐから始めたようであるが、日本人のオヤジ族の多くは、やはりファッションには興味無く、また流行とかに疎い。言ってみれば、生きるということに不器用なんである。
今となっては、経済大国第二位のポジションを中国にさらわれた日本。経済力の低下と言うのも、この日本人の不器用さが大きく影響しているようにも思える。勤勉だけでは世界には通用しない時代なんだろうね!サル真似上手な日本人の先代達は、見よう見まねで世界のトップクラスの商品に憧れ、真似して、技術を磨き、ついには世界のトップクラスの技術大国と言われるまでに成長させた。でも、必死に働いただけのオヤジ達は、自分のファッションどころか、人生も、家族との関係さえも気に掛けず放置してきた。その結果が、今の無力な日本の姿では無いのか?なあ・・・と。今になって福祉や医療の世界でクオリティー OF ライフが言われるようになってきたが、今まで自分の人生のクオリティーなんて気にもかけず生活してきた日本人。これからの日本の生活の質は向上するんだろうか・・・・?
今日、僕が近隣のスーパーからブラックオリーブの缶詰が消えたと騒いでいたら、太陽の家の職員から、「そんなに、重要なんですか?」と聞かれた。その時は、イタリアンんは、何は無くともブラックオリーブが必要ですとは言ったものの、日本食の具材で言うならば何に相当するのだろう・・・・?と考えてみた。その前に、ブラックオリーブをイタリア料理では、どのように使うのかと言う点を説明しよう。
僕はブラックオリーブをサラダ、ピザ、パスタソース、肉のソース、オードブル等に使う。そのまま切らずに使ったり、すりつぶしたり、色々な形で使うことになるが、オリーブの実の食感、オイリーな口当たりがイタリア料理には欠かせない食材であると思う。この食材に相当する和食の食材と言うと、例えば梅干しのようなものだろうか?! 梅干しをそのままお茶づけにもおにぎりにも使うし、梅肉を豆腐に添えるなど、あくまでも主役を引き立てるわき役である点でも、オリーブの実に近いのかも・・・!?
さて、イタリア料理で一番重要な食材と言えば、僕はオリーブオイル、ニンニク、アンチョビー、トマトだと思う。極端な話、オリーブオイルとニンニクだけでもパスタソースは作れる。アンチョビーだけでも同様、ニンニクとトマトの二品あれば結構立派な新鮮なトマトソースが出来る。この中にオリーブの実は入らないけど、次に重要な食材として、いろいろなハーブの類、新鮮な魚介、そしてオリーブの実が入ってくる。イタリア料理には欠かせないと言う表現は大袈裟かもしれないけど、これが欠けることは、味に大きな違いが生じるのも確か。やはり絶対に忘れる事の出来ない材料なんだ。
ブラックオリーブの缶詰が品薄の理由は、やはり東日本大震災の為に商品の出荷が出来ないという理由らしい。卸元が仙台にあり、今回の震災で被害を受けているらしいのです。今回、入手した写真の品は、苦労して入手した物は、別のお店で偶然見つけたもので、ここでもやはり残り少ない在庫状況でした。