前日のブログに引き続き、衝動買いの悲劇と題して、アウトレット・ストアーとの上手なお買い物の仕方について考えてみよう。この近所でも、近年アウトレットが増えてきて、近隣の各県に一か所のアウトレット。モールが完成。いつでもお越しください!と、魅力たっぷりにショッピング大好き人間に語りかけてきてる。別に買い物に行かなくとも生きていくのに。何ら支障はないし、ましてや衣料品ってのは、生きるための必需品ではないことからも、それ程までも大事なお金を投入する必要は無いはずだ。
分かってはいるものの、ただ単に生きるためだけに、毎日を暮らしている石器時代の人間では無いから、多少のお洒落もしたい。ましてや、イタリアのちょい悪オヤジを目指して、いろいろとファッション雑誌を参考に、いや大きく影響を受けながら次に欲しい品定めをしてる者にとっては、アウトレットと言う場所は、比較的安価に高級ブランドの端くれでも買えるかな・・・・?と期待してしまうような魔力を持っている。
そんなアウトレットだが、元来、正規品を売る店と違って、半端モノ、訳あり商品、キズものなど、正規のショップで売れ残った商品の最終処分のショップであって、それこそ自分が欲しいと思う商品が常に存在するわけでもない。ここまで理解していて買い物に失敗する自分が情けない。どう言う失敗か?それは、ショップ側の購買意欲を誘うような技と沢山のお客さん同士の競争原理に押されてしまい、ついつい購入に際する自分の判断基準が緩んでしまうことに原因があると思う。つまり、お店には掘り出し物と言われる商品があるのではないか?という一種の期待感と、そのレアー(希少な)一品を先を争って買う消費者心理みたいなもの。そんな気持ちが働いて、お店に入って品定めをする中で、サイズと色をしっかりと選定するものの、そのデザインの機能性と言う点には、鈍感となってしまう点でいつも失敗している。
今までは仕事用のジャージーと言われるスポーツ衣料を買い求めることが多く、実際に試着してサイズや色を見るものの、一日のスパンで着用しているなかでの不具合なんて考えもしなかった。デザインの問題か、一日中着てると肩の部分が張って、非常に肩がこるとか、パンツの裾に付いているジッパーの位置が悪くて、歩く度に床にあたって音がしたり、自分の踵で踏んでしまう等。いろいろと細部にわたって確認を要する場面が多かったように感じる。
結局、買って一度は着てみるが、それ以降、タンスの肥しとなっている場合も多く、ただ単に無駄な買い物をしてるようだ。世の中、食べることにも苦労する貧困が存在すると言うのに・・・・こんな無駄。あ~ぁ、悲しい話だね!今度から、気をつけよう!
結構、インターネットを通じて買い物をする事が多いと言うのは、以前、ブログに書いたとおり。最初は飲料水などの当たり外れの無いモノに限って購入していたが、最近では慣れも手伝って結構いろいろと大物も購入するようになった。その中で、「失敗した!」と言うモノを紹介したい。
1.デスク チェアー
2.自動巻き時計ワインダー
デスクチェアーの何処が失敗だったか? 以前は、近所のディスカウントショップで3000円で購入したアームチェアーを使っていたが、これが安物買いになってしまった。体重移動のたびに椅子が鳴く。「ギーギー」と・・・喧しい程音がする。オイルをさしても音は軽減されない。そして、背もたれが離れすぎていて、背もたれにもたれ掛ると疲れる。そんな安物チェアーに嫌気がさして、ネットで見つけたのが今の黒レザー風の社長椅子。大きな背面背もたれがあって、余裕で座面であぐらかけるほどの大きさ。リクライニングも結構深く傾斜する。しかし、椅子自体が大きすぎて、これまた疲れるし、今度は数時間の使用で腰が痛くなる。巨大な椅子だけで、僕の狭い部屋の多くの空きスペースを食ってしまい、狭い部屋が尚の事狭くなる。今では、着ていた衣服をかけるハンガーとして使われている。
自動巻き時計のワインダーも安物買いになってしまった商品である。安いと言っても、一万円に近い価格で購入したと記憶している。ワインダーってのは、腕時計を台座に固定して、その台座が定期的に回転して、自動巻き腕時計を常にねじを巻いている状態に保てくれる機械。小さなケースの中にモーターを付けた簡単な機械だが、このお陰で、何時でも腕時計が正確な時を刻む事が出来ている。という優れモノのはずが,安物を買ったせいで、台座に固定した時計が、回転のたびにずれる。台座から時計自体の重みで回転に合わせてずれてしまうのである。その時に「コトッ!コトッ!」と小さな音が出る。昼間は聞こえない小さな音も夜となると状況は変わる。周りが静かな中、コトッ!コトッ!という音が響くようになると、少しづつ機になり始める。定期的に聞こえてくる小さな音に、最初は、室内に紛れ込んだ小動物(ねずみとか・・・)を想像する。そして、よくよく音をたどっていくと、ワインダーから出ている音に気付く。 まあ、それだけ微かに聞こえる音ではあるが、定期的に聞こえてくる微かな音と言うのは、結構気になるものである。安物ゆえに作りが雑!では困る。 結局、自分で台座に詰め物して隙間をなくす工作をし、腕時計をしっかりと固定できるようにした結果、それらの気になる音は解消された。
このように、衝動買いは身を滅ぼすとまでは言わないが、これからは、モノを買う時にはもう少し慎重にやらなければ・・・・と考えている。そして、この話の第二弾として、アウトレットでの衝動買いの失敗談へと続くのである・・・・
今日、菅総理大臣の国民に向け、静岡県の浜岡原発の稼働を停止させる指示が発表になった。僕は基本的に原発に頼る電力供給は、絶対に反対であるとした意見を今までにこのブログでも公開してきた。福島の原発事故を目の当りにして、放射能の恐ろしさを更に強く感じたことも大きな理由でもある。ある筋によると、今回の福島原発事故による海洋汚染の波は、来年早々にはアメリカ合衆国の太平洋側にまで及ぶと言う予想が発表となり、いよいよ日本の国だけの問題では無い様相である。福島近郊では当然、陸上の土壌汚染もあって、小学校の校庭の表層部分をはぎ取る模様が報道されていた。実際問題として、今回の福島原発の問題は、原発を中心に半径数十キロの地域だけの問題ではなくなってきているのである。そこに重ねて、この東海地方でも、東南海、南海の3つの大規模地震の発生確率がここ30年間に87%の高確率で発生すると言う。もし仮に、本当に近い将来に懸念される大地震がこの地方を襲った場合、浜岡原発の受ける被害とその事で地域に与える放射能汚染を考えると、日本全体が消滅する危険性は充分に理解できるし、その事を考えるだけで恐ろしさに身が震える思いである。
しかし、しかしです。日本の総理大臣として浜岡原発の全ての原子炉を停止させる指令は、本当に今、出さないといけないのか?という疑問がわいてくるが、この疑問を原子力反対派の僕が言うのはおかしいのか?矛盾しているのか?
確かに、原子力推進に反対の立場としては、今回の総理大臣の発表は歓迎すべきかもしれない。しかし、その一方で、あまりに唐突で無計画なその時ばったりの思いつきアナウンスメントのような印象が強く残ってしまった。一国の総理大臣と言う立場の人が、それこそ、僕レベルの思慮で安易に、浜岡原発の安全性についての検証結果をまとめ上げてしまったように思える。先にも言ったように、福島に次いで静岡県でも原発事故が重なる事を考えると、原発対応を急ぐのは理解できる。しかしなぁ~ここ一連の民主党政権をみてると、前総理大臣を含めて「理想とする総理大臣ごっこ」(つまり、アメリカ合衆国大統領の記者会見の姿を理想とする。オバマ大統領の公式会見に憧れているのは、まんざら外れてはいないだろう・・・)を演じているような印象が強い。
少し話は横道にそれるが、太陽の家では今、送迎運転手さんを追加募集している。業務が増加してきて介護職員にまで送迎の負担をかける事が多くなってきたことで、もう一名の送迎専門の職員さんを募集している。その募集に対し、連日、沢山の応募がなされている。ハローワーク経由での申し込みの多さに聞いてみたら、今、この地域では自動車産業がパーツの供給不足や電力の問題で操業率が低下している分、雇用が減っている事が原因らしい。東日本大震災が、これほど大きく影響を及ぼしている中、中部電力の浜岡原発の原子炉を停止させる事は、低迷する地元産業に更なる追い打ちをかけるような事態にならないのだろうか?
原発はこわい!しかし、日本経済の混迷も怖い。停止させる指令に際して、代替発電案や原子力に頼らなくてよい電力供給のアイデアなども提示すべきではないのか? 社会には、本当に頭の良い人が沢山存在するのに、何で、そのような人達のお知恵を借りて妙案を考えだせないのだろう・・・・? それとも、本当のところ、頭の良い地質学者や地震の専門家から極秘情報として、本当に近い将来に東海、東南海、南海の連動した大地震が起こると言われながらも、国民のパニックを防ぐために暗に何も言わないのかも・・・・・?!(って、考えすぎ)
次に大きな地震が襲って浜岡原発が被害を受ければ日本は沈没するから、稼働を停止させましょう!は、僕のレベルだよ!あまりにも低すぎるレベルで一国の総理大臣がコメントするのはおかしい・・・!!!!
昨日今日と気温も上がり、日中は半袖でも充分な温かさだった。しかし、明日の予報では最高でも17度。最低温度は11度。東北に比べれば温かい方ではあるが、この温度差が体調に大きく影響を及ぼす。特に高齢者には、とても大きな意味を持つ。歳をとると体温調整が付けにくくなる。また、外気温と体温の差に鈍感となる。当然、寒いはずが寒さとして感じにくくなる。または、暑いという感覚が鈍っても厚手の衣服にくるまれ続け汗をかく。体温を一定に保てないから風邪をひきやすくなる。歳とって風邪をひくということは、肺炎を起こしやすくなる。そして命に大きな影響を及ぼす重大な疾患へとすすんでしまう。
今なおインフルエンザが子供たちを中心に残っている。それ程大きく流行する事は無いにしても、秘かに潜在化しているようだ。要するに社会の中では、誰かれなくインフルエンザ菌を持ち歩いて、ばらまいている者もいる。目に見えないウイルスに触れる状況がそこいら中に存在する。こんな天候の変化の激しい季節は、特に高齢者への感染に注意が必要である。まずは、自らが予防、仮にインフルエンザ菌に罹患したら、菌をばらまかないように精いっぱいの努力を行う。インフルエンザに罹患した者が複数の人を感染させてしまえば、結果としてインフルエンザの撲滅には程遠くなってしまう。
春先の気温の変化に敏感に対処し、風邪をひかない努力が求められる。
この近辺のスーパーでも、ベーカリーでも、なかなかイギリス食パンやドイツ パンなどは販売していない。ましてや、イタリアのフォカッチャなんて、絶対に手に入らない代物である。元来日本人は、パンと言えば「コッペパン」からスタートしている人種で、戦後の品不足の折にアメリカの駐留軍が、日本人の栄養バランスを懸念して普及させたのがコッペパン。学校給食にさっそく取り入れられ、僕たちが小学生のころの学校給食には、毎食にコッペパンが付いてきた。そんな食文化の日本人だからか、食パンと言えば、真っ白でふわふわしたやわらかい食パンが好まれるようである。それでも、最近の健康意識の高まりからか、全粒とか五穀パンなどは販売されているが、欧米で人気のライ麦を使ったパンなどは、滅多とお目にかかれないのが現実だ。東京の紀伊国屋さんが、ネットスーパーを立ち上げており、かなりの種類の食品を通信販売している。僕も、たまにドイツパンやライブレッドなどを注文する事があるが、これらの欧米人が好むパンってのは、結構、ハード(堅い)タイプが多く、歯の弱い人には噛み切れない石のようなパンとして毛嫌いされる場合が多い様だ、現に、僕の周りで、これらの堅く、密度の濃いパンは嫌いと言う人が多い。
需要がないから供給もされない。商売の鉄則のような壁にはばまれ、近場でフレッシュな美味しい(僕好みな)パンは買えないのである。それでは、僕は、なぜふわふわ食パンが嫌いなのか?と言えば、あまりに柔らかすぎて食べてる気がしない。また腹もちが悪い。食べたすぐ後に空腹感を覚える。それと、トーストしても表面がフガフガで頼りない。バターをぬろうとしても、全体に広がらない。超柔らかなマーガリンなら兎も角、通常のバターの場合、まだらに乗ってしまうところが、どうも好きになれない。また、サンドイッチにしても、日本のサンドイッチには、パンの耳が切り落とされている。唯一、噛みごたえある部分が最初から切り落とされている。これは、犯罪である。言ってみれば、種を抜いてしまった梅干しのようなもので、お茶ずけの最後に梅干しの種をしゃぶる楽しみを取り上げられている事と同じなのである。
そんなパンの中で、いま一番はまっているのが先にも書いた「フォカッチャ」である。ローズマリーやヒマワリの種、ゴマなどを練り込んだり、岩塩をまぶして焼いたりと色々な焼き方があって、生ハム、サラミやチーズと一緒に食べると最高に旨いイタリア風サンドイッチとして僕の食欲を満たしてくれるのである。イタリアのパニーニは、結構有名だが、僕はパニーニよりもフォカッチャのサンドの方が好きだ。スライスしたフォカッチャにオリーブオイルを垂らして食べてもうまいが、チーズをかじりながら、ワインをお共にフォカッチャの昼食ってのが好きだね!
さて本題に戻ろう。日本人の好みからするとフワフワ食パンが良く売れる。指で押すと窪みが簡単に出来てしまい、手で圧縮するとペンペラの板状になってしまうようなパンなんだ。それは、安物のスポンジのようなもので、手で触るにもデリケートに取り扱わないとパンとは言い難い異質な食品となってしまう。バケットよりはロールパン、イギリス食パンよりはフワフワパン。う~ん???と考え込んでしまう日本人の好みの基準である。