太陽の家

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ブログ-施設長の部屋

2011/4/11
結構、沢山の人がお花見してました。

この日曜日は、いたる所の桜の木の下で家族ぐるみでお花見の実施があったようです。僕も日中、車を走らせて桜の木の下にドット繰り出した人達の姿を見て、少し安心。世の中全体が停滞ムードかと思いきや、そこは堂々とお花見を行っている家族の姿が見受けられたのです。流石に企業関係者が夜桜見物で、酒の力も借りてのドンチキ騒ぎってのは遭遇していないですが、小さな子どもと一緒に家族が陽の日差しの元、ゆっくりとお弁当を広げる姿は、見てても心和む気持ちとなります。被災地の人々には申し訳ないのですが、これくらいの元気印は、逆に被災者を勇気づけるニュースとなる事を期待しています。

 さて、まだつぼみも固い木もあって、まだまだ満開と言うには数日の余裕があるように思うのですが、僕自身は桜吹雪が好きですね。何といっても、体にまとわりつくような花弁の乱舞。この情景をみていると、自分自身が温かな愛情いっぱいに包み込まれるような気持ちになるのです。髪の毛や服の中にも飛び込んでくる花弁は煩わしいようでもあるのですが、年に一回、味わえる春があります。桜吹雪の時って、それ程長くは続きません。だから貴重な瞬間だと思っています。

 この花吹雪、桜以外の花では例えられない様ですが何故でしょうねえ~? うちの敷地の中にマンサクという花があります。結構沢山の花が咲いて、風が吹く度に庭先に花弁が散乱するのですが、「マンサク吹雪」とは言わないですよねえ!音の響きもおかしい。モクレンの白い花弁も風に舞いますが、モクレン吹雪と言うほどの多くは一瞬に散りません。第一、あの大きな花弁が、吹雪のように散る光景って、ど~ウよ???って感じじゃあないですか? 第一、金さんの背中の彫り物がモクレンだったら・・・・笑ってしまいますよね。やはり、吹雪となって一番似合う花弁って「桜」に尽きるのだと思いました。

 この桜、今全盛期に近く、咲きほころんでいます。陽が増すごとに花弁が散りゆき、その内に青々とした新芽が木々を覆う頃となります。どんな環境でも、どんな状況でも、どんなに凹んでいても、自然界は時の流れと共にいつものように再生していこうとします。新たな時を迎えるために、自然は黙々と努力を続けています。私達人間も同じです。自分が出来ることを毎日続けていくこと。とても小さなことで変化は一様にみえない事も、地道に毎日続けることで最終的に大きな変化に到達するのです。折れず、諦めず、腐らずに気長にゆきましょう。

2011/4/10
もう一つ、愚痴こぼしてもいい・・・?

うちの家はご存じのように商業地域内にある。周りには大手のチェーン店や飲食店などが軒を連ねる場所である。当然、夜中であっても人の往来は激しい。車の出入りも激しい。まあ、こんな場所に家を建てなければ、今回のような愚痴は出ないのかもしれないが。なんせ、今どきのバカ者たちは深夜であろうと何だろうとお構いなく、友人同士だろう車が別れ際にクラクションを鳴らしていく。それも、くどく、長く、何度も。普通の神経からすれば、深夜の時間帯に車のクラクションでお互いが合図しあう事は避けるだろうに・・・?

 それとバカ者達の深夜帯のバカ笑いの声の高さ。これにも腹が立つ。昔のブログで取り上げたネタかもしれないが、マイケル・ダグラス主演の映画で、こんな時の僕の気持ちを代弁してくれている映画があった。流石にアメリカだけあって、銃も機関銃もバズーカも何でも手に入り易い社会だけあって、マイケルダグラスは、色々な銃火器を使って、自分の気に障る市民を皆殺しにしていく。決して、お勧めできる正当制は皆無でナンセンスな話ではあるが、ここに至る感情の起伏は理解できる時がある。自分勝手に騒音撒き散らして走り回る暴走族、その族をちょっと離れて後方から赤灯回して追いかける(併走する?)パトカーなんかを見ててもバカばかしくって仕方ない。何だろうね・・・・?これ

 

2011/4/10
またまた、電力行政についての愚痴

今日のBS放送でドイツのある町の太陽光発電についての収録を観た。流石にヨーロッパの中でもドイツは自然エネルギーへの考え方がすすんでいる。日本の行政が遮二無二守ろうとしている原子力発電。東日本大震災の多重災害をみても、何か考え方にずれがあるように思えないだろうか?先進ヨーロッパよりも日本は母性社会の色が濃く、鳴り物入りで政権交代して将来に期待された民主党においても、自民党政権と同じように電力行政の中心に原子力を据えている。

 話は変わるが、昨年末にうちの太陽の家を建てた三井ホームから、太陽光発電システムの営業活動があった。政府の補助金制度が、例の事業仕分けにひっかかり補助金制度の先行きが怪しくなってくる前に、ソーラーパネルの設置を進めてきた。僕自身、石油価格の変動と共に価格返送する電気代に愛想を尽かし、補助金を受けれるうちに設置してみても良いかもしれないと、一応見積もりと対価の償却シュミレーションをうけてみた。早い話、我々のような事業所が設置するにしても補助金額は小さく、おまけに買い取り電力の代金は一般家庭からの買取よりも安い値段でしか買い取れない。結果、事業所がソーラーパネルを設置したとしても、金銭的なメリットは考えられないと言う。それに、設置にかかる費用として、750万円程度の投資が必要となる。補助金をもらっても500万円は持ち出しである。そうして電力の売価と購入価格との差額を考えて、20年かけても設置費用の償却もできないと判明した。 じゃあ、何のために高額の投資をして太陽光のパネルをつけるか?となるわけだが、この点について、その営業マンは、社会的に自然環境について配慮している企業イメージの向上を一番に打ち出してきた。

 今日のBS放送で紹介されたドイツでは、ソーラーシステムの導入後8年程度で、投資額の元は取れると言う。いったいぜんたい、この差は何から来るのだろう・・・・?もちろん、ドイツでは余剰電力の買い取り価格が日本より高く設定されるように法律で定めていると言う。この価格差が償却期間の短縮につながっているようである。

 日本の将来は、全国が東京のようにビルが乱立し、緑も少なく見た目だけ都会の顔を持った町がつくられ、全国津々浦々でマクドナルドを食べ、スターバックスのラテを飲む事ができる姿を近代化と勘違いしているのではないだろうか?

 

2011/4/7
ブログの大量生産!

人間の気持ちってのは分からないものである。と言うより、僕の気持ちの持ちようって、とても大きな波があって規律性に乏しいことが、今月のブログ更新を見ていても良く分かる。本当に気分で動いているんだ!この人って感じ! 気持ちにムラがあると言うのは精神的に脆弱さがあると言う証拠でもある。要するにまだまだ未完成の男である。50を過ぎてみ感性とは、何と遅まきな人生か!と笑われてしまいそうだが、実際のところ、普段は偉っそうにしてるが、その実はちっちゃい、ちっちゃい小市民ダス!(笑)

 さて、今晩は何について書いてみようか・・・・?

 そう言えば、桜が満開に近くなってきたとブログでも書いたように、この地域の桜並木も五分咲きから満開に近い木もある。明日からの雨の天気にそそのかされて、桜の木々もさっさと満開になって、来週明けには散っていくのかもしれない。そんな中、太陽の家デイサービスもグループホームもお花見を遂行する予定である。デイサービスからも計画書が提出され、大よその計画は把握した。今日、銀行に趣く事があったついでに、お花見の計画にある場所を確認してみた。太陽の家からは車で5分程度の距離にある公園である。大きな人工池の周囲に結構な数のソメイヨシノが植えられており、今すでに5分咲き。平日の今日でも沢山の人達がお弁当持参でお花見を行っていた。ただ、この公園、フラットなように見えて、結構起伏に富んだ地形である。おまけに駐車場が狭い。太陽の家から5台もの車に便乗して沢山の老人が繰り出すには、駐車枠が狭すぎて他のビジター達の迷惑になりそうである。また、起伏に富んでいる関係とソメイヨシノの群生する場所と駐車場の位置関係から見渡しがしづらい。こんな場所に大勢の年寄りを引率してきても、事故の可能性の方が高すぎて非常にリスキーである。

 正直、僕ならこんな場所に(桜並木は見ごたえがあるとしても・・・)年寄りを連れてくるのは考えてしまう。さっそく、事業所に戻り担当職員に正直に僕の意見を伝え、午後から一緒に場所の確認と意見交換をしよう!と言う事となった。

 担当者も、僕の意見に納得してくれて、もう一度よく検討した方が良いという結論に達した。帰り道に寄り道をして、適切な場所を探しながら帰ってきた。結果的に、太陽の家に更に近く、良い場所を見つけた。お花見はその場所に変更する事となり、そのように職員に計画変更を周知徹底を行った。

 お花見に参加する利用者の数、状態によっては施設がい事業を行う場所の選定には、より詳細な検討が必要とされるケースがある。今回のお花見もそうである。車いす利用者の数と同行する職員の数、それに会場の環境を考えると、同行する職員が必要以上の苦労をしながらお花見を実施する事となる。恐らく、お花見を終えて帰ってくる頃には、同行する職員さんは疲れ切って、利用者の皆さんと桜を楽しむ余裕すらないに等しい状況であろう。

 この計画を作ってくれた職員には申し訳ないけど、計画を見直して良かったと思えるのではないか?!事故を起こす前の変更。これで良かったのだと自分に言い聞かせている。

2011/4/7
年寄りと排便の問題について

うちのデイサービスを利用されるお年寄りの中にも排便で苦労されている人が多く居る。また、グループホームなどの認知症高齢者の生活する施設にも同様に排便コントロールを下剤に頼る施設も多く存在する様である。うちの太陽の家のグループホームでは、最近では下剤に頼ることなく食事と運動や生活習慣によってある程度コントロール出来ているようではあるが、それでも時として、ひどい便秘症状となる場合には下剤を服用吸うこともある。

 さて、自分の事として、今年の正月明けて4日から今に至るまで自らも下剤に頼る毎日を過ごしている関係で、下剤の持つ苦痛は身にしみて分かっているつもりである。一番強烈な下剤の飲み方として、液体のカマグという下剤を二本一気に飲み干すと言う経験がある。通常、数滴から十滴を希釈した水で飲むのだが、僕の場合は容器ごと2本分をコップ一杯の水とともに一気飲みをした。当然、即トイレに直行。そのまま、何度も何度もトイレに走り、その度にお尻を押さえて右往左往。キリキリと痛む下腹を押さえながらトイレに駆け込んでいた。この経験だけではなくとも、今の下剤服用についても、夜昼関係なく常に腹が痛い。女性の生理痛は男性の僕は経験したことがないが、この痛みは恐らく同じ生理痛の痛み。下半身が抜けるような気だるく腸を刺す様な痛みが伴う。その都度、トイレに長時間座りこんで痛みとの格闘をするわけだが、これのお陰で夜は十分に熟睡できない事が多い。なんせ、1時間半おきにトイレに駆け込んで、痛みと格闘する。

 この痛みと同じ経験をお年寄りの皆さんも経験させられている。(させられていると言う表現は、自分の意思で服薬してるわけではないので、そう表現した) 便が出るまでは腹痛に苦しめられ、居ても立っても居られないほど不穏な感情の中過ごさなければいけないわけで、そんな状況の中で笑顔でおとなしく椅子に座っていなさい!と言う方が無理である。それと、下剤に頼り切っている排便コントロールは、簡単に止めることができないという苦労も伴うのである。つまり、毎日下剤を服用していると、急に下剤を止めると極端に便秘症状が出現する。腹が張って、苦しくって仕方ない状態である。食事をしようにも出口が詰っていれば食べようにも食べ物がのどを通らない。また、味覚もおかしくなっていて食欲もわかない。だから、仕方なしに又下剤を服用する。こんな悪循環は何処かで断ち切りたいという思いと、そうそう簡単に断ち切らせてもらえない現実のはざまで当事者はとても厳しい苦痛との戦いが始まるのである。

  職員の皆さんにお願いしたい。下剤に頼らなくても自然に排便できるようなアクティビティー。それと食事管理などをとおして、この苦痛を味合わなくてすむ方法を考えてもらいたいと強く願っている。


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