太陽の家

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ブログ-施設長の部屋

2011/4/15
感情の陰陽。

 最近、とても弱気な自分がいた。何かにつけて弱腰。と言うより気力がない。何をみても、聞いても感動すら感じない。それよりも煩わしささえ感じる自分がいた。特に自分の体調がすぐれない時に大きく関係してきていた。自分はストレスへの対処方法について、多くの本を読んで理屈を理解していた。不安感情のメカニズムも理解して、それなりの対処もしてきた。しかし、いつからか知らないが、極端に色々なマイナスイメージを抱くようになっていた。自分でも何ともしようのないジレンマを感じながら、この泥沼の淵から這い上がる事も出来ずに一人もがいていた。

 こんな時に他者に救いを求めていっても、相手にとっては重い雰囲気が伝わる事によって、関係が疎遠となりがちである。よくよく考えてみれば、何とか救ってあげたいと思いながらも、何とも救いようのない程マイナススパイラルにはまり込んで居る者の傍にいるだけで、その自分も泥沼に吸い込まれそうな恐怖感を抱いてしまうからである。ある意味、冷たい様だがいたし方ない状態なのである。どん底で喘ぐ人を救うために、なまじっか関わることでミイラ取りがミイラになりかねないのである。だれしもが嫌う。

 時が解決する?・・・いやいや、ただ単に放置するだけでは時は解決しない。その問題には、周り以上に本人の意識向上にどんなきっかけを提供できるかが問われる。そして、その内容は人によって、人格によって、その症状の深さによって違う。相手をよく観察し、性格や悩んでいる種を見つけて、適切な言葉かけをする事によって救われる時もある。応援する言葉かけではなく、相手の痛みを理解してあげること。その中で充分に耐えている事をたたえること。充分に戦ってる事を理解してあげること。そこから解決への糸口が見いだされると思う。

 一緒にいても何もしてあげることができないのではなく、一緒にいてあげる事が出来ることが大きな救いとなることもある。と言う事を認識する事が必要だ。人間の感情の陰陽は、皆が当然持っているものであって、特別にその人だけの問題ではない事。痛みを感じて悩む事は普通の人間の行いである事。全てが、特別なケースではなく、いたってノーマルな事である事を相手に分かってもらえれば、それで大半は成功したと言える。

2011/4/14
言葉の重み。(とても重要な事を書きます)

 最近の僕のブログでも何度も言うように、高齢者の心理ってのは、非常に壊れやすくセンシティブな状態にあると言うことを真剣に理解してもらいたい。真剣にと言うよりも、事実として100%の高齢者、特にデイサービスを利用するような要介護者に関していってみれば、論外と言う人は居ないと信じている。そして、その人たちに対する言葉かけの重みを介護する人々に意識して発してもらいたい。うちの太陽の家でも、時として介護側の不用意な言動(もちろん、それは意図したもんではない事は理解できるとしても)、些細な発言が高齢者をいとも簡単に傷つけてしまうことの恐ろしさも認識してほしい。

 同時に、信頼できる人からの一言が、高齢者の心理的不安感情をいとも簡単に救う力も持ち合わせている事も認識してほしい。たった一言の「大丈夫よ!」と呟き、そっと肩にでも触れてあげるだけで、相手の抱いていた不安な気持ちがす~っと消えて、気持ちが楽になる事がある。これは、鬱の患者さんに対しても同じ事が実証されており、言葉かけの重要性をものがたっている。ただ、その一言を有効な言葉にするか否かは、相手との信頼関係が何処まで築かれているかによる点に注意しなければいけない。つまり、我々の介護の現場で、普段から如何に相手の高齢者と強い絆で結ばれているか?または、信頼関係が構築できているか?にかかってくるわけである。これをラポールの形成と専門的な用語で言われているが、相談援助業務の中で一番重要かつ早期に形成すべき関係として言われている。

 ここで、信頼関係の構築には、どう対処すれば形成が出来るのか?であるが、これも最近、僕が太陽の家の職員さんに言うように我々は高齢者の人達に「媚」をうったりしないこと。つまり高齢者の笑顔を求めるあまり、ご機嫌取りをする事があるが僕はこのご機嫌取りを行うことによって、高齢者は介護職員を自分にとって都合よく使おうとするだけの関係で終わってしまいがちになると考えている。私達がもつスキルを使い、客観的に高齢者にとって良い事を分別付けて提供すること。それは、時として高齢者には辛い事もお願いしなければいけなことかもしれない。痛いから歩けない人を思いやり、動かさないで寝たきりの状態で傍に付き添っている事は、決して相手にとって良くない事として理解できると思う。この場合、専門職のドクターや看護師、理学療法士などに相談しながら適切な運動を、辛くても実施する指導力も要求されるのではないか?と思うのである。

 僕は、今の太陽の家に通って頂いてる利用者の方々には、お客様扱いをすることよりも一人の尊厳ある人間として接することを目指し、自分の力で生きる勇気を与える方に進みたい。と考えている。その為の個別機能訓練であるし、その為のレクリエーションであるべきだと考えている。

 ただ単に風呂に入る、食事を提供する、排便支援をするだけのデイサービスは五万とある。また、家族の介護負担の軽減だけでも役不足と言える。この施設に通う人達は、少し前まで自分ひとりで買い物に行き、家族を養い、子供を育て、社会的な活動を行ってきた人たちである。もう一度、過去のように健康に暴れまくるようにとは言わない。でも、以前のような生きる喜びと目的を持てる人生を持ってもらう事は可能である。僕たちは、その為に存在するのであり、その為の支援を行うべきである。決して、利用者の人達に毎日(こんな納なしの施設は無いだろう・・・)桜の花を見物させたり、ショッピングに連れ出すことがデイサービスの目的では無い事を認識してもらいたい。時として、相手によって、それらの行事が必要な人もいる、その必要性を見極めて適切な支援が出来る介護職員に、太陽の家で働く職員さんには成長してもらいたい。ただ、私達の行っている介護は看護ではない。看護と介護の違いは大きい。この点についても職員は、しっかりと理解してかかってもらいたい。

 喜ぶ顔が見たい。それは、けっしてご機嫌取りで喜ぶ顔では無い。我々の支援に感謝する喜びの顔であるべきだ!これが可能となった時には、太陽の家はこの鈴鹿だけではなく全国一素晴らしいデイサービスセンターとして評価される時が来る。皆さんの今後の意識向上とスキルアップを大いに期待している。まったく遠い夢ではない。もう少しでその領域に達しようとしていると感じている。

2011/4/14
気がついてみれば・・・

最近、自分の普段使いの財布の中身を整理していた時に、ふっと気がついたことがある。それは、色々な病院の診察券が増えたと言う事実である。昨年までは、診察券なんてのは、ホームドクターである病院とかかりつけの歯科医院だけだったのが、昨今、禁煙外来で使った個人病院、総合病院、等もろもろ。クレジットカードのごとく財布の中に居座り始めた診察券を見て、とうとう自分も高齢者の仲間入りか・・・・と一瞬青くなった次第である。

これだけ多重な病気を抱えていると(?) 各々の病院受診から処方される薬が増え始める。今は、自分なりに複数の病院を受診する際に、自ら重複受診している状況や服薬している薬の内容を説明して、出来る限り飲み合わせの無いような処方や重複する事のないように担当医と相談している。そうでもしなければ、各々の病院から処方される薬によって、僕自身は多重の副作用によって別の意味で苦しむ事となるであろう。これは、そのまま今の高齢者に当てはまる事象であり、痛みや違和感の訴えだけに聞き入り、その都度専門医を訪れていけば、自宅に複数の訳の分からない薬の山が出来てしまう。 薬局からはお薬手帳なるものが有償で渡されているが、これだって当の高齢者には、単なる無用の長物化してる場合が多く、しっかりと薬の管理が出来ている人は少ない。

体調不良は誰にでも、何時でも起こりえること。その都度、別々のお医者さんに診てもらって、その時の主治医を唯一無二の存在として接する患者側に問題があるのであって、ドクターに充分な情報がいきわたらない状況が、色々な弊害を引き起こしている原因と言えるでしょう。診断をお願いするお医者さんを信頼することは当然、しかしながら、ドクターとて充分な情報も得ないで正確な判断は出来ませぬ! 複数のお医者にかかるならば、他のドクターの所見や貰っている薬の内容もしっかりと伝えて、診断をお願いしましょう。

2011/4/12
う~ん、これだけは高齢者をもつご家族にも知っててほしいかなぁ~って

 年寄りってのは、うちの親も含めて子供に当たる自分から言えば充分「大人」であり、自分以上に人生経験も豊かという先入観を持っている。年寄りに対するこの先入観が、結構、高齢者介護の誤解を招く原因となっている場合があるのです。例えば、相手は「大人」だがら、分別も理解力も持っているはずだ!という思い込みで、大した説明と理解も得ないまま子供の勝手に事を進めてしまう事があると言う点です。親子関係の中でも、お互いが若く心身ともに健康な時は、それ程の意思の疎通がなくとも過ぎてしまう問題も、相手に高齢に伴う機能低下など心身機能に低下が目立つ状況下においては、しっかりとした相互理解が伴わないと逆に年寄りには不安感情に大きく作用するようになるのです。

 考えてみれば分かると思うのですが、年取って周りの出来ごとに疎くなってくると、全てを子供たちや後見人に頼ろうとするのが年寄りの特徴である。自分だって体調不良をおこし病の床に伏せる時などは、全ての生活に必要な行動など無視したくなる時があるはずです。細かな事に配慮しながら、只でさえ意気消沈している中で気力を振り絞ることなどしたくは無いですよね。これを「依存的とか、甘え」と言いがちですが、歳をとれば全体的に機能が低下してやるせない日々をかろうじて送っている人も少なくは無い事を思えば理解できるはずです。

 僕が入院中、一番辛かった時間に、手術後に一泊したICUの時間です。周囲には自分と同じよう、またはそれ以上にコンディションの悪い、言ってみれば要注意患者の人達なわけです。突発的緊急時を見守るために色々な器具を体に取り付けてます。それらの機械類の発する音や看護師の動きなどが、如何にも集中治療室的であり、英語で言うクリティカルなコンディションを肌で感じる事となる場の雰囲気があるのです。これが、結構、麻酔から覚めて自分自身を取り戻そうとする自分にとって、不安感を増幅するのです。僕は、ICUにいる間、夢うつつの時間を過ごしながら、文字どおり夢を見ていました。普段見る夢とは違って、形もストーリーもなく、ただ単に閉塞的な夢。と言うより閉塞的感情の固まりの中で苦しんでいた事が思い出されます。この事から、ICUから一般病棟に戻った後も、再手術を受けることへの恐怖とICUに戻る恐怖は(実際は、その必要性は皆無なのですが)付いて回りました。この気持ちは、ぼくにとって、トラウマ的な心的ストレスへとつながっていったのです。

 この症状と同じケースを僕は、在宅ケアの高齢者が極端に自宅から離れることを拒否する行動に見ることがあります。ショートステーを利用しなければならない時。もちろん、ショートステー事業所ってのは、悪魔的支配者による監獄でもないわけで、行政の指導を受けてしっかりと運営されている福祉施設なはずです。しかし、利用者によっては、その人の利用した時の印象が思いの外悪かったのかもしれない。または、普段の自宅生活からはかけ離れすぎている生活であったのかもしれない。いずれにせよ、僕のICU同様、その存在は患者にとって必要不可欠であっても怖いものは怖いのです。そこに戻るには、かなりの勇気または話し合いが必要であると思うのです。それを家族ってのは、結構簡単に決めてしまいがちですし、担当のケアマネジャー自体も、いとも簡単にショートステー利用を一押しの物件のごとく利用を推し進める場合もあります。家族からすれば、どうしても仕方なくショートステーの利用に踏み切っているのですが、そこに相互の理解が伴っていない点が問題かもしれません。

 健康な人には分からない、高齢者の抱える苦痛ってのは、意外と身近な場面でも沢山の苦痛を感じている事が多いのです。それらの苦痛全てを取り除く事は不可能であります。年寄り特有の鬱が影響した苦痛や不安感情に対処するには専門的な知識とスキルが必要だからです。しかし、大半の高齢者の抱える不安感情には、家族のちょっとした言葉かけだけで充分に事足りる効果を発揮する場面も多いのです。健康な家族は一日中働き通しで疲れているから、そんな我儘いわないで!という気持ちはわかりますが、そこをじっと耐えて、年寄りと同じ目線で「辛いな~ぁ、でも、大丈夫や!何にも心配いらへんよ!」の一言で、年寄りの気持ちは随分と緩和されるものです。

 高齢者を抱える家族の皆さん、どうか気長に、過去に血気盛んな力みなぎる大人であった人も歳と共に気弱になり、何にでも不安な気持ちが先に立つようになる。と言う事を意識して接して頂ければ、高齢者にまつわる心的ストレスも、かなりの点で減少するのかと思います。この些細な思いやりを放棄することで、さらなる大きな問題である高齢者の鬱と正面切って対峙しなければいけなくなるのです。

2011/4/11
『ひだまり』 太陽の家発行の機関誌製作へのヒント

ほぼ毎月、発行を実行している我が太陽の家新聞『ひだまり』。利用者のご家族にも評判良く、結構皆さんが楽しみにされているようである。しかしながら、ここに来て、製作サイドの息切れが出始めているようである。毎月発行ってのは、はっきり言って苦しい。写真を載せて紹介文を書いて、紙面構成も行い印刷する。そればかりか、個別に折り畳んでデイの利用者には、利用日に持ち帰って頂けるように配布。グループホームに関しては、月々の請求書に同封して発送する。これを、通常の業務をこなしながら、毎月実施する。僕なんかにやらせれば、一カ月後には発行見合わせだ!

 さて、しかし、そんな否定的な事ばかり言ってはいられんばい! 製作者本人もやる気はある。それなりのやりがいもあるようだ。しかし、そこにアイデアの枯渇が見え隠れしていると言う点が問題のようである。それでは、こんなのはどうだ???って言うアイデアを書こうと思って、今日のブログとした。

①まず、この月にあった出来事や、撮りためた写真を全てレイアウト無視して、紙面上にアップする。レイアウト無視だから、重なろうとちぐはぐなサイズだろうと関係なく、兎に角、紙の上に並べるように置いていく。全ての掲載したい写真をのせたら、そこで並べ替えを行い、削除し、拡大縮小していく。最終的にあいた部分に説明のコメントを書いて終了。

②各フロアー長に相談して、今月記憶に残る出来事を聞く。その話題の中からピックアップして、記事を書き写真を掲載する。

③編集用コンピューターから離れて紙と鉛筆だけを用意。全ての作業を中止して風呂に入る。頭の中から編集業務を忘れる。そして、自分の気に入ったテレビ番組を見てバカ笑いを楽しむ。全てが完了したら寝る・・・・・それで・・・・・その間にひらめいたアイデアを紙に書き取り、翌日の朝、目が覚めて業務に復帰したらメモを元にして作業を進める。寝てる間にメモる事が出来なければ、出来るまで繰り返す。(笑)

④とにかく何もしない。何も書かない。写真もみない。放置する。そして数カ月放っておく。発行を心待ちにしているご家族には申し訳ないが、無視して黙りこむ。すると、数か月しないうちに又新たにやる気が起きてくる。

⑤前月の紙面レイアウトをそのまま再利用する。写真を入れ替え、文言を入力しなおす。

以上の無責任な5つのアイデア。だしてみました。ご検討アレ!

  超無責任な施設長より


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