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ブログ-施設長の部屋

2010/11/17
高齢者と「におい」について

年を重ねる内に、「加齢臭」だの何だのと邪魔者扱いされるのが年寄りのようである。自分も、加齢臭漂う年齢となりつつあり、それなりに自分自身の放つ「匂い」には、神経を使っている。例えば、入浴に際して加齢臭を防止する石鹸を使ったり、香水を使ったり、また、部屋の中ではアロマオイルを使ったりと、それはもう、大変な努力と言ってよいかもしれない。しかし、まだ自分の場合は、自分なりに予防的処置を行うことが出来る。これが、もっともっと年齢を加えて、おまけに自分自身の身体機能が低下していくと、これまで気にしすぎるほどケアに余念の無い自分であっても、それら一切の事柄がどうでもよくなってくるのである。

それは、異性を意識することがなくなると同時に、または、自分自身の見栄もなくなると同時に、多少、風呂に入らなくても関係なくなってしまうようである。其の内に、垢では、人は死なない!と言う理屈をこね始めて、入浴を面倒がることに。風呂にも入らない。自分のオリジナルの歯も無くし、全てが義歯ともなると、歯を磨く手間も無くなる。当然、それなりに口臭もきつくなる。口は臭い、体も不潔、着ている衣類も洗濯もせず、万年同じ服。こうなると、世間一般的に嫌われる年寄りの代名詞のような存在となってしまう。

前回の職員Aさんの書いたブログのように、介護に携わる人を見て、高齢者の匂いに対する同情というか?半分、嫌悪感をあらわに知り合いの方々からかけられる言葉。「よく介護の仕事を我慢できるね!?」

 しかし、介護の世界って、言うほど臭くて、汚くって、厳しいばかりの職場ではないんだ!現に、太陽の家に来てくれるデイサービスの利用者さん達は、皆さん、清潔にしているし、特に体中から異様な匂いを発していることも無い。ただ、排便だけは、コントロールが難しく(これは、ある意味、薬に頼りすぎることが災いして下痢や極度な便秘に甘んじることが高齢者には多い)大量の便にまみれることもある。こんな時は、流石に部屋中に便臭が漂い、とても息苦しいときもある。しかし、そんな特別なとき意外に、年寄りだから臭い!という説は事実とは異なるのである。

 若者にしても、年齢を重ねていくうちに、放つ体臭は変わり、次第次第と他人から「くさい!」と言われるような年齢となっていくのです。年寄りよりも、今時の女子高校生の方が不潔で臭い!若さにあぐらをかき、手入れを怠っている若者の方が不潔であると言うのは、面白いはなしである。

2010/11/17
職員Aの独り言・・・・(とうとう、いや!やっと手に入れた文章です。

これって職業病、、、いや特技です。介護の仕事をしている。と人に言うと、人から言われるのが、お年寄りのウンチやオシッコの世話が良くできるね~、私なら臭いに堪えられない~エライね~と言われます。いえいえ、私は匂いフェチで食べ物も匂いを嗅いでから食べますし、人を好きになるのもその人の匂いで好きになってしまったりと、当然のように良い香りが大好きです。なのでくさい臭いには抵抗もありますし、大嫌いでもあります。太陽で働き始めた一週間はお年寄りのあれこれの臭いでご飯が食べられず、今日こそは辞めようと毎日毎日思いながら仕事をしていました。でもいつの間にか気にならなくなっていたのです。慣れてきたからかなぁと思ったし、何故平気になったかさえ考えてなかったのですが、知らず知らずのうちに臭わない呼吸技を習得したのです。それは臭いの危険地帯では口で息を吸い鼻で吐いているのです。無意識で行っているのです。なので不意に入ってくる臭いには対応出来ないのが残念ですが…例えばですが、電車に乗り合わせた酔払い中年の口臭だとか、エレベーターの中に残されたオナラの臭いとか、不意の臭いには困惑する事がありますよ!

 

 毎日毎日、利用者様の顔を見て思うのが、大正・昭和・平成を生き抜いて来た方達は素晴らしく、私にはとても真似の出来ない〓しぶとい(?)方達(今の若者には、このしぶとさが欠けているような・・・・)で尊敬の念で一杯です。これからは毎日笑ってて貰えたらなぁと思う毎日です。

 

 ※この文章は、太陽の家の職員Aが書いてくれた文章です。正直に高齢者介護の現場の感想を書いてくれてます。この職員Aさんは、太陽の家の風鈴の会に一つの話題を提供してくれたと思っています。これから、風鈴の会では、この文章について話し合ってみたいと思っています。

2010/11/14
とても珍しい光景!

今日の午後、自宅の裏庭にカラスが二羽降り立って、フェンスの上にとまって何やら物憂い雰囲気。其の普段には見受けられない状況に、何か感じるものがあって、ベランダの窓越しに外を見たら、そこには、カラス二羽に鋭いまなざしをおくりながら、とても用心深げにいる一羽の別の鳥。体長およそ30センチくらい。鳩ではない。猛禽類の目つきをした鳥で、知識の乏しい私からは「はやぶさ」という名前が浮かんできた。良く観ると、その猛禽類らしき鳥の足には、すずめ一羽が捕まえられていた。片足ですずめ一羽を押さえ込みながら、すぐ近くに待ち受けて、隙あらば・・・とチャンスを狙うカラス二羽に必死ににらみを効かせていたのである。

 その時にカメラには遠く、写真撮影できなかったことが悔やまれるが、確かに、今日の午後、私の自宅裏庭には、ハヤブサらしき鳥がいた。カラスから逃げるように、其の鳥は、捕まえたすずめを抱えて、その場を飛び立ち、そのまま何処か見えない空の果てに飛び去ってしまった。一緒にからすも後を追う形で飛び立ったが、カラスすら後を追うことを諦めなければならない程のスピードだったのか・・・しばらくすると、追いかけた筈のカラスは、いつの間には、我が家の裏に程近い電信柱の天辺に飛び来たり、カァ~カァ~と鳴いていた。

後ほど、インターネットでハヤブサを検索したが、最近ではハヤブサという鳥は絶滅に近い種のようで、今日の裏庭にいた鳥が、本当にハヤブサだとしたら、写真を撮影してくべきだった!と後悔している。

 さて、そんなハヤブサとからすの一羽の餌となるすずめをめぐっての攻防戦を見てるとき、二階のグループホームから歌が聞こえてきた。青い山脈と言う歌を利用者と一緒に職員が歌っている。日曜の午後に自宅裏庭で過ごすことは多くは無いが、こんな賑やかなグループホームは久しく観たことが無い。最近、グループホームの職員の自己評価を読ませてもらっている中でも、一日の過ごし方について書かれた意見が多い。歌をうたいながら賑わっているグループホームを感じていると、最近、本当にグループホーム自体が変わってきている感じがする。職員の和もそうだが、職員一人ひとりが、グループホームにおける一日の過ごし方みたいなものを考える習慣が育ってきていると言う証拠であろう。其の考えかたには、とても賛同を覚える。認知症高齢者に話しかけても返答が無いことを理由に二日で退職した若者がいたが、認知症介護は、本当に職員の考え方で介護が変わることを実感しようとしている。

2010/11/9
そう言えば、職員さんの書くブログ・・・・まだア~・・・?

先日書いたように、職員さんにブログを書いてもらおう!と言うナイスなアイデア・・・・次の日に職員さん(フロアーリーダーに)確認してみた。それとなく、顔色を伺いながら話をしてみたら、少しは書いてくれたようだ。でも、やはり、自分で納得がいかないらしく、未だに誰も原稿を届けてくれない。

このブログを読んでくれる人々も僕もそうですが、上手な文章を期待してるわけではないと思うのです。ましてや、読んで楽しい文章なんか、文筆家でもないのにかけるわけが無い。このブログを読んでくれている人たちは、人生を共有したいだけなんだと思うのです。誰しも色々なことを社会に対し感じ、時には憤りも感じ、時には諦めに陥り、何もする気が起きない。そんな感情の揺れを共有することで、自分自身が孤立することから逃れることが出来ると感じてくれれうのではないかと思うのですよ。これも、あくまでも僕の想像ですから、真実の所は分からない。しかし、そこまで言わないとしても、少なくとも、太陽の家の職員さん像というかイメージはより伝わりやすいと思うのです。

これから先に、太陽の家での介護職を考えている人には、僕が書いたブログを読むよりも職員さんの書いたブログを読むほうが、より一層、職場の雰囲気と職員同士の和を理解できると思うのです。さあ、太陽の家の職員のみなさん、何でも良いのです。自分自身が感じる年寄り像でも、世の中の不思議やら無駄を書き出してみれば、それなりに自分自身も何かを学ぶはずです。明日くらいには、ブログの原稿を待っています。そして、明日の施設長の部屋には、職員AさんやらBさんという表題でブログを掲載できることと思います。

2010/11/9
最近、広がりつつあるブログ読者の輪

 ひと昔前のはやり言葉で聞いたことがある「わ!」ですが、最近、特にこの施設長の部屋を読んでくれる人々に驚かされることがある。つまり、予想もしていない場所で、ブログのネタを振られることが時々あってビックリするのです。どこのルートから、このホームページに到達したのか不思議に思うこともしばしば・・・・やはり、色々な人の目に触れる機会は多いんだ!と改めて感慨深く、又同時にこのブログの影響力も侮れない気がして、一瞬恐怖すら感じてしまう・・・・

 さてさて、ブログネタはともかくとして、今日、地元の中学生の職場体験学習として二名の生徒が太陽の家にて、介護の仕事を体験している。ここ何年か、地元の中学から生徒たちが職場体験という実習を行っている。毎年、色々な中学生たちが色々な職場を三日間体験してるようだ。その実習生たちを見ていると、とてもしっかりとして大人顔負けの中学生で、対応する我々のほうが、普段から腑抜けた仕事をしていると反省しなければいけないほどの子供たちである。まあ。もちろん、学校の先生方が、話し方から全てのマナーを教えているから出来ることではあると思うが、それでも、人生経験が未熟な分だけ、真摯に職場実習に入ろうとする分、中途半端は中年男性を面接しているときよりも、立派な態度である。

 片や、学校内のいじめがあって自殺した女子中学生のニュースが報道される。何が大きな原因かは想像でしか言えないが、話を聞いて感じることは、「命」の軽さのようなものを常に最近の若者から感じてしまう。自分の命も軽く扱える若者たちは、他人の命(それは動物であったり、人間であったり)さえゲームの一部、ゲームの延長線上のアバター的な捕らえ方をしてるように思う。今の若者にとって、人間として、若者としての自分や周りのものに対するイメージ像は、年代に関係なく偉大であったり、崇高なものであったりする。自分のアイデンティティーを重要視し、自分自身を追い求める姿は一昔前の自分たちの世代と同じである。私たちの時代は、安保闘争の時代を過ごした若者が、大衆的人格を否定し、個別性とオリジナリティーを求めて反発していた。今の若者も、こと個人の人格と言う点では、昔も今も大差ないということであり、そこで大きな違いは、今の若者が「命」はリセットできるものと勘違いしていることであろう。モノの命が、映画の中、ゲームの中では簡単にリセットできる。自分にとって不都合となれば、いつでも全てをリセットして、やり直しが可能であると錯覚している点がおおきな違いであるように思う。

 話は脱線したが、今、太陽の家で職場体験を実践する負たちの中学生には、そのような「命」の軽さは感じることなく、もっと煮えたぎるよな熱い熱意を感じる。この子達には、どんな将来が待っているのか?私たちの中年の感性で捉え、評価すると高得点の中学生たちも、其の多くが私の言う「出来ない奴ら」だとするなら、出来ると判断される者たちが少数派となってしまい、それこそ苦労を背負い込まなければいけなくなる世の中だとしたら、馬鹿らしくて仕方ない・・・・と人生を諦めたくなってしまう・・・・・。


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