太陽の家

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ブログ-施設長の部屋

2010/7/8
七夕まつりを開催しました。

演劇の前に言葉の体操を行いました。

 7月7日(水)は、年に一度の七夕です。太陽の家利用者の皆様と職員には、事前に短冊に願い事を書いて頂き、準備した笹の枝に結び付けて頂きました。利用者の皆様の願い事でいっぱいの笹の木を両脇に、中央に仮設ステージを設置して、職員一同による演劇を楽しんでいただきました。この演劇について詳しくはブログで公開いたします。

 ちなみに利用者の方々の願い事で一番多かった言葉に「家族みんなが元気で、健康で暮らせますように!」でした。利用者の皆さんの家族への想いを感じると共に、世代は変わっても母として、父として家族を思う気持ちはいつまでも続くのだなアと感激しています。私も、この年となっても親にとってみれば子供に変わりないのでしょう。そんな事を考えた七夕でした。

2010/7/7
自分の書いたブログを読み返すと結構恥ずかしいものです!(笑)

自分のブログを日を改めて読み返す事の恥ずかしさは、かなりのものである。(痛みの度数と同様な表記を用いれば、三鼻毛どころかパンツ一丁で屋外をウロウロするほどの恥ずかしさがある)。何度も言うように、ブログを書く時の自分自身はと言えば、特に何という目的も無く、ただ単に頭に浮かんだ言葉を文字に置き換えていくだけであって、云わばその時の気分なのである。思いつきを文章に置き換えていく、つまり、ローマ字表記でキーボードを叩いていくことでブログが完成している。

 思いつきだからブログが完成と言うより、思う事全てを吐き出してしまった!といった感慨の方が大きいと言った方が正しい。頭に浮かんだ想いをローマ字でうちこんでいくのだから、当然、誤字や脱字が多い。おまけに読み返しをしないまま公開してしまうので、文章が所々意味プーな個所もある。

 そんな意味プーの文章が恥ずかしいのではなく、時としてセンチメンタルな気分で書き連ねたり、時としてとても理屈が多かったり、時としてとても腹立ち紛れありありの文章だったりと、その時の自分自身がみえてしまう事に恥ずかしさを覚えるのである。しかし、最近、このブログの訪問者が増加している。毎月のアクセス数が上昇していて、今月など7月初旬と言う割に、前月の月半ば頃と同数のアクセスが行われている。

 これは非常に嬉しい事であるのだが、逆に自分の裸を見られているようで恥ずかしい気持ちでいっぱいになる。でも、アクセスが多いと言う事実は、ブログを書いている者からすると、非常に嬉しいものである。読んで頂けると思えば、尚の事、毎日ブログの更新を行い、また同時に読みごたえのある文章を書かねば・・・とまたモチベーションも上がるのである。

 そう言えば、話は変わるが、今日、七夕の日。いつの間にか七夕の日は「そうめん」を食べるのだとか・・・・お陰で今日の昼も夜も「そうめん」を食った。毎日高カロリー、高脂肪な食事ばかり食べている自分としては、これもまた良しと思える。

 そうめんは麺が細く、それ程の大量に食べれるわけでもなく、それでいてしっかりと腹もちする食事である事が良く分かった。今日は今の時間でもお腹いっぱいで空腹感が無い。これは健康的な食べ物なのかもしれないと思った。

・・・・・・また、しょうも無い事をツラツラと書いてしまった。明日は、読み応え有る文章でブログを飾るぞ!と決意を新たに、早々とベッドにもぐりこむのでした!

2010/7/7
昔話になりますが・・・・

 昔の話をし始めると歳だなァ~と思われるので嫌なのですが・・・・(そう言いながら昔話を書くのですから、これってどうなのよ?はははは・・・) 僕は車の運転が大好きです。うちの職員さんの誰かが自己紹介コメントにも書いていましたが、僕も同じで車を運転しているとご機嫌でした。20代の頃は一人で東京まで車を走らせたりしていました。20代の頃ですから、それ程良い車ではありません。普通の乗用車・・・・(いやア・・・・少し改造してたかも・・・控えめなスポイラーも・・・・サスペンションも硬めに変えてたなア・・・・・車高も少し低かったかも・・・・・へへへへ)

 まあ、とにかく、僕は夜の高速道路を走るのが好きす。ヘッドライトで照らし出された部分以外は漆黒の闇で、周りの風景は遠くに小さく家々の窓から漏れる明かりがみえるだけの世界。お気に入りの音楽を流しながらスムーズにクルーズする事が好きです。走行車線を優雅にマイペースで流れるように走るのです。

 ちょうど、この頃に読んでいた大藪春彦のアクション小説の主人公の気分で夜の高速をひた走り、明け方には東名を抜けて首都高へ。車も少ない都心を走りお気に入りのカフェでコーヒーを飲んで少しだけ仮眠をとってまた帰る。そんな無意味なドライブをしていました。(もちろん、すぐに引き返すように家路に就くわけではなく、世田谷の友人を訪ね、数時間の再会を喜びながら岐路に就くのですが)

 あの当時の自分には、このドライブは無意味どころか、とても充実した時間の一つでした。そして唯一、現実からの逃避でもありました。ひと時だけ自分自身だけで小説の主人公を演じ、その気分に浸りきっていました。今では、定時になると眠くなり、無理やりに起きていようにも自然と瞼が重くなる生活です。それでも車の運転は好きです。しかし、今では東京までノンストップなドライブは難しいと思います。数年前に神奈川まで車で出かける機会がありました。1週間の長期滞在でしたので車を使ったのですが、やはり道中のサービスエリアには、かなり頻繁に停まり、気分転換が必要となっていました。これも老いの一つです。寂しいですが現実です。 老いることを嘆いてばかりは更に寂しくなりますし、自分自身が卑屈になります。今年は、もう一度、東京まで車を飛ばして行ってみようかなア・・・・

2010/7/7
美味しいペペロンチーノの作り方。

イタリアンパスタ料理の中でも定番中の定番であるペペロンチーノを美味しく作る方法をお教えします。

(材料)

ニンニク・・・・・・・2から3片(僕は大きくサイコロ状に切ります)

鷹の爪・・・・・・・・2個、中の種をぬいて、細かく千切りのように切ります。決してみじん切りにはしません)

ブロード・・・・・・・フランス料理でいうフォンドボー(無ければ顆粒コンソメと水で代用)

オリーブオイル・・適量

無塩バター・・・・・20~30g

ホワイトペッパー・・・適量

① まず、フライパンにオリーブオイルを大さじ3杯程度いれます。切ったニンニク、鷹の爪を入れてゆっくりと火に掛けます。本当にじっくりと温めるように火を入れることが重要です。ここでニンニクと鷹の爪を焦がさないようにします。ニンニクと鷹の爪が焦げないようにかきまぜながら、ニンニクの香りがたってきたら冷たいブロードを注ぎ入れて、一旦フライパンの温度を下げるようにします。(温度を下げることでニンニクなどが焦げを止めます)そして、バターを入れて乳化させます。ブロードの無い場合は、この時点で水を100cc程度注ぎこみ、顆粒コンソメを同時に入れて素早くお箸か何かでかきまぜて再びフライパンに火を入れます。沸々と先ほどの入れたブロードが湧き立ち始めたら、バターを入れ乳化させます。乳化とはバターの脂肪分でとろみをつけることを言います)火を止めて静かに蓋をしてパスタが茹であがるまで置いておきます。

同時に適度な塩加減の湯に一人前100g~120gのパスタを入れてアルデンテに茹でます。パスタが茹であがれば、先ほどから準備していたフライパンのソースにからめて、最後にホワイトペッパーを入れて味を調えます。基本的な塩味はパスタ自体につけるので、ソースにはブロードのうまみを重視して塩は加減してください。

これが私流のペペロンチーノの作り方です。 このペペロンチーノのファンは多く、今でも玉ちゃんのペペロンチーノが食べたいと言ってくれる方が大勢みえます。簡単でシンプルなペペロンチーノは、最初から最後まで火加減が重要です。ソースを作っている数分間はコンロの前を離れない事。フライパンの中身から目をそらさない事。これが味の要です。それだけ守れば絶対に美味しいペペロンチーノを貴方自身でも作れます。但し、ニンニク臭があります。家族全員が一緒に食べないと苦情の原因となりますよ!!

2010/7/5
今日の出来事。

 今日の夕方、デイサービス利用者が帰宅し、職員がデイルームの掃除に忙しい時間帯に地域に住む女性が太陽の家の玄関先に訪ねてみえた。最初、事務長が接客していたが何だか妙に騒々しいので覗いてみたら、僕の知っている地元の人である。話を聞いていくうちに、一人のおばあさんが、太陽の家の裏にある田んぼ道を一人で歩いている。言っている事が妙だし、人の言う事を理解しないようだ。また、側溝にはまってしまい泥だらけになっている。等と言う話であった。

 僕は話を聞いて、認知症のばあさんが徘徊して行方不明になる危険性を感じて、すぐに外に出て自転車に飛び乗った。言われた場所に近づいたがそれらしいばあさんの姿は見えない。そこで農作業中の男性に訪ねると、歩いて行った方向までは分かったので、その方向に急いで自転車を走らせる。こう言う時の為に自転車を買ったのだが、非常に役に立ったと、この時に実感した。とにかく、言われた先に、その婆さんらしき人と会う事が出来た。ゆっくりと近づき、自己紹介をしながら、何処から来て、何処へ行こうとしているのかを訪ねたが、少し興奮気味で抵抗こそすれど、身元の分かるような話は引き出せない。交通事故や転倒が怖いので、一緒に歩いてもいいですか?と許しを請いながら、おばあさんには自転車のハンドル部分に手を添えてもらい、杖代わりに共に歩いてもらう。途中、色々と話しかけるがスキル不足のために(?)大した結果を得ることは出来ず、仕方なしに警察に電話。徘徊老人らしき人を保護して、今現在、一緒に歩いている旨伝え、警察の応援をお願いした。

 婆さんは、所々で興奮を繰り返し、時々立ち止まり、行き先を探し求めているようやそぶり。認知症の高齢者の徘徊は、本当に行き先が定まらず、少しでも目を離すと車道の真ん中でも何の気なしに歩いてしまう危険性をもっていた。車の往来が激しい事は理会できていたが、それでも夕方のラッシュに近い中央道路を横切ろうとする。必死で危険だから一緒に歩こうよ!と止めるが、本人は放っておいて暮れの一点張り。そうこうしている間に、三人の警察官を乗せたパトカーが近づき、警察官にによる説得には素直に話をし始める婆さんに、俺って本当に信用ないんだ!?と自信喪失。

 まあ、でも、無事、パトカーに乗せられ派出所へ向った婆さん。事故にも会わず、これはこれで良かったとおもえる出来事だった。

 この中で、素晴らしいという事に地元の人の協力があったこと。普通ならちょっと頭のおかしな人が通りかかった程度にしか思ってもらえず見過ごされがちな婆さんの独り歩きを、一人の女性の機転で太陽の家に通報して頂いた事。

 第二に、通報が早く、太陽の家の初期動作が速かった事で、その徘徊老人を見失わないうちに再発見できたこと。

 第三に、婆さんの着衣に氏名らしき名前が記入されていたこと。

 太陽の家では、いままで一度も行方不明事故は起こしていないが、もしもの事故が起きないとは限らない。そんな時に地域の人々の「気づき」または「もしや」を期待したい。地域住民の協力があれば、認知症高齢者の徘徊による事故は未然に防げる。我関せずではなく、皆が高齢者に対する温かな見守りの輪の構築に期待したい。今日の出来事は初の経験であるが、とても意味のある経験を体験できたと思っている。

2010/7/5
ブログ話題で盛り上がったお昼休憩のはなし。

お昼の食事を食べた後、一部の職員と休憩が一緒となる時間がある。その時に私のブログが話題あがり、先日、その職員の発した言葉をブログに公開した事に対して苦情らしき言葉があった。休憩時間の自由な時間に話すことをブログに書かないでくれという事らしい。しかし、ブログとは本来、私の感じた事、思った事を業務以外の事でも文章化して公開する事で、自分自身の想いを社会に理解して頂くためのツールと考えている。と同時に、太陽の家の職員がどのような人達で何を考えているかについても広く世間に知って頂く目的も持ち合わせている。だから、休憩時間であろうと無かろうと関係なく、僕は自分の感じた事や想いを素直に文章化する責任がある。と説明した。

 同時に、このページにゲストライターとして、職員の想いを連ねた文章もブログとして公開したいとも伝えた。「私は文章力も無いし・・・とか、何を書いていいかわからん!」とか言いながら、自分の想いを押し殺すのでは勿体ないし、せっかくのチャンスを逃す事となる。別に作家になれと勧めているつもりはない、自分の書いた文章を不特定多数の人が読むかもしれない場面がめぐって来た時。これは絶対に大きなチャンスである。何でも良い。思いついた事を書き連ね、自分の発言に責任をもつ事を経験する事は良い事であると思う。そして、原稿に対して僕なりの解釈を添えて構成もしない、原文をそのまま公開する事に徹すれば、その分、読み手に感動を与えることが可能かと思うのである。

 ぜひ、職員の皆さん、この機会にチャレンジしてみてください。待ってます。

2010/7/5
七夕まつりで上演する寸劇のリハーサルをみて。

 またまた、太陽の家の職員に感謝!

 この7月の七夕に上演する。と言うと大げさかもしれないが、それでもれっきとした職員による演劇のリハーサルを観て僕は非常に楽しく心強く感じていた。職員がスクリプトを書き、小道具を作り、振付を決め、効果音まで準備し、立ち位置まで検討しているリハーサルを観ていて、玄人はだしな気がして心強く感じた。また同時に職員の熱意に感謝もしている。

 私は。この高齢者福祉の仕事以外に、同様のイベントをプロデュースする仕事も行っている。要するに色々な演出を専門に企画したり指導したりする仕事である。場面場面の設定を確認しながら、常に最善の姿に変えていく。そんな行いが今日の業務終了後にデイルームで行われていた。子供を保育園まで迎えに行かなければいけない母親達も混じって、時間が許す限り皆が協力して演劇の場面を確認して行く作業である。非常に根気のいる、また一番重要な部分を一生懸命行っている姿は、この演劇を観た時の利用者の顔を想像すると楽しくなってくるのである。

 こうやって職員間の連携が生まれ、結束力をもってお互いの信頼関係が育まれるのだろうと思う。そして、職員全体が一つの同じ目的に向かって一所懸命向おうとする気持ちの高まりは素晴らしいと思うのである。これはお金では買えない団結力であり、情熱である。

 リハーサルを観ながら「糞みそ」(失礼!)にけなしていた私ではあるが、内心はとてもうれしかった。みんなの気持ちを肌で感じることが出来、大満足の一日だった。

2010/7/4
今晩は、いつもより少し過ごしやすいです。

 今日の昼間の鈴鹿市は雲もあったけど、太陽の日差しが結構強く降り注ぐよい天気となりました。色々な作業をしている中で、やはり汗を多量にかきます。最近少し体重を増量中のため汗も多く、今日の昼間だけで3回もTシャツを交換しました。その都度(と言うより、大量の洗濯物を三回に分けて洗濯する中に濡れたTシャツを脱いで放り込んだのですが)Tシャツを洗濯し、夕方にはカリッと乾燥して、とても良い香り!(僕は一般人よりも匂いに過敏で、汗のにおいに対し過敏に反応してしまいます。これも精神疾患の一つですかねエ・・・?)

 昼間は、暑かったのですが風も強く、日差しの割には過ごしやすい天候であったように思います。また陽が暮れてからは湿度も少なく、そよ風を受けて涼しいくらいの天候です。こんな天候の毎日だと過ごしやすいのに・・・・と考えながら一人ベランダでタバコを吸っているのです。タバコをくゆらせながら、そよかな風を顔に受けの~んびりとした至福の時を楽しんでいたのですが、やはり夏です。組んでいる足に蚊が何匹も。至福の時がいっぺんに台無しになってしまいました。

 屋外で風の流れを楽しんでいる場合ではなく、そそくさと室内に逃げ込んでかゆみどめ軟膏を探し求めて引き出しを開けては閉めて、あまりの痒みにイライラも高まり、だんだんと腹が立ってくる始末。日本の夏、風流な情緒を楽しむどころか、部屋の窓を閉め切って、何時のようにエアコンのお世話になってしまいました。

 これっぽっちの蚊の群れに早々と降参してしまうなんて、現代人はあまりにも軟弱になりすぎではないのかしら?でも、本当に蚊に刺されると痒いし・・・・と嘆かわしい自分自身に笑えてくるのでした。

2010/7/4
4th of July・・・・Independence Dayです。

112_med.jpg 

もう随分になるので、自分の中に7月4日の意味が薄らいできていました。何気なく暦を見ながら明日の日曜日は7月4日だと気付いた。僕の誕生日でもなく、太陽の家の設立記念日でもなく、あのアメリカ合衆国の独立記念日なのです。アメリカではクリスマスやサンクスギブンに次、大切な記念日です。トムクルーズが主演の映画にもありましたが、アメリカ各地でパレードや記念大会が行われるのです。そして、カリフォルニアでは、唯一この日だけ花火が許され、盛大な打ち上げ花火があげられます。(この情報はひょっとすると、すでに古いかもしれません。一度確認をしておきます)

 さて、アメリカって国はメルティング・ポットの言われるほど多民族国家で、色々な人種がいます。みなアメリカ開拓時代に海を越えて、夢と大志を抱いて(一部の黒人は奴隷として強制的に)移住してきた人々の子孫なのです。そして、それぞれが自身の血筋を大切に考えています。移住してきた者だけに、アメリカ国民である誇りと同様、自分の元ととなる国家に対する尊敬の念も非常に強いものをもっています。私の知っている日系人は、日本には観光旅行程度しか行ったことも無く、日本語も理解できないにもかかわらず自分が日本人であることに誇りを持っています。 アメリカの学校を卒業し、企業に入り、白人社会の中で生活している彼の家では、食事も和食からは程遠く、完全な洋食中心の欧米文化の中で暮らしているにも拘らず、やはり彼の中には脈絡と日本人としての意識とプライドが流れています。 

 このように、日系人に限らず、韓国人も、中国人も、それぞれが世代を変えていく中で、次第に母国の文化が薄れていきながらも母国を誇りに思い、そのプライドを守って生きているのです。また、同時に、アメリカ合衆国のシチズンである事に誇りを持っているのも確かであり、私達、日本で暮らす日本人の意識に有る国家と言うよりも、更に強い国家に対する思い入れをもっているナショナリストでもある点に驚きを隠せません。

 ナショナリストという響きはカタカナ表記にすれば違和感は希釈しますが、日本語で書くと「愛国者」となり、この言葉には右翼団体を想像させるイメージが伴います。でも、先ほどまで騒いでいたワールドカップサッカーでは、日本国民の大半が熱狂的な愛国心を前面にして日本チームを応援していたではありませんか!オリンピックにしてもそうです。普段、日本国なんて意識の隅にも無い人も、世界戦ともなると一気に相手国をののしり、自国民を応援するにわか仕込みの国粋主義者が社会に溢れてくるのです。証拠に、先日のワールドカップ日本が一次リーグ勝利した時に渋谷のスクランブル交差点で気勢を上げて騒いでいた若者の今を考えれば理解できるはずです。

 そんな日本人の愛国心ではなく、アメリカ合衆国国民の愛国心は非常に強いものがある。多民族国家だからでしょうか?ベトナム、湾岸、イラク等の戦争を経験しているからでしょうか? スポーツ観戦をする時、スタジアムに集まる群衆の全てが合衆国国歌斉唱のときに右手を自分の胸に当て直立姿勢を保ちます。(別に、そのような真似をしなければいけないわけではない)。長い人種差別の苦い経験から公民権運動による自由と平等を得てきた過去があるからでしょうか?この国の住民の国を思う力は日本人の我々から見ると、すでに力負けしていると思えて仕方ない。

 

2010/7/3
時として仕事の中で危険因子となりえる『思いこみ』に関して

 雨降りです。梅雨の時期ですから仕方ないと言えば仕方ないのでしょうが、毎年、この時期になると地滑りやがけ崩れの事故によって多数の死者がでます。今日も鹿児島と宮崎で数名の方がお亡くなりになっています。四季に彩られ美しい日本も、時と場合によって悲劇も生んでしまいます。お亡くなりになった方々にお悔やみを申し上げます。 梅雨の季節は、この日本の農業、林業や商業などの各産業分野だけに限らず、私達の生活する中でおろそかにはできない季節でもあるのです。年中ドライな気候の国と違った文化をもち、その文化を基本に私達の生活が成り立っているのです。世の中にある不条理と言えるかもしれませんが、別の視点からは必要不可欠なものとして崇められる部分でもあるのです。

 さて、私達の介護の現場において時として非常に厄介な問題が起きることがあります。それは、個々の職員の想いに格差が生じる事です。一人の利用者への支援方法に対する考え方の違いが、その想いの格差として表出されるのですが、これは、全てにおいて格差と言うよりお互いの主張の調整がつかない不協和音として管理者や経営者を悩ませる問題となりえるのです。今の太陽の家も同様な問題を抱えています。そしてその課題を話し合う中で一番の抵抗力となる『高齢者介護における支援方法に正解は一つだけに限らない!』という言葉です。確かに介護の現場で実践される支援方法に関して答えは必ずしも一つではないのです。いろいろなアプローチが可能であり、その通り多面的な支援が求められているのです。そして、介護職員は現場に於いて利用者を中心においた自立支援を多面的に行えるよう管理者やホーム長は職員の自主性に任せるべきです。ただ、この点で忘れてはいけない事は、その支援の中にケアプランという縛りがある事を忘れては困ります。介護支援専門員を中心に、医療と家族l、地域との連携の中に利用者にとって必要な支援方法をガイドするのがケアプランです。

 私達介護を実践する者達は、それぞれの考え方や主義の違う者達が集まって、お互いの協働を行いながら支援しています。これはグループによる支援力の集合体をもって障害を持つ高齢者を支えている気構えが必要です。決して単独プレーでは無い事を理解する必要があります。おそらく単独で一人の障害を持つ高齢者を支えることは不可能です。それが家族でも一人で一人の高齢者を支えることの難しさを私達は専門職として知っているはずです。だから、皆で協力し合って適切な支援を分担しあっているのです。

 この協働という言葉に理解できるように、協力しあいながら働く事を示すように、一人ひとりの力を結集して支援する。その方向と目的がベクトルと言う表現をもってするならば、職員相互の歩調を合わせ、同様の支援を継続的に実施することがベクトルが同じと言う意味で解釈されるべきです。職員のモチベーションを維持しベクトルを同調させる中で、一人の職員の思い込みが足並みの乱れを招く時があると言う事実を職員は理会してほしいのです。一人の職員はその人の個人的な意見だけで対象者に個別のケアを行おうとする行為こそ危険な因子はありません。良かれと思って実践するケアも、バランスの照れていない支援を注ぎこんでも相手は混乱を増すばかりです。施設にはピラミッド型の職責があります。それぞれを専門性をもって運営がなされています。職員間で話し合ってその人のケア方針を決定したとするならば、何が何でもケアプランに従ったケアをある一定の時期(モニタリングをそれとしよう)までは継続しなければいけない。それも超特急でも鈍行でも急行でもなく、普通列車のごとく一定のスピードを保ちながら、同じ活動を継続する事が一番重要であると思います。

 私は、介護の現場に、それぞれの職員が熱い想いを抱きながら参画してくる事は賛成ですし、その気持ちを大切にしてあげたいと考えます。しかし、単発でなく、継続する事、同じ支援である事を最重要課題として職員全体が足並みをそろえてもらえるよう願いたい。そのためのカンファレンスです。 上手に思い込みをコントロールして、職員の気持ちのアンバランスの独走に皆で警鐘をならしながら前に進みたいと願っている。


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