太陽の家

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ブログ-施設長の部屋

2010/7/30
タイトルなし!

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さて、この空をみて、どこから撮影したのかわかりますでしょうか?

勘の鋭い職員さんにはピンとくるものがあるでしょう・・・・そうです。太陽の家の裏庭から撮影した、ある日の夕方の空です。周りの建物を除外すると、海外のリゾート地で撮影した空と言っても信じてもらえそうな空です。ちょうど、この日は、上空をゆっくりと飛行していく旅客機を見上げながら、結構低めの高度を飛行する姿をカメラに納めようと、急いでカメラを取りに事務所に戻ったのですが、やはり飛行機のスピードのほうが速かった。カメラを持って屋外に出たときには、すでに機影は上空になくジェット音も消え去っていたのです。そりゃ、当然と言えば当然で、飛行機が着陸態勢に入った状態であっても時速300Km程度のスピードで飛行場まで飛ぶのですから、太陽の家上空をうろうろしてるわけはないですね。仕方なく、せっかく持ってきたカメラ。何かを撮影してブログで紹介できないと考えました。其の時の空がこの写真です。

時間は5時をまわって、西の空が少し赤く染まり始めた頃です。連日の酷暑のあと雨が降り、その雨の影響で色々な地方で洪水が発生した、あのときの雨の後の晴れ間です。大荒れの天候で、風も強く横殴りの雨が、この地方でも丸一日降り続き、被害こそ出なかったものの、デイサービスの送迎運転手さんたちを困らせた雨がありましたね。ここ数年、雨は局地的に降り、一時に大粒で大量の雨が振ることが多くなりました。昔、フィリピンやタイなどの気候は土砂降りの雨が時折発生するので、観光客は注意するようにと言われていましたが、今の日本がそのような天候です。まるで熱帯のような、大雨。車を走らせていて、前方にウオータースクリーンではないのですが、完全に雨が降っているな!とわかるほど、ある一線ではっきりと雨と晴れの境目に遭遇することがあります。高速道路ですから、こちらの巡航スピードも100Km以上の猛スピードで雨に向かって突っ込んでいくのです。突如としてフロントウインドーを叩くような音を立てて雨粒がガラスに炸裂します。ワイパーを動かしても視界不良なのと、一瞬にして雨の川のように成り果てた高速道路の路面に恐怖感も高まり、自然とアクセルから足を離してしまうのです。

こんな突然の大雨に現代っ子たちは慣れっこになってしまったのか、雨の中、傘もささずゆっくりと歩く姿も見受けられます。まア、傘が有っても無くっても濡れることに変わりは無いのですが、ずいぶんの人の考えかたも変わりました。そんな大雨、これからは雷も増え、それによる電子機器への影響も多くなりそうです。僕も、自宅のコンピューターはコンセントに刺しっぱなし。近くに落雷すれば、それでコンピュータは大きなダメージを受けることとなるのです。お金の問題ではなく、PC内部のデータの消去やダメージが大きな損害です。データこそお金に代えられない代物。大切なものです。今年の雷対策として、面倒ですが、使い終わったPCは電源を切るだけでなく、コンセントも抜いてしまいましょう。

 でも、今日の写真、なんだか一日の仕事を終えた安堵感を感じませんか?自分で言うのも変ですが、とてもうまく撮影できたと思っています。

2010/7/29
パイロットへの憧れ。

 僕は一時、パイロットにあこがれた時期がある。男の子なら必ず電車の運転手やバスの運転手などに一度は憧れるように・・・・もちろん、そんな子供時代の話ではなく、成人になってからのことで、本気で飛行機を操縦したいと思っていた。今も、飛行機の操縦には年齢に関係なく、ものすごく大きな憧れを抱いている。ジャンボジェットほど大きくなくとも、小さなセスナ機でもグライダーでもいい。とにかく大空を自由に流れるように滑空してみたい。そんな気持ちがふくらみ、其のうちに何とか免許でも取ろうか・・・なんて考えているだけで楽しめるほどである。

 アメリカのネブラスカ州に会社の長期出張で滞在していた時は、本当に何度も飛行機を使ってアメリカ国内を飛び回った。アメリカにおける飛行機は、日本のバスや電車などの公共交通機関と同じくらい一般的な交通手段で、色々な土地を飛行機を乗り継ぎながら移動する。ニューヨークへの出張帰りでシカゴのオハラ空港で一時間の連絡時間をとっていたスケジュールが、ニューヨーク出発便の遅れからシカゴでつなぎの飛行機の出発時間ぎりぎりに到着したこともあった。広いオハラ空港を出張荷物を抱えて走り、ようやくリンカーン・ネブラスカへの出発窓口に着いたときには、すでに自分が乗るはずの飛行機はボーディング ゲートは機体から離れようとしている時だった。飛行機会社の名前は忘れたが、チケットを握り締め、係りの女性に訴えかけると、其の女性はインターホンをとり誰かと会話し、もう一度ボーディングゲートを機体に戻し、飛行機のドアを開けて僕を乗せてくれたことがあった。本当に滑り込みセーフの状態で、自分の予約した席に着き、同乗してる乗客に侘びを言い安堵のため息をついた覚えがある。

 またある時は、サンフランシスコ空港に着いた飛行機からおりて、スーツケースを受け取りにBaggage Claimへ行ったが、自分の荷物は最後まで出てこない。周りを探し回り、荷物をのせて回るターンテーブルも停止。だだっ広い荷物引き取り場所に残るのは僕一人。仕方無しに、搭乗した飛行機会社の窓口に荷物の紛失を届出。スーツケースの色や特徴などを説明し、連絡先を告げて航空会社にお任せするしかなく、仕方無しに手荷物だけでをもってホテルに向かった。スーツケースが紛失すると一番困るのは下着の替えがないということ。毎日同じ下着で生活することもできず。デパートに行き、まずは衣類を購入しなければいけない。余計な出費だ。このときは3日後に荷物が見つかり、飛行場までとりに行った。係りの者の説明では、僕の荷物はなぜかしらハワイに行っていたそうだ。勝手にハワイまで行きおって、それなら僕も一緒に連れて行け!って思いながら帰ってきた僕のスーツケースを広げて、まずは一安心と言う経験もした。

 いろいろなエピソードを経験して飛行機にまつわるもの全てが大好きな僕の一番大事なものが、飛行機のボーディングパスである。今までに搭乗した飛行機の全てのパスの切れ端が僕の宝なんだ。子供じみてはいるが、このパスには僕の飛行機の思い出がいっぱい詰まっている。空港で出発までの時間を目の前に堂々と鎮座する搭乗機を見つめながら、その窓越しにコクピットの中で出発前の計器のチェックに忙しいパイロットの姿を見ながら、ボーディングのアナウンスがあるまでの時間を楽しむ。搭乗通路を歩き、飛行機の開けはなれた入り口をキャビンアテンダントのウエルカムを受け機内に入る。手荷物を頭上コンパートメントに放り込み、座席すわりシートベルトを締める。早々と席に着いた自分は、横を通り抜けていく旅行客を観察しながら、シートポケットに差し込まれている雑誌に目を通す。 着ないアナウンスが入り、搭乗機はゆっくりと動き始める。自分たちの足元では、地上クルーの運転する特殊車両が飛行機にアームを使って誘導路まで押し戻す。機体から牽引アームを取り外し、いよいよ自力走行して滑走路の端まで移動し始める。時折、効きの悪そうな音をきしませながらブレーキをかけ、機体を操る様子が感じられる。ここで、機長による搭乗機の情報や目的地の情報、所要時間などの説明がなされる。声だけだが、このときのパイロットの話し口調がすばらしい。落ち着いており、自信たっぷりな口調に安心感を抱くのである。

 滑走路の端に到着すると機体は機首を滑走路の先に向け、一瞬エンジンの音が高くなり、数秒のタイムラグの後、ゆっくりと飛行機は走り始める。大きな機体と翼を上下に揺らしながら、鳥が力強く羽ばたいて飛び立つ瞬間のように飛行機はぐんぐんと加速し、いつしかタイヤから受ける細かな振動がなくなり、機体は斜めに上昇していく。機体の窓からは飛行場の建物や周りの民家などが次第と小さくなり、大空のなかに溶け込んでいくように飛行機は一路目的地にむけて突き進む。僕は、この離陸の瞬間が大好きである。旅先への期待と夢を抱きながら、心弾む思いで飛行機の揺れに身を任せている時間。全てが旅の始まりで、現実の世界から夢の世界へと。

 たくさんの人々の夢と喜び、そして中には分かれお悲しみも含めて一つの機内にのせて、パイロットは目的地まで送り届ける唯一頼れる人となる。一旦、空に上がってしまえば、大勢の命をパイロット一人の腕に預けるわけで、そこにはプロフェッショナルとしての自覚と責任をもって操縦する凛とした精神が必要となる。何の仕事でもそうであるように、自分の業務に責任をもって手抜きをしない誠実な姿勢を貫く姿に、僕はあこがれる。それは、介護の職につくものであっても同様である。人の命を預かるものとして・・・・。

2010/7/29
簡単なイタリアンドレッシングの作り方。

 まず、小さめのサラダボールを用意します。材料は、エクストラ バージン オリーブオイル、ワインベニガー、塩、コショウ。

  ボールに塩、コショウをいれ、ワインビネガーをサラダの量をみて必要と思われる量の三分の一入れます。次にオリーブオイルをベニガーの倍の量を入れます。

  後は、良くかき混ぜるだけ。僕は、このドレッシングに味の素を少々混ぜて食します。新鮮な野菜を水で洗い、できるだけ水気を取り除いた後に器に盛り付け、盛り付けた後からドレッシングをかけて食べてもいいのですが、これだとドレッシングを個別にかける事から無駄が多くなります。そんな時には、大き目のボールに切り分けた野菜を入れて、其のボールの中にドレッシングを入れてかき混ぜ、そこから個別に盛り分けると無駄が出なく、ドレッシングも少量で足ります。市販のドレッシングより断然うまいドレッシングは、こんなに簡単に作れるのです。

 そんなわけで、今日の私の夕食は、セロリとトマトのサラダでした。セロリを嫌いな人は多いのですが、新鮮なセロリを綺麗に洗って薄くスライスし、トマトも薄く輪切りにしていきます。セロリとトマトを交互に重ねてお皿に盛って、一番トップにアルファルファをのせてドレッシングをかけて食べました。僕のイタリアンドレッシングは、料理の一番最後、完成まじかにささっと混ぜ合わせてしまうので、作るのも楽です。

 食べることの喜びは何にも代えられません。僕にとって美味しいものを食べる喜びは至福の時です。 ライ麦粉を使って、ライブレッドを焼いて食べたり、イギリスのスコーンを焼いたりもしますが、自分で時間をかけて食材を探し、調理する食事にはワインがぴったり。普段から酒は飲まない僕でも、手作りライブレッドを薄くスライスして、エメンタールチーズとミラノサラミのスライスをのせて食べると最高!!です。ライ麦の風味と少し酸味がかったイーストの味がエメンタールの甘みと苦味にマッチして、口の中にはくるみに似た味が広がります。 そこに少しベリーの香りの強い赤ワインなどを流し込めば、もう最高の気分。一日の疲れも吹っ飛ぶ気分です。 時々、こってりとした肉料理から離れて、軽く夕食を食べたい時にぴったりの献立です。新鮮な野菜、ブラックやグリーンのオリーブ、チーズ、サラミと赤ワイン。南フランスの田舎の家で食べる軽食。って感じ? ライブレッドは、密度が濃い分、どっしりとお腹に感じます。食事として物足りないように思いますが、結構な満腹感があります。

 

2010/7/27
足ることを知る。

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今日は、比較的過ごしやすい温度です。毎日、毎晩、エアコンのお世話にならない日はない今日この頃です。熱中症で救急搬送される人も多いと聞きますが、うちの利用者さんはみな元気です。逆に若い職員のほうが体調不良を訴えることが多く、これってどうよ~??って・・・・・

若い人は、若い人で体力に過信がある分、どうしても無理をしがちである。体調の維持を考えて早寝早起き、規則正しい生活、暴飲暴食をなくす。普段から高齢者に言っている立場の者として自覚して行動するようにしましょうね。と言いつつ、僕も冷蔵庫の中のちょっと腐りかけの食品を食べてお腹を痛くしたりしてますから、まア、あんまり若い者に言えないのですが・・・・確かに、若い時は自分は死なない、病気にはならない。という過信が存在するのです。過信と言うより、『死』や『病』『老い』とは無縁なような錯覚をもちがちで、兎角時間を無駄にしがちです。甘酸っぱい青春は短く。気がつけば社会人となり、途端に世の中の厳しさに直面するのです。僕の可愛がっている学生君たち。一緒に鈴鹿サーキットのお仕事を手伝ってくれている三重大学生たちも、数年の後には卒業して社会人となり色々な経験を積んでいくようです。卒業したての頃は、学生時代に対する未練や郷愁の気持ちも強く、社会人となっても時折、連絡をくれて鈴鹿サーキットへ戻ったりすることもあるのですが、時が経つにつれ、其の足は遠のき次第次第と自分の社会を作っていくのです。また、そうでなければいけないのも事実です。

 大学に入りたての彼らは、まだまだ高校生の雰囲気を漂わせながら、一年一年、本当に早いスピードで成長していきます。高校生が大人になっていく姿は、みてて頼もしいところがあります。初年度は、こいつ大丈夫か?と先行きを不安に感じながら仕事を教えていきますが、其のうちに僕よりも仕事に慣れ、手際よくこなせる様になります。彼らが卒業する頃には、一人前の大人として社会人として羽ばたいていくのです。この大学生活の4年間(中には8年間を費やす奴もいる)、無数の経験をしていくのです。写真の月が流れ行く雲にさえぎられるように明るいときもあれば、暗いときも体験し、其の中から何かを習得していくのでしょう。

 三重大学の学生君と同様、私には太陽の家の職員を育てなければいけません。太陽の家の職員さんは年齢もまちまち、経験もバラバラで、そんな人たちを教えていく事は非常に難しいのです。まずはやる気を引き出し、そこに気づきを育てます。次に知識をインプット。更に腕を磨いてスキルアップ。そのような理想的な計画で進めれば幸いながら、そこには個人の人生観があり、給料を払っている身としても、なかなかスパルタ的に詰め込みも不可能であり、されどほかに方法は残されていない現実にあえいでいるのです。

 月も雲も、太陽も、私たちに変わらぬ姿を約束してくれています。もちろん、情景は変わります、毎日、同じ雲の様子はないのと同様、人間の感情も毎日同じではありません。また、人間は、その心に抱く感情によって大きな影響を受けます。時には大きなストレスとなったり、其のストレスに押し流されるような弱気なときもあったり。しかし、月や雲をみてて思うのは、人間のちっぽけさです。人間と言うのは自然の前では無力です。大雨や雷、台風、地震によって、生活が大きく変貌することからも、人間の力の限界を感じますね。しかし、逆にわれわれ人間のちっぽけさを認識することは、決して悪いこと、敗者の証ではないのです。ちっぽけな存在を理解することは、其の分、己を知る事につながり、足るを知ることで、幸せの数も増える。と思うのです。

2010/7/27
来月から書道を復活します。

昨年の秋口まで書道を習いに通っていた先を国家試験とケアマネの試験勉強のために辞めていたのですが、今、やはり書道への魅力に復帰する事としました。僕の字は、それ程へたくそでは無いのですが、知性が感じられない(元来、知性とは無縁の人間ですが・・・・はははは・・・だからこそ賢そうに見てもらえる字に憧れるのです!)。

 いずれにしても、綺麗な字をかけると言う事は素晴らしい事と思えるのです。音楽を綺麗な音色で演奏できる演奏家も素晴らしい。人に感動を与える絵を描ける芸術家も素晴らしい。僕は書道もそれらのアートの一つと考えるのです。人前で字を書く機会は多いのですが、堂々と自信をもって書ける腕がほしい。そんな自分になりたい。と思って書道を再開するつもりです。

 また、自信をもって公開できる字が書けたあかつきには、このブログでも紹介したいと思います。それまで何年かかる事でしょう・・・・・はははは

2010/7/27
またテレビの番組を観ての感想です。

 今日、BSでペルーの山岳民の暮らしぶりを観た。番組途中からの視聴であり、それ程しっかりとみたわけでもないが、番組の中で村をあげて麦刈作業を行っている場面であった。このブログをお読みの方の中には、同じ番組を観ていた方も大勢いる事ともうので、もしも私の視点がずれていたらお許しくださいね。

 さて、その麦刈りの様子ですが、三日月型のカマをもって、麦の背丈の中間部分からおおざっぱに切っている人達が大勢紹介されていた。本当に村人総出で麦刈りと言う情景だったのですが、その中で、太鼓と笛を数人の男が演奏しながら麦刈りの音頭を取っていた。音楽と言うより、原住民の奏でるリズム程度の笛と太鼓の音色であり、僕が一番笑えると思ったのが、多数の助っ人が必要な場面で、なんでリズムが必要なんだろうと言う点でした。リズムを奏でるよりも助っ人として麦刈りの要員として加わった方がベターではないのと言う疑問でした。

 しかし、これも対人援助の理論で考えれば、その地方の標高や畑の場所、作業に使用する農機具の精度等を考えてみれば、音楽でもない限り、農作業自体が楽ではないことが原因しているのかもしれない。と言う事に気付いたのです。物事を多面的視点に立って観察する。そして多面的に理解する事は、人や社会を理解するために必要不可欠な視点なのです。そんな事を考えながらテレビを観ていたのでした。

 島倉千代子さんではないけど、「人生いろいろ・・・」です。僕もまだまだ青いですね!

2010/7/27
たかがテレビの番組、されどテレビの番組。

 僕はテレビは、年齢と共にニュースまたはドキュメンタリー程度の物しか見ないようになりつつある中で、最近民放の番組であるビューティーコロシアムという番組を観ることがある。そして、この番組が嫌いである。なぜ嫌いかと言えば、殊更、醜さを強調してアピールする点が嫌いである。ビフォア、アフター的な比較論法で、一個人の過去と現在の変化をみせて、その変貌ぶりに感激をお足らせている点が売りの番組である。確かに、紹介される女性たちは、番組で取りざたされるだけの欠点を持ち合わせて暗い人物像が浮き出されている。しかし、整形され姿形は変わったとして、果たして、その女性のその後は幸せな人生を送れているのか?と疑ってしまう。

 人の顔は、その人の人格がそのまま外に結果として現れた姿と考えるなら、整形やお化粧、髪型やファッションで一時的に自信を取り戻したとすれば、その人にとって人生はバラ色に変わっていくかもしれない。しかし、その人を取り巻く生活環境は何も変わらず、ましてや新しい土地で見ず知らずの人ばかりの社会に写り変らない限り、永遠と彼女は過去の自分を周りの人の記憶の中に残したまま生きなければならない訳で、そんな社会の中で、果たして180度の変貌は可能と言えるのか・・・。

 そんな風に考えると、番組を制作する側の意図に反して、さらに不幸な人生の再生を引き起こしているような気がする。

 もう一点の危険性として、再生して以降に新たなる人性の喜びがあったとして、年齢的にも、人生経験の上でも十分と言えない恋愛経験も持たず、急に周りの男性にもてはやされるようになったとして、果たして上手に異性との関係を維持できるのか?という懸念である。男女関係とは、若いころから色々な楽しみ、喜び、悲しみ、絶望感(これは経験済みか!)等を体験してくる事によって、結婚生活や家庭を維持し継続する事が出来るわけで、それらの楽しいばかりではなく、憎しみも悲しみも、全てを体験し学ぶことによって成り立つ部分は大きいはずである。

 男でも、若いうちに大いに遊んでないと女心も理解できない野暮な男と評価されるし、また年齢を遅くして女性にボケる男性は一生治らないとも言われる。この事と同じように、見た目ばかりが先行して、その人の感性や人格が再生できない限り、そこに待つ人生はそれまでと同じ又はそれ以下の人生の悲しみしかないのではないかと思えて仕方ない。テレビ局の余計なお世話、又は売れる番組の為なら個人の人生がどうなろうと関係ない的思考によって、人生をめちゃくちゃにされかねない非常に無責任な番組で、低俗極まりないと思う。

 まあ、これは僕の論理であって、この番組のお陰で生まれ変わったように素晴らしい人生を歩んで行ってくれれば、それに越したことは無い。そして、そんなラッキーな事は無い。また、ぜひ、そうなってほしい!と願っている。ただ、僕はこの番組を観て自分に恥じることが一点ある。今思うと非常に恥ずかしい自分の汚点であるが、中学の時の同級生の子をクラス全体がいじめていた。彼女には何も悪いところは無かった。ただ、この番組と同じように普通の子とは違っていただけである。それを、やはり子供だった時分は、その子の人格までも無視し排除しようとした。番組の中で取り上げられるような「いじめ」が、そこにあった。中学を卒業し、その子がどうなったかは知らない。しかし、彼女の中学生活は、私達の行いが元で、決して明るい、楽しい思い出としては残っていないであろうことを思うと辛い。今更、心から詫びたところで取り返しは付かないが、そんな時を過ごした僕の過去の汚点がそこにある。

 今でこそ、社会福祉士として、人生の喜びや幸せに導かなければならない使命を担っているものの、僕が一生背負わなければいけない罪はここにあるように思う。人生の喜びと幸せは容姿で決まるわけはない。同時に、人の人格も容姿に左右されるものではない。あえて「ブス」と言う表現をするならばブスであっても、その人の性格が前向きであれば、その人の外見は輝き、逆に容姿端麗でも性格が悪ければ、その人の人生には喜びも幸せも縁遠いものである。今、ブスと思い悩む人がいるならば、声を大にして言いたい。人間は見た目ではない事を!

2010/7/26
I’m a good house wife!?

 昨日まで灼熱の8時間耐久の仕事で、これ以上の汗は無いでしょうと言う程の汗をかきました。濡れたカッターシャツを控室で脱いで、乾かし、又着て濡らし・・・の繰り返し。汗を充分に吸い込んだカッターシャツは、それなりに・・・「 く さ い!」。今日は、その仕事を終えて直後のお休み。お天気も良く。(毎日お天気はいいのですが・・・暑いですね!)洗濯日和。朝から二回程、洗濯機を回しながら、この週末で汚れた白シャツを洗濯、小一時間も炎天下に干しておくと、完全ドライ状態。さっそく、アイロンをかけて、綺麗にたたんでクローゼットへ仕舞い込みました。

 朝一番でペット君達をお風呂に入れて、彼らの入浴後には、お風呂の掃除を行い。洗濯物をたたんで、整理ダンスへしまい、夕食の準備を・・・・しかし、今日は僕の仕事OFFの日では無かったのでしょうか????

 なんで、こんなに一日中働いてるの?昨夜は深夜の一時に帰還。今朝も十分な睡眠と言うより、朝6時には目覚め、それこそ疲れがとれたとは言えず、本来ならば一日中、寝っ転がってテレビ三昧か昼寝三昧といきたいところです。まあ、しかし、生ゴミを捨ててこい!という指令もでていたので、今日はゆっくりと寝て過ごすわけにはいかないのでした。

 いずれにせよ、うちにはペット君達が一緒に生活をしてる関係で、昼寝という姿は贅沢なモノとなりつつあるのです。それと言うのも、僕がソファーで横になると、かならずペット君達もソファーに飛び乗り、寝ている僕の体に密着して寝るのです。今の時期、昼間だとエアコンの効きが悪く感じるほどの熱気を感じるうえに、ペットが傍に寄り添うだけで暑いのです。そんな訳で、今日も一日、いっぱい主夫業をさせていただきました。

2010/7/26
旧知の友との再会。

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今日も一日、非常に暑い日でした。日中の最高気温は、私が今日仕事してた鈴鹿サーキットで39.2度と言われていました。昨日、今日と鈴鹿の夏の祭典「8時間耐久ロードレース」が鈴鹿サーキットにて行われていました。あまり、バイクや車のレースを好む人は多くない時代ですが、私は今の仕事を94年から続けており、大きな世界選手権などのお手伝いをしています。今日、写真の人に再会しました。30年ぶり・・・??という位昔の知り合いです。彼の名前はグレイン・クロスビーと言って、オーストラリア人です。1980年代の鈴鹿サーキットの8耐に幾度か参戦し、一度は三位、もう一回はポールポジションからゴールまで一貫して一位を守り優勝したことのある偉大なライダーです。

 私は、地元のレーシングチームのお手伝いで、通訳として8耐を体験しています。其の時にお世話したのが、このクロスビーさんです。今日、久しぶりにお会いして、其の瞬間に私のことを覚えていてくれて、昔話に花が咲きました。彼は、僕より1歳若く、同じような年代の頃、目的を同じくして共に鈴鹿の暑い8時間耐久を戦ったのです。

 旧知の友ではありますが、ただ単に8耐ウイークの間だけと言う限定された時間の中だけのお付き合いですが、今も忘れずに記憶の底に残っていたと言うのは驚きです。そして、彼との再会を非常に懐かしく、またうれしく思いました。鈴鹿サーキットのお仕事では、色々な有名な外国人ライダーやドライバーと一緒にお仕事することが多いのですが、今回のクロスビーさんの場合は、若い頃の記憶がフェーイドアウトせずに残るということを実証していました。

うれしい一日でした。

2010/7/24
また、また、気温の話で申し訳ないのですが・・・

 今日も一日、暑い日でした。昨夜もそうですが、冷房無しで夜を過ごすことが考えられないのですが。これは、現代の物質文明に慣れきった者の言葉でしょうか?今や、風鈴や蚊帳なんて見ることのない過去の遺物となりつつ、その代わりにエアコンや超気密性に優れた住宅が主流となって、冷機を逃がさない、または熱気を中に入れない優れものが高温多湿な日本社会の現代の風物詩となりつつあります。昔を懐かしむつもりはありませんが、寝室に蚊帳をつって、家の開き戸は全て網戸にして寝てた時代は、今では考えられないほど平安な時代だったのでしょう。今、そのような開けっ放しの生活をしようものなら、強盗、押し込み等の恐ろしい危険が伴い、蚊帳だけの無防備な生活なんて考えられない時代です。

 風鈴にしても、冷を誘う音の演出として風鈴はどこの家庭にも一戸はぶら下がっていた物のひとつでした。家の周りの路地を歩いていると、ここの家庭から音色の違った風鈴の音がそこかしこから聞こえてきていました。しかし、今では風鈴の音がうるさい!と苦情のお叱りを受けるような時代です。下手をすれば、風鈴の音が原因で殺人事件へと発展しかねない現代。風鈴をつけることができる家庭とは、逆に言えば人里はなれた場所に位置する住宅か、または豪邸で隣近所が近くにないようなお金持ちしか味わうことのできない風流となりつつあるのかもしれませんね。

 文明社会となり社会が複雑になるにつれ、規制や制限などのルールが増やされ、それなりに生活は安泰になったのか?と言うと、そうでもない。尚のこと、ルールを無視する輩が現れて、さらに世の中は複雑で住み難くなってきてるようです。


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