こうやってブログを書いている時、僕は常にお気に入りの音楽を聴きながらキーボードを打っている。
僕の音楽のチョイスは、今までにもブログにユーチューブのアドレスを張り付けてきているので
大体、どの様なジャンルの音楽を好むかは想像してもらえると思っている。
ずいぶん以前にも書いたことがあるけど、
人はそれぞれ、自分の人生の場面場面に、思い出の曲や思い出の音楽をもっている。
それが歌謡曲であったり、民謡であったり、演歌であるのかは
その人の生きてきた世界の違いで、人によって千差万別の固有の世界観が存在する。
そんな一つの音楽を聴くとき、人はその時代の出来事やトピックを思い出す。
悲しみも、楽しみも、音楽に合わせて自分の過去がよみがえる。
僕は、認知症の人も、高齢者も同じだと考えている。
だから、僕はデイサービスやグループホームなどの施設行事の時に
童謡や小学校唱歌を中心に聞いてもらうことに非常に強い違和感を感じている。
認知症だから・・・年寄りだから・・・と言う理由で
全員が同じジャンルの曲を聴かされるって?
小学校唱歌を懐かしいと感じるから??
もちろん、小学校唱歌を聴いて自分の幼い頃を 思い出すってこと大事かもしれない。
でも、いつも小学生に戻って、その頃の記憶を楽しむ気分に皆さんは違和感はないのでしょうか?
青春時代や、猛烈社員だった働き盛りの時代は?
結婚して初めて子供ができた時代は・・・?
色々な音楽に 触れる機会があって、色々な時代を振り返る時も大切ではないのだろうか・・・
一度、お年寄りの方々に尋ねてみたい。
皆さんは、皆さんのお葬式でどんな音楽を流してほしいでしょうか?
自分が亡くなる時、そんな自分の最後のページを演出する音楽って、どんな音楽でしょうか??
最近、また、このブログを読んで頂く方が増えている。
決していい加減な内容で書いているつもりはないが
書いたブログを読み返して、いつも思うことは
誤字、脱字、変換ミスが多く、
僕の意図する内容には程遠い時があって
その都度、修正をくわえたり、書き直したりしている。
そんな僕の稚拙な書き連ねる文章を定期的に読んで頂けることには
本当にありがたいし、正直な気持ち、うれしい!
このブログを書いている中で一番気にしていることは
出来る限り本心でブログを書くと言う点。
その時の自分の素直な気持ちを文字で表現することにしている。
だから時としてセンチな文章であったり、逆に妙に強気で、強欲な部分がでたり
その方が人間的で良いと思いながら、あえて自分に嘘をつくことはしていない。
とても我儘で鼻持ちならない人間のように思われているかもしれないが
自分はとても繊細でロマンティストな男なんだと思っている(笑い)
それを証拠に、感動する事が多く、その度に涙することが多い。
(別の意味で言いかえれば、加齢による涙もろさ・・・?!)笑
まあ、とにかく、このブログ、かなり気まぐれだけど
これからも僕が健康でいる限り、このページの更新を続けていくつもり。
(もう一つ、このホームページを管理してくれているマイドソフトさんに
管理料を支払えなくならない限りは続けていくつもりです)笑
それでは、また、次のブログで・・・
数日前にネットニュースの「老害」に関するニュースを張り付けたのだが、
僕は、この老害って言葉が非常に気に入ってしまった。
認知症グループホームの三重県の協議会で副会長兼事務局を担当する者として
県内の事業所の提供サービスの向上を目指して、どんどん老害を及ぼして行こうと決意新たに突き進もう!
ひと頃、僕も好々爺を目指さないと、
至る所敵ばかりの環境に寂しさを感じ
損な役割にヘトヘト飽きが来ていた頃もあった。
特に二世経営者には嫌われ、反感を持つものも多い。
しかし、今、もう一度、介護保険サービスの事業の継続性を考えると
死にかけのオッサンが、口うるさく老害を拡散していかないと
この事業は社会から飽きられる。または、行政から潰れても良い業種として
介護保険給付額が減額され続け、先細りの経営に終始してしまうのが落ちだ。
お蔭様で9月1日より実働開始した虹の丘グループホームも
残り3部屋で満床となります。
今回の新しいグループホームを立ち上げて入居者募集に際し
今の介護サービスについて、非常に寂しい思いを感じました。
虹の丘グループホームは、まだまだ駆け出しのヒヨッコ施設です。
しかし、そんなグループホームを見学に来てもらって、皆さんが驚かれることとして
「建物を施錠していない」そんな言葉があります。
太陽の家でも、自動ドアのセンサーこそ少し高い地に取り付けてはいるものの
施錠は一切していません。
ましてやグループホームの居室に施錠もしません。
入居者や利用者は、全く自由に歩き回ることができます。
そして、次に驚いたこととして、利用者の行動心理症状の理由に納得したことです。
ドアを杖で殴る。壁を叩く。大声で叫ぶ。テレビを大音量で聴く。
なぜ、このような行動心理症状が起こったのか・・・?
最初に書いたとおり、僕が驚いたことが、それらの行動心理症状の理由だったのでしょう。
虹の丘では、そのような行動心理症状は一切見られません。
認知症は精神が壊れた人を意味しません。
繰り返しの言葉、不安症状の継続的な訴え、無秩序な欲求の繰り返しが
認知症の代名詞のように誤解され、厄介者扱いされる介護保険サービスに
介護給付されるのは公平ではないと思うのだけど・・・!
孤独とは、寂しさや悲しみを感じている状態を言う。
人とそんな寂しさや悲しみを共有できない時に孤独を感じる。
沢山の人に囲まれながらも、孤独は存在する。
逆に一人ぽっちで誰もそばに居なくても寂しくない人も居れば悲しく感じない人も居る。
こんな人は孤独とは表現しない。「一人ぼっち」なんだ。
社会全体がネット文化でつながり、何処に居ても同じ情報を拾い出すことができる。
そういった意味でも日本の社会は自由があって幸せな社会である。
この写真を見て皆さんはどのように感じるだろうか・・・?
クマが一匹、遠くの海を眺めている・・・
これは孤独な写真だろうか?
いや逆に恋人が船に乗ってやってくるのを心躍らせて待ち望んでいる姿だろうか・・・?
いずれにせよ、この写真を見て寂しさを感じる人は、
少なからず満たされない何かを抱えている人なのかもしれない。
自分の心をコントロールすることは、非常に難しい。
その理由は、ひょっとすると寂しいと思う気持ちを受け入れることができないからではないのだろうか?
客観的に自分の置かれている状況を見つめることができないからでは?と思う。
どうも、人間ってのは寂しさ、悲しみを感じる時、その思いから抜け出したいと思いつつ
その思いを振り払うことができず虜になっていしまいがちに
悲しみに浸る自分を肯定も否定もできない状態に陥っているのではないだろうか・・・
それは、おおよそ「蟻地獄」のようにもがけば、もがくほど深みにはまりこんでしまう。
少しその場で一度立ち止まって、自分を診断してみよう・・・
客観的に自分を見つめる事。データとして自分の姿を評価してみよう。
これが認知行動療法と言われる泥沼スランプからはい出る方法の一つだ!!