何の変哲もない小さな段差に、
段差もないカーペットを歩いている最中に、
はたまたフラットなクッションフロアーを歩いている時に
つま先が引っかかって転びそうになる。
高齢者の代名詞のようなつまづきと転倒骨折。
この原因は足の筋力の低下ではなく
首の骨が脊髄のとおる脊柱管を圧迫していることが
一番大きな原因のようだ。
脊柱管を圧迫するとは、パソコン作業における姿勢等が
首の骨を支える椎間板が滑るなどの障害を引き起こしているそうだ。
要するに、高齢者においても、何度も転倒骨折を繰り返す人は
普段からの姿勢に注意し、猫背傾向の人は特に姿勢に注意が必要と言う。
もちろん、70代、80代と年齢が増すごとに筋肉量の減少も
転倒骨折に少なからず影響を及ぼす。
今後、高齢者の転倒に関して
リハビリや矯正装具などによって減少していけば良いなあ~と思っている。
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/張本勲がtvから干されないのはナゼか…我々に必要なのは「老害」をポジティブとらえる感性/ar-AAHyqwS?ocid=spartandhp#page=2
『サンデーモーニング』(TBS系)に(スポーツコーナーの)“ご意見番”として出演し、事あるごとに世間の批判にされられている野球解説者の張本勲氏(79)。つい最近では、高校野球の岩手大会決勝で、大船渡高校の国安監督が「故障を防ぐため」と、佐々木朗希投手の登板を回避したことを受け、「そんなの投げさせたほうがいいに決まっているじゃない」と一刀両断し、大炎上。その前近代的な発想に、現役メジャーリーガーのダルビッシュ有投手までもが自身のツイッターに「シェンロンが一つ願いごと叶えてくれるって言ってきたら迷いなく(張本氏が“ご意見番”を努める)このコーナーを消してくださいと言う」と投稿を寄せる事態へと発展した一件は、まだ記憶に新しい。
百歩譲って、元プロ野球の名選手だった張本氏が野球について、過激であろうが自由に意見を述べることはわからなくもない。が、氏は同番組で、ほかのスポーツに関しても、ひたすら底の浅い素人レベルの「渇!」を入れまくる。サッカーについて適当な発言をした張本氏に対して、サッカー好きの加藤浩次が『スッキリ』(日本テレビ系)で「おじいちゃんの戯言」と切り捨てたこともあったという。
ところが! もはや「テレビ界の火薬庫」的な存在にすら上り詰めた(?)張本氏が、お茶の間から消え去る、つまり「干される」ケースはまずない──こんな内容の記事を『東洋経済ONLINE』が配信なされていた。その根拠とは以下のようなものである。
高齢者のユーザーが少ないインターネットの世界では、張本氏らを指して「老害」という言葉がよく使われる。一方、新聞や週刊誌やテレビではその単語を目にすることはあまりない。なぜなら、それらのメディアが高齢者自身を主なターゲットにしているため、その層を敵に回すようなことはそもそも書けないし言えない状況にあるからだ。
とくに、高齢者の視聴者が多いテレビのゴールデンタイムのバラエティ番組では、高齢タレントが必要とされる事情がある。バラエティ番組の出演者が若者ばかりになってしまったら、テレビ視聴層の大半を占める高齢者は「これは自分たちが観る番組ではない」と感じて、その番組から離れてしまう。それを防ぐためには一定数の「昭和の頑固オヤジ」を配置して、高齢視聴者の代弁者になってもらうしかないのだ。
なるほど……じつに納得な言ではないか。私も今年で57歳。普通に会社勤務していたら、あと3年で定年を迎えるお年ごろであり、腐ってもメディアを通じて主義主張を物申す立場にある者の一人として、そろそろ「老害」の側へとシフトしていくべきなのか、もしくは「若者文化に理解のある柔らか頭のおじさん」をあくまで演じつつ、世代間のギャップを調整するキャラを気取り続けていくべきなのか……そこらへんのジャッジをみずからに下さねばならない時期でもある。
そりゃあ、テレビではなくネットを主戦場とするならば……迷わず後者の道を選ぶべきだろう。しかし、「若者文化に理解のある柔らか頭のおじさん」を頑張って演じているつもりが、やはり微妙なズレが積み重なり、いつの間にか「若者文化に理解のある風な昭和の頑固オヤジ」へとなり果ててしまっている可能性だって、十分にありうる。ある意味、開き直ったおじ(い)さんよりもタチが悪い、中途半端で「もっともイタい老害」であって、かくたるこの私もここcitrusでは、すでにそうなりつつあるのかもしれない。
いっそ「老害」なる単語の「害」という部分をネガティブにではなく、世論の活性化を促すきっかけとして一石を投じる「フック」だとポジティブに捉える楽観的な感性こそが我々中高年世代にとっては今、必要とされているのではなかろうか?
原文をネットニュースから貼り付けました。
今日のネットの書き込みの中で、タイトルのとおり「老害」って現象について触れている記事があった。
私自身にも当てはまりそうで、非常に興味深く読ませていただいた。
一度皆さんも読んでいただいて、共に共有できれば楽しいかもしれませんね。
僕は卵焼きが大好きだ!
次に赤いウインナー。そう!あの魚肉でできた赤い奴。
タコにしてもらわなくても、ただそのまま焼いててあるだけで十分 !
お弁当のおかずは、この2品でOK!!
贅沢言えば、白いご飯の上に紅生姜をのせて・・・
そして、一番好きなものは最後まで取っておくタイプ。
昨日、今日の二日間、ケアマネ研修で弁当持参で三重県総合文化センターへ行っていた。
お弁当に持って行ったのは、二日間とも全く同じ。
食べる順番も同じ。まず、紅生姜の赤い色が染みついたご飯を食べる。
次にウインナーを食べる。ご飯を食べる。
ウインナーを食べる。ご飯を食べ、生姜を少しかじる。
次に卵焼きを食べる。この順番を繰り返す。
最後に一切れ卵焼きを残す。
最後の最後に、残した卵焼きをゆっくりと食べ終える。
こんな昼食が僕のお気に入りのお弁当。
バッハのG線上のアリア。
僕がクラシックに入った切っ掛けの曲がこれ。
斎場のお別れの曲で使われることが多いけど、
僕はそんなお別れの寂しさより、悲しみを乗り越えて新たな世界への一歩を感じた。
この曲からバッハ、モーツアルト、マーラーを聴き、オペラを聴くようになった。
中学の音楽の時間にクラシックを聴かされ、眠くって仕方なかった人間が
今では、棚の中のCDの大半はクラシック。
人間、歳と共に変わるもんだ・・・!
今日はケアマネの研修で一日、事業所を留守にした。
虹の丘も留守にしたので、夕ご飯を食べたあとで一度覗いてみることにした。
一人の婆さんが居室に入って寝てくれないようだ・・・
職員が一生懸命ご機嫌伺いし、話し込んでいる。
居間の電気 はついて、テレビは誰も観ていないのに映像と音が流れ続けている。
職員も声こそ落とし気味だが、良くしゃべる。
何とかコミュニケーションで相手を納得させようとしているようだ・・・
マア、夜の8時だから寝る必要はない事が大一番の問題点かな・・・
僕ならベッドへ誘うのではなく、一緒にお茶して気分を落ち着けるよな!
昔話をして、ゆっくりと温かいお茶をすする。
もちろん、椅子に座ってテレビを観るでなく、音を聞くでなく
相手の話に耳を傾ける。
時々、傾聴してるよ!と言わんばかりに頷き、オウム返しの言葉をかける。
お茶を飲んで気持ち和らいだ頃合いを見て、そろそろ寝ましょ!ってやれないもんだろうか・・・?
認知症の人とコミュニケーションを行うには、その人の今の気持ちを図れ!
不安、寂しさ、憤りが渦巻いている心情を理解してやれ!
言葉で相手を納得させようとするな!
介護を担う君たちより、ずっと世の中を知っている先輩に
言葉でごまかそうとしていることを知れ!