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ブログ-施設長の部屋

2019/10/1
認知症の父と田んぼ

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今日は父が職員に付き添われて事務所まで下りてきた。

どうも職員が気を利かせて僕の誕生日を祝いに来てくれたらしい・・・

胸のポケットに忍ばせた煎餅を取り出して、僕にくれるかと思いきや

「有難う!」と言って、自分のものにしてしまったのには笑えたけど・・・

お返しに「近江八幡のたねや」の水ようかんを食べしてあげたら

「これ、まずいの~う!!」と言って半分しか食べなかった。

日によって味覚が変わるらしい。先日は同じものを食べて「旨い!」と言っていたのに・・・

夏が終わるにつれ陽が短くなりつつあるが、まだ外は明るいので

散歩でも行くか?!と親父を連れて裏の田んぼ道を散歩しに行った。

途中でうちの田んぼは何処やった?と聞くと、あっちの方や!と的確に方向を指さす。

親父が示した方向へ車いすを押しながら、今度は数ある田んぼの中から我が家の土地の場所を聞いた。

その時に指さして示した場所、それが今回写真に収めた場所であり

ボケた親父が指し示す田んぼこそ、うちの水田であった。

親父は「もうあまり覚えてないけど・・・」と呟きながらも

何となく理解できているんだな・・・と思って少しうれしくなった。

そろそろ暗くなってきたから帰ろう!と親父の車いすを押しながら

「この景色、懐かしいな~ぁ」と言う親父に

僕は親子水入らずの時間を楽しんでいる気持ちとなった。

 

2019/10/1
路地端に咲く彼岸花

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今日、実家を覗きに行った。

実家脇の小道に咲き誇る彼岸花

雑草に覆われて、随分と長い間誰の立ち入りもない路地に

真っ赤な花が帯になって咲いていた。

昔、こんなところに彼岸花が咲いていたなんて知らなかった。

如何に自分に風情を味わう余裕すらなかったことが感じられる。

思わず携帯電話のカメラで撮影してしまった。

 

2019/9/30
お守り

家族が神社仏閣を訪れるたびにお守りを買ってきてくれる。

日本人は、本当に神頼みに頼る気質の国民らしい。

かく言う自分も同じく、年明けには初詣に必ず出かける。

そして、そこでまた、残してきた家族のためにお守りを買い求める。

罰が当たる言い方かもしれないけど、お守りを買ったから病気にならない保証はない。

鎌倉の銭洗い弁天の泉でお金を洗って財布に入れていたけど

税金も払えないほど苦労した時代もあった。(今も同じく)

無病息災の札を持ちながらも大病を患った。一年間、非常に苦しい辛い思いをした。

僕の人生、全て順風満帆ではなかった。山あり谷あり、谷ばかりの人生だったようにも思える。

でも、まだ生かしてもらえている。

こうやって働かせてもらえている。

時々、好きなイタリアンを食べて、好きな音楽を聴いていられる。

これはきっとお守りのお蔭なのか・・・・

お守りには、そのお守り袋を見る度に、粗末にできないと言う意識が働く。

先にも書いたようにお守りそのものの効果を信じていないわりには

『罰が当たるかもしれない・・・・』と注釈をつけるくらいの何かが存在する。

粗末に扱うことをためらう力が存在する。

この細やかながらも、信仰心の片鱗のようなものが

結果的に僕の人生を無難にコントロールしてくれているように思う。

※僕の娘のような存在の姪っ子が買ってきてくれた「お守り」をみて、このブログを思いついた。

2019/9/30
2019年も残りわずか3か月ですよ・・・

元号が令和に変わってまだまだ馴染みが薄い2019年だけど

明日から10月の第一日目。あと3か月もすれば2020年の新しい年を迎えることとなる。

少し気が早い話題だけど、まあ本当に月日の経つのが早い。

経験をたくさん積むにつれ日々の生活に刺激が薄くなり、特に目新しい目標も無くなりつつある年齢ともなると

興奮も期待で胸を吹くラマ焦ることなく、ただ淡々と時間が過ぎていく。

この淡々と過ぎ去る時間は、待ち遠しいわけでもなく、公平に時を刻んでいく。

この状態が年寄りに、逆に時間の流れを早く感じさせてしまっている。

僕もそのうちの一人で、毎日が淡々と粛々と過ぎ去っていく。

ただ一日が無意味に過ぎ去っていくような気もする。

介護を仕事とする立場の自分が、年寄りに(自分も同じく年寄りだけど・・・笑)むかって

何か目標を持ちましょう!!と格好よく号令をかけるが

実際に自分の人生において、何か目標を抱いているか?と言えば嘘になる。

ただ、まだやりたいこと、行きたい場所をもっている点だけ唯一救われる。

実を言うと、あと数時間で僕の誕生日がやってくる。

自分の人生を振り返ってみて、最後に悔やむことの内容

思いっきり暴れて人生を楽しみたい。

2019/9/30
認知症高齢者のBPSDに打つ手なし??

認知症の人の『帰る!』の繰り返しの訴えに対して、どのような支援を行うべきか・・・

まず「帰る!」と言う訴えに対して、本人の立場に立ってみれば当然のことと理解することから始めたい。

認知症でなくったって、初めてのホテルでも旅館でもない、普通の大きめの民家に

突然連れてこられて、ここがあなたの部屋よ!って言われて、ハイ!そうですか!と誰が言えるか・・・!を理解する。

周りにいる人間は、今まで係わったことの無い見ず知らずの者達に、朝昼晩と代わる代わる話しかけられ

あーしろ!こーしろ!と言われて、おまけに風呂に入りたくなくても「お風呂入って!」と言われることは

本人にとって無茶苦茶、不自然極まりない状況だ。

こんなの絶対に納得いくわけない。と本人は思い続け、なんで? どうしよう・・・? って気持ちになるに決まっている。

人は、大の大人が少しでもボケてくると、「何も一人じゃ出来ないんだから、黙って言うことを気いてりゃいいの!」と考える。

そんな思いが介護職の中に存在することは考え方を改めてもらいたい。

なぜ帰りたい?と言う理由は一目瞭然、自分御家ではないから帰りたくなる。

それでは、グループホームの存在意義がなくなる。だから、我々は専門職として

こんな爺さん、婆さんたちには、出来る限り早いうちに「諦め」てもらえるように努力をしなければならない。

何を諦めてもらうのか?と言えば、以前の家より今の生活の方が良いんだよ!と思ってもらうと言うこと。

日中、夜間、そこかしこに自宅では味わえないモノが、グループホームには存在するはず。

ここでしか味わえない生活を作り上げることが、我々専門職の役割であり、専門性なんだと考えている。

『ここでしか味わえないモノ』ってのが、その施設の特色であり、そこに働く職員達の熱意である。

例えばカラオケ、ドライブ、お散歩、おやつ作り、趣味の活動、映画鑑賞や音楽会。

考えれば考えるだけの手法ってのは存在する。

考えることを辞めてしまうから、入居者の爺さんや婆さんは自宅の方が良い!と言う結論で

声を大に訴え始める。

この人たちは、何をしたいのか?何に興味を持ってもらえるのか?

個別に対応する事が望ましいが、全てを個別には無理である。

だから、皆で楽しめること。または、順番に楽しみを分かち合えることを探してみてほしい。


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