認知症を持つ二人の婆さん。
うちのグループホームに入居している。
二人とも同い年、同じような体型、同じような短期記憶障害によって
数秒後には同じ不安感からくる確認言動が朝から夜まで続く。
話をしている中から、すでに最初に言った内容は、会話の終わりには忘れている。
忘れてしまっているから、また、繰り返し質問してくる。
この認知症の人の確認作業を聴いていると疲れる。
Aさんは、実の息子の成長が60数年前から止まってしまっている。
自分の年齢はある程度理解できている。
しかし、息子はまだ保育園に行っている。
実際の息子さんは僕の一歳年上。
当然、保育園などに入っていない。(笑)
Bさん、年齢88歳。
この人の方が要介護度は重度だ。
確かに文字の読み書きは苦手になっている。
記憶障害には、極端な正常な部分と喪失している部分が完全にわかれる。
こんな二人が抱える問題は
家に帰りたい。家族と共に生活し、子供のために何かをしてあげなくてはならない。
いま、主治医と連携を取りながら、薬剤の量を調整し始めた。
一昨日から抗認知症薬を倍に増量してもらった。
若干の不安感情は緩和したようにも思えるが
この安定にも波がある。
今日の夜は、特にAさんの不穏感情はすさまじかった。
着ていたパジャマを脱ぎ捨て、普段着に着替えて室内を徘徊。
この二人がタイプこそ違っても、帰りたい訴えを両サイドから波状的に訴えてくる。
波状攻撃だから、お互いの気持ちが落ち着くことなく、定期的に相手の訴えを聴いて
増長され、パワーが増強されてしまう。
認知症の初期の状態は、本当に介護職員泣かせ
南東も打つ手がない。
この状態には、介護する側が説得することをやめる事しかない。
あいての思いに同調し、何とか安心できるように上手い口実を作らなくてはならない。
対応策を考え続けなくてはならない分、休む暇なく心労が祟る。
でも、向精神薬は投与したくない。
だとすると、何度も何度も、同じ質問に対し、本人が納得できる言い訳を考えていくしかない。
認知症ケア…かなり辛い業務である。
ハラスメントは良くない!
それは理解できる。
しかし、最近の社会では、何でもかんでも「ハラスメント」をつけた口害が多いような気がする。
忘年会の在り方に関しても「パワーハラスメント」として取り上げられるこの頃、
社会全体がギスギスしているようで、どうも年配の私に住みにくくて仕方がない。
テレビでも、今の世相を取り上げることが多く、
メディアを通じて「〇〇ハラスメント」の分木点を報道することが増えている。
我々の目指すものは、社会全体が孤立化している状況を、
向こう三軒両隣のつながりある社会の再構築が
認知症の人たちを地域で支えていける!と活動の輪を広げている中
其れとは真逆の方向に若い世代を中心に孤立化が急速に進んでいくように思う。
人間関係の構築に努力することなく、そこにまつわる全ての壁や軋轢(本人の感じる部分として)を
覆すことのできない精神的に成長しきれていない大人を感じてしまう。
健常者と違って、人は「認知症」となると、病院へ入院することが極端に困難となる。
うちのグループホームの利用者の一人が高熱とSpO2の値が低く
大手総合病院へ搬送となった。
患者には喘息の持病があり、痰の絡み、喘鳴も酷く
入院となった。
点滴治療と酸素の治療が始まったものの
点滴を自己抜去、酸素チュウーブも外す等の行為によって
家族の付き添いが求められた。
家族も仕事の予定が入っているため、実の親であっても
なかなか24時間付き添うことが難しいと嘆く。
グループホームの職員の付き添いを依頼されるも
グループホームとしても病院での付き添いはできかねる。
結果的にスケジュールの調整をつけながら、可能な限り家族の付き添いで対応し
適当なところで退院処置を懇願し、しぶしぶ病院は退院の許可を出した。
しかし、退院したものの完治していない以上、状態は繰り返され
退院直後から再度熱はあがり、SpO2は低下する。
家族としては、これ以上の入院治療は望まず
施設サイドとしても非常に困惑する事態となった。
認知症となり見当識障害や記憶障害を抱えた患者の治療は非常に難しい。
命を救うべく治療が実施できない。
身体拘束を問題視する風潮の中、医療の現場でも認知症の人の治療には
頭を悩ませている。同時に、介護の現場では医療を受けることのできない現状に
命を守る上のジレンマに苦しんでいる。
昨日、介護支援専門員の更新申請書を郵便局から郵送した。
今年度中に専門Ⅱを終えて申請書を送らないと、来年には有効期限が失効する。
そんな瀬戸際で、ようやく書類をそろえて郵送することができた。
さて、同時に郵貯の窓口で処理する必要もあり
窓口で通帳の処理をしてもらいながら
郵便窓口で簡易書留の手続をおこなった。
郵便窓口終了後に郵貯窓口にて通帳を受け取る予定を
一連の作業を終えた僕は、すっかり通帳の受け取りを忘れ去ってしまった。
そのまま、車に戻り事務所に戻った。
通帳を窓口に預けたまま・・・・
今朝方、郵貯窓口が残した留守電メッセージを聞くまで気づかなかった。
ありゃ。ありゃ。とうとう認知症の始まりだ・・・・
僕の父親は認知症となり、太陽の家の一室に生活している。
三年ま(もうすぐ4年となるが)親父は伴侶を亡くし
その時を境にグループホームで暮らす身となった。
今では重度の認知症状で、毎日、傾眠状態が続いている。
今日は非常に珍しいと職員がいう程元気で、昼食後に顔を見に行った時には
すぐに目を開けて僕を認識した。
相変わらず意味不明の話題で、言葉も不明瞭ながら
久しぶりに息子の顔を見た感動をしきりに話そうとしているようだった。
父94歳、息子66歳。別の意味で老々介護の現場でもある(笑)
ほぼ一か月前くらいに、一時的に危篤状態に陥りかけ
医師の往診を受け、それなりに緊急的な処置を受けた。
在宅酸素も開始し、点滴も数日間継続して栄養剤を混ぜて投与してもらった。
その効果あって、初期の褥瘡も完治し、元気も取り戻してきた。
年齢も年齢だから僕としては父の「死」も覚悟した。
建前として順番にあの世に行かなければならない。
順番に逝くことが一番幸せなんだ!と分っていても
実際問題として、唯一残った自分の身内が逝ってしまうことに
少なからず抵抗がある。
抵抗と言うか、どこかで自分自身の支えとなっている父がいるわけで
この人の生存自体が、僕の心の重荷を支えてくれているような
そんな気持ちが、自分の中にある。
この人が逝ってしまうことで、全ての重荷を自分一人で背負わなけれならない
そんな状況に対する不安感が伴うのである。
この前のブログでも書いたように、僕は自分に課せられた壁や問題に背を向けることはない。
決して強靭な心をもっているわけでもなく、いたって普通の男としての自分も
どこかで父親の存在に甘えているところがある。