


毎朝、お天気が良ければ婆さま達は自発的にお散歩に出かけることが日課となっている。グループホーム9名全員と言うわけにはいかないが、自立歩行可能な婆さまが中心となり行っている。ただ、うちのお散歩は他の事業所とは随分と異なっており先にも書いたように自発的に・・・自分たちだけで、勝手気ままに、自由に行き先を決めて、お散歩距離も勝手に決めて行うところが他にはないところであろう。別に太陽の家のPRに使うつもりはない。むしろ、この単独行に対するリスクを心配することの方が大きい。
当施設は鈴鹿市の中央部に位置し、施設前には交通量の多い片側二車線の幹線道路が走っている。常に車の往来は激しく夜になっても車の行き来は絶えないような危険ともいえる場所にある。
最初は、何度も何度も私自身が同行して、散歩道のコースを確認、同時に入居者のばあさん達の安全意識を確認し、家族ともお話をして、今、ようやく単独で(単独と言いながらも一人っきりではない。必ず複数のばあさんのグループである)行動してもらっている。認知症高齢者施設では、大切な人命をお預かりする意識は強く、それぞれの施設で独自の規定をもって運営されている。認知症を患いながらも共同生活を行うことによって、家庭では困難な専門的な支援を行い、問題行動を軽減しながら安心して暮らせる場の提供が全体的に共通した目的として運営されている。大切な家族をお預かりしている以上、入所生活の中で事故を起こしてしまっては家族に申し訳ない。と言った意識が施設にはある。大切に大切に接するうちに、次第しだいに入所するばあさん、じいさんを一番安全な施設内、もっと厳密にいえば居室内に24時間いて頂くことが安心できること、リスク回避であると考える現状も歪めない。
ただ、軽度の認知症状を抱える高齢者にとって、本人の意思を無視し自由を剥奪してしまうことによる逆のリスクの方が大きな影響力を持っていると考えられる。お散歩程度で高齢者の自由を剥奪したとか、本人の意思を無視したとか、表現が大げさだと考える人もいると思うが、私自身に置き換えて考えてみても、毎日、自分の居室に閉じ込められ、施設内だけに行動を制限されている生活には息がつまる。一日程度なら気持ちの上でも許容できるかもしれないが、これが毎日、これから先、死ぬまでの無限の時間を施設職員が計画する外出行事以外は一歩も屋外に出ることが許されないとすれば、そんな生活に人間の尊厳は存在するのか?
これらの課題を総合的に考えてみると、この問題は施設にとっての二者択一であり、どちらを優先するか?というだけの問題なのかもしれない。こう言いながら、何か不慮の事故に自由散歩中のばあさん達が巻き込まれたりしたら、それこそ、同業の施設管理者や行政から非難されることも承知している。
だからこそ、自由に散歩、外出することをもっともっと奨励したいし、うちのばあさま達全員が生きがいを持って自由に活動できるような波及効果を目指して実践してゆきたい。そして、この『賭』ともいわれる支援方法を継続させるために、安全の確保に更なる職員の努力が求められると考える。
写真は、ご家族のご意向に従い、本人と分かるような画像の掲載はいたしておりませんので、あしからずご了承ください。
太陽の家を訪れる皆さんが必ず言われることに、「明るいね!」と「表の雰囲気と全く違うのね!」がある。
確かに、玄関ファサードのイメージは施設的かもしれない、または中央道路に面し喧噪的なイメージがあるのは確かである。しかし一歩施設の中に入ると、大きな窓から入る陽光は眩しく、また裏庭に植えられた植物の色とりどりの花が太陽の家に優しさを醸し出している。これらの植物を健康に美しく保つにはそれなりの努力がいる。ただ単に植えて水さえ与えれば良し!という調子にはいかない。これは、何に対しても言えることで、美しさを保つには努力が必要であるということである。
話は変わるが、私はお年寄りを支援する立場の人間として、常に自分自身の見た目も考慮に入れた手入れをすべきであると考える人間である。高齢者を介護することはある意味、肉体労働でもある。汗もかけば、着衣も汚れることもある。しかし、私たちの実践していることは対人福祉援助であり、あくまでも対象者は人間である。その業務の中で汗臭い、汚れた衣服で食事の介助や生活相談を受けても気持ち良くない事に、介護する職員は気を配るべきであると思う。別に糊のしっかりと効いたカッターシャツにネクタイは求めないが、毎日清潔な衣服で対人援助を行うことは最低限のルールであると考える。
派手な最新流行のファッションを身にまとう必要はなく、自分に合った服装であること。そして、頭髪に関しても不快感の伴わないような頭髪を維持することも必要である。最近の若い介護職員さんには海辺でサーフィンしてきました!と言わんばかりの真っ黒に日焼けし、髪の毛も金髪で派手なピアスやネックレスなどを着けて職場に来る人が居る。サーフィンする行為は個人の自由であり、自分のプライベートな時間をどのように使おうが本人の勝手である。しかし、一旦、高齢者の身体介護などの援助を行うときには、プライベートの楽しみは忘れて頂いて、高齢者にとって一番安心でき心地よい環境を守ることが望まれると思う。
どうせ介助中に汚れてしまうからという理由で、最初から汚れても良い服装で就労する姿勢ってどんなものでしょうか?私も沢山の介護職員さんとお話しする機会があるのですが、今でも髪の毛を振り乱して、旧態依然としてヨレヨレのエプロンをして素っぴんで、如何にも必死で働いています風の人を見かける。そして、その度に、こんな人に介助される年寄りが気の毒だと思ってしまうのですが、いかがでしょうか?
今朝がたの地震で目が覚めた方が多い中、私は地震の揺れには気づかなかった。震源地に近くなくて助かったと言えるかもしれない。私のベッドサイドには書棚がおかれており、もっと大きな揺れがあったなら、当然、この書棚が私の寝ているベッドに倒れてくることとなる。常々、この危険性を察してはいるが何の対策もとっていない。今朝がたの地震さえも気づかない事を考えると何かしらの対策を急がねばならないと感じた。
そして、地震だけではなく台風8号、9号の襲来による豪雨による被害も大きい。8号の直撃を受けた台湾の被害はすさまじく、被害にあわれた人々に同情の念が絶えない。日本においてもこの夏の異常な局所的な豪雨災害にお見舞を申し上げたい。豪雨や台風、地震などの影響を受けているのが広範囲であり、二次的な影響として農産物への影響も深刻である。日本の食糧自給率は二年連続で増加し、今ようやっと41%に改善された。改善されたと言いながらも1%の増加。残りの59%の食糧を海外に頼っている。日本は不況だと言いながらも裕福な国のようである。海外に食糧の大半を頼りながら、70%弱の食材を残飯として廃棄している。汗水流して貯めたお金を支払って食品を輸入し、加工品の大半を残飯として捨てているのは、本当に馬鹿げている。
17年前に私は鈴鹿商工会議所青年部の広報委員長をさせてもらった時、環境問題についての文章を書いたことがある。あの当時に環境問題への警鐘は珍しかった。エコも今ほど一般化していない時代であったが、あれから17年の歳月がたち、地球規模の温暖化現象により異常気象が切実な問題となってきている。今からの時代、日本でも何が起きてもおかしくない状況である。
鈴鹿川や海からも。ある程度の距離をもつ太陽の家は、土砂災害や鉄砲水の危険性も少ないと考えてきた。風水害に対する対策マニュアルについても、この地は安全であろう!という思い込みがある。しかし、最近の異常ともいえる雨、風、竜巻などに対応するリスクマネージメントに検討を要すると思える。
太陽の家を利用して頂く高齢者の皆さんの命を守るためにも、最悪の事態を想定して対応策を練りなおさなければいけない。と感じている。
うちの施設には2名のペルー人介護職員が働いている。その一人がペルーに残した実父の病気入院の報を受けて一時本国へ帰国していた。南半球に位置するペルーでは、今が日本の気候とは逆の冬に入る頃である。彼女たちペルー人労働者との接点は、非常に偶然なものであって折しも人材不足で喘いでいた時期に求職の問い合わせ電話からが始まりである。
とても流暢な日本語で電話をしてきて面接を希望する外国人ということで、私自身も興味を持った。その頃に私どもの姉妹施設でもブラジルからの介護職員の採用もあり、非常に熱心に働いてくれる印象があった。取りあえず、一度面接することとなり太陽の家の会議室で面接。時間より少し早い目に訪れたのが今の職員さんたちである。語学力はともかくとして、非常に熱心であり、気持ちもやさしい。それと勤勉である。とても偏見的な見方かもしれないが、発展途上国の人々は勤勉さに欠けると思っていたが、意外や意外、一生懸命に働いてくれる。それと土曜だろうと日曜だろうと働いてくれる。
さて、その彼女がペルーから日本に戻ってきた挨拶に来てくれた。そして頂戴したのが写真のお菓子である。ネッスルのチョコレートたっぷりのマシュマロやチョコバーである。私は、わざわざこんな大量に荷物を抱えて帰ってきてくれた気持ちがうれしい。めったに帰国できないだろうに、自分の物ではなく他人へのお土産に気遣う。そんな気持ちに感謝です。
ほんの気持ちです!と昔の日本には、相手を気遣う心があった。でも、最近では相手を気遣う心遣いが逆に相手に余計な負担を与えてしまうという変な風潮が日本には生まれてきた。規律、規範は社会と共に変化するが、なんとなく人間関係がぎくしゃくして寒々しいように思える。
『カッコウの巣の上で』の二作目の紹介ではありませんが、昨日の話題についでPart2となるブログを記します。
せっかくジャック・ニコルソン主演の映画についてお話をしたつもりですが、話の内容は日本とアメリカの制度の一部を愚痴っただけに終わってしまいました。今日は、もう少し、映画の内容に沿ったお話を展開しようと思っています。
この映画の中に描かれた施設は、私が覚えている日本の古いタイプの精神病院そのものでした。そして、まるっきり監獄のような檻の中に、私たちと同じ人間が収容されているわけです。日本の昔の家には座敷牢なるものが存在しました。今は無くなりましたが、私が子供の頃には、縁日などには必ず見世物小屋が建ちました。例によってとても胡散臭いオヤジが、強面風に呼び込みをしてる。「世にも可哀そうな・・・」「人間でありながら、半身は牛の・・・」だとか言う、あの手の見世物小屋です。古い日本の社会では、障碍者は世間から隔離されていた。同じように生まれながらにして障碍を持っている人の一部は見世物小屋で働かされました。生まれた家庭の経済状況によって、障害者の命運ははっきりと差が出ていたわけです。一方は座敷牢、片や見世物小屋の見世物になる。どちらも人間らしさは感じられない時代が、この日本にもありました。障碍者自身には何の落ち度もなく、先天的または後天的な疾病から障碍を持つこととなる人々に対する世間の風は冷たいものであったようです。
障碍のとらえ方も未熟な社会でした。障碍を遺伝的なものととらえ、自らの家系の『恥』と考える社会性があった時代です。あの頃から50年の歳月がたち、障碍に対する社会の感覚は、かなり理解が伴うようになりつつありますが、まだ、西欧諸国に比べると日本は遅れています。 戦後60年の歳月が流れ、世代は変わりつつありますが、世代は新しくなって変わったことは、東京以外の地方にしても都市化が進み、相識関係が希薄になっただけのようです。つまり地方でも「多面性」、「一時性」や「匿名性」がすすんで「隣は何をする人ぞ」的な思考が蔓延しているだけに感じます。障碍者に対する理解は乏しく、一歩退いて見てしまう。そのような風潮がみられます。
私が学ぶ日本福祉大学には、沢山の障碍者が一緒に社会福祉を学んでいます。身体もあれば、精神に障碍を抱える人もいます。また、視力、聴力に障害を抱える方も、一生懸命に勉強して社会福祉士の国家資格を取得して、現在は立派なソーシャルワーカーとして働いているような人もいます。特に日本福祉大学は障碍者学生が多く学ぶ大学のようですが、学内には、そのような障碍者を支援して少しでもその人の持つハンディを埋めようとするボランティアグループが組織されています。我々が支援する大学の障碍者は若い人が多いのは当然ですが、中には性同一性障害なる問題を抱えた人もいます。普通の男性ですが、自分自身は女性であると訴えています。また、精神に障碍があって、学校に通学することに苦痛が伴う人もいます。適応障碍と言われる発達障害の一種ですが、人ごみや慣れない人の中では自分自身を見失ってしまうのです。このような人達を貴方がたは、どのように感じて、どう対応するでしょうか?
きっと対応する事。話しかけられたり、何か支援を求められたりすることに抵抗を感じて、面倒くさい!と考えられると思います。実際、大学の教室でも、彼らを見る一般学生の目は結構冷ややかです。特に差別的な行動こそありませんが、率先して支援するという態度は少ないのです。1981年を「国際障害者年」とすることを国連総会の場で採択し、『完全参加と平等』をテーマに世界各国において色々な取り組みが行われた。日本も、この後よりノーマライゼーションや自立の理念へと施策をシフトさせるが、本当の意味の障害者支援の施策は5年~10年の歳月を必要とした。世間一般に浸透しつつあるバリアフリーという言葉も障害者の障壁を除いて、出来る限り自立できるような社会を目指す。という意味を持っている。しかし、現実問題として障碍者(高齢者を含め)へのバリアは完全に消滅したわけではないのです。建物も、道路も、車も障害者に優しく考慮され改善されてきたが、人々の感情の中には、まだ障碍者はお荷物である意識が根強く残っている。また、社会保障を受ける姿勢に対する恥意識(スティグマ)も感情のどこかに残っているように思う。
私たち福祉の専門職は、もっともっと、声を大きくして社会福祉が市場経済に与える影響をしっかりとPRしていくことが必要である。障碍者や高齢者への福祉を生産性の無い事業と考える社会の一部に申し上げたい。経済的な発展ばかりに視点を置いて人々は豊かになれない。確かに個人的には裕福になるかもしれないが、その富も一時的なものであり市場における力の不均衡は最終的には市場経済システムの崩壊を招く。最近の世界的な金融危機や環境問題が、それを物語っている。私たちの心から共に思いやる気持ちをなくしてしまえば、それは社会の崩壊へとつながる。 余生が幾ばくか分からない高齢者にしろ、ハンディを抱えて重荷と思える障碍者も、決して無駄な存在ではない。この人たちの人生を尊厳をもって見守ることは、将来的に自分自身にフィードバックされる社会の構築に努力していることとなる。人間は平等に老いるし「死」を迎える。決して『今』は永遠ではない事を知ってもらいたいと願っている。