グループホーム太陽の家では、福祉関連の専門学校の生徒さん二人が現場実習を行っている。実習生の受け入れに関してはお知らせ欄でも紹介させていただいたが、今回の私のブログは、彼女たち実習生の一日を取り上げてみます。
実習生とは、既存の社会福祉事業所で実際の現場業務を通して、教科書の上で学ぶ理論としての社会福祉介護技術との違いを直接体験することで、より深く社会福祉を学ぶために設けられています。実習生としては、初めての施設で、それもどのような研修を与えてくれるのか分からない、と言った不安感も拭いきれない中の実習となります。もちろん、もう一方の側面として、自分が学んできた介護技術を実践の場で試してみれる期待もありましょう。
私がこの実習生に感じることは、短期間にどれほど介護に困難が伴い、難しい仕事かを学んでいただきたいと願っておりました。特に認知症介護は、専門性が問われるところです。お年寄りのことが好きです。だけでは介護は出来ません。お年寄りを客観的に観察(言葉は悪いのですが)しながら自立支援を実施するには、かなりのスキルが求められます。そのような現場実習を行っている彼女たちですが、とても真面目に研修を行っています。利用者様の評判も上々で、今日で3日目ですが、「私の孫のよう!」だとか、「一生懸命、やってくれる!ありがたいわア!」との声が聞こえます。
実習期間は1週間と短いのですが、この子たちに関しては、国家資格を取得し社会に出た時に、バーンナウト(燃え尽き症候群)などの理由で福祉の世界から去っていくことのないよう、出来る限り悪い面も、良い面も学んでいってほしいと思います。
あと数日、頑張っていってほしいと思います。そして、将来的に、この太陽の家で経験したこと等が自分たちの仕事の中に活かされるように心から願っています。
グループホームの入居者の方若干名よりおと~ちゃん!と呼ばれる。お一人は「お父さん!」と、もうお一人には「おと~ちゃん」と呼ばれる。
ご自身のハズバンドを思うのか、それとも単なるオッサンとして総称的にそう呼ぶのかは理解できない。そう言えば、お一人は僕のことを「おじちゃん!」とも呼ばれる。
これは、やはり、オッサンと呼べない!失礼だから!という気遣いで「おと~ちゃん」と呼んでみえるのでしょうね!(笑)
でもお一人は、僕をお父さんと呼んだ後に涙を流して「嬉しかった!」と呟かれた。僕は心にジンと来るものを感じて、涙がにじんだ。僕は何もしていないのに、ただ単に二階に上がって、挨拶をしただけなのに・・・その方は、椅子に座ってテレビを観るでもなくジッとしていた。だから声をかけてみた。ただそれだけなのに・・・
その方は、テレビの映像をぼんやりと見つめながら、きっと遠い昔の思い出に旅をしていたのだろうと思った。お父さんと仲良く旅行でもしていたのだろうか・・・僕にはわからないが、グループホームの入居者の方々をみていると、何処となく寂しげな表情をする時がある。とても良く理解できる。そして、家族から離れてこの施設に住まなければならない事も理解できる。
私たち介護に携わる職員の中には、家族から離れた生活を強いられている。と考える者もいる。職員研修のときに色々な施設の職員さんたちに集まってもらうと、そのような考え方の職員さんをよく見かける。確かに、家族とは別の、離れた場所に共同生活とはいえ一人住まいを強いられている。寂しいだろう、辛いだろうではなく、その寂しさを我々専門職が拭い去って上げる努力をして、初めて入居者の方々の余生に光が差すのではないだろうか?
介護職として現場に関わる職員のすべてが、この人たちの余生について、もっと真剣に考えて、もっと素晴らしい余生をおくれるように支援することができれば、入居者の方々も生きてて良かった!と思ってくれるのではないだろうか?
私たちは、この現場を離れると、すっかりと入居者の方々を忘れることができる。逆にそうしないと、精神的なストレスで自分たちが潰れてしまう。だけど、ここの現場にいるときだけは100%年寄りのことを考え、支援し、その人の真横にいるようにしてあげたい。
僕には子供が居ない。つまり、僕の老後は孤独なものである。そんな自分もゆくゆくは施設で一生を終えることとなるはずである。そんな自分が住める施設を目指したい。少なくても、この太陽の家だけは、ぬくもりのある、やさしい思いに満ち溢れた施設にしたい。そう願ってやまない。
夏になると一段と騒ぎ出すのが夜間の若者たちと暴走族ですが、今日は若者が施設裏の駐車場で打ち上げ花火をやっています。それも、面白半分に打ち上げ花火を横方向へ撃っています。火花の先は駐車場の壁をバウンドして、隣の駐車場に停まっている車にあたっています。
注意すべきか否かで迷うところです。最近の若者は逆切れが多く、その逆切れの度合いが殺人にまでいとも簡単に及んでしまいます。殺されたり怪我したりしたのではバカバカしい!という結論になり、もう少し見守ることとしました。
夏になると、花火やバーベキューは、夏の風物詩ともいえるアイテムであり、花火はコンビニでも簡単に購入できる品物です。ちょっとした軽はずみな衝動で、悪気はなく始めた花火もいろいろと危険な要素を含んでいることを認識できないのが若者です。私の子供のころも同じように、少し考えれば予測できたのに・・・・という失敗は多くあります。
ただ一重に大きなトラブルに発展しないよう祈るばかりです。
さて、アメリカ合衆国、特にカリフォルニアでは州の法律で7月4日の独立記念日以外は一切の花火を禁じているのです。カリフォルニアには世界的にも大きな中国人街が在り、中国人の祝い事に花火は不可欠な物です。そんな中国人たちもルールは守ります。当然、違法ですから警察のお世話にもなりますから、賢明な中国人は花火はおこないません。
話は変わりますが、僕は学校出てから企業に勤務した経験があります。その会社の仕事で一年間をアメリカ合衆国中部のネブラスカ州リンカーン市に暮した事があります。このリンカーン市は農業の盛んな街であり、ネブラスカ州の州都でもあります。ここの面白いルールに日曜日はお酒の販売ができないと言う約束事があります。お酒を飲むことは自由ですが、お店で販売も、酒場で販売することもできません。呑み助は、偶然にも買い置きのお酒がない場合には、市外へ、隣の市まで買いに行かなければならないのです。非常に面白いと思うのですが、これもある種の規制ですよね!自由の国、アメリカと言いながらも、結構規制に縛られているのですね。
認知症になる原因疾患は多数あります。アルツハイマー病、ピック病、びまん性レビー小体病、皮質基底核変性症、進行性核上性麻痺、脳血管障害、脳炎、エイズ、プリオン病、脳腫瘍、多発性硬化症、慢性硬膜下血腫、正常圧水頭症、甲状腺機能低下症、アルコール依存症、ビタミン欠乏症など
そして、認知症には、いろいろな症状があります。
物忘れ(特に直近の物忘れがひどい)、判断力の低下、見当識障害(ここは何処、今日は何曜日が分からない。極端な場合、息子や妻のことも理解できなくなる)、失語、失行、失認等があります。これらの症状を認知症の中核症状と言い、上に記した原因疾患により脳の認知機能が障害されておこります。
そしてこれら中核症状に本人を取り巻く環境や人間関係などが大きく影響を及ぼし周辺症状と言う症状の出現があります。周辺症状には、せん妄(急に騒ぎ出したりする)、幻視・幻聴(実際にないものが見えたり、聞こえたりする)、物盗られ妄想(財布や物を盗られたという)、焦燥(いらいらして落ち着かない)、心気(必要以上に身体の具合を気にする)、異食(食べ物以外を口に入れる)、不眠(昼夜逆転現象)、徘徊、過食(目の前にあるものは何でも食べてしまう)、外に出て行こうとする、入浴や着替えを嫌がる、抑うつ状態(自殺願望)など
この周辺症状のために認知症介護が困難と言われる所以です。認知症の周辺症状の緩和には、その人の周りの環境を整えたり、専門的な知識を持って適切なケアが行われることでかなりの部分で安心して生活することができるようになります。
私たち太陽の家では、この専門知識をもって認知症高齢者の毎日の生活が安心できる環境に整備し、安定した暮らしを送れるように支援しています。
例えば、記憶に障害があって、外出ばかりを繰り返す高齢者には居室に閉じ込めてしまうことは逆作用です。興奮が高まり、暴れだしたり精神的に錯乱したり時には自殺にまで追いやることもあります。この場合、外に出なければいけない潜在的な意思が存在します。専門職はこの隠れた目的を察知し、その目的を別の形で達成させ外に出る必要性を元から解決します。
また、不眠に際しては、少しづつ日中の活動域を拡大するように仕向け、昼間はベッドから離れるように努めます。日中の散歩や家事や趣味の活動を増やし夜間の安眠へ誘います。もちろん、他の疾患があって日中の活動を増やしすぎると困るケースもあります。そのような場合は適度な休息を設けながらも、活動を促すようにします。
一番対応に困る症状に物盗られ妄想があります。記憶に障害を抱えるために、自分が整理したことを忘れてしまい、他人のせいにすることがあります。物が無くなったと言い出したら専門職は本人と一緒に、その物を探します。大半の場合は一緒に探すと探し物は出てくるのですが、物によっては直接ゴミとなって処分される場合もあります。そのような時には、正直に紛失した事実を話します。この時に、相手を敬い、丁寧に話しかけることが重要です。相手を説得するのではなく納得していただけるように努力します。
認知症と言うだけで、人間性も喪失した単なる動物扱いされることもあります。しかし、認知症患者には依然と同じような喜び、悲しみ、楽しさや怒りを感じることは残っています。介護者の感情の起伏に反応して腹を立てる認知症高齢者が居ても不思議ではありません。
私たちは、認知症を患っているとしても、その人の人間としての尊厳を守り、人間らしく対応することで問題行動と言われる周辺症状の緩和に努めています。
これは日本だけに限らず、昨今のドライブマナーの低下は底知れず悪化傾向にあるようだ。日本の場合は特に道路事情も悪く、道路自体が入り組み、狭く、曲がりくねっている。太陽の家の前の中央道路は広く、直線的ではあるが走りにくい道である。走りにくいとは、とても危険な道路であり油断していると飛び出してくる車両と接触したり、急に右左折する車両に追突したりする危険性を含んだ道路である。
また、私たちのような通所介護事業所は朝夕の特定の時間帯(それも通勤ラッシュにかかる時間帯ということで、一般車両にはいろいろとブーイングが出ているところでもあるが・・・)に大きなワンボックス車両を住宅街の狭い路地などを走り回っている。そして、この狭い路地に大型ワンボックスは非常に運転に注意が必要で、一つの角を回るにしても何度か切り返しをして、ようやく通過していく。そんなサーカスのような運転を余儀なくされている。
しかし、今日の話は、そのようなドライビイング テクニックの話ではなく、こんなにも狭い、入り組んだ道路事情の中を緊急要請がでて急いで現場へ急行する救急車や消防車の話である。
仕事でもプライベートでも車の生活の多い自分がよく目にするのは、救急車が優先されていない今の交通事情のことである。運転免許試験では緊急車両がサイレンを鳴らして接近する場合、運転者は車両を速やかに減速し左の路側帯に寄せて停止しなければいけない。と習ったはずですが、このようなルールを守っている運転手さんを見たことがない。特にひどいと感じるのは、交差点に進入しようとする救急車がいても、交差点の信号が青だからか、急いで交差点に入り救急車の前を横切る車両が多いことである。言ってみれば、緊急車両が交差点入り口で、通過車両の通り過ぎるのをサイレン鳴らし、赤灯まわして待っている姿があるわけだ。
暴走族も爆音鳴り響かせて威嚇はするものの、往来の激しい交差点では一旦バイクを止めて安全確認をしたのちに赤信号無視で交差点を通過していくが、緊急車両のように赤信号を無視できる立場の車両までも、暴走族と同じように交差点で足踏みすることがある。これはどうなんでしょうか? 私たちの職場も緊急を要する体調変化の起きやすい高齢者がたくさん生活を共にしています。一刻一秒を争うような緊急時に救急車が何よりも優先されない道路って最低のマナーと思う。
救急車に自分が乗せられて病院へ搬送される時に、道路事情が悪くって助かる命を捨てることとなるかもしれない。と考えれば、もう少し対応も変わることであろう。
先にも書いたように、高齢者バスや幼稚園バスなどが朝夕の通勤ラッシュ時に道路を走ることに腹を立てるドライバーや、横断報道をあるく人を煩わしい存在と思っているドライバーもやさしさや思いやりのかけらもないエゴイスティックな人間としか言いようがない。少し昔に交通標語の中でこんなのがあった。「狭い日本、そんなに急いでどこへ行くの?」
サーキットでレースをする中にもいろいろなルールが存在する。一定のルールに従ったうえでお互いのドライビングテクニックやスピードを競うのがモータースポーツと言われるもの。ルールを無視して、自分自身が最優先の道路事情は品祖な国民性の証拠のようなものだ。