最近の丸子さんに変化がみえ始めて数週間がたつ。この前までは鏡に写る自分の姿に話しかけていた丸子さん、最近では、そんな鏡の中の自分に恐怖感を覚えるようになったのか。私達にこぼすことがある。
「あの人、いつも私の周りにいるのよ!」と。
以前まではお友達として話しかけていた相手(この場合、鏡に写る自分の姿ですが)、最近では少し煩わしくなってきたようで、なぜいつまでも付きまとうの?!と言わんばかりに鏡の相手をにらみつける。
丸子さんの今の様子を聞いて、この文章を読む人々は、どのような印象を抱くのであろうか?恐らく、実際の丸子さんを紹介したとして、認知症を見ぬける人は少ないのではないかと思う。それ程、本人は普通のばあさん(と言うより、奥さん)なんである。歩くことも、話すことも出来る。他者の話しかけにしっかりと答える事が出来る。私のちゃちな芸に対してもそれなりの反応を示して笑ってくれたり、批評してくれたりする人からは決して想像できない姿がそこにはある。
認知症の恐ろしさと言うか、認知症介護の難しさを感じてしまう。
そう言えば、認知症の症状には中核症状と周辺症状があるということを学んだが、この状態を放置し、難の精神的な支援をしなければ鏡の相手に物をぶつけたり、その相手に向かって暴言を吐いたりしてしまう。つまり、暴言、暴行の問題行動があると判断されてしまうのです。認知症グループホームにおける専門性とは、この時点で心の安定を図るための処置をするかしないかで決まってしまうことなのです。
医学の世界にこんな病名があるのだろうか?最近の僕は、やたらめったら眠い。今はテスト勉強中の身であり、少しでも勉強をすべき大切な時間。勉強机に向って本を読み始めると眠くなる。まぁ、昔から勉強は大の苦手。その後悔を繰り返さないためにもと思い資格取得に向けた勉強中なのだが、やはり睡魔には勝てない。おまけに、最近は午後になると熱感があり、体全体に汗があふれる。額に触れてみると若干の発熱があるようだ。
一度、体温でも測ってみて結果次第によっては、病院の門をくぐろう!と、思いながら体温計を脇の下に突っ込む。
『 35.4 ・・・・・?!』熱はない。熱が無いって・・・?それなら、この嫌な感じの汗は何???と考えながら。そうか・・・!ただ単に仕事したくない!
仕事に対する拒否反応が出ているだけか・・・
仕事がきらい!との思いは無いのですが、最近目がかすむようになって(加齢現象?)書類とパソコンを交互に見たりすることがとても辛くなってきました。老眼鏡なる物にも頼ってはいるのですが、これが何とも使い勝手が悪い。遠くのものが見えない。人間の目やその他の機能は本当に良く出来たもので、失くして初めてその重要性に気がつくものです。視力調整ができにくくなると言うことが、これほど不便なこととは知らなかったです。
丸子さん、今日も健在です!
しかし、どうも若い職員のお笑いはネタは苦手なご様子。「何事・・・!?」と言わんばかりに黙っ~てみていました。
えっ?何を・・・?・・・・・そっか!突然こんなお話を書いても分からないですよね!
今日の太陽の家は敬老祝賀会を開催したのですが、その中の男性職員による余興を見てる時の丸子さんの様子です。兎に角、今回の男性職員の余興のネタは?????だった。まったくもって申し訳ないが、仕込んだ小道具が年寄りには見にくい。素材が理解しにくい。ついでにテンポが悪い。と三拍子そろい踏み。まあ、相変わらず自分たちだけが楽しんでいる情景だった。男性諸君は、今回の余興に関しては反省しましょうね!
まぁ、そんなわけで、アルツハイマーの利用者なんぞ「こんなん、何にも面白くないわ!」と言ってしまうような状態に、見るに見かねて僕自身もチャチャを入れた。そのことによって、余計にドタバタは加速化され収拾がつかなくなった。本当にお年寄りをもてなすことは難しい。耳は聞こえない、目は見にくくなり、今の時代の流れにも精通していないお年寄りを楽しませることは難しい。余興として人を楽しませるには、緻密な計画と練習が必要なんでしょうね。
さて、丸子さん、自分勝手に部屋に帰るわけにはいかない風の気配りで、ただ黙ってジっとしててくれたのですが、おおよそ1時間の余興(もちろん男性ばかりではなく、女性たちのハンドベル演奏には反応は良かった。)の後、余興も終わり、ひとり欠け、二人欠け・・・と徐々にグループホームの利用者さんは居室に向かって帰って行った。ちょっとバツが悪いのか、しきりと男性職員たちはデイサービス利用者さんに詫びている。
一階のデイルームでは、そろそろご帰宅準備に取り掛かろうと言うとき、エレベータがあ降りてきた。案の定、丸子さん。手提げポーチを持ちどこかへ行きそうな雰囲気。
久し振りの行動に出たぞ、丸子さん。
予想通り、出くわす職員という職員全部に前の薬局に買い物に行ってくると言っている。ここのところお買いものへ行く要望も少なくなっており、ある程度落ち着いてきたのかな??と思っていたが。ところがどっこい!です。やはり、前に買い物に行ってくるから預かり金を出してくれと要望された。ある職員がお話を聞きはじめるが一向に聞き入れてくれない。それどころか怒り始める。もっとも無理ない話で、特に何もやることもなく、夕食前の空腹感からお買いもの癖なんだろうが、僕だって同じように腹が減ればイライラも増してくる。あと一時間弱で夕食の時間。そんな時間に物を食べれば、夕食が台無しになってしまう。一人の職員が肋間神経痛の痛みを緩和させるべく、居室に買い置きしているけい皮鎮痛湿布薬を貼ってあげるよ!と言いながら、居室に手をつないで歩き始めた。
別に、今日の余興が原因で、丸子さんのいつもの病気が出現したわけではないが、こんな風な症状は時々出現する。本当は、頭がボーっとしていて、おそらく気持ちもすっきりとしない状態なんでしょうね。どう表現すれば理解しやすいだろう・・・・?
つまり、我々の超過密スケジュールで働いたあとの数日を寝て過ごした後の感覚と似ていると言えば理解しやすいかもしれないが、恐らく本人さんはボーっとした感覚が気持ち悪いんだろうと思う。それでは、この気持ち悪い状況をどのように改善してあげるのか?
1.本人の気のすむまま自由に外出させてあげる。
2.他ごとにご本人の興味の方向を変えてあげる。
3.体を動かして覚醒を促進させる。
4.縛って座敷牢に放り込む。
(だんだん、ケアマネジャーのテスト問題みたいになってきたが、介護の世界に正解はないとよく言う。この場合も同様で、気のすむまま外出させてあげると言うのも、交通事故やら遭難というリスクが常に見え隠れする。言ってみれば、利用者さんを見守る義務のある施設としての立場からの視点である。第二の対応策である興味の方向を変えてしまう技法も何だかしっくりと来ない。利用者さんをだましていることと同じ意味から考えても、方向を変えるんではなく、その場の雰囲気をかえる。話題の転換を試してみる。ひょっとすると、丸子さんのような状態の認知症高齢者には一番納得がいく解決策かもしれない。間違っても縄で縛って、座敷牢に放り込まないように! 言わずと知れた身体拘束であり、精神的な虐待でもあるこの行為は決して許されるものではない。そして、認知症高齢者への対応として、介護者の押さえ込もうとする手法は、逆に火に油を注ぐ結果となることを忘れてはいけない。不安定な気分は更なる不安定要素を与えているような結果となる。結局のところの丸子さん、女性職員がお供して、前のショッピングセンターへお買い物にいくこととなった。
夕食後の団欒をのぞいてみた。居間には入居者さん5名が思い思いの活動をしている。大半はテレビに釘づけ。丸子さんは黙ってダイニングテーブルの傍らで突っ立って入居者さんを見つめている。この入居者さんは重度の認知症を患ってみえる。僕が傍に寄っても丸子さんピクリともしないで、その入居者さんの行動を見つめている。
その入居者さんは、ただ一人、夕食を終えていなかった。お箸でお茶碗のご飯をつつきながら独り言を繰り返している。
「わからないのよ・・・・私、全然わからないのよ・・・」と繰り返しつぶやきながらご飯と戯れる。本当に戯れると言う言葉がふさわしいような行動である。ご飯をお箸で口に運ぶと言うより、お箸でごはんを混ぜているだけの状態である。その内に、副食(おかず)をテーブルに敷いたマットの上に盛り付け始めた。おかずがマットに山積みとなり、その上に先ほどのご飯を上乗せしている。折角のランチマットが・・・と思いながらも特に行動を阻止する気にもなれず、そのまま気のすむように見守った。
彼女は、器に残った残飯をランチマットの上に盛り付け終わると、気が済んだらしく、箸を置いた。もう、ごちそうさま!なんだ。
丸子さんは、そんな行動を見ながらとても不可解な思いで見つめていたのだろう。何も言うこともなく深いため息をついて居間を出て行った。
認知症ともなると普通の常識では考えられない行動をとる。在宅で家族が介護している場合には、この様な不可解な行動は許せないだろうし、また逆に自分の家族の変貌ぶりに受入れができなくて泣き叫ぶことだろう。実際、家族の会の方が話してくれたように、自分の実の母親の変わり果てた姿をみるのは忍びないと言っていた。一部の家族は認知症家族とともに自殺を考えることもあるだろうし、また羞恥心から逆上して暴力につながるケースも多いことと思う。私たち認知症高齢者専門職は、このような認知症特有の症状に対して専門職としてふさわしい介護を行えるよう存在する。私たちがこれらの行動を受容できない限り、適切な支援は行えない。その時、必要な支援を、必要なだけ行えるよう学びを絶やさない努力とスキルアップが必要である。
『丸子さ~ん、居るぅ~??』と居室のドアをノックする。うちの施設を設計した段階で失敗したのがここ。各居室のドアに小窓を設けなかったので中の様子が確認できない。
中から微かに聞こえる返答。かなりか細い声で微かに聞こえる
「はーーーーい」、声はか細いが、逼迫した様子はなさそうである。
『入って良いですか・・・?』と問いかけるが、丸子さんの許可は出ない。仕方ないので閉じられたドアの外から中の様子を音を頼りに覗う。別に苦しがっている様子もない、テレビの音も聞こえない。しばらくすると丸子さんらしき足音がドアに近づいてくる気配が伝わってくる。
ガラガラ・・・・とドアが開いて、そこには丸子さんが笑顔で突っ立って私を眺めている。
「ご苦労さん!」彼女は我々職員によくこの挨拶をしてくれる。昔の職場で交わしていた挨拶なんだろう。彼女は僕の背丈の半分(半分はオーバーだが・・・とにかく小さい方です)、頭上から見下ろすような感じでベッドの位置変更の使い勝手を確認する。
『ベッドの位置が変わったけど、どう?』
「ええよ!」
『今晩からはトイレが近くになったから転ぶ心配は無いと思うけど・・・』
「そうやな!ありがたいわ!」・・・・「こんな恰好でごめんな!」と言われて初めて丸子さんの全体を見た。パンツをはいてない!そっかぁ、丸子さんトイレに入ってたんだ!と初めて気づく。
認知症グループホームでは、結構、日常的に職員が勝手に居室に出入りすることがある。ドアが閉まっていてもノックもせず。このように認知症高齢者にしても恥じらいを感じて、それを言葉にすることを職員は認識してほしい。自分たちにとって恥ずかしいものは認知症を患っても恥ずかしいに決まっているんだ。認知症だから何も解らないし、傷ついてもすぐに忘れてしまう。という感覚は極端に言えば虐待や身体拘束を平気で行ってしまう無秩序な神経につながっていく。誰も見ていないから何でも許される感覚はとても危険な要素を含んでいる。認知症高齢者への尊厳を守った接遇の前に、人間として正しい倫理と観念に従って接することは、相手が認知症だろうと、自分の愛する彼氏や彼女であろうと、皆同じであるはずだ!居室に入る前には必ずノックして入室の許可をもらうよう心掛けてほしいものである。