今日のインターネットニュースで、新しいタイプのうつ病について取り上げられていた。昔は5月病と言って、新入社員が4月に入社して5月の今頃、ちょうど会社の様子にも慣れてきた頃に突然、会社に出勤することが意やんある病気(?)であった。精神病名で適応障害がそれに当たるらしいが、今の若者には季節に関係なく年中行事として「新型うつ病」が蔓延しているらしい。この新型の特徴は、5月病のように、ストレスを感じないときも塞ぎ込んでいたが、新型うつ病では、自分の好きなことをやっている時には気分の落ち込みは無く、十分に楽しんでストレスも感じないらしい。しかし、また、職場に戻れば耐えられないストレスを感じ、うつ症状となってしまうらしい。
驚いたことに、今の若者の多くが新型うつ病にかかっていると言う事実と、この病にかかってしまうと離職するか、長期休暇を取るかしてストレスを受ける環境から身を引かない限り直らないらしい。これは、雇用する側も本当に困った話で、せっかく探し当てた人材が新型うつ病で長期に職場を離れなければならない状況に陥ってしまうと、その時点でまた新規採用に頭を悩まさなければいけない。
また、当の本人も新型うつ病で落ち込んでいるときは、非常に辛いらしく、他人からは病気として認識してもらえず「怠慢」やら「ずる」やらと誤解を受ける事に対しても苦悩するようである。
私たちの年代の者からすれば精神力が欠けていると思いがちな状態だが、それも本人にとっては辛いようである。偶然、太陽の家の職員さんには、新型うつで悩む者は居ないようだが、こんな職場におけるストレスの問題が発生してくると、尚のこと職場における精神的ストレスへ対処が難しく複雑と成ってくる。
高齢者福祉ビジネスに参入してまだ日も浅い時に、私は資格など『まったく関係ない!!』と強く訴えていた。確かに資格は紙切れ一枚と言えばそれまでである。また、資格は持っていても、その人の人間性に合致せず資格が生かしきれていない有資格者も多い。まぁ、私自身も「なんちゃって、有資格者」だから、それ程他人のことをとやかく言える立場でもないが。しかし、資格の有無は兎も角として、福祉に精通することは、ある意味必要不可欠で在ると考える。福祉に精通しないまでも、福祉を幅広い視点で勉強することは、この業界に携わる以上、絶対に必要であると考えられるからだ。
例えば、接遇の方法に関しても。その人の抱える障害や疾病が、どのような行動や感情の変化につながるのかを理解していると、自ずと接遇の仕方にも幅の広さが生まれる。また、的確に相手の思いを読み取ることも楽に出来るようになる。認知症に関して言えば、大脳疾患の精神医学を勉強することで、その特異な行動パターンや問題行動に対する理解が深まる。また、世界の社会福祉の歴史を勉強することから、今後の日本の社会福祉を考える上で、非常に大きな糧となる。変わったところでは、開発途上国の貧困問題と地球環境の問題との関係を勉強することで、私たち日本の社会構造と世界の中の日本の立場を理解できる。心理学を学び、子供の成育に及ぼす親の働きかけの大きさを知り、人間の精神の繊細さにあらためて驚愕し、欧米諸国と日本の社会保障を比較することで、日本の不足している部分を知り、高齢者介護とは縁遠い科目であっても、広義の意味において我々の実践する介護に関係していることを学べば、生産性のない、エンドレスな、繰り返しの連続の、ストレスに押しつぶされそうな高齢者介護も別の視点を持ってみることが出来るようになる。
5月に入って、新人職員の中には、早々と、高齢者介護に見切りをつけて退職を考える者も多いことと思う。資格ではなく、福祉をもう一度勉強しなおすことにチャレンジしてみましょう。色々な角度から社会福祉を見直してみると、意外と新しい興味と疑問がわいてきます。福沢諭吉ではないですが、社会福祉を実践する多くの仲間達におすすめしたい。『学問のすすめ』といったところです。
高齢者介護をある人は「生産性のない職域!」と言う。私でなくとも、この言葉に腹が立つ人は多いと思う。しかし、なかなか、この生産性の無いと言われる所以に対して反論が出来ないでいた自分が居る。確かに、高齢者には後が無い。どのような訓練や施術を実施しても年寄りは年寄りであって、若返ることも、ばりばり働く事が出来るわけでもない。残すところ「死」を待つだけの生活である。また同時に、介護の現場では、砂漠の中に池を作るがごとく、職員が毎日毎日バケツの水を一生懸命注いでいるような日々を送っているようにも見受けられる。しかし、私達の社会から福祉を除いてしまった世界を想像しても分かるように、福祉の低迷する社会は、夢も希望も持てない混沌とした社会であり、まさしく映画「マッドマックス」の世界がそこにはある。
中世ヨーロッパの文化は素晴らしい文化遺産を残している。その文化遺産は富める者の文化であり、一般庶民の文化では無い。その当時のヨーロッパに暮す庶民は、毎日の最低限度の生活を維持する事だけが精いっぱいであり、そこには将来に対する夢も希望も描けなかった状態だったと学んだ。社会保障が充実しない国の経済は衰退する。そのまま歴史が物語っているではないか!
日本の社会保障制度とは年金、医療、福祉の三本立てで賄われている。社会保障費の額や国民負担率は兎も角として、私達の日本では低水準ではあるが、一応の形は整ってきている。日本の文化、経済の両面に於いて、ただその局面だけに勢力を注げば人間は幸せになれるか?と言えば、必ずNO!である。
私達の実践する高齢者介護も日本の社会保障の一環をになっている。また、今の日本の経済の基礎を築いてくれた先人達の行く末をしっかりと、その人たちの人間としての尊厳を守り見守る事は、そのまま、今の若者達の老後の安心と安全を構築している事につながる。
以上の理由で、私達の行っている高齢者介護、はたまた社会福祉全体は、決して生産性の無い職域では無い!
先月末からの風邪?またはアレルギー症状の悪化?か原因は定かではないが、とにかく咳がひどく、体調が芳しくなかったことを原因として軟弱にもブログの更新を怠ってきてしまった。毎日、ブログを書かなきゃ!と半分強迫観念に似たような義務感にさいなまれながらも頭が働かない。普段から回転の鈍い頭脳が、ここのところの咳き込みと鼻水・痰そして、頭も重い。 そんな言い訳を考えながら更新を怠ってきた事実に施設長の部屋を楽しみにしていただいている(そんな奇特な人は居ないか・・・・へへへへ)方々に申し訳ない気持ちでいっぱいだったわけです。さて、今日の私のブログは、料理について書いてみたいと思う。
ちなみに私は、イタリア料理を得意とするのですが(またぁ~うそばっか!?)と疑う輩もいるとは思いますが、これが意外と美味しい料理を作るのです。と言うと、話す相手の皆が、実際に食べたことが無いのでなんともいえません!と言われてしまうのですが・・・
まあ、兎に角、今日の私んちの夕食はイタリア産プロシュートとルッコラのフォカッチャと子持ちシシャモのソテープッタネスカ風味と言うのを作ったのです。さて、プロシュートとは生ハムのことで、ルッコラという名前のゴマの風味のする野菜を載せたピザ生地に似たイタリア風パンのことです。強力粉に砂糖とイースト菌を混ぜて水を入れてパン生地を作ります。室温で醗酵させた生地をピザの形に丸く円盤状に伸ばし、フォークを使って穴を開けたものにオリーブオイルをふりかけオーブンで焼き上げます。出来上がりは一寸厚めのピザパイのようになりますが、オリーブオイルの旨みが絡んで、この生地だけでも美味しく食べれます。
ピザカッターで適当に切り身を入れた上に、先ほどのプロシュートとルッコラを乗せて食べるのですが、ルッコラの少し苦味の利いたゴマの味する野菜と、塩加減の適当なプロシュートが絶妙な味で口の中で広がります。もちろん、オリーブオイルで多少はオイリーな部分もありますが、油で揚げたパンではないので意外とさっぱりとしています。パン生地を醗酵させる手間を考えると、作ってすぐに焼き始めることは無理ですから結構前もって準備が必要ですが、調理はとても簡単です。一度お試しください。
次に、子持ちシシャモのソテープッタネスカ風味ですが、これも簡単。子持ちシシャモはスーパーで売っている子持ちシシャモを使います。材料は、子持ちシシャモ、強力粉(イタリア料理には強力粉を使うことが多い)、トマト(皮と種をとって実だけをさいの目に切る), ケイパーの実、ブラックオリーブのスライス、スイートバジル(今日は鮮度の良いクレソンがあったのでクレソンで代用しました)。子持ちシシャモに軽く強力粉をまぶします。フライパンに無塩バター少々と同量のオリーブオイルを入れて軽く熱します。フライパンの表面でバターとオイルがふつふつとあわ立ち始めたら、先ほどの子持ちシシャモを静かに並べて両面をこんがりとソテーします。ソテーしている間に、ボールの中にさいの目に切ったトマト、ケイパー、ブラックオリーブのスライス、あらみじん切りのバジルを加え、エキストラバージンオリーブオイルを混ぜ合わせて、軽く塩・コショウをして味を調えておきます。両面に狐色の色目がつく程度ソテーしたシシャモを方向をそろえてお皿の中央に盛り付けます。その上に先ほどボールの中で混ぜ合わせたプッタネスカソースをきれいに乗せて出来上がり。これも簡単に調理できて、おまけに非常に美味しい料理の一つです。シシャモの生臭さが消えて、焼酎でもワインでも日本酒でも合う一品の出来上がりです。これまた、一度お試しください。
次回の調理のブログには写真を掲載できるようにします。写真を掲載すれば、さらに美味しさも伝わることと思います。
以上、玉ちゃんクッキングでした。
うちのケアマネからの話では、ある独居老人のお宅に押し売りが押しかけたらしい。対応にとても苦慮されたそうで、その時にヘルパーさんが入っていたのが唯一の救いのようである。身体的にも健常者よりも弱い立場の高齢者宅、それも独居ということを分かっての押し売り。これは、完全な犯罪ですよ!食うに困って押し売りをするのか、やくざの上納金を稼ぐためなのか?その辺は分からないが、社会的弱者を狙う卑劣な手口。血も涙もない行為に、人間性の欠片も見えない困った人が居るものです。
同時に、また、私のインターネットメールに賞金200万円の当選のお知らせが届いた。一ヶ月前に一度同様のメールが届き迷惑メールに勝手にはまっていましたが、今回も迷惑メールに整理されていました。どこで個人情報が流出したのか?は不明ですが、そんな危ないサイトなどをネットサーフィンはしないほうなので、恐らくネット上で買い物をしたりするサイトから個人情報が流出しているのではないかと素人判断している。いずれにせよ、この手のイカサマ手口は、一度でもスケベ根性をだして懸賞金サイトをクリックしようものなら、それだけでお金を請求されるらしいので、決してそのようなサイトへの訪問は行わないほうが懸命である。
人生、そう容易くお金が儲かるわけが無いのに、結構、この手の詐欺は多い。宝くじを買い続けても最高額1万円しか当たらないのに、一ヶ月の間に。何も申し込みもしていない団体から200万円の懸賞が当選するはずが無い。よくよく考えれば不思議な話と分かる。この手の詐欺を行うにあたっても、インターネットに詳しく、文章もかける頭脳の持ち主が関わっているはずで、頭脳明晰にして詐欺しか出来ないのは、ちとお粗末でもったいない。その頭脳を生かして地道に働けば、額面は少ないかもしれないが社会に隠れて生活する必要も無いのに・・・・(って、ネット上だから、詐欺を働く一面を持ちながら、片方で昼間はお堅いサラリーマンづとめかもしれないが・・・・)
世の中、本当にいろいろな困った人が多いことに今更ながら驚いてしまう。