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ブログ-施設長の部屋

2010/6/23
一生懸命仕事してる?

 今日は施設内研修。私の担当で高齢者の機能低下が及ぼす老化を説明した。

 人間が年を重ね、いつの間にか高齢者の仲間入りをする頃、自分自身をとりまく環境が様変わりする。友人も、仕事も、伴侶も無くし、それまでの勢いに乗っていた人生も最終期を迎える事実を受け入れなければならないことが、高齢者の生きる目的をどんどん萎ませてしまう。そのような説明を行っていた。その説明の中に自分自身を例に、

 「毎日、一生懸命、仕事していて・・・・」と言った途端、うちの職員が笑った。それも一人では無い。複数の職員が笑った。

 ・・・・・そっかァ、俺って仕事してるとは言えないのだ・・・・!

 しかしねエ、弁解するわけではないけど、僕の仕事は直接的な介護では無くって・・・・介護施設の運営を行っているわけだからさ・・・・え~っと・・・・その~っ。と弁明も次第とトーンダウンしてしまいそうである。

 仕事をしっかりとしてない私から言うのもなんだけど、職員の皆さんには日頃より感謝しています。本当に前向きに一生懸命、頑張って利用者の皆さんのお世話をしてくれて。でも、今日、かなしょうず園の理学療法士の行っている機能訓練を見学して、その専門性に驚き、そして感心してしまった。流石に理学療法士だけあって、上手に利用者を訓練に巻き込んでいる。うちの看護師、リーダーと相談員にも同時に見学につきあってもらったけど、出来れば太陽でもあのような機能訓練を実施したい。その時には、僕も一生懸命、お手伝いをしながら、利用者のADL向上に努力したいと思っている。のですよ・・・・・

 

2010/6/23
閉話休題:家族の会話その3

 午前中の雨も午後にはあがり、うっすらと薄日の差す蒸し暑い午後となった。このところ継続的に取り上げている家族の会話について、そんな蒸し暑い午後のひと時を太陽の家の玄関ポーチにて、しばしの休息をとっていた時の話である。今年は長い間、燕のお宿も埋まらずに空き状況が続いていたが、最近、一対の燕がヒナを返し、今子育てに必死である。 日に日に大きくなるヒナに、親鳥も大忙しな様子で、ひっきりなしに餌を運んでくる。

 今日の昼間、僕が玄関ポーチで燕の餌運びを眺めていると、親鳥はヒナに餌を与えるや否や、三回ほど鋭い声で鳴いたのです。すると、面白い事に、巣の中のヒナ鳥の全てが巣の中に身をひそめるように小さく隠れてしまったのです。あの時の親鳥の鳴き声は、危険を教える合図(言葉)だったのでしょうか?!

 そして、私がその事に気づき、玄関ドアの内側に入り、ガラス戸越に見ていると、ヒナ鳥達は、恐る恐る巣から上体を起こし、親鳥の飛来を待ち受ける体制に戻っていったのです。

 燕でも、子供を思う親の気持ち、子供に対する配慮を感じ、今更ながら大人になり切れていない人間の成人達にクエスチョンマークをつけたくなるのですが、皆様はいかがでしょうか?

2010/6/22
ブログのおかげ!

「施設長の部屋」を書くようになったお陰で、太陽の家の職員さんとの関係が大きく改善した。そして、このブログのお陰で、職員さん全体的に向っている方向(ベクトル)がそろい始めている。

 これは手前みそでもなく、実際にブログを書き始めてから、徐々に職員さんに施設長が何を考え、何を思って太陽の家を運営しているのか理解してもらえるようになった。最近では、職員さんの方から、ブログは毎日更新してください!と言う要望までもらえるようになって、秘かに喜んでいる自分である。

 また、今日、うちの事務長から、施設長のブログは屁理屈も多いけど(屁理屈ですよ・・・・屁理屈とは思っていないけど・・・!)、料理の話やら、ナメクジの話まで色々な側面が書かれているのですね!と言われ、なるほど!と感じたところである。確かに、私のブログはテーマに一貫性がない。その時の思いつきを文章化している。だから、毎日飽きもせずにブログ更新が可能なのかもしれない。そして、ブログに書き連ねる文章は、”よそいき”の文章もあれば、普段着のままの姿もある。この両面から、職員のみんなは私自身を読み取ってくれているのだと思う。

 インターネットの使い方としては色々な処方箋が考えられる。私は太陽の家のホームページを作成するにあたり、一番の目的としていつ開いても、新しい情報が掲載されているようなホームページを求めていた。既存のページにしても、内容を変えて常に真新しい感覚のホームページを狙っていた。しかし、そこまで変化の激しくは労力の点でも、システムの点でも困難であり、そうなるとブログ形式の書き込みが可能なページがほしかった。新着情報を含め、私がタッチできるページは2ページある。この2ページ分でも、定期的な更新を繰り返すことで、そこそこの新鮮味は感じられる。また、このページに訪れてくれる人達にも、ある程度は何かしらの考えてもらえる切っ掛けを送信出来ている事と思っている。

 7月の三重県地域密着型サービス協議会の例会では管理者の抱える課題と現場職員の抱える課題の両面から、検討を行い、さらにベターな職場環境に向けて話し合う研修を予定している。今現在、加入事業所の管理者の方々に個別にアンケート調査を実施している。そのアンケートの集計を検討しなければならないが、今現在、集まってきている結果をみる限り、多くの事業所の管理者の皆さんが職員との意思の疎通に苦しんでいるようである。

 事業所のトップが、どのように現場サイドと交流をもち、お互いの相互理解を深めることが出来るのか?これは、非常に難しい課題であり、どうしても管理者または経営者の独りよがり的な独断的支配におぼれがちな施設運営に、私達はもっと多面的なコミュニケーションツールを探すべきであると考える。”インターネットを使うべき”に固執するわけではなく、自分に合ったツールを見つけ、管理者から心を開いて職員と接する事が、一番過ごしやすく働きやすい職場へと変身するのではないかと思う。

 次は、働きに見合ったお給料を如何に支給していくか?であろう・・・・

2010/6/22
孤家族化、その2

今日。家族関係についてのブログを公開したが、今回第二弾として家族関係の脆弱さと希薄な連帯感について書いてみたい。

自分が子供のころは、祖父母を中心とした縦社会の家族構成が厳格に受け継がれてきていた。縦社会であるから祖父母を頂点とした序列が作られており、食事の給仕にしても、入浴順にしてもすべてが祖父母から先に行われる。そんな言うなれば保険的な家庭環境であった。そして、全ての食事は全員がそろってから始まる。少しでも遅れようものなら父親からゲンコツの嵐。自分は子供の頃、近所の同年代の子供達と神社の境内や公民館の広場を遊び場所にしていて、野球やかくれんぼなどの一般的な子供として遊んでいたが、夕ご飯時を忘れて(忘れるほど遊びに必死だった)帰る時間が遅れると悲惨であった。その夜は家に入れてもらえない。もちろん夕ご飯抜き。そんなお仕置きを母親が取り持ち、父の許しを請い涙を流して誤った事を良く覚えている。

 その当時に、家族一緒に食卓を囲む事に違和感はなく、何の疑問も起きなかった自分であるが、今思い起こせばとても懐かしい気持にもなる。また、食卓では、爺さん婆さんから、その日の遊びや行動について質問されたり意見されたりすることが日課でもあった。褒めてもらえるばかりではなく、訳も分からず父親の逆鱗に触れてしまい、食卓でも叱られたりすることもあった。茶碗の上げ下ろし、お箸の使い方から食事のマナーについても教えられる時間でもあった。

 今の時代の子供達には想像も出来ないような食卓風景だと思う。しかし、祖父母を頂点として存在した家族に自分自身の子供時代は大きく守られて生きていたと感じる。自分だって子ども時代は甘えん坊の世間知らず、色々な悪さや悪戯をしては問題を起こしていた。その度に、「○○さんとこのこういちやな!オヤジに言うぞ!」と言われて、脅されるものの大事にはせず情状酌量という事で許されることが多かった。このように、祖父母、両親の顔なじみや知人に囲まれて生活していた子供時代は、それこそ地域密着の環境であったわけで、それから数十年の年月が過ぎた今。家族はドンドン小さくなり、同じ屋根の下に暮す者同士もお互いの意思の疎通がとり難く、赤の他人の同居人のような環境となり変っている。

 前のブログにも書いたように、個人の生活リズムがありすぎることから食事時間はバラバラで、便利な電気機器のお陰で冷たく冷めた食事こそ食べなくて済むが、それでも一人で食事をとる子供達も多い。その多くは学習塾や習いものの関係で、食事時間が個別となりやすようだ。一人で食事するから会話も無い、テレビを観るか、携帯メールを使って友人とメール交換するかくらいしか楽しめる物は無い。自分には子供がいないので、実体験としての経験は無い。しかし、夫婦間でも仕事の都合によって食事はバラバラな時がある。現代社会の構図から、仕方ない状況と言わざるを得ないのかもしれないが、この社会、この家族関係、このまま継続していって良いのかな?

2010/6/22
家族関係について

 先日、三重県総合文化センターにおいて研修が開催される都合で、太陽の家を早めに出て道中に早い目のお昼ご飯を一人で食べることがあった。通り沿いの全国チェインのハンバーガースタンドで昼食を食べた時のお話をしたい。

 回りくどい前置きは抜きにして、幼子を同伴の若いお母さんが同じようにハンバーガーを注文して、私の向かいの席で食べ始めたことから説明したい。子供を椅子に座らせ、子供に食べやすいようにセットした母親は、自分自身の食事を食べ始めたわけだが、食事を食べ始めると同時に母親は携帯電話を取り出し、メールを書いている様子。子供は黙々と黙って自分の食事を遂行している。おおよそ15分程で私自身が食事を終え立ち上がるまでの間、その家族には会話は一つも無かった。子供は食事という行為を遂行していると言う表現がまさしくフィットする状況がそこにはあった。

 また、ある時、うちの職員数人と一緒に車に乗り合わせて、ある寄合に出向く事があった。4人が乗り合わせた車の中で一人が携帯でメールを実施している。目的地に行く道中の大半がメール操作に明け暮れている。当然、会話は行われない。その様子はあたかも公共交通機関に乗り合わせた赤の他人同士のような状況である。電車に隣り合わせた他人さんが携帯メールを行っている環境が、その車の中に有る。これは、現代人としてすこぶる自然な発想かもしれないが、前回の私の書いたブログにも関連するが、やはり介護に携わる人々の意識改革は必要と思ってしまう点である。

 家族ではないが、職場の同僚の間でも会話が少なくなりつつある現代。この波は徐々に個々の人間に波及しお互いの深層心理に触れられないよう厚い壁を作るかのごとく孤家族化(個人の集まりであり、単なる集合体としてだけの家族を意味して)している社会をもう一度考え直さなければいけないと思う。


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