昨日、うちのデイサービスのフロアーリーダーが、三重県の連携力プロジェクトの関係で常滑と武豊にある有料老人ホームを見学してきた。この有料老人ホームは、利用者の方々に10時間の笑いを提供していることで有名な施設だそうだ。毎日、常に利用者に笑顔の絶えない施設運営は、それなりに評価できるし、運営側の職員さんの努力に脱帽する。いろいろな施設を見学して何かしらのインプレッションを受け、そこからアイデアが生まれ、少しでも太陽の家の提供できるサービスの改善に役立ってもらえればと言う期待感を持って、職員さんを台風9号の襲来が懸念される中、送り出したのです。
フロアーリーダーは、色々な点で考える事項を持ちかえったようで、太陽の家に戻ってくるなり、熱く語り始めた。もちろん、後日、改めてレポートにまとめ、全職員を交えての意見交換の場でも見学会の成果を話してもらうが、何はともあれ、デジタル回想法なるものに興味を抱いたようである。要するに、デイサービスの利用者の方々が送迎バスから降りる時から、スナップ写真を撮影し、その日のお帰り前に、その日撮影した写真を介して、その日一日を振り返る。認知症高齢者の短期記憶の消失を少なくするために、その日の利用者の方の姿や行動を再確認することから、記憶に刷り込みを行う事を目的として行われるのではないかと思う。
そんな面白いアイデアに対して、何でも兎に角「やってみる!」精神をもっとうに近いうちに担当を決めて実施することとなる。その辺が小規模事業所の取り柄、変わり身の速さとサル真似上手な体質と、その持てるメリットを最大限に活かすことが重要と思うのです。
そんなわけで、今日の一日の出来事を、まずは職員の動きを撮影して、ブログで紹介しようと思います。
さあ、職員の皆さん、この写真の貴方!何をしてたところの写真ですか?思い出してみてください。
自分の癖は、自分では認識できないもののようだ。人間だれしも、自然のうちに行う「仕草」や「行動」があるようで、自分自身ではなかなか気がつきにくい行動であり、第三者から見ると、非常に気になったり、笑えたりする行動のようである。もちろん、同じ動作を僕がやると許せないとか・・・・個人的な感情もそこには大きく影響を及ぼしているようである。
さて、そう言う僕の七癖とは?
第一に、決して恰好よろしくない、言ってみれば無様な姿である。「すぐに鼻毛を気にしてしまう。手が鼻毛にいってしまう」。タバコを吸う人間は、吸わない者に比べても、鼻毛の伸び率が大きい様で、僕の場合も、結構鼻毛がくすぐったくって、そこに手がいってしまう。恥ずかしいので、滅多に人前では行わないが、そう言いつつも、誰も見ていない!と思いこんでいる自分だけで、人さんは、その瞬間を観てる事が多いのです。
第二に、一日の仕事を終えてくつろぐ時。服を着替えるわけだが、その時に脱ぎ捨ててランドリー籠に放り込む前に、着ていた衣類の臭いをかいでしまうのである。これまた、他人から見れば「う~っ!グロース!」って感じなんでしょう。良く叱られます。
第三に、何かやり終えた後には、口笛が出てしまうのです。何でしょう・・・?緊張感の後の解き放たれた解放感からか?口笛が出てしまうのです。これは、オヤジにそっくりと言われます。
第四に、まだあんのかよ!って驚かれるかもしれませんが、探せばいくつでも出てきそうな感じです。それくらい癖というのは限りなく、その人物にとって安心できるひと時と言えるかもしれません。さてさて、僕の第四の癖ですが、それは、携帯電話を持つ手が左手であると言うこと。必ず、左手で持って左の耳で電話を聞きます。これは、右手でメモをとれるから。と言う理由ではなく、僕の場合、右耳が左耳より難聴ぎみで、少々聞き取りが出来にくいと言う理由からです。言ってみれば、これも癖のようなものです。
まあ兎に角、癖は、その人のイメージの中で重要な部分を占めており、時には、皆で笑いものの餌にしたり、その人を紹介する時に印象深く記憶にとどめてもらえたりと、良い面と悪い面の両面を持っています。僕は、自分の七癖、まだまだ笑われるような癖を持っていますが、それもまた、人間の証拠。大手を振って皆さんに笑いの種を提供しましょう!
最近、ブログ更新をさぼり気味の私ですが、やはり職員さんに叱られてしまいました。「叱る」と言う表現は不適格かもしれませんが、ホームページを開けてみて、ブログが更新されていないと、とても寂しい気がすると言う内容でした。
まあ、私としては言い訳のしようの無いことで、何とも反論もお約束もせずに、その会話を終了したのですが・・・・ブログってのは、時として題材に困り果てて、文章を書けない時があるものなんです。(と、いっぱしの文筆家のようなセリフですが・・・・)兎に角、その日、その日、何がしかのことを感じながら生活しているのですが、その思いのすべてを全て文章にすれば、色々な方面に角がたつ。そんな思いから、時として文章がすすまない時も多いのです。
それと、もう一つ、先日、ネットサーフィンをやっている中で、あるブログに遭遇したのですが、そのブログの内容に少しだけですが愕然とするイメージを受け取った事も、文章を書けない理由となっているのです。そのブログの内容とは、道路を運転する人々のマナーについて写真入りでウンチクを書き連ねたものでした。どうも、その人の屁理屈としか言いようのない文章に、自分自身ンノ書いているブログも同様なのかもしれないと言う、自責の念にかられたとでも言いましょうか・・・・まあ、それさえも言い訳にしかなりませんが。
さて、気分を入れ替えて、このブログの為に、自分がいかに常日頃より努力(?)してるか?についてご紹介したいと思います。何度も何度も繰り返しお話しているように、僕は飛行機が大好きで、セントレアが完成してからは、この鈴鹿の上空を 結構低空で飛行する大型旅客機を見かけることがあります。いつも、ジェット音が聞こえてくるたびに空を見上げる時分ですが、最近ではカメラを手に、上空に飛来する飛行機を待ち構える事も多くなってきています。もちろん、大きな飛行機の姿を写真に収め、このブログで紹介したいのですが、常に空ばかりを見上げているわけにはいかず、音を確認してからカメラの準備をするには、時間的な余裕がなく、いつも写真に収めることができないのが現実です。
朝の9時過ぎ、夕方の4時過ぎに飛来する飛行機は、結構低空で飛来します。しかし、これが、なかなか写真に収めることができない。そんな苦悩を毎日味わいながら、いつの日か、必ず写真に収めてやるぞ!という意気込みでいることだけお伝えします。
うちの職員さん、また東京に出かけるらしい。その職員さんから、どこか面白い場所はないですかね~?と質問され、ネット検索して彼に(・・・・・しまった、性別を書いてしまうと人物が特定される!・・・・・)台場の国際展示場で、彼の好きそうなコミック関連の催しがある事を教えてあげた。9月26日の日曜日で、おまけに入場無料! これはお得な情報!と教えてあげたのに、彼は、ボソッと一言、「今晩出発、月曜早朝には戻ってくる予定です!」と・・・・・
はにゃ・・・・?明日の話かい・・・・! と言う訳で、僕のアドバイスは泡と消えてしまったわけです。
若い職員さんが東京に憧れる気持ちは良く理解できます。そして、若い頃は、ケチケチ旅行が、良く似合う。お金なんて持ってなくても十分東京を満喫できるのです。昔、若い頃の自分も同じでした。身の程知らずと言うか、食事するために飛び込んだレストランのメニューを見て、その価格に驚き、何も注文できずに飛び出した事もあります。お土産なんて買うだけの金も持たず、ただ歩き、電車に乗り継ぎ、色々なところを放浪したものです。しかし、このような旅行をしたとしても、最低2枚の万札は必要でしょう!滞在中の食事などの費用を加えると、もう少し費用はかさみます。
日本の文化・経済が東京一極に偏ることは、田舎の若者にとって、その地に暮す若者よりも費用も時間も余分に必要となります。少ない給料の中から、一生懸命に費用をねん出し、一人で上京し、またいつもの仕事に戻る。今頃の若者と、年配の者からは叱られ、注意され、何考えてるのか理解できないと、あたかも宇宙人のような扱いを受けている新世代の若者たち。せっかく上京するのだから、美術館やコンサートなどにも、時間を割いてもらえると、さらに自分自身の考え方に大きな肥しとなると思うのは、オッサンの考えかたかな?
最近、僕には?マーク的ニュースと思える報道がある。高齢者福祉を担っている中でも、少なからず関係深い内容に、このブログで取り上げてみたい。
そのニュースとは、自転車の後部荷台に取り付けられた幼児用シートに関係した、幼児の足の巻き込み事故のことである。大手自動車部品メーカーの製造した幼児キャリアーの製造責任を問われているようであるが、僕は、この問題の全てをメーカー側に押しつける、今風の責任問題のありかたに異論を感じている。 製品自体の品質に何がしかの問題が存在する場合もあるが、ここには、使用する側の意識にも問題は無いと言いきれるのだろうか?
戦後の復興の中で、日本人労働者は勤勉でサル真似上手と言われ、敗戦国でありながらも短い時間で世界経済のトップ集団を突っ走ることとなるが、その中で、私達の先代は、家庭を犠牲にするほどのハードワークの中から構築した技術と歴史的栄光でもあると思う。この日本の経済的発展の後ろには、工業の発展が機動力となっているのは言うまでも無い。ブリキのおもちゃ全盛の時代から、子供がブリキで怪我をしやすいクレームを受けて、ブリキ製品は次第に社会から抹消されてゆき、それに代わってダイキャストモデルやプラスティック製品が登場してきた。社会のニーズを満たそうとする考え方は、それに伴うように技術とアイデアの革新をもたらし、日本にテクノロジーの大国として世界に秀でた『Made in Japan』が誕生した。
日本の世界に誇る技術の粋は、同時に、より大きな製造責任という課題を背負う事となる。今回の自転車に取り付けられた幼児用後部座席(キャリアー)による巻き込み事故のようなアクシデントに対処しなければいけなくなるのである。高齢者介護の世界でも、若い職員や未経験者など多業種からの転職者も含めて、いろいろな考え方の人たちが高齢者介護の現場で、日々悪戦苦闘している現在。人によっては、介護施設に潜むリスクに対して、とても鈍感な人もいる。要するに「気がつかない!」 危険性を予測できにくい人と言われる介護職員の多くは、今のところ運よく大きな事故を引き起こさずに毎日を過ごしているが、しかし、運悪く全ての危険性が重なった時こそ、その事故は大きな取り返しのつかない事故に発展してしまう。そのような危険性をもっている。この春、三重県のあるグループホームが利用者への精神的虐待を疑われる事件が起きた。 この事件も職員には悪気は一切ないようであるが、社会問題として発展していきそうな危険性を予測できなかった事が一番の問題であると思う。
僕には、今の若者世代のリスクマネージメントが出来にくい環境には、それなりに幼少のころから、あらゆる危険から隔離されてきた生活による負の遺産かと思うのである。便宜性と安全性はパッケージ化され、自分自身が身に付けなくとも、他者(それは製造元の企業であったり、その人を取り巻く環境であったり・・・)によて、最善の姿に完成させられたものを使用するだけの社会。少し話しが安直すぎる帰来もあるが、しかし、守られすぎる環境で生活してきた人間は、知らず知らずの間に自らは、将来起こりえる危険性を察知する感性が退化してしまう事も事実であろう!
空き缶の切り口を素手で触れば、手を切る事は想像できる。走行中の車両から空になった缶や瓶を捨てるとどうなるか?公園のシーソーを使って遊んでいる最中に片方が飛び降りるとどうなるか?階段の手すりを滑り台にして遊べばどうなるか?
僕には、企業が消費者を守るために製造者責任を果たす事は、結果的に消費者の感性が鈍く、小さく縮小していく事とに比例してるように感じて仕方がない。機械はこわれるもの!という発想、使い方を間違えると怪我をすること!を思い描いて、近代文明とお付き合いしていかなければならなと思って仕方がない。